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6 再起

自叙伝『囁きに耳をすませて』
07 /01 2020
           Book.jpg


第一章 偶然は必然

6 再起

5年後、念願の離婚が成立した。
だが息子は、父親と暮らすことを選択した。

「僕、お父さんと一緒に暮らしたるわ」

ある日、洋が宣言した。

「えっ!……なんで」

「だってな……お母さんは一人でも大丈夫。ちゃんと暮らしていけるし、
お母さんとはずっと会うこともできるやろ。けど、お父さんはダメや。
僕がいなかったら生きていかれへん思うで。
それやしお父さんと離れたら、ずっと離れたまんまになるし」

私は絶句した。
いや、耳を疑った。
小学5年の洋が、自分の意志で父親と暮らすというのだ。

「けどな。ご飯や洗濯や、それに……」

いいかけると、息子は寂しそうな目で私を見た。

「しょうがないやんか。今のままやったら、お母さん可哀想やし」 

胸が押しつぶされそうになった。
息子は、父の精神的な支えになろうとしていた。
同時に、そうすることで父親から母を守れると判断したようだった。
ショックのあまり呆然となった。

「洋、凄いこというね。
けどまぁ……しばらくの間はそうしてくれると助かるわ。
お母さんが先に家を出て何ヶ月か経ったら、
お父さんもちょっとくらい冷静になると思うし。
母親との生活に勝る環境はないってことぐらい解かると思うから……。
どう考えても店と家事の両立なんてできるわけがないし。
お父さんも今は意地張ってるけど。
すぐにギブアップすると思うから、それまでの辛抱やね」 

私は理屈を並べ立てていた。
この先、息子と暮らせないことなど認められなかった。
悲しくてたまらなかった。
いや、母親としての自尊心が悲鳴をあげていたのだ。

しばらくは落ち込み、洋のためにできる限りの時間を稼ごうとはしたが、
離婚の意志を曲げる気はなかった。
週末ごとの自営業の助っ人を拒絶して夫から距離をおき、
新たに電話セールスの仕事についた。
書籍販売は足掛け3年に及び、体力に限界を感じていたからだ。


通販で集めた顧客リストを元に、
新たな商品を斡旋する電話セールスの仕事は、
肉体的には天国にいるようなものだった。
冷暖房の効いたオフィスには飲み放題のコーヒーが用意され、
定められた労働時間さえ守れば交通費も保障された。
外回りで鍛えた効果的なアプローチや説得力のおかげで、
私は短期間で書籍販売を凌ぐ高給取りになった。
外回りの時代と同じように毎月28万の生活費を入れ、
残り全てを貯金に回した。
貴洋は収入の総額を知りたがったが言うつもりはなかった。

自立のための資金に目処がつくと、用意周到に離婚の準備を始めた。
自宅から地下鉄でひと駅の町にマンションを借りて、
小学6年生になる洋に道順の練習をさせていたのだ。


私が家を出たのは1987年2月のことだ。
その日、傑作なことが起きた。

無印の2トン車を頼んでいたのだが、
派手なマークと社名の入ったトラックが2台も到着した。
それも大音響で音楽を奏でながらである。

間もなく玄関の戸が荒々しく開いた。

「ごめ~ん、奥さん。引っ越しの車、来てるけど、
誰か引っ越すって聞いてたぁ?」 

向かいの奥さんだった。
その時、2人のドライバーが彼女の背後に迫った。
万事休すだ。

「ごめん。わ・た・し……。お世話になりました」 

そういうと、彼女はポカンと口を開けて固まってしまった。

「ごめんね、内緒で出て行こうと思って。
奥さんゴメン。荷物運ぶし……」 

引っ越しスタッフに場所を譲るよう促すと、
彼女は今にも泣き出しそうな顔で自宅に戻って行った。
私道を挟んで向かい合う8軒の近所付き合いは良かったが、
離婚を告知したのは2人だけだった。

「なんでまた車2台もよこしたん? 
車体が無字のものをって言っといたのに」 

ドライバーを相手に恨めしそうに言った。

「すんません、なんか手違いのようで。もう一人は友達なんですよ。
途中、無線が入って手伝ういわれて。まずかったですかね」 

事情を察したように彼が言った。

「まあね。けど、しゃーない。後の祭りやわ。
いいよ、運んで。お友達が手伝うほどの荷物はないけど」 

気を取り直して、小荷物を隠し置いたガレージに彼らを案内した。

「これで全部ですか?」

ドライバーが言った。 

「うん、これだけ。なんか、事情丸見えやねぇ」

含み笑いで恥ずかしさをごまかした。

「まぁ、世の中には反対のケースもありますから。
男の方がもっと惨めですよ」 

咄嗟の機転を利かすつもりだったのか、
ドライバーが妙な慰め方をしながら荷物を積み込み始めた。 

電話のベルが鳴り、部屋に戻った。

「奥さん行くんやね。元気で。
洋君のことは定期的に報告するから安心して」

息子同士が仲良しで、事情を打ち明けた隣の嶋田が
声を詰まらせながら言った。
近所の手前、電話で別れを告げてきたのだった。

「ありがと。嶋田さんだけが頼りやし…。
洋のこと、よろしくお願いします」 

そう言うと涙が溢れた。
家族構成の似た隣人の存在はありがたく、
張り詰めた緊張感が一気に緩んだ。

玄関に鍵をかけ、それを秘密の場所に置いて足早に車に乗り込んだ。
小雪がちらつく寒い朝で、住宅街が静まり返っていたことは幸いだった。
ふと、奇妙な絆を作ってしまった啓子の顔が浮かんだ。
だが、出勤の遅い夫の在宅を思うと挨拶を交わす気にはなれなかった。
離婚を打ち明けて以来、絶好のサンプルとばかりに、
啓子が司法書士の夫を脅していたことも聞いていたからだ。

「さっきの話の続きだけど、どっちが多い?」

10分も走るとドライバーに話しかけた。
押し黙ったままの雰囲気を変えたくもあったが、
家出という差し迫った状況の中でさえ、
第3者の捉え方に興味があった。

「最近、旦那さんが出て行くケースが増えましたねぇ。
ほんま、女性は強くなりましたわ。
僕の同僚かって嫁ハンに追い出されましたもん」 

災難さえも笑いに変える、関西人らしいノリで彼がいった。

「ほんまぁ……。
お兄ちゃんたちの仕事は人生の縮図を垣間見るようなもんやね。
けど、どてっ腹の社名と派手な音楽には参ったわ。
何が内緒やねん。
向かいの奥さん、鳩が豆鉄砲くらったような顔して。
ククク、ああ、可笑し!」 

人事のようにいうと、それまで遠慮がちだったドライバーが
爆笑した。
 

夕方、学校から戻る時間を見計らって洋に電話をかけた。
父親が帰宅するまでの時間に連絡し合うと決めていたのだ。

「洋、お帰り。学校でドキドキしてたやろ。
今日からお母さんおれへん思て」 

開口一番、洋の不安な心を思いやった。
私からの電話を受けなければ、遊びにも出かけないことはわかっていた。

「うん……。お母さん、落ち着いた?」 

声は上ずっていたが、洋は私の状況を案じた。

「うん。今、片付けの最中。どお、ちょっとくらい安心した? 
電話だったらいつでも話せるし」 

「そやな、大丈夫やと思うで。けど、また電話してな、だって……」

息子が言いかけると、玄関の戸が開く音がした。
隣に住む仲良しの武のようだった。
彼の方から誘いにくるのは珍しい。

「武くん、お母さんから電話やねん。ちょっと待っててな」 

洋の声が受話器から遠ざかった。
武に母からの電話だと強調する息子は愛しかったが、
遊ぼうと積極的に誘いに来た武の思いやりにも胸が熱くなった。

「ああ、お母さんな。武くんが来たから遊びに行ってもいい?」

洋が声を弾ませながら陽気に言った。

「行っといで、車に気をつけて。
武くんにありがとうって言っといてな」 

受話器を置き、私は胸を撫で下ろしていた。
母親不在の初日を懸命に受け止めようとする息子の健気さにも増して、
それを支えようとする嶋田の心遣いに感謝せずにはいられなかった。


翌朝、新たな住まいで目覚め、しばらく呆然としていた。
洗濯機を回しながら朝食の準備をする、気ぜわしい朝が消えていた。
夫や息子を送り出して後片づけを済ませ、事に向かう時間の全てが、
自分のためだけにあるという違和感に浸っていたのだ。

それは軽いショック状態に始まり、
罪悪感を伴なった空しいコーヒータイムとなった。
だが、落ち込んではいられない。
これからの日々は、ただ自身の未来を良くするためにあるのだから。
そう自分に言い聞かせて1か月が過ぎた。

目的意識さえあれば、生活環境への順応は早い。
半年も過ぎると、朝のコーヒータイムは
仕事に集中するための安らぎの時間となった。


営業会社における販売員へのマネジメントは、
成功哲学の唱和にはじまり叱咤激励に終わる。
成績の優劣をグラフ化して競争を煽るのは常套手段だが、
元来が口達者な女性ばかりとあって、
上司は慢性的なストレスを抱えていた。

給与保障がないことを理由に勤務時間の拘束に反論する者や、
息抜きと称して座談に興じる者。
果ては私的な感情のもつれ合いに発展して、
統制をとること自体が容易ではないからだ。

そんな時、支店長の後藤は決まって義務と権利の話をした。
権利を主張する前に会社に義務を果たすよう説教するわけだ。
だが、オバサン方の興ざめした視線を浴びるうちにトーンが落ち、
なだめ、誉めそやし、最後は決まって哀願戦法で締めくくる。
海千山千のオバサン方は、中年男の哀願に弱いのだ。

「さあ、やろか! 時は金なり、やしな」 

いつの間にか、仕事をスタートさせるのが私の役割になっていた。

「そやなぁ、ごちゃごちゃいっても、お金にならんしなぁ」

年配の販売員が続き、全員が電話機の前にスタンバイした。
上司の忠告には素直になれなくても、仲間のやる気は
ライバル意識を呼び覚ますようだった。

管理者のジレンマを軽減しようと機動力こそ提供はしたが、
仲間の前では、私は欲深い販売員になり切った。
上司から注がれる信頼と期待が、
オバサン方の嫉妬や中傷の材料にならないためだ。

事あるごとに成功哲学を持ち出す後藤も滑稽ではあったが、
会社側の要求はごく当然だと思っていた。
重い資料を担いで炎天下のアスファルトを踏みしめ、
寒風に身を縮めて歩き続ける飛び込みセールスに比べれば、
冷暖房の完備されたデスクワークはありがたい。
しかも資本投下というリスクを背負う必要もない。
顧客リストが提供され、電話代も会社負担で、
まさに人の褌で相撲をとることができたからだ。

分配される顧客リストは、営業員にとって『金のなる木』だ。
購入履歴で顧客のニーズが解るばかりか、
おおよその年令も想像がついた。
腹部の肉割れを目立たなくするジェルなら産後の主婦だろうし、
バストケアー商品なら圧倒的に独身女性が購入しているというわけだ。
リストの生産性を上げるため、私は朝10時から夜の10時まで在席した。
夜しかいない独身女性に接触するためだ。
それでも消化できないリストは休日に自宅からアプローチした。
電話代が月に10数万円かかったとしても、
コミッションの3割までに押さえれば充分に採算が取れたからだ。

接客業で培ったコミュニケーション作りには自信があった。
機転を利かしたアプローチに成功さえすれば、
電話での手ごたえの確かさに驚いた。
表情やしぐさに気をとられる対面販売と違い、
全盲者に備わる第六感のような感受性が育つのだ。
目を閉じて身体の全細胞を耳にすれば、声のトーンや抑揚、
相づちを打つタイミングなどで性格や感情が想定できる。
ダイエットやバストラインの矯正願望など、
顧客の本心さえ聞き出せば、お買い上げは近い。
雑談の中で美しくなった姿をイメージさせ、
知識に裏打ちされた商品説明を加えればいい。

心を開くことに集中はしても、深追いしない営業姿勢が効を則し
リピーターや紹介が急増した。
物売りではなく、アドバイザーに徹するというプライドの高さが
販売額に対する執着を退けたのかもしれない。
もっとも、飽きられないという商売の理念を心に刻み、
誠意と情熱に満ちたアフターサービスを貫いた。

1年数ヶ月もすると、私は全国に散在する支店網の中、
先輩方を追い越してトップセールスマンになっていた。
給与袋は厚みを増して毎回のように横向きで立ったばかりか、
キャンペーン毎の報奨金や海外旅行の恩恵を受けた。

だが、心は晴れなかった。金銭的な豊かさや、気楽な生活の全てが、
一人息子の犠牲の上に成り立っていると自覚していたからだ。
しかも、かつての夫はギブアップするどころか、
ますます息子への執着を熱くしていた。


「ほんでな、お父さん、その中井さんと結婚すんねんて!」

久しぶりに会った洋が言った。
子連れの女性と同居しはじめた父親の話だった。

もっとも女性の存在は離婚前から小耳にはさんでいた。
店に出ることを拒んだ私の代わりに採用したパートだ。
閉店後に車の中で貴洋と女性が密会。
女性が泣いていたという噂が流れてはいたが、
私にはどうでも良かった。
むしろ、恰好の離婚理由ができたと歓迎していたほどだ。

私が家を出て2カ月もしないうちに、
その女性が出入りしていることは隣人の嶋田から聞いていたが、
洋には継母という意識は全くないようだった。

「ふ~ん。ほんで、あんた平気なん? その人の子供っていくつ?」 

「小1と幼稚園。2人ともわがままでな。お父さんいっつも僕に愚痴るんやで。
朝でもな、ご飯と味噌汁いややいうて。僕が幼稚園の子の手ひいてな。
一緒にパン買いに行くんやけど。ほんま手かかんねん」 

大人びた口調で近況を話す洋は、
父と気苦労を共有する同士のように思えなくもなかった。

「ふーん、偉いね。なんか、すっかりお兄ちゃんになったみたいやし」 

「そんなことないよ。お母さんと同じことしてるだけやで」

意味がわからなかった。

「真くんたち引き取ったとき、お母さん、同じことしてたやん」 

心底、驚いた。
義兄の嫁が借金を残して男と疾走し、子供2人を引き取ったときのことらしい。
14歳の兄と10歳の妹で、父子家庭で暮らせないこともないだろうに、
貴洋が独断で引き取ったのだった。
女には貢いでも生活費を入れない義兄で、
ただでさえ逼迫していた家計に拍車がかかった。
貴洋の愚痴数が増え、私が営業に出るきっかけとなった出来事だった。

「お母さん、あんときな。オバサンでいいよ。
あんたたちのお母さんはたった一人なんやから、っていいながら、
2人の面倒みてたもんな」 

「えぇっ! そやからって我慢して、今みたいな生活してんの」

「いゃ、まぁ、我慢っていうか……。
けっこう可愛いとこもあるんやわ」 

息子は、一端の男のような言い方をした。
私は複雑な心境になった。
貴洋は再婚相手の連れ子を批判しているようだったが、
それが反って父子の絆を深めているようにも感じられた。
しかも洋の観念は妙に大人びて、
母性の立ち入る隙がないような気がした。

ふと、数年前の洋の甘えた顔を思い出した。
離婚後に出席した小学校の卒業式で、
久しぶりに親子で食事を楽しんだ帰り道のことだ。

「お母さん、ちょっと……ちょっとだけ、家に寄って」 

別れを惜しむ息子が、私の手を引いて自宅に向かおうとした。

「いやや、そんなん。お父さんに知れたら、ややこしいし」 

「いいやんか、お父さん、おれへんのやから」 

「けど、近所の人の目があるやんか」 

「そんなん、どうってことないやんか」

逃げ腰の私を、子供とは思えない力で引きずる洋が愛しく、
渋々ながら家に足を踏み入れたものだ。

洋は子供部屋に直行した。
自分で描いた漫画のヒーローを見せ、
ノートや教科書などを開いては次々と説明を加えた。

「へぇー、この古ぼけたスニーカーの絵も洋が書いたん?
上手い!あんた天才的やなぁ。ほんま、脱帽や。
それにノートも。ようまとめてんなぁ。
なんやお母さん、メッチャ安心した」 

「なっ! 変わってないやろ。お母さんがおったときのまんまやろ」

電話では伝わらない暮らし振りを見せたかったのだろう。
洋はハイテンションで喋り続けた。
私は、ただ頷くことしかできなかった。
すでに女性が出入りしているというのに、
いつでも戻れると示唆する息子の思いやりに
胸を詰まらせていたからだ。

それから数ヶ月しか経っていなかったが、
他人との同居が息子を変貌させていた。

「そうそう、奈良に引っ越したら、手紙で住所教えるわな。
メッチャ大きな家でな。暖炉とか岩風呂とかあんねんでぇ」 

父親の逼迫した経済状態を知らない息子が無邪気に言った。
隣人の嶋田の話によると、2500万で購入したマイホームは、
バブル景気で6000万に跳ね上がったという。
それを機に1億円に迫った株の損益を取り返そうと、
貴洋が無謀な賭けに出たらしい。

家の売却金で借金の穴埋めをするのではなく、
売却金の一部を頭金にして更に8500万の住宅を購入し、
値上がり後に売却することで一挙に借金返済を夢見ているというのだ。
貴洋に未来を託した再婚相手も哀れだったが、
父の精神的な支えになろうと男気に燃える洋は、
さらに健気で愛しかった。

「ところで……中井さんのこと、何て呼んでんの」

「お母さんて、呼んでんでぇ」

「へぇ~、偉いね。抵抗ないの」 

「まぁ、抵抗はあんねん。けど、そう呼んであげると嬉しいやろ。
まっ、最小限の平和を保つ手段かな」 

開いた口が塞がらなかった。
子供の観念も進化したものだと感心し、
同時に身体から力が抜けて行くのを感じた。
淋しさや辛さを堪え、前向きに生きる息子は恐ろしく立派だったが、
どう見ても私との暮らしを切望している様子ではなかった。

生きる目標が曖昧になった私は、
ライオンズマンションを買って門真市に移り住んだ。
奈良に引っ越せば息子と会える頻度は激減する。
借金でもしない限り労働意欲を持続できそうになかったからだ。
梯子で2階に上がり、その梯子を蹴り落とせば飛び降りるしかない。
その際の捻挫や骨折も想像してみたが、
自分を一心不乱へとかき立てた、
息子との未来に代わる目的が必要だった。


      次回は7/15(水)『7一心不乱』に続きます。 (*´ェ`*)

5 迷走

自叙伝『囁きに耳をすませて』
06 /15 2020
               悩む

第一章 偶然は必然


5 迷走

胃潰瘍の手術後、 貴洋は突如、マイホームを買った。
台所を含む6部屋と駐車場のある3層式の新築物件で、
木造アパートの暮らしを思えば夢のような広さだった。

店の運転資金を残して1000万の頭金を払い、
残りの1500万をローンにした。
余裕があれば株や会員権に投資していただけに、
夫の堅実な選択を喜んだものだ。

しかし、新居での心地良い暮らしは長続きしなかった。
ダンピング症候群という胃切除後の後遺症で、
貴洋が食後の貧血に苦しむようになったのだ。
食べることが辛い彼の前では息子との団欒も憚られ、
食卓から笑いが消えた。
それから間もなく、貴洋はコーヒーショップ以外の2店舗を手放した。
低迷はしていても売上がある間にと思ったのだろう。
店を持ちたがっていた知人に営業権を売却したのだ。

コーヒーショップの収入だけでも暮らしていけたが、
貴洋の焦燥感は日を追うごとに深まっていった。
家の中は、彼の放つ悲観ムードに曝されたものだ。

健康になればチャンスも巡ると慰めたが、
耳を貸すどころか日額2万円の入院給付金がなければ
手術などしなかったと、本音を吐露して私を仰天させた。

過剰な欲に支配された夫に、
足りることの幸せを解からせるにはどうすればいいのか。
私は途方にくれていた。
1歳半から託児所に預けざるを得なかった息子を、
さらに学童保育に通わせるなど考えるだけで情けなかった。
だが、妻の意見に耳を傾けるような夫ではない。
だとすれば暮らしぶりを知る目上の人に意見してもらうしかない。

悩みぬいて結論を出した。
仲人の富田夫妻なら夫のプライドを傷つけずに諭せるかもしれない。
いや、逆上してもかまわない。
離婚を引き合いにしてでも、貴洋の強欲に
歯止めをかけなければならなかった。

年上の富田千代は独身時代からの親友で、互いの伴侶が
ゴルフ好きだったことで結婚後も親交を深めていた。
子供には恵まれなかったが、千代は漫才調で座を盛り上げる能力に長け、
ギクシャクする私たちの間で中和剤のような役わりを担ってくれていた。

富田夫妻を招いた夜、貴洋は食事もそっちのけでぼやきまくっていた。
千代が聞き上手なのを幸いにさんざん愚痴ると、
虫のいい将来構想を話し聞かせるのだった。

「へぇ~内入れ返済して金利分を浮かすって?
さすが岡谷さん偉いなぁ。
けど、そない急がんでもええやんか。
みんな2、30年かかって返済するんやし……」 

また始まったとばかりの視線で、千代が私を見た。

「そんな悠長な支払いでけへんわ。
家のローンなんか5年以内には完済せな。
チンタラしてたら金利で倍の買い物になるんやし。
早よう返して金利の500万も取り返さな。
ほんま店はジリ貧やし、毎日のように
何か儲かることないか思てまんねん」

千代たちの金銭感覚とはレベルが違うとでもいいたいのか、
貴洋が意気込んだ。

「上見ても下見てもきりがないけどな。あんた、焦りすぎやで。
いつも千代と言うてんのやけど、30歳やそこらで店舗持って。
マイホーム手にしただけでも大したもんやんか」 

たまりかねたように剛が慰めたが、貴洋はしらけた微笑を浮かべた。

「まぁね。そやけどボーナスや退職金が保証された
サラリーマンとは比べ者になりまへんで」

サラリーマンに対する軽視を込めた口調に剛の顔色が変わった。
妥協を許さぬ仕事振りで同僚から敬遠こそされ、
給与に甘んじていた彼にすれば、
努力が実った自営業者を羨ましいと感じていたからに違いない。

「よういうわ。ボーナスや退職金いうても、
先のことなんかわかれへんで。
中小企業やったら倒産するかもしれへんし、
第一、決まった給料でやりくりせんならんサラリーマンのこと思たら、
岡谷さんなんかええ生活してるて……。なぁ、千代」

呆れたような表情で剛が千代に相槌を求めた。

「そやな。30代で頭金1000万も出せるサラリーマンはないなぁ。
うちらまだ6六畳ひと間の生活やしなぁ。
ホンマ、お世辞やなくて、岡谷さん、よう頑張って来たと思うわ」 

舅夫婦との母屋での同居を敬遠していた千代は、
敷地内の納屋を改造した6畳一間で暮らしていただけに、
新築の部屋を見回しながら羨ましそうに言った。

「見てみなはれ。広い部屋が欲しいて、
いっつも、こいつに責められてまんねん。
ほんま、岡谷さんはええわなぁ。
ゴルフ場の会員権も持ってるし、
リゾートクラブかなんかの会員にもなってんのやろ?
株かってサラリーマンが買えるような額じゃおまへんで。
僕らに言わしたら贅沢な生活や。羨ましいわ」

世辞や方便を嫌う剛が、率直に貴洋を誉めそやした。

「いやぁ、商売してたらいろいろ付き合いがありまんねん。
まっ、サラリーマンの退職金代わりに先行投資してるようなもんで。
儲かるかどうかはわかりまへんで」

剛の誘導とも知らずに、貴洋が小鼻を膨らませながらいった。

「そら、そうや。けど、その先行投資がやな。
普通のサラリーマンやったら、やりとうても余裕がないんと違う。
それ思たら焦らんかてええんちゃうか。
まず今の生活に感謝して、ちょっとはゆっくりしいや。
カリカリしてたら、また身体壊すで」 

剛が本題に触れ始めた。

「まぁね。けど剛さんらには親の家屋敷があるし、
僕らとはスタート地点が違いますやん。
そんな言うてなんやけど、食うてチョンの生活するくらいなら
死んだほうがましでっせ」 

感謝という言葉に反発でもしたいのか、
いかにも横柄な態度で貴洋が言い放った。
話の流れが予想できなかったのだろう、
剛の顔が見る見る青ざめた。

「よう言うわ、あんたみたいな考え方してたら、
命なんぼあっても足たらんやんか。かなわんな~。
ほならいうけど、あんた、自分の甲斐性だけで青写真書かな。
たまたま能力があって高給稼ぐ嫁さんがいてへんかったら、
今のあんたはなかったかもしれんやろ。
それを思たら今の生活に感謝することも覚えななぁ」 

剛は声を荒げたが、千代に膝をつつかれ苦笑しながら私を見た。
私は怯えていた。
貴洋が鬼の形相になっていたからだ。 

「ほんまや。俊子さんほどの嫁は、そうそうおれへんで」

穏やかな言い方だったが、剛を擁護するように千代が追い討ちをかけた。
貴洋は何か言いたそうだったが、思い直したようにビールを呷った。

案の定、嫁の働き云々という説法は、
彼を卑屈にしただけで逆効果になった。
私はいたたまれない気持ちになっていた。
座はしらけ、しばらくの間、誰もが無言で料理を口に運んだ。

「これ、上手に味付けしてんなぁ。な、剛さん、美味しいやろ」

千代が私を慰めるように会話の糸口を探った。
しかし、剛は愛想笑いを浮かべただけで黙々とビールを飲んだ。
平常心を取り戻そうとしていたのかもしれない。
それをフォローするように千代が口火を切った。 

「まぁね、岡谷さん。うちのも言い方きつぅて堪忍な。
けど、洋君も小学校に入るし、
もうちょっと俊子さんに時間の余裕あげななぁ。
生意気かもしれんけど、このままやったら、
俊ちゃんが別れたい思ても無理ないんと違う。
そのへんのこと、よう考えてみて」

息子の生活環境に触れられ、貴洋は苦虫を噛み潰したような顔をした。
それでも私から責められるよりは堪えたのか、
少し間を置いて頷くような素振りをした。
 

その年の秋、店の売上が危機的な状況まで落ち込んだ。
貴洋のネガティブな想念が現実化したのかもしれない。
夫婦で何度も打開策を話し合ったが、
他人に店を任せて働くという貴洋の案は、
いつの間にか妻への期待に摩り替わっていった。

自分にはライセンスや特技の持ち合わせがないうえに、
体力にも自信がないというのだ。
ひどく落胆した。
プライドを捨てきれないばかりか、
勤めに出れば時間の自由は効かない。
株や競馬にうつつを抜かすことができないからだ。  

POPライターに戻ろうにも、すでにコネクションは崩壊していた。
その気になれば得意先を開拓することは可能だったが、
自営業の都合で受注に応じられなくなった無念さや、
さらなる信用の失墜を想像して気力が萎えた。

そんな折、窮地を救ってくれたのは
擦り切れるほど使い込んだ息子の幼児教材だった。
寝る前に読み聞かせた絵本や、音楽教材のセールスを思い立ったのだ。
早速、購入した営業マンに掛け合って販売員に志願した。
教材の価値は認めていたし、何よりも時間の拘束がなく、
能力によっては高収入を得られる可能性があったからだ。
 
幼児教育のセールスは高収入をもたらし、
生活費の全てを賄うことができた。
しかし7、8㎏のカタログを担いで炎天下や寒風に晒されるセールスと、
飲食業との両立は疲労を極めた。
さらに貴洋の傲慢さは耐えがたいものになっていた。

「今日も坊主か? 何が原因か考えてんのんか!」

子供の前だというのに、帰宅早々、またしても貴洋が口火を切った。
坊主とは、売り上げゼロの業界用語だ。
飛び込みにはつきものだということが理解できないらしく、
その度、眉間に皺を寄せて私を責めるのだ。

コーヒー屋に何がわかるというのか。
堪忍袋が切れた。

「毎回、々、なんで責められなあかんの?
売上のない日かってあるし、たとえ坊主でも、
それが見込み客になることかってあるやんか。
悪いけど、他人の家に飛び込んで
100円の物でも売ってから説教してくれる」

憮然として夫を見た。

「ああ、そうか、俺の言うことが気に入らんのやな。
好きにしたらええ。どうせ、俺にはなんの能力もないしな」 

吐き捨てるようにいうと、貴洋はテレビの音量を上げた。
POPライターという特殊技術を身に付け、
営業でも好成績を治める妻へのジェラシーが
剥き出しになった瞬間だった。
 
夫に中傷されるまでもなく、
訪問販売の坊主ほど堪えるものはない。
交通費や食事、用足しのための喫茶代を含めると
1日の経費が数千円もかかるからだ。
もっとも、近距離の移動にはタクシーを利用した。
成約に手間取って幼稚園の迎えに遅れそうなときや、
同業者とのバッティングで市場の変更を迫られた場合の
迅速な移動のためだ。
アプローチに成功さえすれば説得には自信があった。
出費と時間の制限をプレッシャーにして、
成約の気力をパワーアップしていたのだ。

さらに、飛込みの仕事はあらゆるアクシデントに遭遇する。
縁側に潜んでいた犬に足を噛まれ、
夫婦喧嘩のとばっちりでバケツの水を浴びせられ、
やくざのような大男に凄まれることさえ珍しくはないのだ。
その惨めさ故に反って夫には話せないというのに、
コンプレックスを克服する努力もせずに、
男の威厳だけは誇示する夫に愛想が尽きはじめていた。


「なあ、俊ちゃん。あんた、浮気でもしたらどうやの?」

久しぶりに会った親友の千代が唐突に言った。

「浮気?……誰と」

「誰でもええんよ。なんかな、あんた見てると可愛そうで。
そら岡谷さんはええわいな。
店さえ終わったらパチンコやマージャンし放題で朝帰りやろ?
あんたほどよう働く嫁はおれへん。
それやのに感謝の気持ちもない旦那見てたらな。
浮気でもして気晴らしたらどうやって思てんねん」 

夫婦で説教した後も変わらない貴洋に業を煮やしたらしく、
千代が同情するように言った。

「そんなアホな。誰とすんのんよ。
第一、浮気したからって気が晴れるって問題でもないんよ。
貴洋の性格が変わるわけじゃなし。
浮気するくらいなら別れた方がましやわ。
貴洋に未練なんかないもん。
けど、洋の歳を考えたら、まだね……」

「そやろ? だからやねん。
洋君のことで全てに耐えてるあんた見てたらな。
浮気のひとつもして、女性としての幸せを感じたらどうや思て。
その、あんたの顔な……あんなに綺麗やった肌が
ブツブツだらけで坂本九も真っ青やん。
それ、ストレス以外のなにものでもないで。
誰でもいいやん。
後々、ややこしいことにならんように、
独り者で病気持ってない男おれへんか?」

一瞬、絶句した。
ひどい便秘と吹き出物だけは、
精神に比例するように悪化の一途をたどっていたからだ。

「ハハハ…病気も含めて、あとくされのない男ねぇ。
笑ってしまうわ。そや! 
ちょっといいなと思う人はいないこともないなぁ」 

私は成り行きに任せて余談を楽しんだ。

「誰、誰? どんな人」 

千代の目が輝いた。

「営業仲間の年上の課長。
嫁さんに逃げられた子育て奮戦中の40歳。
元自衛官。彼ならあとくされはないと思うよ。
しかも据え膳は必ず食うタイプやなぁ‥‥アハハ!
リーダーらしく男気もあるし、割り切りのはっきりした男やわ。
けど、セックスしたからって気が晴れるとは思えへんわ」

「そうか。俊ちゃん思考派やしな。けど私やったら耐えられへん。
あのな、子供のない私に母親の心境なんかわからん思てるやろうけど、
離婚しても洋君なら大丈夫やと思うけどな」 

一時凌ぎの慰めではどうにもならないとわかると、
千代は離婚を擁護しはじめた。

「まぁね、いずれはそうするつもり。
ほんま、いろいろ心配してくれてありがとうね。
けど浮気支持にはびっくりしたわ。
まっ、千代ちゃんの思いやりとして受け止めとくけど」 

そういいながら肩を小突くと、千代は恥じ入るように微笑んだ。


その夜、改めて貴洋との性生活を思い返してみた。
身近な人にその不足を指摘されたのは2度目だったが、
修復不能なのは価値観の違いで、
性の渇望ではないと思いたかったのだ。

確かに、貴洋の性的能力には問題があった。
かつて恋人をラブホテルに誘いながら目的を遂げられなかったばかりか
精力の弱さを理由に婚約を破棄されたと打ち明けられていた。
しかし私は、貴洋と所帯を持って2年ほどで妊娠した。
子種に疑問を持っていた貴洋は喜び、自信を取り戻したようだった。
すると結婚前とは一転。
婚約を破棄された女性の旺盛な性欲を批判し、
その前の女も満足していたなどと釈明するようになった。
正直、どうでもよかった。
些細なことで卑屈になり、投げやりな言動に害される日々を怖れて、
平穏だけを願っていたからだ。

それでも数年後には性生活の倦怠期を迎えた。
切迫流産の危機を乗り越え、子宮収縮剤による猛烈な痛みの陣痛や、
鉗子挿入の激痛に耐えて出産した恐怖から、
私がセックスを敬遠しがちだったからだ。
しかも二足のわらじ状態で、慢性的に疲労困憊。
時間をかけて勃起させる努力をしてまで、
快感の得られないセックスをする気にはなれなかった。

そんなある夜、貴洋が上機嫌で性生活の講釈をはじめた。
スナックの常連客に影響を受けたらしく、
勃起能力は妻のセクシー度にかかっていると断言。
セクシーな下着や、ヌードショーまがいの演出、
寝化粧なんかにも努力する必要があるというわけだ。
反論はできなかった。
出産後も戻らない体重に加え、弛みきった臀部や腹部を眺めるにつけ、
女としての魅力が欠けていることは自覚していたからだ。
私は素直に努力することを約束した。
そうでもしなければ冷え切っていくだけだとわかっていた。

コンドーム装着を嫌う貴洋に代わって、
私が避妊リングを入れた。
安心することで快感が得られ、
それが夫の充足感に繋がればと期待したわけだ。
だが、その努力は逆効果になった。
ムード作りの演出は効を即したものの、
問題の持続力が更に短縮されてしまったのだ。

それ以来、私を責めることはなくなったが、
自らの提案によって生傷に塩をすり込んだ貴洋は、
以前にも増して意気消沈したものだ。
そうなると、にわかに同情心が芽生え、
彼のために東洋医学と栄養学の勉強を始めた。

貴洋はスリムで薄っぺらい身体をしていた。
腰骨は女のように細く、冷えからくる頻繁な尿意と、腰痛、
夜間に起きるこむら返りに悩まされていた。

東洋医学的に、貴洋は明らかに『肝腎虚証』。
イライラ、カリカリが基で胃腸障害を起こし、
代謝や循環機能の低下による冷えが原因で『命門火衰』に。
文字通り、命の火が衰えて精力に直結する
『精(生命エネルギー)』が不足している状態だと判った。

そこで胃の働きを補助するビタミンB群誘導体をはじめ、
ビタミンCや、ミネラルなど、薬剤師の勧めるものを積極的に買い求めた。
もちろん短気や完璧主義が胃腸に及ぼす影響にも触れ、
精力の低下が致命的でないことや、改善の余地の多さを列挙しながら
慰めたり諭したり……。


アドバイスに耳を傾け、すっかり観念したかに見えた貴洋だったが、
ある日とんでもない話を持ちかけてきた。

「お前な……スワッピングどう思う」

貴洋には珍しく、はにかんだ様子で訊いた。

「どう思うって、したいかってこと」 

私はあっけにとられていた。

「まぁな……」

「誰と?……何ために」

「田村さん夫婦と飲んでてな。そんな話になったんや。
たまには刺激的でいいかな思て……」 

夫は視線をはぐらかしながら答えた。

田村は一件隣の住人で、司法書士事務所を経営していた。
夫の正雄はその容貌から温厚な紳士に見えたが、
妻の啓子からは破天荒極まりない性格だと聞かされていた。
といっても、司法書士になることを条件に結婚を承諾したという
啓子の自己顕示欲も相当なもので、
誰彼かまわず亭主のわがまま振りを吹聴しては、
自らの良妻賢母振りをアピールしていた。

彼らがスナックの常連であることは知っていた。
ヌードショーや、寝化粧のモデルコンビだ。
酒の席とはいえスワッピングを持ちかけるなど、
いかにも破天荒な正雄の考えそうなことだった。
だが、その話に乗った貴洋の真意も想像がついた。
奥方に興味があったとしても精力に自信がない彼のこと。
司法書士の先生との特別な関係を望んだに違いないのだ。
私は夫を蔑みながら言った。

「それで、先方は了解してんの?」

「まぁな、お前さえ了解すれば」 

神妙な面持ちで夫が答えた。

「自分の女房が、目の前で他の男に抱かれても平気なん」 

さすがに、セクシーな奥方を抱きたいのかとは聞けなかった。
しかも、彼女と交わって恥をかくのは貴洋自身ではないのか。
そう思いながらも、酷なようで言葉にはできなかった。

「相手にもよるけどな……。
別に、そんなに深刻に考えんでもゲームや思たらええやんか。
あの夫婦の絆は半端じゃないし、俺、ある意味で尊敬してんねん。
話、聞いてたらな。性生活の工夫や努力には頭下がるで。
考えてみ。毎日、おんなじ体見てたら、誰かて刺激がなくなるわなぁ。
その点、田村さんらはな、凝った演出や芝居して、
それをビデオに撮って楽しむらしいわ」 

さも羨ましそうに貴洋が微笑んだ。
もっともらしい理屈に腹が立った。

「あのね。着せ替え人形みたいに着飾って
贅沢三昧できる奥方とは違うのよ。
主婦業と仕事のかけもちで走り回って、晩には洋の相手して。
正直、疲れ果ててんのよ。
寝化粧もセクシーな下着も一通りは努力したやんか。
今さら、なんでスワッピングなんよ」

「……まっ、いやなら、無理には頼めへんけど」 

そういうと、貴洋はしらけたような素振りでビールを呷った。

面白くもない女だと思っているに違いない。
良妻賢母を求めていながら、同時に娼婦や愚妻に憧れる男の
身勝手さに反吐が出そうだった。
胸の奥で、何かが崩壊していくのを感じた。

この、さもしい男の願いを叶えてやろう。
彼らと交わり、夫の私に対する愛情の質を見極めたら
離婚に迷うこともなくなるはずだ。
私は心を決めた。

「いいよ。あんたがそうしたいんだったら……」 

心の罠をしかけたとも知らずに、貴洋が満足そうに微笑んだ。


一週間後、わが家で夫婦交換が行われることになった。
田村夫妻には思春期の息子や娘が3人もいたし、
ホテルに出向くと人目につく心配があったからだ。
近所同士の飲み会が日常的だったこともあり、
息子は2階の子供部屋で早々に眠りについていた。
たわいもない世間話から始め、充分に酔いが回った頃合を見計らって
1階と2階の寝室に分かれて事に臨んだ。

抱擁が始まって間もなく、私と正雄は互いにしらけてしまった。
体臭や肌触りなど、五感の記憶に違和感があったばかりか、
廊下を挟んでいるとはいえ、
息子に破廉恥振りを晒しているようで居たたまれなかったのだ。

「ク、ククク……ご主人、ゴメン」

私は、しらけた雰囲気を笑いでごまかした。

「ハハハハ……僕、飲み過ぎかなぁ」

その気になれば可能な状態だったにも関わらず、
正雄は私に恥をかかすまいと自分を責めながら体から離れた。

私は正雄の額に優しく口づけた。
早くから階下の奥方を想う吐息の粗さに気づいていたからだ。
私たちは無言で時を稼いだ。

「俊子さん、煙草ある?」 

酒が入ると吸わなかった正雄が、
居たたまれなくなった様子でそれを求めた。

「ありますよ、頭の上……私も一服します」

立ち昇る煙の行方を追いかけながら、
私たちは階下の物音に耳を澄ましていた。 


2日後、スワッピングカップルで酒盛りをした。

「ご主人、俊子さん、まぁ、飲んで」 

正雄が照れ笑いをしながら貴洋に酌をした。

「そうなのよぉ。もう、この人、酔っ払ったら何いい出すか……」

誰もが快感を得られなかったことに御満悦の様子で、
啓子がはしゃぎながら座を盛り立てようとしていた。
単純に刺激が欲しかったのだろう。
何度も頭を掻き、恐縮しながら笑う正雄は可愛らしく、
貴洋の目的との違いを感じずにはいられなかった。

台所に立った啓子が、目配せで私を呼び寄せた。

「やっぱりセックスは主人がいいわよ。
ごめんね、俊子さんたち、できなかったんですって。アハハハ」 

関西弁に馴染もうとしない啓子が上機嫌で言った。
屈託のない表情から彼女たちが互いの情愛を
再認識したことは確かだったが、夫の浮気に過剰反応する啓子だけに、
自分との交わりを許した理由を尋ねないわけにはいかなかった。
すると、男勝りで自立心が旺盛だとか、意志の強い努力家であることなど、
啓子自身が憧れる女の特質ばかりを連ねた。
苦笑いするしかなかった。
それらは正雄がもっとも嫌う女性像だと知っていたからだ。
男っぽい性格で、容貌も自分に劣る女なら安心というわけだ。
だが交換相手を選ぶに際して、
饒舌な啓子が夫を説得したことは疑いようもなかった。

「若いときにね、うちの事務員に手つけて……。
言ったっけ? ほんと、私、何度死のうと思ったことか。
それが最近また浮気したいって、うるさいのよ。
私が束縛してるって責めるわけ」 

横目で応接室の夫を伺いながら、啓子が矢継ぎ早に囁いた。

「へぇ~、そんなこと、面と向かっていう旦那さんなんて
可いやんか。本気で思てたら口にだせへんのんと違う」 

適当にあしらった。
夫の暴力や浮気、啓子の自殺未遂などは日常的に聞かされていたが、
離婚を提案すると、互いの愛の強さをひけらかすのが落ちだったからだ。

「いいえ、あの人は何回でもしつこく言うの、叶うまで。
まるで子供よ。でも、もう二度とあんな思いはしたくない。
俊子さん以外の人だったら絶対いや!」

啓子が青ざめた。

「そんなアホな。私を指名されてもねぇ。
あの夜だって、ご主人がどんなに啓子さんを意識してたか、
いじらしさに胸を打たれたわ」

「そうなのよ。私のことが好きでたまらないくせに……。
まぁ、私も彼が好きだけど。
浮気するなら対等に認めてもらわなくっちゃ」

そう言うと、彼女は満面に笑みを浮かべて客間に戻って行った。

なぜか妙に納得した。
しかも嫉妬心を曝け出す彼女が眩しかった。
自らを愛の奴隷だと嘆くからには、
正雄によほどの魅力があるに違いないのだ。
それが豪奢な暮らしや濃厚なセックスだったとしても、
離婚の歯止めになるならましではないか。
それに比べて自分の修復不能な心はどうだ。
すでに最後の砦も落ちた。
貴洋が浮気したところで嫉妬どころか、
正当な離婚理由ができたと歓迎するような気がしていた。

ふと、母の顔が浮かんだ。

「よお、そりゃいけん。半年や1年に1回か? 
そりゃ別れるのも無理ないの」 

性生活の頻度を訊ねられときの母の反応だった。

「なにいうてんの、別れたい理由とセックス回数になんの関係があるん? 
母さんたちの時代とは違うんよ。テレビはあるし、飲みに行くこともあるし。
第一、岡谷は賭け事が好きで、週に3日は朝帰りなんよ。
まっ、岡谷に限らず、今の夫婦はセックスだけが楽しみじゃないし。
それが少ないからって岡谷の人格には関係ないやんか。
性格的な話やのに……」

私はむきになって反論したものだ。

「ええ馬鹿んのぉ……。
夫婦はの、嫌じゃ嫌じゃ思ても、それがあるけん辛抱も続くがよ」 

70歳を過ぎた母が嘲笑うように言った。 

「母さん、やめてよ! もう、信じられへん」

そう言いながら母の言い分が的を得ているような苛立ちを覚えた。
だが、自分の愚痴が端を発した口論だけにバツが悪く、
話の矛先を摩り替えるしかなかった。

「ところで、父ちゃんって、強かったん?」

まさか、年老いた母とセックス談義などするとは夢にも思わなかったが、
成り行きで顔を赤らめながら聞いた。
正直、関心はなかった。
ところが……。

「よっ! そりゃあ、強かったのぉ」

他界した父を懐かしむように、母が平然と答えたのだった。
まさに田村夫妻は、母の言わんとする道理を証明するようなケースに思えた。
しかし愛嬌者の正雄や、穏やかだった父の人間性を思うと、
貴洋には性的能力以前の問題が多すぎて話にならないと思い直した。


貴洋との生活はスタートから波乱に満ちていた。
新婚旅行先の九州で、近くに住んでいるという
昔の恋人に会いたがったばかりか、
手っ取り早い金儲けの手段としてホストクラブのバイトを希望するなど、
その厚顔ぶりに唖然としたものだ。
結婚を機にショッピングセンターを退職はしたが、
紳士服メーカーの企画室に再就職した私の破格の給料がなかったら、
新婚早々小、母さん方の慰め者になっていたに違いない。

顕示欲が旺盛な男は、たいていプライドが高い。
生計を妻に依存したりはしないものだ。
だが、貴洋は依存心の塊のような男だった。
しかも嫉妬心が強い。
妻に依存していながらも能力を発揮されると妬むのだ。
そんな男だと見抜くこともできずどうして所帯を持ったのだろう。
独身の頃、貴洋のガッツに惹かれたのはなぜだろう。
私は毎晩のように自問自答するようになっていた。

答えは明白だった。
『類は友』どおり、一心不乱が好きだった私が、友を呼んだのだ。
では、存在感こそが幸せに通じると信じたのはなぜなのか。
それは『お前のおかげで』と思われたい欲求。
私が自己顕示欲を持っていたからに他ならない。

同情は純粋な愛ではない。
しかも尊敬や共感を伴った『惚れる』状態にはほど遠い。
一方、『損得』の物差ししか持たない貴洋にとって、
私は利用価値のある右腕で愛する対象ではなかった。
要は似たもの同士が惹かれ合い、
想念エネルギーの強い側に引きずり込まれたというわけだ。

自らの心理を分析をすると気持の整理がついた。
私は伴侶の選択を誤り、それを認めるのに10年もかかった。
自らの選択を擁護するため、その法律に縛られていたのだ。


数ヵ月後、貴洋に離婚の意思をほのめかした。
洋が高学年にでもならない限り家を出る勇気はなかったが、
些細なことで逆上する彼の性格を思い、
時間をかけて心の準備をさせるためだった。

貴洋はいつになく冷静だった。
過剰な欲で家族を翻弄し過ぎるという私の離婚理由に対し、
全ては息子のためだと問題をすり替えた。
しかも、裁判になっても子供は渡さないと断言するではないか。

「3歳までに充分な養育環境も与えられなかった親やのに、
それこそ、依存型の無気力人間を世に出すようなものやんか。
だいいち、あんた自身が継母で辛い思いをしたのに、
実の母に養育権を渡さんなんて信じられへん。
ねぇ、頭を冷やしてよ~く考えてみて……」

「オオ、出て行きたかったら勝手にせぇ。
俺は死んでも子供は渡さん」

「なに言ってんの。こんな場合、
子供の幸せを一番に考えるのが親ってもんじゃ…」

「やかましいんじゃ!…」

口論は、互いが疲れ果てるまで延々と続いた。
不思議だったのは貴洋が暴力を振るわなかったことだ。

ふつふつと湧き起こる怒りに支配されて、その夜は眠れなかった。
貴洋のトラウマを癒したいと、金儲けに勤しんだ自分が
口惜しくてたまらなかった。

「もうすぐ終るから、終ったら絵本読もうね、賢いねぇ」

そういい聞かせて、私は何千枚ものPOP広告を書き続けた。

「ごめんね。お父さん入院してるし、協力してな……」

近所の子供たちと遊ばせてやりたかったが、
息子はいつも薄暗くなるまで保母と2人だけで私を待っていたものだ。

「ごめんね、洋。お店が忙しいから、ここでお絵かきでもしてね……」

紙とクレヨンが洋の友達だった。
いつの間にかカウンターの隅で眠りこける息子を気遣いながら、
その不憫さに涙した日々が脳裏を駆け巡っていた。

離婚の意思を固めた私は、夕食後に洋とのひとときを過ごすと
寝室に引きこもって読書に没頭した。
沈黙を誇示することで意志の強さを見せれば、
息子の親権を譲るだろうと高をくくっていたのだ。
もっとも、2人の仲を取り持とうと愛嬌を振りまく洋には何度も泣かされた。
しかし、子が鎹であってはならないと自分に言い聞かせた。
子を鎹とした月日は、反って夫への憎悪を膨らませただけではないか。
私は語り継がれた格言を呪っていた。

それからというもの、以前にも増して書籍販売に邁進した。
家計に入れる28万以外に、自立するための資金が必要だったからだ。
夫への怒りはもとより、彼と結婚した愚かな自分を責め続け、
そのネガティブなエネルギーの全てを仕事に向けていた。

息子の親権争いが長期戦になることは目に見えていた。
日毎に心身の疲労が蓄積していき、やること成すことが
機械的になっている自分を感じていた。
どうってことはない。
疲れ果てて死んでしまえば身体を休めることができる。
それまでの辛抱なんだ。
そう、自分にいい聞かせた矢先、奇怪なバイク事故が起きた。


和室の障子が夕陽に照らされ、ベッドの脇に長い影を落としていた。
熱は続いているようだったが、回想に耽ったせいか頭は冴えていた。
子供たちと遊ぶ洋のはしゃぎ声が聞こえた。
母恋しい年頃の息子である。
貴洋の意思がどうあれ、強引に連れて出るしか道は残されていまい。
だが神経衰弱に陥りやすく、破壊的で自殺願望の強い
夫の言動が恐ろしかった。


いつしか、あの美しい光のことを考えていた。
一瞬ではあったが、あの、包み込まれるような一体感が
不思議でならなかった。
球体の内側から見た街並みのスローモーション映像は何だったのか。
意識の目のようになった自分が、
車の流れや人の動きを静観していたのはなぜなのか。
もしも肉体に衝撃がなかったら、その続きはどうなっていたのだろう。
そんな疑問が頭の中を駆け巡っていた。

全てが幻覚に思えないこともなかったが、
それにしては不可解だった。
速達を受け取り、総菜作りが終わったらなどと、
雑用を消化する手順こそ考えてはいたが、
私は余所見などせずに平常心で走っていた。
だからこそ前方の空間も視界に入っていたわけで、
そこに突如、目が釘付けになる対象が出現したわけだ。
意図的に理性を消滅させられたような状況について、
その意味を探らないわけにはいかなかった。

だが、思考は瞬く間に行き詰った。
凡人の観念ではありえない現象だったからだ。
すると、にわかに霊的な観念が頭をもたげた。
突っ走る私を強制的に静止させ、
休養することを強要されたと解釈すれば、
全てに納得がいくではないか。

それにしても守護霊かなんかの仕業なら、
健康な歯を奪うことはなかろうに。
いや、外傷でもしない限り休まない私だ。
重症ではなく当分の外出禁止状態にするなんて、
実に適切で愛に満ちたプレゼントだろう。
そう思うことに決めると、急に眠気が襲ってきた。
                
        7/1投稿 『6再起』につづきます。 (^_-)-☆ 

4  タイの恋人

自叙伝『囁きに耳をすませて』
06 /04 2020
           男女①

今回の話は長~いです。
名もなきオバちゃんの自伝なんて、
他所んちのアルバムを見るようなものかも。
お忙しい方はスルーください。(^_^ ;)






第一章 偶然は必然

4  タイの恋人

貴洋に出会う1年ほど前、私は国際結婚に迷っていた。
恋人のいるタイに行って暮らしぶりを体験したものの、
帰国して半年もすると、自らの結婚観に疑問を感じるようになっていた。

日本語からは遠ざかっているのだろう。
ひらがなばかりで句読点がなく、所々が意味不明の
恋人からの手紙を読むにつれ愛しさは薄れていったばかりか、
利便性に富んだ日本の暮らしに未練さえ感じるようになっていたのだ。

あの、身を焼き尽くすような愛しさはなんだったのか。
私は毎晩のように恋に落ちた自分と向かい合っていた。


1970年、大阪で万国博覧会が開催された。
私は名古屋市内で暮らす勤労学生だったが、
大阪在住の姉から連休に母を連れて万博見物に行こうと誘われた。
大阪は馴染みのない町だったが、
愛媛県の小さな漁村から集団就職した兄や姉たちが所帯を持ち、
両親を呼び寄せたことで新たな帰省先になっていた。

アジア初の博覧会ということで、月の石を展示しているアメリカ館や、
斬新なデザインのソ連館などには長蛇の列ができていた。
人ごみに弱い私たちは、空いていそうな小さなパビリオンばかりを巡り、
極彩色の屋根に映える白い伽藍の美しさに惹かれて、
タイパビリオンの前で足を止めた。

休憩がてら記念写真を撮ることになり、
近くにいたタイ人らしき男に声をかけた。
名札からパビリオン関係者だとわかっていたからだ。

「エ、エクスキューズミィー、プリーズ……」
英語の得意な私が声をかけると、意外にも美しい日本語が返ってきた。
「写真ですね。いいですよ」
通訳のアルバイトをしていたタノン・ブンジョスとの出会いだった。

見物人に頼まれることが多いのだろう。
慣れた手つきでカメラを構えるのだが、
せっかくのポーズも幾度となく通行人に遮られた。
すると、肩を落としたリアクションでポーズのリセットを促し、
何度目かで上手く撮れると魅力的なウィンクを送ってきた。

「良かったらタノンさんも一緒に撮りましょう。送りますから」
姉が気を利かすようにいうと、彼は積極的に私の横に並んだ。

「日本語お上手ですね、もう、長いんですか」
ありきたりの質問をした。
「3年です。あなたも学生?」 
白シャツにワインカラーのネクタイ、
モスグリーンのスプリングコートは私服だったが、
薄化粧をしていたことで大学生だと思ったらしい。
「ええ、夜学の高校3年です。ああ、夜学なんてわからないか……。
タノンさんの住所聞いていいですか? 写真送りますね」 
そう言うと、彼は苦笑いをしながら内ポケットに手を入れた。
「僕、通りかかる人に頼まれて、1日に何10回もシャッター押します。
日本の人、僕と一緒に写真撮って、必ず送るからねと言います。
けど、送ってもらったことありません。ちょっと変ね」 

思わず姉と目を合わせた。
日本人特有の社交辞令で彼が傷ついているのは明らかだった。
「そう……。ゴメンね。大丈夫。私、約束守るから」 
「オオ、あなたのことじゃない。みんな面倒くさいだけ」
恐縮したのか、彼は赤面しながら名刺を差し出した。
近畿大学工学部の留学生で、
梅田にある留学生会館の所在地が書いてあった。 
「えーと、タノン……苗字はなんて発音すればいいのかな?」 
「ブンジョスです。タノン・ブンジョス。
でも、送らなくても大丈夫。すみません」
「いえいえ、写真を送るくらい。気を使わないで」 
引っ込み思案の姉が言葉を補いながら会釈したので、
それを機にタノンは手を振りながらパビリオンに戻って行った。

「ジャワの黒んぼよのう……タイちゃ、何処のことや」
それまで黙りこくっていた母が、物珍しそうに呟いた。
フィリピンに出兵した父の影響からか、母は東南アジア系の人種を束ねて
ジャワ原人と思い込んでいる様子だった。
「シッ! 聞こえるがな……。
ジャワはインドネシアのことやろ? 
タイはビルマの近所かな? 
ほやけんど、ちゃんと大学行ってるみたいやし、
いいとこの坊ちゃんかな?」 
母を制する一方、四国弁の抜けない姉が私に耳打ちした。
 

名古屋に戻り、短い手紙を添えてタノンに写真を送った。
日本人としての名誉挽回もだが、
異国で勉学に励む彼に敬意を表したいと思ったからだ。
それを機に長い文通が始まった。

タノンは大学を出て一度は就職したという。
しかし、エンジニアに憧れて日本に留学したらしい。
学費や生活費の全てが親の援助だということで、
17歳で自立している私への褒め言葉が書き連ねてあった。

意外だったのは『大和撫子』についての彼の主観だった。
来日して2年になるが、大和撫子には会ったことがない。
それどころかブランド品に群がり、労せずに玉の輿を期待する
日本女性の実態には失望したようだった。

その内容には正直、面喰った。
確かに自立はしているが私は大和撫子でもないし、
玉の輿を否定する者でもない。
日本の古いガイドブックでも読んだのだろう。
古の文化に期待していた様子が可笑しくもあった。
それよりも27歳にもなって親のすねかじりができるなんて
タノンとは育ちが違うと思ったものだ。

もちろん、心にに響いた部分もあった。
白人とは格差のあるアジア系人種への偏見にも触れ、
私の考え方や目的意識が、
ホームシックにかかりそうな自分の支えだと結んでいた。
なんとなく、恋愛に発展しそうな予感がした。


定時制高校を卒業した私は、実家のある大阪で就職した。
日本初のショッピングセンターを運営する三菱商事の
現場社員になったわけだ。
入社早々、企画関係の仕事を任された。
通信教育で学んでいたレタリングの技術が買われて、
POP広告やイベント用ポスターなどを制作する仕事に就けた。

しかも、私生活は喜びに溢れていた。
2年間の文通を経て愛し合うようになったタノンと、
毎週のようにデイトをしていたからだ。

タイパビリオンでの通訳が評判になり、タノンはプライベートで
母国の要人たちから観光ガイドを頼まれることが増えていた。
それは博覧会の開催に始まり、閉会してもしばらく続いた。
タノンの礼儀正しく陽気なガイドに感激した要人たちが、
帰国した後も友人や知人に宣伝してくれたからだ。
ガイドの依頼とショッピングセンターの定休日が重なると私も同行した。
漢字の多い神社仏閣などの説明書きが読めないタノンのために
私が易しい日本語に変換し、タノンがそれを客人たちに通訳するというわけだ。

丸い顔に大きな目と小さな口元。
それがタイ美人の条件らしい。
おかげで私は要人たちから大層可愛がられた。
その顔ぶれはペチャブリー市長夫妻、警視総監夫妻、
タイパビリオン館長と元ミス、ユニバースの奥方。
それに○○大臣……?
といっても、覚えきれなかった。
タイ語だけに、どこまでが肩書でどこからが名前なのかさえ解らない。
折々に通訳されてもすぐにこんがらがってしまうのだ。
だからこそ『めくら蛇におじず』状態を保てたのかもしれない。

2台のベンツを貸し切って古都を巡り、高級料亭で食事をする。
タクシーとハイヤーの違いを、初めて実感した。
観光地を巡った後は、毎回のように北新地のクラブに直行。
英語の堪能な美女たちと満足げに談笑するVIPたちを
私は悪戯っぽく観察しては楽しんだものだ。
タノンにしてもハイヤーと高級クラブは初めてらしく、
舞い上がりながらも、サインを送ってきて私の帰宅時間を促した。


夢のような月日が過ぎた頃、
タノンは両親から再三にわたって帰国の要請を受けるようになった。
大学課程が終了していたのだ。
生計は通訳の報酬で成り立っていたし、
私との恋愛を理由に帰国を引き伸ばしていたらしい。

「もう29歳だからね、両親は結婚することを望んでる。
それで、俊子のことを話したら連れて帰るようにいう。
けど俊子、就職したばかりですぐにタイに来てはくれないよね。
僕、悩んでる。いっそ日本国籍を取ろうかとも……。
俊子はどう思う……僕がずっと日本にいるようなら結婚できる?」 
タノンの目が、真っ直ぐに私を見た。

「私も毎晩、悩んでる。迷って、迷った挙句……。
ああ、挙句なんてわかれへんね。ただ……。
タノンは帰国した方が有利だってことは判ってんのよ。
エンジニアとしてもね。
日本にいたら言葉の壁や偏見で、実力を発揮できるかどうか。
日本人って、白人コンプレックスはあっても、
東南アジア系の人種を軽んじるみたいな風潮があるしね。
私のためだけに日本に残ったら、
タノンの能力的な価値は半減すると思うのよ。

そりゃあ、日本にいてくれたら嬉しい。
けど、いろんな意味で惨めな思いをさせたくないのよ。
だからって、すぐにタイで結婚生活を始める勇気もねぇ。
今の仕事は好きだし、やりがいも感じてる。
せめて2、3年の猶予期間があれば……。

正直、タイという国を理解してない恐さもある。
行くならタイ語のひとつも習わないとね」 
偽りのない心情を話したつもりだったが、
私がタイに嫁ぐ可能性など考えもしなかったのか、
タノンは嬉しそうに微笑んだ。

「オーケー。まずは俊子がタイに来て、僕の国を見ることが大切ね。
俊子のボス、少し長い休みくれる?
できれば僕と一緒に帰って結婚の予行練習する。オーケー?」

「ちょっと待って……国際結婚の下見なんて理由で
長期休暇もらうなんて絶対、無理だからね。
私自身、仕事への責任感も強いし……。
とりあえず1年待って。
行って見ないことには何も始まらないけど、
それなりにお金も貯めないと……」
はしゃいでいた彼が、神妙な顔つきで頷いた。


タノンが帰国する日を決めた。
それまでの2ヶ月はタイ語の猛特訓をすると言い出し、
留学生会館の彼の個室が教室になった。
といっても午後7時に会社を出て梅田まで移動すると
レッスンは2時間が限度だった。
しかも、タイ語の発音の難しさには泣かされた。
英語ならどんなに楽だろうと思ったものだ。

連日のレッスンに疲れた頃、
待ち合わせ場所にタノンがタイ人を同伴して現れた。
北野病院の整形外科に勤務するトンチャイ医師で、
大学の先輩だという。
看護師で日本人妻の倫子は身重だったが、
半年後には共に帰国するということで自宅に招いてくれたのだ。

「けど、倫子さん勇気ありますね、初めての出産をタイでなんて……」
トンチャイ氏と雑談に耽るタノンの目を盗みながら、私が囁いた。
「まぁね。仕方ないのよ。彼は長男だし小さい弟や妹がたくさんいて。
6人もよ……親の面倒もみないといけないし、本当は行きたくないんだけど」
そういうと、彼女は恨めしそうに夫を見た。

「つき合ってどれくらい?」 
倫子が詰問するような聞き方をした。
「2年です……」
「ふーん。それで? タイで暮らすの」
倫子は軽率だと言わんばかりの表情をした。

「いえ、まだ決心するところまでは。
ですが一度、現地を見て来ようとは思ってます。
どうでした。倫子さんの感想としては」 

「えっ?……行ったことはないのよ。
夫の話では、一般人の生活なんて日本人には耐えられそうもないみたいだし。
行ってみても仕方ないでしょう? 
まぁ彼は医者だから、そうそう惨めな生活はしなくていいだろうけど。
じゃなかったら日本人にはちょっとね。
仕方なく子供はタイで出産するけど、現地の子供たちと一緒ってのはねぇ。
もちろんインターナショナル校に通わせるつもりだけど、
生活環境については今から彼にも条件をつけてんのよ」 
倫子が声を潜めて言った。

私はひどく気落ちした。
聞きたいことは山ほどあったが、彼女の横柄さに愕然としていた。
ふと、日本国籍を取ろうかと悩んだタノンの心情を思いやった。
彼ら夫婦がモデルだったのかもしれないと……。

「ところで俊子さん。タイ語、習ってるんだって?」
男たちの雑談が一段落する気配を察知したのか、
倫子がいきなり話題を変えた。
「まぁね。けど難しい。倫子さんはベラベラ?」
「とんでもない! 日本で習っても身につかないわ。
現地に行ったら嫌でも覚えるんじゃないの。そういうと夫は不機嫌だけど」
倫子は、いたずらっぽい目をトンチャイ氏に向けた。 
「これだからね。僕の奥さん強い。
タイに帰ったら一日中家族と一緒だからね。
早くタイ語を覚えるように言うんだけど。
ほんと、俊子さん見習って欲しいよ」
トンチャイ氏が呆れ顔でギブアップポーズをとり、
誰もが声を出して笑った。
頃合を見てタノンに引き上げようと合図した。
長居すれば、タイという国を知ろうとする気力が削がれるような気がした。


「子供ができたからかなぁ。倫子さん、強いねぇ」
帰り道でタノンに囁いた。
「オオ、そう、そう。彼女、騙されたって怒ってた。
先輩には養う家族多いね。最初、知らなかった。
倫子さん、本当はタイに行きたくない。けど子供の問題あるね。
でも僕、騙したくない。俊子の考え方、尊重する」 
神妙な顔つきで彼が言った。
「そう、自己責任で判断しないと……。
愚痴っぽい人生やりたくないし、愛する対象を摩り替えたくないし」 
「?……何のこと。俊子の日本語、時々難しいね。
オオ、あまり深刻にならないでよ。
タイ語のレッスンも終わりにするね。
二人きりで旅行もしたい。
僕たちの残された時間を楽しまないと。
一杯、思い出を作りたい。
日本の思い出、俊子の思い出。
思い出が一杯だと心が動かない、違う?」 
彼は立ち止まり、おどけながらウインクを重ねた。

天分とも思える彼のひょうきんさが好きだった。
哲学的な眼差しで一点を見つめているかと思えば、
ふいにスイッチが入ったかのように瞳を輝かせる。
ネガティブな思考を振り払い、
精神を前向きにリセットするかのようなリアクションが魅力的だった。

タノンが帰国するまでの二ヶ月は瞬く間に過ぎて行った。
恩師に挨拶回りを済ませ、留学生会館で開かれたパーティに同伴し、
日本海を眺める宿で二人だけの静かな夜を過ごした。
シャワーの音に紛れて号泣するタノンは愛しく、
私の心に、再会するための孤軍奮闘を誓わせた。


タノンが帰国して半年が過ぎた頃、
総括マネージャーの本田に呼びつけられた。
先輩に打ち明けていたことで、秘密裏に続けていた
夜のバイトがばれたのかもしれない。
恐る恐る応接室に入った。

「栗本君! 悩んでばかりいてないで、ちょっとは考えたらどうや」 
開口一番、本田は怒ったような顔で言った。
仕事に対する迷いや不満はなかったことから、
プライベートな叱責だと直感した。
「すみません。考えてるつもりですが。
悩むことと考えることは違うんでしょうか?」 
「あたりまえや! 君は一点を中心にただグルグルと回ってるだけや。
なんの進歩もない。考えるっちゅうことには行動がつきまとう」 

「?……ですが、その行動ができないから悩むのであって……」 
「行ったらええやないか! なんで申し出んのや。いいか、
何でも当たって砕けろ、行動あるのみや。
飛行機に乗って、何千mもの上空から地球を見て来い!」 
本田がニヤリと笑った。
コンサルタント業界では冷酷非道な策略家として有名な上司だけに、
ひどく面食らった。
新人の分際で長期の休暇など申し出る勇気さえなかったというのに、
最高責任者の彼が3週間もの特別休暇を許可してくれたのだ。
本田の親心がなければ、19歳の小娘が職を失うことなく
外国へ旅立つことなどできなかったに違いない。


1972年2月飛行機はドン・ムアン空港に着陸した。
遠い異国に思えたタイも、行動すれば九時間の距離に過ぎなかった。
とはいえ、タラップを降りる足が小刻みに震えた。
まさか迎えに来ないなんてことがあるだろうか。
どうってことはない。
タノンがいなければ何処かのホテルに一泊して、
また9時間という時を遡るだけのことだ。しっかりしなくては。
不安を武者震いに変え、私はタイ王国の地を踏みしめた。

手荷物チェックが済み改札口に向かう頃には平常心が蘇っていた。
7000m上空から地上に降り立ち、まさに地に足がついたのかもしれない。
ドラマチックな再会シーンをイメージしたとき、
人ごみの中で手を振るタノンの姿を見つけた。

「変わってないねぇ! 全然、変わってない」 
駐車場に向かいながら、タノンが何度も食い入るように私を見た。
「1年だもん、変わるわけないよ。ね、来たよ! 約束どおり。
ほんま嘘みたい。ああ、暑い。
日本では雪だもんね。なんかボーとしてる」 
極端な温度差もだが、再会に舞い上がる支離滅裂な自分を感じた。

夕食のメニューが何だったのか、
レストランにどれくらい居たのか何も覚えてはいなかった。
気がつくと、私たちはホテルの部屋で固く抱きあっていた。
すると、苦しさや切なさが瞬く間に溶けていった。
後の事情がどうあれ、前途は洋々としているように思えた。

タノンが奇声をあげて浴室に向かった。
シャワーを浴びるものと思っていたら、
バスタオルを腰に巻いて踊り始めたではないか。
そのエキゾチックなリズム感が懐かしかった。

日本にいるときからそうだった。
何かといえば身体をリズミカルに躍動させ、
私の不満や怒りをはぐらかせたものだ。
その愉快なパフォーマンスに何度救われたことだろう。
バリ島の伝統舞踊にも似た力強さとセクシーさは、
理屈屋の私を無防備にさせるパワーに満ちていた。

「そうそう。田舎に帰るまでの3日間だけど。
俊子が退屈しないように友達の妹たちに観光ガイド頼んだ」
身体を拭きながらタノンが言った。
彼の実家はバンコクの北方400㎞ほどのペチャブリー市にあったが、
仕事の都合で3日間はバンコク市内のホテルに滞在することになっていたのだ。
「えっ?……その子たち英語しゃべれるの?」 
「ジェスチャーでなんとかなるよ。 僕、俊子一人で出かけるの心配」
初対面の外人と一日を過ごすなど、想像するだけで疲れそうだった。


翌朝、9時半きっかりに3姉妹がホテルのロビーにやって来た。
寺院か水上マーケット見物でもすると思っていたが、
意外にも向かった先は動物園だった。
互いが国の言葉で発音すれば単語の学習になるというわけだ。
その知恵に感心はしたが、小さな動物園は一周するのに
2時間もかからなかった。
仕方なく園内で早めの昼食をとり、料理や材料の単語を発音し合った。
さらに隣接する公園を歩きながら人体の部分や、
化粧の色まで教え合った。

正直、楽しめなかった。
単語の羅列では間が持たないばかりか、
数が多過ぎて記憶が追いつかないのだ。
それは姉妹たちにしても同じだ。
しだいに客人への愛想笑いが消えて身内だけの会話が増えていた。

「疲れたね。ホテルにもどろう」
私が英語で言った。
ホテルという単語をキャッチしたのだろう。
三姉妹に笑顔が戻った。

タノンの帰りを待って彼女たちに礼を言った。
案の定、誰も残り2日間の予定には触れなかった。
内心、ホッとしていた。
タノンと一緒ではメジャーな観光スポットしか見られない。
本当は一人でバンコク市内を散策して、
その素顔を見たいと思っていたのだ。

「一人で? ノ―、ノ―。危ない、ダメよ」
その夜、タノンがあきれたように言った。
「大丈夫。ホテルの位置を確認しながら用心深く歩くから」
「う~む……。だったら残りの2日間、
ランチはホテルで一緒にとる。約束できる?」 
「もちろん! そんなに遠いところまで行かないし。
一通り見物したら戻ってホテルで本でも読むから大丈夫」
しぶしぶだが単独行動の許可を得た。

ホテルはシーロム通りから一筋入った繁華街にあったが、
その特徴的な高層建築を見失わないように
軽く一周するつもりで裏通りに入った。
すると10分もしないうちに場景が一転した。
薄汚い飲食店や肉屋などから出たのか路地には無数のゴミが散乱し、
所々の水溜りからは汚泥のような臭いがした。
しかも、遊んでいるように見えた子供たちが駆け寄ってきて、
金銭を強請りはじめるではないか。
一人きりの散歩を危ぶみ、目を丸くしたタノンの顔が浮かんだ。
10歳にも満たない子供たちでも、
集団となると食い入るような目が恐ろしかった。
私は咄嗟に踵を返して走り出していた。

銀行や商社、旅行社などが建ち並んだ表通りを一周し、
喫茶店で物思いに耽った。
バンコクの素顔を、などと偉そうなことを思ったわりに、
ほんの数分で逃げ出した自らのふがいなさに腹を立て、
いつのまにかタイという国の政策に腹を立てていた。

入国直後に見た王宮や、エメラルド寺院の豪華さを思った。
それらに感嘆する私を見ながら、
タノンは誇らしげにこの国の文化や歴史を語ってくれたものだ。
しかし、極端なまでの貧富の差はどうなっているのだろう。
豪華絢爛な仏教寺院を誇るより前に、
子供たちの未来に目を向ける役人はいないのだろうか。
心はそんな疑問に曝されていた。
だから? どうだというのか。
頭を冷やさなくては。
私は単に、ここで暮らすか否かの選択肢が与えられているだけの
異邦人に過ぎないのだから……。



タノンの実家を目指して爆走すること6時間が過ぎていた。
奇妙なほど輪郭のはっきりした真紅の太陽が、
見渡す限り遮るもののない水田地帯に浮かんでいた。
その大きさや低さから予想すると
太陽は水田の真っ只中に沈むように見えるのだが、
2時間ほど走っても位置に変化はなかった。
すると太陽が傾くと錯覚している自分が可笑しくなり、
それを払拭するために大地の回転を体感したい衝動に駆られた。

「何考えてるの……。心配?」
ふいに、タノンが顔を覗き込んだ。
「ううん、何も……。私ってな~んにも知らないんだと思ってね。
日本で見る太陽と違うことに感心したり、地球が丸いことを再認識したり。
けど、そんなこと考えると、いいこともあるんだわ。
小さなことはどうでもいいなぁって感じになるし、
第一、錯覚や思い込みから卒業もできるしね」
「……なんのこと?」
「なんでもない。あたって砕けろってとこかな……。
ところで、まだ遠いの?」
「あと1時間くらい……何?…あたって砕けろ。わからない。
日本語難しいね。大丈夫。俊子のこと、みんな気に入る」 
タノンが意味ありげにウィンクした。
彼の推測は的外れだったが、微笑みながら頷いておいた。

第一印象なら家族に気に入られることはわかっていた。
人相学的な好感度だろうが、
幼い頃から年配者には可愛がられたものだ。
さらに日本人の嫁をもらうことが彼らのステータスだと知っていた。
ただ、心配なのは実家での暮らしだ。
当座はバンコク市内での暮らしても早晩、
両親と同居すると聞いていた。
むろん、今は国際結婚のための下見であって、
そんなことを憂慮する段階ではないと自分に言い聞かせた。

しばらくは残照に輝く水田の所々に映し出される農夫や、
水牛の陰影を眺めて過ごした。
それは美しい風景だったが、
汗にまみれた農夫の表情が見えないことを憂いながら……。


日没から間もなく、実家のあるペチャブリー市に着いた。
といっても、車で走り抜ければ10分ほどの小さな町で、
タノンがサッカーに明け暮れたという中学校のグランドにさしかかった。
そこを左に見ながら細い地道を進んで行くと、
鮮やかなブーゲンビリアの花に覆われたブルーの門扉が見えた。

「奥さま、到着しましたよ。ぼくの家」
そういうと、タノンは玄関の方向を向いて合掌した。
すでに両親が出迎えているらしい。
あわてて着衣の乱れを直して車から降りた。

タイ人には珍しい鼻筋の通った父親と、
小柄で角張った顔の母親がこっちを見ていた。
「サワディ・カー」 
合掌して頭と腰を低く降ろす丁寧な挨拶を試みた。
すでにタイ語を話せるとでも思ったのか、
母親が満面の笑みを浮かべて次々と話しかけた。
見かねたタノンが急かすように私を家の中に案内した。

夕食の席はたいそう賑やかなものになった。
長男の花嫁候補である日本女性を一目見ようと、
近くの親戚や友人達が押しかけて来たからだ。

彼らは私を品定めしては感想を言い合い、
近寄ってきて手相や足相を観た。
すると、その結果を聞こうと多くの者が身を乗り出し、
再び隣同士で話し込む。
言葉がわからないだけに、
その光景はサイレント映画を見ているよう気分だった。
タノンは質問攻めにあっていたが、
時間を持て余した私が話しかけようものなら、
見物人たちは一斉に静まり返った。
聞き慣れない日本語に耳を澄ませ、
些細なしぐさに好奇の目を向ける。
果たして私は仲間になれるだろうか……。

母の手料理に舌鼓を打ち、
一族の花嫁候補への印象が良かったことで安堵したのだろう。
その夜、タノンは上機嫌で国の社会制や習慣について説明してくれた。

タイ王国は僧と軍による統治国家で、
極端な貧富の差や理不尽な身分制度を含めて、
社会構造の全般を彼らが掌握しているようだった。
度重なる列強との戦いに勝利し、
東南アジアで唯一植民地化されなかった誇りから、
今も純血のシャム人たちは軍国主義的な傾向を擁護しているらしい。
しかし、実際にタイの経済基盤を支えているのは国民の40%を占める華僑。
いわゆる中国系の商売人たちだという。
財力のある彼らが権力を手にしないように、
シャム人たちは身分制度で社会構造を掌握する必要に迫られたようだ。

確かに軍人に対する優遇措置には驚かされた。
市内のレストランで駐車場が満車だったとき、
タノンは平然と駐禁ステッカーの横に車を停めた。
案の定、いかにも苦々しい顔をした警察官が近づきはしたが、
後部座席に置いた父親の軍帽を見るなり敬礼して立ち去ってしまった。
それが高僧の袈裟だとしたら警察官は合掌して平伏すというから驚きだ。

タイの軍人は特権階級に属している。
父親が陸軍大尉のタノンなどは申請だけで普通車免許がもらえるばかりか、
医療費が全額免除されるという。
しかもブンジョス家には2名の番兵が常駐して
使用人のような雑用をこなしていた。
日本ならクーデターでも起きそうな話に耳を傾けながら、
私は改めて部屋の隅々を眺めていた。
特権階級に属する人の住まいには思えなかったからだ。

150坪ほどの敷地に一部が2階建ての板張り住宅が建っている。
建坪はせいぜい30坪ほどに過ぎない。
残りの敷地に番兵の寝泊りする二畳ほどの小屋と、
家庭菜園用の小さな畑があった。
それらの外観や構造は、日本の平均的な田舎家を思わせた。

ふと、国王陛下の肖像画が目に止まった。
玄関先や両親の寝室でも見かけたものだ。
その前を横切るときは誰もが合掌して頭を垂れる。
仏教徒でもあることから、国王は人々から熱烈に崇拝されているらしい。

仏教の教えだという風習には馴染めそうにもなかった。
目上の人を横切るときは、合掌して身を屈めなければならない。
たとえ赤子だとしても、女が男子の頭を撫でることはタブーなのだ。
田舎では絶対的な家夫長制度と男尊女卑の思想が色濃く残り、
女性の下着などは陽の当たらない地面すれすれの場所に
干すことを強いられる。
物干し場は外のトイレに向かう中庭にあるのだが、
パンティがせいぜい。
ブラジャーやスリップなら泥に触れること請け合いだ。


実家に滞在して一週間ほど経ったある日、
京都を案内した警視総監夫妻から、
ナコンパトム市で開かれる戦闘機のアクロバットショーに招待された。
それも各界の要人たちが陣取る貴賓席での見物だという。
タノンのアドバイスで、一晩で仕上がるタイシルクのドレスをオーダーした。
円に換算すれば既製品のスーツを買うような値段だった。

ショーが始まってまもなく、私たちは紳士淑女の注目を浴びていた。
日本観光のガイドペアとして警視総監に紹介されたのだ。
式典の類には飽きているのだろう。
彼らは空も見上げず雑談に耽っていたようで、
国際カップルの存在が格好の退屈しのぎになったようだ。

さすがVIP集団だけあって、日本を訪れた人は多いようだった。
富士山やすき焼き、ステテコなどの日本語が飛び交い、
思い出話に花が咲いているようだった。

やがて質問がタノンに集中した。
彼が私を見ながら頬を赤らめる様子から、
国際結婚の可能性を訊ねられていることは察しがついた。
その間、私は豪華なドレスや宝石を身につけた女たちを
熱心に観察していた。
頭の2倍はあろうか、アップした黒髪を大きく膨らませるのが
伝統のヘアースタイルらしい。
しかも厚化粧だ。
太く、濃く、マンガチックに描かれた眉や、真っ赤な口紅、
肩だけが異様に膨らんだ原色のドレス姿を眺めていると、
からくり人形劇をイメージしてしまった。

「あなた、バカンスでお気に入りの国は?」
話題は世界旅行や別荘の自慢話しに移ったらしく、
ふいに隣席の貴婦人が話しかけてきた。
「ああ、彼女はタイが初めてでして……」 
タノンが代わって答えた。
英語も流暢ではないと答えたのだろう、
婦人は諦めたように口を噤んだ。

それを待っていたかのように、タノンが私に耳打ちした。
「ちょっと席を外すね。大丈夫30分ほどで戻るから」 
いつの間に席を立ったのか、彼の目線の先に警視総監の姿が見えた。
どうやら要人でも紹介するサインを送ってきたようだった。
私は頷き、誰からも話しかけられないことを願った。
だが、すかさず初老の軍人が隣に座るではないか。
いかにも高位の軍人らしく、その胸は勲章で埋めつくされていた。

男は威厳に満ちた眼差しを向けとんでもない質問を投げかけた。
「美智子妃殿下は、お元気でいらっしゃいますか?」
耳を疑った。
プリンセス美智子だって? 
「イエス、アイ、スィンク、ソウ……」 
知ってるわけもないが、すまして答えた。
時間さえ稼いでおけば、すぐにタノンが戻ってくれると思っていたのだ。
しかし、将軍のような男の話は延々と続いた。
タイを訪問した皇太子殿下一行の車を先導した名誉に始まり、
数年前に観光して回った京の雅を賛美したかと思えば、
戦後の日本が飛躍的に発展を遂げたことや、
かつての日本軍の悪行にも触れた。
もはや観念して耳を傾けるしかなかった。

日本軍の極悪非道ぶりについては
父のために聞き上手を装うことに慣れていた。
酔いが廻ると、父は決まってフィリピンでの戦争体験を語った。
上官の命令とはいえ村の至る所で老若男女を何百人も虐殺し、
奪い、生き延びるためにジャングルをさ迷ったという。
引き上げ船では、残虐な命令を下した上官の一人が海に突き落とされたらしく、
その場面で父は毎回、泣き笑いしながら焼酎を飲み干したものだ。

将軍のような男の話は続いていたが、
戻ろうとするタノンの姿を見つけた私は、
いかにも急用があるかのように席を立った。
彼が席に戻れば男の話は更に長引くに違いないのだ。

「帰ろう?」 
小走りで歩み寄り、タノンの耳元で囁いた。
「えっ……楽しくないの?」
「まあね。ちょっと体調も悪いし……なんか、居場所がないって感じ」 
暑さと緊張から膀胱炎の兆候もあったが、あえて気分の問題にした。

「オーケー、言葉の問題ね。僕が傍にいても?」 
「ゴメン。タノンはもっと居たいでしょう。悪いとは思うけど、帰りたい」 
私は我を通した。
言葉の不自由さもだが、上流社会の人々を観ていると
何かしら憂鬱になる。
権力や怠惰、傲慢さに対する反骨精神、あるいは僻み根性だろうか。
自分でもよくわからない。
羨ましいのではなく、悲しくなってしまうのだ。
そのせいだろう。
一機、何10億という戦闘機のショーも心からは楽しめない。
その対極に生きる子供たちを思い出すのだ。

信号待ちの車列に分け入ってジュースや新聞を売る子供たちはさておき、
レストランの食事が終わるや否やテーブルに駆け寄り、
残飯を拾い集める子供たちを見たときは泣いてしまいそうだった。
同情心だけではない。
どの生の記憶なのか。私の身に起こった屈辱感を伴っていた。
そのときタノンからは、身分制度による日常的な光景だと慰められた。

日常的な光景? 
誰も気にしないし気にする必要もないなんて……。
私は腹を立てていた。
そんな日々に貴賓席に座ったことで、
改めて自らの観念が鮮明になっていた。
異国の政策を中傷することはできなくても、
せめて怒りや悲しさを感じ続ける自分でいたかった。


実家での歓迎会に始まり、タノンの恩師や旧友を訪ねる日々に、
私は自らの存在価値に疑問を感じ始めていた。
タノンなら花嫁志願者も引く手数多だと知り、
恋愛感情だけに依存している自分が空恐ろしくなったのだ。
言葉を修得したとしても、タイ社会の身分制度や、
しきたりに順応して暮らせるだろうか。
微妙な言葉の行き違いに苦しむことなく、
互いが良き理解者になれるものだろうか。
一般常識はもとより教養や知性、技術やコネクションなどの全てに対して、
私は赤子のように無知で無力だった。
頼みの綱の愛情が冷めれば、自分には
何の価値もないように思えたのだ。

「ねぇ、タノン。タノンにとって、私は絶対的に必要な相手?」 
実家でくつろいでいたとき、奇妙な質問をしてみた。
「どういう意味?愛してるイコール必要の一部じゃないの」 
しばらく私を見つめ、ゆっくりと瞬きしながらタノンが言った。
大きな瞳が長い睫の中で輝きを失ったように見えた。
「もちろん。だからこそ聞きたいんだけど、
何がなんでも私でないとだめ?って聞かれたらタノンはどう答える」 
謎かけ問答など理解できないと知りながら聞いた。
彼の情熱の強さを確かめなければ勇気が萎えてしまいそうだった。
「俊子でないとダメかって聞かれたら、答えは違うかもしれないね。
僕の場合、結婚相手に困ることはないと思う。
けど、愛してるから結婚したいと思うのは自然な気持ち。
ただ、僕たちの結婚には少し問題あるね。言葉や生活習慣……。
う~む、意地悪な質問ね」 
タノンは笑いながらギブアップポーズをとった。

私は自らの軽率さに腹が立ち泣きたい気分になっていた。
誠実な彼の性格を愛していながら、
花嫁として自信がなくなると相手の情熱に賭けようとしたからだ。

話題を変えたいのか、タノンが本棚のアルバムを開いて私を呼び寄せた。
色あせた写真の一枚、一枚に説明を加えながら、
タノンは懐かしそうにページをめくっていった。
私が関心を保てたのは親族くらいのもので、
友人、知人のタイネームなど覚えられるものではない。
やがて思考が曖昧になり眠気がさした。

その時、奇妙なことが起きた。
何者かが私にささやきかけたのだ。
「あなたは判断するために来た。全てを見て、味わって……」 
聞き終らないうちに、私は声の主そのものになっていた。
しかもアルバムを捲る男女を見つめていたのだ。
意識は全く第三者のもので、数mの距離感さえあった。

この私は誰なのか? 
そう思った瞬間、意識はアルバムを見る女の中に戻っていた。
心臓が高鳴り頭がくらくらした。
するとタイに向かう機内での不可思議な出来事が頭をよぎった。
あれは錯覚ではなかった。
一瞬だったが、あのとき同じように精神が肉体を離れた。


伊丹空港を離陸して間もなく、
私はタノンとの再会に胸をときめかせた。
ドラマチックに抱き合い、話に聞き入る彼の情熱的な瞳を想像して
幸せな気分に浸っていたのだ。
ところが、時間が経つにつれて不安が頭をもたげた。
行動したことで欲求が満たされ、解決しなければならない
様々な問題がクローズアップされた。

在日中に挨拶を交わしたいというタノンの希望を伝えただけで、
母からは即刻、勘当を言い渡された。
南方に出兵した父の影響もあってか、フィリピンだろうがタイ人だろうが、
十羽一絡げの野蛮な土人に過ぎないというわけだ。
甲斐性のない父に代わって家族を養ったとはいえ、
私は貪欲で無知蒙昧な母が嫌いだった。
姉の結婚式に出席するため帰郷した私に、
相手は誰でもいいから世話をかけずに片付くよう言い放ったばかりか、
商売を優先して結婚式にも出席しなかった。
その貪欲で無情な人格に失望し、
彼女から生まれたことを何度も呪ったものだ。
そんな母が、自らの人間性を棚に上げて
タイ人をバカにするなど許せなかった。
タノンの手前がなければ、
むしろ自分の方から親子の縁を切りたい気分だった。

無口な兄は傍観に徹し、極楽トンボの父には発言権がなかったことで、
母との冷戦に拍車がかかった。
家族との険悪な日々が過ぎる中、タイに行く資金を作ろうと
夜間のアルバイトに奔走もしたが、半年もすると体調を崩してしまった。
腎臓が弱く、無理をすると血尿や蛋白が降りる体質だったからだ。

悔しさと体調の悪さで落ち込んでいた矢先、
上司から思わぬ長期休暇が許可された。
その機会を逃したくないばかりに、下見を済ませたら必ず戻るという約束で
兄に借金して臨んだ下見旅行だった。
結果にもよるが、帰国すれば移住の準備に取りかからなければならない。
英語やタイ語のレッスンに始まり、家事や裁縫などを覚え、
移住のための資金を貯えなければならないと思っていた。

だが、職場でご法度のアルバイトを続けることができるだろうか。
専属のPOPライターに抜擢され、長期の休暇を与えてくれた
上司の期待を思うと胸が痛んだ。
果たして母の怒りが解ける日は来るのだろうか。
帰国後の孤軍奮闘を思うと体が震えた。
家族の見送りもないまま旅立つ自分を、
タノンはいつまでも大切にしてくれるだろうか。
神経が極度に緊張し、やがて何も考えられなくなった。


「8000mの上空から地球を見て来い!」
突然、本田の言葉が脳裏に浮かんだ。
窓の外に目をやると、果てしなく続く大陸の果てが曲線を帯びて霞んでいた。
アナウンスでは時速500㎞で飛行しているというが、
地上とは違って相対するもののないスピード感は曖昧で実感を伴わない。

いつしかスカイブルーの天空を見据えていた。
すると時間が止まったような感覚になって、
それまでの思考パターンに揺さぶりがかかった。

タイを目指して一直線に飛んでいるつもりが、
実際はカーブしながら飛行していることを実感していた。
地上から飛行機を見上げていたのでは
想像することもできない事実である。
地球は丸いと知っていても、知っているという状態は体験ではない。
曲線を帯びる大陸目指して飛んでこそ、
一直線だという思い込みの呪縛から解放される。
知識は体験して初めて知恵になるということだろう。

ふと、思った。
1日という単位でさえも絶対的ではない。
地球より質量の小さい月なら6時間
宇宙では、その時間や空間さえも存在しないと言われる。
もしかしたら観念や感情を含め、
地球上の全ての概念は『つもり』という思い込みなのかも知れない。
そう考えると反って勇気が湧いてきた。
たかが恋愛である。
人の受け売りや、自身の予想めいた判断に一喜一憂するより、
行動することで知恵に生きれば真実に迫れるに違いない。

微妙な濃淡を映し出した大空が、
無限の宇宙に繋がる薄い空気の層でしかないことを認識すると、
地球の表面を飛行する自分がミクロの存在に思えた。
自分の悩みなどウィルスのつぶやきにも満たないことだろう。
思考が止まり体中の筋肉が弛緩した。

すると奇妙なことが起きた。
突如、私の精神だけが空間に抜け出し、
窓際の小娘を見て微笑んだのだ。
確かに微笑んだ。
その口元の感覚さえ自覚していた。
同時に、慈愛に満ちた眼差しを向けている自分は何者なのか。
それを考えようとしたとき男の咳払いが聞こえた。
直後、意識が窓際の娘の肉体に戻った。

呆然としながら、私は額の冷や汗を拭っていた。


恋人と再会して異文化に気をとられているうちに、
その奇妙な体験のことはすっかり棚に上げていた。
いや、違う。
精神状態や飛行高度が絡んだ錯覚に過ぎないと思い込んでいたのだ。
それなのに結婚観を巡る葛藤に曝されたからといって、
またしても他の人格が出現するとは……。


「どうかした? ああ、人の家の写真、退屈かもね」 
タノンが顔を覗き込んだ。
「ううん、セピア色の写真、懐かしいね」 
トンチンカンに応えた。
得体の知れない感覚の生々しさに心を奪われていたのだ。
自分が第三者に入れ替わったときの、
あの中立的な意識は何なのか。
理性だけが一人歩きすることなどありえるだろうか。
残された肉体の感情的な部分は何処へ行ったというのか。

精神病患者は自分自身を疑わないという。
しかし、私の意識に起こる現象を知った精神科の医師なら、
迷うことなく妄想や多重人格という画一的な診断を下したに違いない。


結婚観を語り合った後、タノンが怖れていた事態が発生した。
日増しに食欲をなくしていた私が10日目に倒れてしまったのだ。

私は激辛で匂いの強いタイ料理が大の苦手だった。
大量のニンニクはもとより、刺激の強い食事を摂ると
決まって膀胱炎の症状に見舞われた。
それが夏場なら最悪で、大量の発汗によって体液の塩分濃度が上がり、
尿に血が混じって微熱が出る。
腎盂腎炎の再発だった。
放置すると炎症が腎臓まで広がり、
最悪の場合は人工透析の必要に迫られることから、
医師からは安静と水分補給を促されていた。

それでもバンコク滞在の数日は何とか持ち応えていた。
望めばホテルで洋食を摂ることや、喫茶店で涼をとることも可能だった。
しかし、実家にきてからというもの地方色の濃いタイ料理が続いた。
それらは観光客に配慮したバンコク市内の料理とは違い、
耐えがたいほどのニンニクと香辛料が混入していた。
口元に運ぶだけで反射的に吐き気をもよおしていたが、
母親やタノンの胸中を思えば食べないわけにはいかなかった。
吐き気を堪えて無理やり飲み込むうちに、胃の方がストライキを起こした。
以来、一切の食物を受けつけなくなったばかりか、
ひどい目眩に襲われたのだ。


その日以来、タノンは私を連れて観光地巡りをするようになった。
実家での緊張や食事から開放しようという配慮なのだが、
タイ料理そのものが恐怖になった私は、
路上で売られていたスイカばかりで空腹を満たしていた。

ある日、遠方のリゾートホテルを予約したタノンは、
現地に着くなり洋食を注文した。
私に食べさせるためだった。
外米は独特の臭いを放っていたが、
エビフライとサラダからは慣れ親しんだ香りが漂っていた。
食欲はにわかに蘇り、感激と無念さの狭間で空腹を満たした。

その夜、私はタノンの胸で号泣した。
タイに来て2週間だというのに、食べ物という初歩的な問題で
ギブアップしている不甲斐なさにも増して、
タノンの優しさがやりきれなかった。
自分は手のかかる観光客以外の何者でもなく、
タイで暮らせるか否かの返事を心待ちにする彼が
気の毒でならなかった。

「食べ物って、慣れるかなぁ?」
沈黙を破るように私が言った。 
「まあね。僕だって日本食に慣れたから。
けど、こうやってホテルの食事もオーケーよ」 
タノンが陽気に慰めた。 
「そんな。主婦がリゾートのレストランで食事なんて……。
せっかく作ってくれた食事も食べれなくて、
お母さんに悪かったね。
お母さん、私のこと、どう思ってる?」
「オオ、お母さん、面白い。
俊子が倒れたとき、お母さん子供出来たと思った。
ククク、僕、冷や汗出た。なんか恥ずかしい。

お母さんね、俊子が日本に帰ること反対してる。
このままタイに残れば結婚できるけど、
日本に帰ったら2人は一緒になれないって」 
視線をはぐらかしながら彼が言った。

心臓の鼓動が高まった。
「ふ~ん。けど、今回は下見だから、
そのまま居るってわけにはいかないもんね」
「タイで暮らせる?」 
相槌を打とうともせずに、タノンが私を凝視した。
「うん。自信はないけど頑張ってみる。
けど、事情を話したように、移住には1、2年はかかると思う」 
迷っていたにも関わらず、自分に言い聞かせるように答えた。
彼の愛に応えなければ、人の道に外れるような気がした。

実家に戻ってからもタノンは精力的に動き回った。
弟とその友人を同乗させてアユタヤの遺跡巡りに出かけ、
ビルマとの国境に駐屯する叔父を訪ねた後、
帰国の前夜になってバンコクに戻った。
最後の夜は2人だけで過ごしたかったが、
寂しさに耐えられそうもないという彼の提案で
市内に住む親戚宅で賑やかな夜を過ごした。

別れの朝だというのに、
タノンは再び知人の家に立ち寄って雑談を始めた。
空港までの距離や、搭乗手続きの時間が気になって急きたてる私に、
鼻歌で応える彼の真意が図りかねていた。

「間に合うかなぁ」
私が不安げに言った。
案の定、空港向かう道路で渋滞に巻き込まれ、
飛行機の出発時間が迫っていたのだった。
「もし間に合わなかったら、俊子タイに残る。
仕方ないね。諦めてタイにいる」
タノンが意地悪そうにウィンクした。

「えぇっ! マジ?」
胸が詰まった。時間稼ぎのような行動の真意が解ったからだ。
だが、上司や兄との約束を違えるわけにはいかなかった。
「タノン、帰らないと。私、嘘つきには……」 
言い終わらないうちに、彼が真剣な表情になった。
「ゴメン、冗談……。けど、本当に間に合わないかも」
いつの間にか彼の額に冷や汗が浮かんでいた。
 
空港に着き小走りで搭乗窓口に向かっていると、
トランシーバーを持った係員が駆け寄って来た。
飛行機が離陸態勢に入っているというのだ。
係員はパスポートを確認するなり私の腕を掴んで走り出した。

「行って、早く行って……さよなら!」 
後ろでタノンの叫び声が聞こえた。
振り返ろうとしたが、私は2人の係員に手を掴まれて階段を駆け下りていた。
搭乗手続きや小荷物チェックをパスして、
関係者以外進入禁止の通路を走っていたのだ。
外では軍のジープが待機していた。
間一髪、私は離陸寸前の飛行機に運び込まれていた。

たまにいるのよね、こんな人……。
そんな目をした白人のスチュワーデスに案内されて、
座席に着くとエンジンが轟音を立てた。
送迎デッキに目をやり、見えるはずもないタノンの姿を捜し求めた。
仕組まれたドタハタ劇に情熱を思い知り、
破天荒な想いを打ち消し合った切なさがこみ上げた。
理性は影を潜めていた。
心が張り裂けんばかりの愛しさを乗せて、
飛行機はドン・ムアン空港を後にした。



帰国して一年が過ぎたというのに、
私は結論を出しかねていた。
逢いたさに胸かきむしられたかと思えば、
もう一人の冷静な自分から、恋心の何かを問われていた。

果たして自分は彼を愛していたのだろうか。
恋という状態に恋していたのではないのか。
自分にとっての幸せとは何なのか。
自問自答する日々の中で貴洋と出会った。

幼年期に培われたハングリー精神と直感以外、
貴洋には何もなかった。
資金はもとより基礎的な学力や技術もなく、
誰かが補佐しなければ社会的な成功は不可能に思えた。
しかし子供時代の境遇にはいくつもの共通点があり、
それが互いの価値観に繋がっているような予感がした。

私は貴洋を結婚相手に選んだ。
彼に欠落しているものを補うことは易しく、
存在感を発揮できることが幸せの鍵だと悟ったような気になっていた。

自尊心を満足させたかった女と、
利用価値の高い伴侶を求めていた男との融合だった。

                     5 迷走 に続く
                
物語も佳境に入ってきました。
長い物語は読む側も大変なので、次回からは月2回の投稿にします。
『5迷走』は6/15(月)、『6再起』は7/1……ってな具合です。
日にちが決まっていると無駄に立ち寄らなくて済みますもんね。(^_^ ;)

3 フラストレーション

自叙伝『囁きに耳をすませて』
05 /28 2020
   
           嫁姑ネコ
            なんやねんな、もう……


第一章 偶然は必然

3 フラストレーション

「それがなんやねん。今日、明日、生きていくことに関係あんのんか」
突然、貴洋が話の腰を折り、しらけきった表情でタバコに火をつけた。
だめだ……。
貴洋にとって、生きることイコール損得なんだと思った。

「私という人間を理解してもらうために話してんのんよ。
あんたのハングリー精神に協力する私以外にね。
不思議なことも含めて好奇心の旺盛な面があるんよ。
ただそれだけやのに、UFO見たからって狂人扱いせんといて。
私たちは夫婦やんか。
そりゃ、あんたの価値観に照らしたら、
今日、明日、生きていくことに関係はないかもしれへんけど、
いきさつや心境を知ってこそ気持が分かり合えたり、
人間関係が保てるんと違うん?」

私は一歩も引き下がらなかった。
自家用のポンコツ車が坂道でエンストしたからといって
臨月の妻に車を押させ、トラックが軽く接触しただけで、
支離滅裂にわめきながらドライバーを引きずり下ろす粗野な夫に、
今以上の憎悪を持ちたくはなかった。

「ねぇ、電波って見える? 見えへんやろ。
けど、電波の存在は信じてるよね。
空気中のウィルスや水分も目には見えへん。
けど、見えへんからってないとは限らないものが
世の中には一杯あるやんか。
それやのにUFOとなるとなんでキチガイになるん。
見たものは見た。解らないものは解らないでいいやない。
あんたね、自分のキャパシティにないからいうて、
私の思考や観念まで支配しようとするのは……」

「やかましいんじゃ!」
いい終わらないうちに座卓を蹴飛ばし、貴洋は出て行ってしまった。
感情がコントロールできないときの常套手段だ。
目を覚ました洋がぐずりはじめ、抱き上げると悲しさがこみ上げてきた。

私は饒舌な自分を知っていた。
怒りにまかせて理論的に貴洋を追い詰めれば、
離婚は時間の問題だとわかっていた。


結局、その日を境にUFO目撃談を封印した。
感情を爆発させて楽になったのも確かだったが、
悲惨な少年時代を過ごした貴洋の心が癒えない限り、
寛大さや柔軟心を求めるのは無理だと悟ったような気がしたものだ。

岡山県の貧しい農家で生まれた貴洋は、8才で母を亡くした。
短気で厳しい父が再婚し、継母やその連れ子との確執に苦しんだ。
連れ子は同級生の女子で、口達者なばかりか成績も貴洋を上回っていた。

反抗的になっていた貴洋は、軍人上がりの父親にとって
格好の憂さ晴らし対象となったようだ。
殴る、蹴るなどの日常的な体罰に加え、
冬の最中でも木に縛りつけて放置された。
運よく近所の主婦に助けられたらしいが、
彼が小学生で胃潰瘍を発症したのも頷ける。
不幸はさらに続いた。
ときには継母の目を盗んで駄菓子をくれていた祖母が、
新しい嫁との折り合いに苦悩して、井戸で首吊り自殺を図ったらしい。


夫の心を癒すのは経済的なゆとりしかないと思った私は、
それまで以上にPOPライターの仕事に精を出した。

テナントとの結婚でショッピングセンターこそ退職したが、
大手紳士服チェーンをはじめ、60店舗を展開するチヨダ靴店や、
サンドウィッチハウスのグルメ・ザ・ヤングなど、
仕事の依頼が増え続けていたからだ。

何百枚もの手書きのPOPはシルク印刷に切り替え、
時には100万枚発行のチラシのデザインを頼まれることもあって、
印刷会社からバックマージンが入る恩恵にもあずかった。
100万枚の印刷ともなれば、その額たるや100万円。
仰天したものだ。
姉を雇って雑用の全てを任せ、寝る間も惜しんで書き続けた。
収入は夫のそれを上回り、店舗の増設を夢見る貴洋にとって
心強い味方となった。

ところが2年も経たたないうちに貴洋が、
仕事を辞めて店に専念して欲しいと言いだした。
新たに開業したピザ専門店とスナックには責任者がいたのだが、
その働きぶりが不満だったばかりか、
収益に囚われるあまり胃潰瘍を悪化させていたのだ。

受注も増え、依頼主との信頼関係も深まっていただけに
POPライター業には未練があった。
しかし夫の入院や手術を想定すると、
内助の功に徹する他に道はなかった。

2歳の息子を保育所に預け、
夕方までは私がコーヒーショップを引き受けた。
その後、貴洋はピザ店からコーヒーショップに戻り、
後かたづけを終えてスナックに移動するわけで、
帰宅はたいてい深夜か朝方になった。

私の高収入分を埋め合わそうと、
貴洋が悪戦苦闘していることは明らかだった。
だが、元来が理屈っぽい性格の夫だけに、
水商売には不向きのようだった。

大半の客は浮世の憂さを晴らそうと高い酒を飲む。
しかし貴洋は粋なジョークや、かくし芸に秀でているわけでもなく、
株やユダヤ商法などを話題にして
客の遊び心をしらけさせてしまう傾向にあった。
かといって美女の2人も置けば、深夜労働に見合う収益には至らない。
とどのつまり、従業員の愚痴をこぼす頻度が増しただけで、
胃潰瘍は悪化の一途をたどっていった。

ある朝、便器が血の混じった嘔吐物で汚れ、
それがベッドまで続いているのを見た。
仰天して貴洋の顔を覗き込み、寝息を確認して
その場に座り込んでしまった。
深夜に帰宅して嘔吐することは珍しくもなかったが、
私を起こす気力もなかったのだろう。
倒れるように寝入った貴洋の様子に胸が締めつけられた。

「吐いた物に血が混じってるけど、知ってんの?……大丈夫?」 
寝返りを機に、貴洋を揺り起こした。 
「ああ、だるいけどな。大丈夫や」 
さも、うっとうしそうに応え、貴洋は再び寝返りを打った。

口惜しさが込み上げた。
検査を勧めても耳を貸さず、金勘定ばかりの精神に
審判が下ったも同然だった。
「聞きたくはないだろうけど、胃穿孔で腹腔出血でもしたら終わりやよ。
いいかげんに病院行かな。
理想の稼ぎにならんからって、
やけっぱちになって死ぬまで放っておくんなら、
結婚も子供も望まんかったらいいんや……。
ネ、しんどいやろうけど起きて!それとも救急車呼ぼうか」 
私は厳しい調子で詰め寄った。
この男は家庭を持つ意味がわかっていない。
心底、そう思った。

「けど、店どないするんや。洋のこともあるし、
お前がスナックまででけへんやろ」
貴洋が、ため息まじりに言った。
「洋のことは母さんに泊り込んでもらうとして、
私はコーヒーショップだけで精一杯だと思う。
けど、それでいいんとちがうん。
ピザ店は店長に任せたらいいやんか。何のために雇てんの。
そりゃあ、任せきったら売上は落ちるやろ。
けど私が管理はするし。
あんたがおれへんからいうて2、3ヶ月でつぶれるようなら、
この先チェーン展開なんかでけへんよ。
パーフェクトな人材を求める気持もわかるけど、
ある程度任せんことには人もついてけぇへんよ。
まっ、身体を治してから再出発の方法でも考えたら?」 
貴洋の気力が萎えていることを幸いに、一気にまくし立てた。

その日、貴洋は渋々ながら病院に足を運んだ。
結果、放置すればガンになる確率が高いと言われたようで
手術を決心したという。
私は胸を撫で下ろした。
入院を機に健康のありがたさを知れば、
強欲さも薄れるだろうと思っていたのだ。

貴洋と私は、互いの打算的な人生観に惹かれあった。
ぞっこんだった彼女に婚約を解消された貴洋と、
国際結婚に踏み切れなかった私には、
結婚をギブアンドテイクとして捉える暗黙の了解があった。

名古屋の定時制高校を卒業した私は大阪に戻り、
三菱商事が運営するショッピングセンターの企画室に勤めた。
イベント関連のポスターや季節ごとの店内装飾、
テナントの要望に応じたPOP広告の制作などが主な仕事で、
その日もテナントの要望に耳を傾けていた。
赤字経営のコーヒーショップを任されたという貴洋との出会いだった。

貴洋はメニュー表の制作を申し出るとともに、
人目につく看板や装飾のアイデアを求めた。
他力本願的に企画室を頼ろうとする店長たちとは違い、
貴洋の依頼には情熱がこもっていた。

自らのアイデアを話し、材質や耐久性など、
専門知識や経験がなければイメージできない部分の意見を私に求めた。
その視点は危機感にあえぐオーナーのもので、
彼が店舗を又借りした第二の経営者であることは容易に判断できた。

もっとも店舗の叉貸しはご法度だ。
だが、当事者間の密約によって従業員を装えば
管理者に気づかれることはない。
しかも固定家賃に加えて売上比率による二重の家賃システムだったことから、
やる気のないオーナーよりは売上増を図ろうとする彼の方が
管理者にとっては都合のよい存在なのだ。

足しげく企画室を訪れ、貴洋は販促小道具の製作を見守った。
平筆による一筆書きや飾り文字を珍しそうに眺める日もあれば、
雑談の中で私生活を曝すこともあった。

彼は生活に困窮しているようだった。
わずかな預金は又借りした店の使用料に消え、
運転資金の足しにアパートの電化製品まで売り払ったという。
売り上げが安定するまでは、
深夜に屋台を引いてでも生計を維持するつもりらしい。
その赤裸々さに圧倒された私は、できる限りの協力を約束した。

その頃の私は、学歴や家柄に恵まれたタイ人との恋愛で
コンプレックスを抱えていた。
タイの彼のためにしてあげられことなど何もない。
それどころか、言葉や文化を習得するまでは足手まといだろう。
時が流れ、恋愛感情が薄れたらどうなるのだろう。
タイの暮らしでは自らの存在意義が何かしら頼りなげで、
国際結婚に挑む勇気が萎えていくばかりだった。

貴洋の依頼に応えることは、単に仕事に過ぎなかった。
とはいえ、熱烈に必要とされること自体が心地良かったのかもしれない。

                   
                   4 タイの恋人 に続く

2 UFO

自叙伝『囁きに耳をすませて』
05 /21 2020
            UFO⒉ 
         形状は円盤型、下はビル群ではなく生駒山だった


第一章 偶然は必然

2 UFO

生後6ヶ月ほどの洋を寝かしつけて、
近所の市場から帰る途中のことだった。

晴れ渡った空を眺めながら歩いていると、
突如としてUFOが目に飛び込んできた。
直線にして1.5㎞ほどの上空で、背後に広がる生駒山よりは低い位置に思えた。
その形状は典型的な円盤で、雲のような白っぽい色をしていた。
そばに2列に並んだ8機の発光体が浮かび、その動きの異様さに目を奪われた。
一瞬で消え、場所を変えて出現しては小刻みに振動しながら飛行を繰り返す。
人の目で追えないスビードにも関わらず編隊を乱すことがないのだ。
それは瞬間移動を実感するもので、私は唖然としたまま立ちすくんでいた。

「お、お宅にも見えてます?」
ふいに男の声がした。
並んで歩いていたのだろうか、見知らぬ男がおずおずと聞いてきた。
証人だ、嬉しい! 
これで誰かに話せると思った。
「ええ、確かに……UFOですかね」 
「……ですよね!」 
それが幻覚ではないことを確かめ合ったとたん、
男はいきなり走り出して近くの団地に消えた。

カメラを取りに行ったに違いない。
ワクワクしながら彼が戻るのを待った。
しかし母船のような円盤が動き始め、
オレンジ色の発光体が後を追いはじめた。
直後、UFO群はスピードを上げ、
長吉町の上空で墜落するかのように消えた。
瞬間的ではなく、すぅ~と流れるように、である。

その夜、昂揚した気分で貴洋に事の詳細を話した。

「アホか! お前狂ってんのんと違うか。
聖書なんか読むから、そんなもん見るんや。
変なこと言うたら、恥じかくんは俺なんやからな!」 
よほど虫の居所が悪かったのか、貴洋は吐き捨てるように言った。

瞬く間に怒りが甦ってきた。
結婚して2年もしないうちに夫は変貌していた。
ありふれた亭主関白ぶりではない。
妻の観念まで支配したいのか、好みの本はもとより
友人の素性にまで口をはさんで批評判断に明け暮れる。
その物差しはどこまでも損得勘定だった。
読んで得になるのか。
つき合って得になるのか。
友達の連れ合いの役職は何なのか。
趣味だろうが好みだろうが、金儲けのコツや知恵、
人脈に繋がらないものに価値はないというわけだ。

UFOの出現に動転して、
そんな夫に反感を持っていたことさえ忘れていた。
だが、今回ばかりは聞き流すわけにはいかない。

「あのねぇ、UFO見たっていうだけで……。
なんでそんなに頭ごなしに怒らなあかんの。
しかも、なんで聖書を引き合いに出さなあかんの。
UFOでも幽霊でも、もうちょっと中立的な見方をしたらどう?」 

貴洋の顔色が青ざめた。
ふだんはその辺で口を噤んだものだ。
だが、些細なことで狂人呼ばわりされる荒んだ夫婦関係を
正さないわけにはいかなかった。

「ねぇ、お願いやから話を聞いて。
今まで話さなかったけど、小さい頃から不思議なことがあってね……」 
作戦を変えてみた。
幼い頃の体験を告白すれば、
少しは理解してもらえるだろうと高を括っていた。

私が聖書に惹かれていたのは事実だった。
もっとも、理由は夫婦間の摩擦を解消したいという思いからで、
依存に値する教義であれば、信じることで自己主張を抑え、
夫への反感を鎮めたいと思っていた。
それだけに教祖や偶像を崇めることはもちろん、
組織化された団体に属する気はなく、
聖書の叡智に惹かれて読み続けたに過ぎない。
ただ聖書の神秘的な記述は、子供時代の不思議体験を
解き明かす入り口のように感じていたことは確かだ。


「母ちゃん、神山のおばちゃんが来るで!」
トマト畑の草をひきながら、8歳の私は眉間に出現する映像を言葉にした。
「よお~こんな子わやのぉ、なに言うがや」
母は呆れるように私を見たが、汗を拭うと再び草を引き始めた。

「ええバカんのぉ、足の悪い小母ちゃんが、こがいな山まで来るわけないやろ!」
母の反応では物足らないとばかりに、姉が詰るようないい方をした。
独居老人の神山に見込まれ夜間の伽として寝泊りしていた姉だけに、
私はバツの悪い思いで草取りを再開した。

「上野さぁ~ん」
息を切らしながら、神山が坂道を登ってきたのは数分後のことだ。
その表情や声のトーン、歩き方の全てが眉間に浮かんだ映像そのものだった。
しかし、単なる偶然とでも思ったのだろう。
母や姉は何食わぬ顔で神山に歩み寄った。

それから間もなく、近所の遊び仲間と冒険ごっこをすることになった。
誰も行ったことのない山奥に分け入り、草の生い茂る獣道を2時間ほど歩くと、
急な斜面に行く手を遮られた。左右は藪に覆われていたが、
斜面は木々に絡まる蔦を頼りに登れそうだった。
「どがいする。ここ登って上の方まで探検しに行くんか」
リーダーの三喜男が不安げに言った。
「なんか怖そうやな。登っても行き止まりかもしれんがやろ。
ほんなら、今のうちに引き返したほうが…」
同級生の一郎がいい終わらないうちに、眉間に鮮明な映像が浮かび上がった。

「行き止まりやないで。上まで行ったら平らになっとるけん、遊べるがぜ。
そこの赤土で10円玉磨いたらな、ピッカピカになるがよ。
ほいてな、洞窟に続いた緑のトンネルと、蔦のブランコがあるがぜ。
早よ行こや!」
そういい切ると、私は真っ先に斜面を登り始めていた。

「あいつ、前に来たことあるがに知らん顔してな!」
「ほやけんど、さっきまで初めての道や言うてたで」
仲間は口々にはやし立ててはいたが、登りきると一斉に歓声を上げた。
私が明言したとおりの光景が広がっていたからだ。

その夜、私は考え込んでしまった。
仲間にはすっかり忘れていたと釈明したが、記憶がよみがえらないのだ。
体験なら、いつ、誰と何のために、などの記憶が伴っているはずなのに…。

数週間ほど経った朝方、私はその場所で遊んでいる夢を見ていた。
不思議なことに前にも同じ夢を見たという自覚を伴っていた。

そうだ、夢で来た場所だったんや。
早く帰って仲間に説明しよう。
そう思った瞬間、何処からともなく彼らが現れてテレパシーの会話をした。

「ふ~ん。夢で知っとったんか、早よ言うたらええがに」
「あのときは思い出せんかったがよ。ほやけんど良かったわぁ、信じてくれて」
「ごめんな。疑って……」
隠し立てのない心のやりとりが、同時進行で瞬時に伝わった。
「いつも、誰とでも、こんなふうに解かり合えたらええがになぁ」
声を出して感動を伝えようとしたとき、私は眠りから覚めた。

                次回3フラストレーションに続く(笑)

風子

1952年、愛媛県生まれ。
子供時代は予知夢をみるような、ちょっと変わった子供。

40歳の頃、神秘体験をきっかけに精神世界を放浪。
それまでの人生観、価値観、死生感などが一新する。
結果、猛烈営業マンから一転、43歳で鍼灸師に転向。
予防医学的な鍼灸施術と、カウンセリングに打ち込む。

2001年 アマチュアカメラマンの夫と、信州の小川村に移住。晴耕雨読の日々を夢見るが、過疎化の村の医療事情を知り、送迎つきの鍼灸院を営むことに。

2004年 NHKテレビ「達人に学ぶ田舎暮らし心得」取材。

2006年 名古屋テレビ「あこがれの田舎暮らし」取材。

2006年 信越テレビ「すばらしき夫婦」取材。
      
2008年 テレビ信州「鹿島ダイヤモンド槍を追え」取材。

2012年 12年の田舎暮らしにピリオドを打ち大阪に戻る。