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11 受容

自叙伝『囁きに耳をすませて』
09 /15 2020
幻想夜景

第二章 内なる旅

11 受容

それから半年ほど経った頃、須藤に災難が降りかかった。
医学生だった長男が脳腫瘍の手術を受け、
執刀医の予想とは裏腹に植物状態になったという。

ハンサムな正史の顔が浮び、私は言葉を失っていた。
歩行時にびっこを引く息子に気づき、
手術を受けるまで1週間だったらしい。


術後1ヶ月が過ぎた頃、鹿児島医大に入院していた正史を見舞った。
だが、ベッドに近づいた瞬間、血が気が引いた。
そこには廃人のような正史が横たわっていたのだ。

屈曲して硬直したままの手足が無残なばかりか、
放射線治療の跡だという赤紫のケロイドが、
耳の後から頭部に続いていた。
空間に向かって見開かれた目は正気を失い、
瞳が絶えまなく振動していた。

「正史くん……」

やっとの思いで声をかけたが、
胃袋から何かが突き上げて言葉にならなかった。
どうして、なぜ正史なのか……。
ああ、光よ。
こんな残酷なことがあっていいのですか。
この現実さえも必要で起きているというのですか。
私は無謀にも神を呪っていた。

「正史……ま・さ・ふ・み~ 
俊ちゃんが来てくれんしゃったとよぉ」

私に気遣い、須藤が大声で話しかけた。
するとどうだ。正史の顔面が紅潮し、
焦点の定まらない瞳からポロポロと涙がこぼれた。
母の声だけに反応する唯一の意思表示だと聞かされた。

押さえきれずに嗚咽した。
正史はわかっている。
愛しい母の声だとわかっているのだ。
それでいて声はおろか、目で訴えることさえ叶わないなんて。
苦しい。
キリキリと胃が痛んだ。
だが須藤は、その何倍も苦しんだに違いないのだ。
なんど胸をかきむしったことだろう。
彼女の長い1ヶ月を思い、とめどもなく涙が溢れた。

「ありがと、俊ちゃん。そんなに泣いてくれて。
私は涙も枯れた。けど、今となっては生きていてくれるだけでも……」

彼女が、私の手を握りしめた。


病院を出て桜島の露天風呂に向かった。
瞬間的とはいえ天を呪った自分の愚かさを詫び、
正史に降りかかった災難のわけを知りたいと思っていた。


「光よ、もう一度、その姿を見せてください」

目を閉じて光が現れるのを待った。
しかし、いつまでたっても視界の中は暗闇のままだった。

正史の悲惨な姿に囚われるばかりで、
無の境地になどなれそうもなかった。
暗闇の中で、私はただ祈っていた。
あるがまま受け入れるなんて、今は勘弁してください。
ですが、友の身に起きた耐えがたい状況の意味を教えてください。

いつまでも、応えはなかった。


半年後、須藤夫妻は息子を自宅に引き取った。
度重なる放射線治療も効果がないばかりか、
執刀医の突然の転勤に不信感を持ったからだ。

医師たちは自殺行為に等しいと非難したらしいが、
夫婦は問答無用と正史を抱いてタクシーに乗せたという。

「家に帰ってきたら穏やかな顔になって。
離乳食のようなもんだけど良く食べるようになったし、
お風呂にも抱っこして入れてやるし、良く寝るしねぇ。おかげさんで」

ある日、須藤から経過報告の電話があった。

「すごいねぇ須藤ちゃん。ほんま、心から尊敬する」

「なんの、俊ちゃん。
正史がこんな事になったとは、私のせいだもんね」

「……なんで?」

「なんでって、私が浮気心なんか起こして。余所見してたもんね。
神様のバチが当たったとよ。
あの頃、早苗も下の息子も性根が入っとらんで、
家族がバラバラな感じだったと。
ところが正史がこうなってからというもの、家族が一致団結してね。
フラフラしとった下の息子も主人の跡継ぐって言い出したし、
早苗は看護士になるって決めたみたいで、
正史の面倒も良く看てくれるようになって。
ほんなこつ正史は、私たち家族をひとつにするために
病気になったようなものでした。
俊ちゃん、心配かけたね」

『早起き会』なるものに入会した彼女の声は溌剌としていた。
会では全てを自らの行いに照らすらしい。
人生を修行の場と捉える須藤らしい選択だと思った。

「偉いね、須藤ちゃん。けど、自分を責めたらあかんよ。
自分を責めたら正史くんは犠牲者になってしまう。
神様は誰に対しても、どんな状況にも罰なんか与えへんよ。
一見、浮気に見える彼氏との再会もそう。
自分の気持に正直に行動したからこそ、
ご主人の素晴らしさに気がついたんやし。
須藤ちゃんのせいではなくてね。
正史くんは家族や周囲に学びの機会を与えるために、
魂レベルでこうなることを望んだんや。私はそう思ってる。
あかの他人の私にまで、彼は凄い影響を与えたもん」

「俊ちゃんに?」

「そう……私は魂を揺さぶられた。
今生での須藤ちゃんは、愛する息子の悲惨さに
苦悩する母親役を背負ったんやね。
正史くん本人もだけど、須藤ちゃんも凄い魂やわ。
私だったら耐えられへんかったと思うよ。
神を呪い、医者を責めはしても、
植物状態の息子を引き取るなんて勇気、絶対に持てなかったと思う。
須藤ちゃんは母として最高の愛を示したんや」

電話の向こうで、須藤が嗚咽を漏らした。

「俊ちゃん、ありがとね」

「ううん、関わらせてくれてありがとう。
須藤ちゃんに巡り合って、ほんまに良かったと思てるよ」

彼女なくして今の自分はない。
私は心底そう思っていた。
光との遭遇を含めて、彼女の一家に起きた出来事に
宇宙の法則を見たような気がしていたのだ。

物事は起きた時点では中立だ。
そして、それをどう捉えるかは個人の選択にかかっている。
そして、その選択によって未来が決まることを知っていた。


自然化粧品の販売に力を注ぎ始めた頃、
またしても貴洋から電話が入った。
自己破産を目前にして、
膨れ上がった借金の利息に追い立てられているようだった。
さすがにコンビニ経営は諦めた様子だったが、
賃料の低いガレージでの居酒屋経営を思いついたらしく、
その収入で利息分だけでも捻出しようと目論んでいたのだ。

「500万? そんな余裕はないわ。
いっそ死んで生命保険で清算したら?」

私は情け容赦なく言った。

「死ねるもんならとっくに死んでる。
生命保険に入り直して1年経ってないんや」 

「兄弟はどうしたん。こんなときの肉親やないの」

「頭は下げた。けど、どないもならんのや。
当たれる所は全部当たった。
そうでなかったら別れたお前に頼むわけがないやろ。
俺にかって意地はある。頼む。
1年経ったら自殺してでも返すから」 

「500万なんて、今の私にそんな甲斐性はないわ」 

「400万でも300万でもええ。なんとか頼む」

貴洋は震えていた。
口惜しさに胸かきむしられていることは察しがついた。
しかし、速答はできなかった。
化粧品の仕入れに400万ほど使ったばかりで、
300万の運転資金しか残ってはいなかった。
返事を保留にすると、電話の向こうで消え入るような声がした。

「すまん。返事、待ってるから」

ビッグセールスマン時代ならまだしも、ローンを一括返済したうえに
仕事に対する意欲が欠落して久しかった。
化粧品の代理店を始めたとはいえ、その採算性に自信はなかった。
よりによってなぜ今なのか。

何者かによって、意識の在り方を試されているような気がした。
充分な貯えから出すのではなく、
なけなしの300万を手放す意義に焦点を合わせてみた。

すると、内なる自分が語りかけてきた。
執着を解き放つチャンスかも……。
なるほど。
『あなたの出すものが得るもの』という法則を
実践する機会なのかもしれない。
そう捉えることにした。

しばらくして貴洋が借用書を送ってよこした。
それを眺めながら苦笑いせずにはいられなかった。
「人に金を貸すときは領収書なんか当てにせず、くれてやったと思え」
それが彼の口癖だったからだ。

それにしても自分の楽天ぶりを誉めてやりたかった。
無一文だというのに大して不安も感じなかった。
肺に残存する全ての息を出し切り、
反動を利用して大量の空気を吸う呼吸法のように、
自然の法則によるバックアップを信じていたのかもしれない。

    次回投稿は10/1  12『この世とあの世の狭間で』に続きます。

10 類は友 ①

自叙伝『囁きに耳をすませて』
09 /01 2020
仲良しイルカ



第二章 内なる旅

10 類は友 ①

ある日、高野山に住む山本という顧客から電話が入った。
宿坊勤めの傍ら精神世界を探求する気の合う女性だった。

「私な、どうしてもあんたに会って欲しい人がいるんよ」 

律儀でせっかちな彼女が早口で切り出した。 

「あんな、この前20年ぶりに友人が訪ねて来たんやけど。
その子、明神ていうんやけど、短大時代の友人で京都に住んでてな。
まぁ、そんなことどうでもええわ。
とにかく突然、遊びに来てな。
チャクラっていうんか? 
瞑想の話から始まってシュタイナーがどうの、
ホーキング博士の宇宙論がどうの。
なんや訳のわからんこというんやわ。
なんや俊ちゃんにそっくりやなぁ思て。
彼女の言うことはいまいちよう解からんけど、
俊ちゃんとならピッタシ話が合うような気がしてな。
何んやわからんけど電話せな思て……」

西洋の書物にはなじみがない彼女らしく、
直感だけを頼りに会う必要のあることを仄めかした。

「ふ~ん、どんな人」 

「どんな人て……変わった子やで。
大学時代はそんなことなかったけど、久し振りに会うたら、
えらい変わっててなあ。
高野山の参道にある大きな木に抱きついてな、
パワー下さいっていうんやわ。
な、俊ちゃんに似てるやろ?」

『心の準備ができていたら、全ての準備は整っている』という、
ジョセフ、マーフィの言葉が脳裏に浮かんだ。
霊的な会話に餓えていた私は二つ返事で会うことを承諾した。
昔ながらの迷信やご利益主義の信仰を重んじはしても、
身近に精神世界を語れる人がいなかったからだ。
山本の情報は、新たなソールメイトの出現を直感させた。

電話で服装などの特徴を示し合い、
阪急梅田駅にある紀伊国屋書店の前で明神と待ち合わせた。

どこか品のある顔立ちのせいだろうか。
ショートヘアーが細身の体形にマッチして
京都人らしいセンスの良さを感じる女性だった。

近くの喫茶店に移動し、目前にコーヒーが置かれるまで
私たちはただ見つめ合っていた。

「あんた、宇宙好きかぁ」

しばらくして京都弁で彼女が訊ねた。
プロフィールには興味がないような、そのシンプルさが心地よかった。

「好きです」

私は端的に答えて微笑んだ。

明神の目に涙があふれ小刻みに身体を震わせた。

「い~や、鳥肌が立ったわ。あんた、すごいなぁ」

明神が、私の波動を感じ取って言葉にした。
同感だった。
体裁にこだわることなく、初対面のひとときを
フィーリングに委ねられる相手など滅多にいない。
しかも精神世界ではなく、宇宙という包括的な表現で感性を測る
非凡さに圧倒されていた。

心地良い沈黙の最中、涙が互いの頬を濡らしていた。
魂が響きあうような友の存在をどんなに待ったことか。

明神は昭和21年生まれ。
私より6歳年上の九紫火星だという。
かつては知的障害児や、登校拒否児童のための塾を経営。
現在は自然化粧品の販売に携っているらしい。

化粧品に関してはまったく興味がなかった。
だが、宇宙好きのメンバーが揃っていると聞き、
即座に考えを変えた。
精神世界を共有できる仕事なら何でもいい。
フリーの今こそ、気ままな寄り道を楽しんでもいいではないか……。
 

3カ月のフォロー期間を終えて通販会社を退職。
明神の勧めで化粧品会社主催のセミナーに出席することにした。
化粧品そのものに関心はなかったが、
明神の放つ神秘性、カリスマ性に惹かれていたからだ。

セミナー会場となったホテルの大広間では、
まず環境問題の講演が行われた。
油にまみれた海鳥の姿や、ダイオキシンによって起こる
生殖臓器の異常などがスクリーンに映し出され、
環境汚染の深刻さが人々の倫理観を揺さぶった。
といっても、人体への影響となると実感を伴わないものだ。
そこで話は石油関連製品に絞り込まれていった。
安価で利便性に優れているとはいえ、
それらは直接的に人々の健康を蝕んでいるというわけだ。

石鹸や洗剤が石油から作られていることは周知の事実だが、
意外にも化粧品の大半が石油で作られ、
多くの女性が皮膚障害で苦しんでいるという。
しかし、メーカーは認めないらしい。
医師を顧問に抱え込み、その因果関係をもみ消しているというのだ。
続いて皮膚障害の恐るべき件数が読み上げられ、
スクリーンには見るも憐れな症例が映し出された。
会場が騒然となったのはいうまでもない。
要するに石油系の化粧品は使うべきではない、ということなのだが、
問題は見分けられる知識だ。
箱の裏面に表示された成分の全てがわかる者は少ない。
有名メーカーというだけで安心する者もいれば、
指定成分を有効な成分だと勘違いする者もいるわけだ。

指定成分とは表示する義務のある成分。
言い換えると人体に有害な成分という意味だ。
そう説明された瞬間、会場のいたる所でどよめきが聞こえた。
だとすれば、自分たちが使う化粧品の成分を確かめないわけにはいかない。
自宅に帰って調べてみよう、などと思っているうちに、
話は美肌に有効な天然成分の説明に移っていった。

それらは格別に目新しいものではなかった。
新発売のCMなどによく登場する成分ばかりで、
大抵の女性が使用済みだろうと思ったほどだ。
だが問題は石油系の添加物が混入していることにあった。
それらが混入していれば、天然成分による美肌効果は
得られないというわけだ。

果たして添加物なしで日持ちする化粧品などあるのだろうか。
誰もが興味津々で舞台を凝視する。
そこで天然成分を損ねず長期保存ができる
バクテリアプルーフボトルと称される容器の登場となった。
それは逆流を防いだプッシュ式のボトルで、
化粧品を詰めるまでは無菌室で製造されるということだった。

セミナーはフィナーレを迎えた。
ドレスに身を包んだ数人の女性が舞台に現われ、
拍手をしながら主役の登場を待つ。

音楽がセンセーショナルなものに変わった。
それを合図に舞台の裾からスーツ姿の女性が現れ、
聴衆の間をゆっくりと歩き始めた。
使用後の美肌を間近で見せるためのデモンストレーションだ。
聴衆は歓喜して立ち上がり、彼女に割れんばかりの喝采を送り続けた。

人の列が乱れたのを幸いに退散し、
私は喫茶店でセミナーの全容解析に耽っていた。


女性の肌は確かに美しかった。
だが、会場の雰囲気に違和感があった。
商品開発のコンセプトは別として、
カルト集団にも似た聴衆のエキサイト振りが不自然なのだ。

あれは人々の本心だろうか。
だとすれば、よほど情報に疎い連中が集まっているに違いない。
なぜなら今や食品添加物の危険性や、環境汚染などは誰もが知っている。
明太子や漬物類に混入する色素、日持ちの長い豆腐、半練り加工食品の多くに
防腐剤が使われていることは誰もが承知している。
しかし、その危険性を顧みる主婦は少ない。
目に見えず匂いもしないからだ。
人は、見えないものを長期に意識することはできない。
それよりも見栄えや、日持ち、価格などを優先してしまう。
その典型的な例が、いまひとつ売上の伸びない無農薬野菜だろう。

いまどきの主婦は、青虫や糞にまみれた
ボロボロのキャベツを見ると卒倒しかねない。
だからといって、天然の害虫駆除剤や人手に頼れば高値すぎて敬遠されよう。
だが、それらの危険性を売りにしたらどうだろう。
自然化粧品を売りながら、その延長線で食品添加物や、
環境汚染の問題をクローズアップし続ける。
いっときの意識ではなく、繰り返すことで常識から習慣にまで浸透させる。
自然化粧品を愛用することで日々の暮らしを自然回帰へと誘導するわけだ。
しかも、善いことを広めて豊かになれるとしたらどうだろう。
熱狂にも納得がいくというものだ。

販売員は子供の手が離れた専業主婦が望ましい。
プロのような貪欲さはないので消費者とのトラブルも少ないはずだ。
また、主婦は会社側にとってもコントロールしやすい。
世間知らずで意欲が半端となると、
組織に忠実で半旗をひるがえす確率も低いからだ。

ん? 偉そうに、自分はどうなのだ。
良い物を広めて生活できるなら、と、思い始めているではないか。
そうなのだ。
肯定的に捉えれば、指定成分に着目して危険性を指摘し、
その対極にある安全、安心をクローズアップさせた社長が
大した男に思えないこともない。
ただ、気がかりなのは販売方法である。

メイト、キャプテン、親キャプテンなど、定められたルートでの
商品仕入れと報酬率というシステムはマルチ商法に近い。
健康食品のアムエや、下着のセシール程度の仕入れ単位ならいいが、
30万ともなると、いささか疑問は残る。
早速、法的にクリーンなのか否かを念入りに調べた。


ふむ……まぁ、やってみるか。
猜疑心に囚われず、あるがままを観てみよう。
見きわめた後でも未来はあるのだから……。

結局のところ、ミイラ取りがミイラになっていた。
それからというもの頻繁に京都に通った。
勉強会での明神の話が聞きたかったからだ。

彼女は卓越したカリスマ性を持っていた。
意識的存在のバシャールを愛し、
シュタイナーのカルマ論を自在に操る能力は、
神秘的で崇高な魂を想像させた。
さらに彼女が私を必要としたわけも理解した。
メンバーには宇宙好きが多かったが、
彼女の高度な話を理解できる者が少なく、
大衆向きに要訳して欲しかったようだ。

代理店になるには、5人のメイトを抱える必要があった。
メイトとは1回の仕入れ額が30万の顧客のことで、
一般消費者への小売を行うポジションの者をいう。
すでに4人のメイトを抱えていた私は、
5人目として鹿児島の須藤を誘おうと思っていた。
だが、つもりは先方からやってきた。

「俊ちゃん、最近、頭に化粧品が浮かぶんだけど。
あんた、何か考えっととね」 

須藤からの長距離電話に、思わずギョッとした。 

「えぇっ! 私の考えていることが解かるの?」 

「強烈なテレパシー送るとなると、あんたしか思いつかんとよ」 

仰天した。
彼女を思い浮かべはしたが、テレパシーを送ったつもりなどなかったからだ。
詳細を話すと須藤はすぐに合点した。
しかも盆休みを利用して研修を受けに出てくるという。

「けど、須藤ちゃん、今から飛行機のチケット取るのは難しいんと違う」

盆は一週間先に迫っていた。 

「なんの、あなたが必要なら空きがでますと」 

「?……」 

それから数日して、またしても彼女から電話があった。

「俊ちゃん、もう思うの止めて、頭痛くて……。
チケットは取れたから」 

「何んのこと? 私がチケット取れるように念送ったって?
……そんなアホな」 

「まぁよかよ。あんた信じんでよか。
私はあんたに伝えて頭痛が治りました。
じゃ、合える日を楽しみに」

そういうと、須藤は慌しく電話を切った。


わが家を宿にして須藤の研修がはじまった。
明神宅での勉強会や会社主宰の各種セミナーにも参加して、
添加物や色素、薬害の知識を学び、
化粧品の代理店を開く意義などについて話し合った。

二週間が経ち、ハードな日程の消化を労おうと二人で祝杯を揚げた。

「おかげさんで出てきた甲斐があった。
やっぱり、大阪は活気があってよかねぇ。
化粧品のこともいろいろ解かって、頑張らねばっていう気持になったとよ。
アー、酔いが回って気持のよかぁ」

須藤が満足そうにソファに寝転がった。

「それにしても理解のある夫やね。
二週間も家空けて文句のひとつも言わんの?」 

ビールを煽りながら彼女に聞いた。 

「おかげさんで。ほんなこつ、ようでけた人でありがたかぁ。
けど、いい人過ぎてもの足らん。なんかこう、刺激のなかよ」 

「贅沢な悩みやんか。
お見合いのわりには優しい旦那に当って羨ましいこと」 

「ハイハイ、罰があたるかも。
ところで俊ちゃん、罰当たりついでにお願いがあると」 

珍しく真剣な目で須藤が言った。 

「明日の晩、出かけて来るから。
家から電話があったら適当に言い訳しといて」 

「おや、誰かとデイト? 真面で?」 

「ハイ。25年ぶりに昔の婚約者に会いますと」 

「婚約者……そんな人いたん?」 

「いたのよ。親に反対されて泣く泣く分かれた愛しい人が。
1年ほど前に鹿児島でバッタリ逢ってね。
大阪から出張で来たらしいけど、そのときはゆっくり話もできんで。
なんか、心残りでね。死ぬまでに1回でいいから、
彼と過ごす時間が欲しいと思って。
主人の手前、今回の研修を口実にしたってわけ。
俊ちゃん、罪かな?」 

突如として標準語で話す須藤の目が、真っ直ぐに私を見た。 

「いいんと違う? 長年の想いなら遂げた方がすっきりするし。
ただ、本気になったら……想像以上に燃え上がったら、どうする」

心を込めて彼女を見つめた。

「ああ、それはナイ、ナイ。
主人ほどいい人はいないからね。
純情で、親切で、バカみたいに正直で。
第一、今更どうなるもんでもないし。
ただ、引き裂かれたときの無念さが残ってね、
自分にけじめをつけたいだけ」

寂しそうに彼女がいった。 

「だったら、喜んで協力するよ。存分に楽しんどいで。
旦那から電話でもあったら、友達の所に行ってるって言っとけばいいんやろ。
えぇっと、何処だっけ、同級生が嫁いでるってのは」 

「高槻……」 

「そうそう。遅くなったら泊まるかもって感じでいえばいいね。
まさか出先まで追っかけて電話するような人じゃないでしょう?」 

「ナイ、ナイ。急用でもない限りね。悪いね、俊ちゃん」


結局、須藤は二晩のデイトを楽しんだ。
案の定、最初の夜に彼女の夫から電話があったが、
外出の旨を伝えると、妻が世話になって、などと礼を言い、
早々と電話を切った。
彼には心の中で謝るしかなかった。


「ねぇ、ご主人ってやきもち焼き?」

朝帰りの彼女に聞いた。 

「電話あったね?」 

「まぁ一応……。私にお礼言ってたけど」 

「どこに行っても、必ず電話はかけてくると。
惚れられるっちゅうのも辛かもんです」 

「へぇ、へぇ、よくいうよ。
けど、電話はしといた方がいいと思うよ」 

そういうと、彼女はすました顔で受話器に手を伸ばした。


2週間が過ぎ、すっかり化粧品に惚れこんだ須藤は、
代理店を開く決心で意気揚々と鹿児島に帰って行った。
彼氏とのアバンチュールはさておき、
自営業者の妻で3人の子の母という立場を思えば、
行動力と家族の協力体制に敬服したものだ。


勉強会を兼ねたデモンストレーションや、専門家によるセミナーは
近畿一円のホテルで行われることから、代理店をスタートさせた須藤は
3ヵ月に1度ほどのペースで顧客を連れて来阪するようになった。 

「その後、彼氏とはどうなってんの?」

恐る々、訊ねた。 

「ああ、そうね。
最近また鹿児島に出張するようになって2、3回は逢ったけど。
なんかね、25年もたつと互いの人生観や価値観が違うような気がして。
友達関係でいようってことになりました。
俊ちゃん、私、やっぱりお父さんがいい。
改めて主人に惚れ直しましたと」 

彼女が照れくさそうに微笑んだ。 

「へぇ~、良かったやんか、ごちそうさま。
大阪に来た目的が彼氏との逢瀬だったらと思ってね。
正直、ちょっと気になってたんよ」 

「そうねぇ、化粧品のことがなかったら、
悶々としたまま結論出せなかったかも。
けど、神様に誓って第一の目的は彼氏じゃなかよ。
チャンスはもらったけど。
神様からそれで目を覚ませっていわれたのかも」 

「けど、25年経って旦那に惚れ直すって羨ましい。
旦那もいい人なんだろうけど、そう思う須藤ちゃんは
もっといい人なんやわ」 

「そういってくれる俊ちゃんに会えて良かった。
化粧品、頑張らねばね」 

「ほんまや」 

こうして、私たちは変わらぬ友情を誓った。
売る物は化粧品でも生活全般に自然回帰を促がす集団のメンバーとして、
共に社会に貢献したいという信念に燃えていた。


          次回投稿は9/15『11受容』に続きます。

9 神秘体験

自叙伝『囁きに耳をすませて』
08 /15 2020
           命


第二章 内なる旅

9 神秘体験

数ヵ月後、私は大幅に仕事量を減らした。
自分が幸せでなければ、洋の私に対する思いやりも
無意味になると悟ったからだ。
すると、認めたら負けだと恐れた仕事にも
正直に向かい合うことができた。

フルコミッションの営業職は精神状態が刹那的で不安定極まりない。
しかも継続が未来の力になる可能性は低い。
したたかさと饒舌さを身につけるぐらいのもので、
使い方によっては人格を損なう。
金銭的に切羽詰まっていなければ避けたい仕事だとわかっていた。

意識して時間をつくり、水泳やヨガなどを通して自分に向かい合った。
出来事に一喜一憂する人生ではなく、
結果の原因である観念の改造にとりかかった。

中でもヨガには強く惹かれた。
大勢でマントラを唱えるときの
大自然と共鳴するような荘厳な響きに我を忘れた。

呼吸という名詞の頭文字は吐く行為にも関わらず、
呼ぶという文字をあてがっている。
吐いて吐き尽くせば、反動として大量の空気を吸う結果になることから、
古人は吐くではなく呼び込むという意味の「呼」を採用したらしい。

呼吸法の実践は、意識して古い息を吐ききることから始まる。
ヨガの教えは古いものを出さなければ新しいものを得られないという、
生き方の原点を説いていた。

切なさに似た孤独感は払拭された。
だが、バイク事故の引き金になったブルーの球体は何だったのか、
半強制的とも思える事故の意味とは何なのか。
私は、神を脅迫しかねるような情熱を抱いて答えを求めていた。


そんなある日、鹿児島の顧客から電話が入った。
短期間で友人同然の会話を楽しめるようになった須藤だった。

「俊ちゃん、遊びにこんね」 

開口一番、彼女はいつになく興奮した調子でいった。

「えっ! 鹿児島まで?」 

「何が驚くことがあるもんね、飛行機ならひとっ飛びじゃなかね。
俊ちゃんを連れて行きたい温泉があると。
あんた、働くばかりが能じゃなかとよ。
たまには頭ん中、洗濯ばせんね」 

内心、ドキッとした。
数日前から、ぶらりと旅行でもしたいと思っていたのだ。
いつもなら、商品の使用状況や雑談が先行するのだか、
よほどの意図があるのか誘いに力が入っていた。

「ほんま、行こうかな、須藤ちゃんの顔見に。
そうや!3年にもなんのにお互い顔知らんもんねぇ。
よっしゃ行くわ、決めた」 

「あれまぁ、それこそ俊ちゃん。嬉しかねぇ。
温泉三昧して、いっぱい話そうね」 

そういうと、須藤は商品にも触れずに電話を切った。
ワクワクした。須藤はソウルメイトかもしれない。


鹿児島の空は快晴だった。

「まぁ、まぁ、何日も降り続けた灰が止んで、桜島が歓迎しとらっしゃる。
俊ちゃんは不思議な人だが」 

ハンドルを握りながら須藤が言った。
写真より老けて見えたが、笑うたびに見える歯並びの美しさが
心の在り様を映しているように見えた。 

「うまいこといって、憎いねぇ。
そんな言い回しされたら気持ち悪いやんか」 

「ほんなこつよ。たまげたぁ。桜島は人を見るけんね」 

冗談とも本気ともとれる飄々とした言い草は、
須藤のたまらない魅力のひとつだ。
とりとめのない世間話の中で核心を突き、
こちらが真剣になると肩透かしをくわされる面白い顧客で、
彼女となら営業の裏話さえも楽しむことができた。
それでいて互いがプライバシーに触れることはなかった。
知っているのは家族構成ぐらいだ。

「ヘぇへぇ、3日ほどたってから言うて。
そやないと嵐の前の静けさちゅうこともあるし。
へんな奴が来た思て大噴火するかもしれんし…」 

「ヘ、ヘーイ。俊ちゃんのエネルギーならあり得るかも」

須藤は同類のような気がした。


雄大な桜島を背景に、
私たちは錦港湾に面した浜辺の露天風呂を楽しんでいた。

風呂の奥は、榕樹の木の巨大な磐根がせり出し、
洞窟の入り口のような空洞を形作っていた。
空洞の壁側は磐根の台座のように磨き抜かれ、その所々に、
弁財天や十六童子をはじめ商売、長寿、愛情などを司る神々が鎮座していた。
神秘的だったが日本特有の宗教色を放っているためか、
おどろおどろしくさえあった。
神聖な場所だということで浴衣を着て入浴することがルールだった。

静寂な時が流れ、打ち寄せる小波が子守唄のように心に響いていた。
そのとき、沈黙を破るように1人の男が須藤に声をかけた。
私に会釈して須藤と親しげに話す様子から、
温泉を勧めてくれた鎌谷だと直感した。

もと教師だった鎌谷は思うところあって仏門に入り、
派遣僧侶として観世音菩薩を奉るホテルの研修室に勤務しているらしい。
僧侶時代の生計手段として、電気工事店を営む須藤が
鎌谷に経理を任せてからの縁だと聞かされていた。

よほど久しぶりだったのか2人は長い間小声で話し込んでいた。
私は彼らから離れて風呂の中ほどにある『瞑想の岩』に登って座禅を組んだ。
気を利かすつもりだったのだ。
気配を察した須藤が振り向いたが、私は瞑想に耽る振りをした。

閉じた目の中は真赤に染まっていた。
その、純粋で鮮やかな原色に心を奪われていると、
視界はオレンジから黄色に変わった。
さらに黄色は薄緑から鮮やかなブルーに変わり、
視界は濃い紫色で覆われた。

その瞬間、畏れをなして目を見開いた。
紫は『第三の目』といわれるチャクラの色だったからだ。
目前に話し込む須藤と鎌田の姿があり、白くたなびく雲の間から見える青空と、
開聞岳に続く錦江湾の紺碧の海が横たわっているのが見えた。

ふと、時間稼ぎの瞑想が、仕組まれているプロセスの一環に思えた。
須藤からの突然の誘い、それも仏門に生きる人を介して風呂を勧められ、
その風呂が貸切だったばかりか、
友は世間話に夢中になっていたのだから……。

再び目を閉じた。
すると、またしても視界がチャクラの色に覆い尽くされた。
尾底骨の先端に宿るチャクラの赤に始まり、
オレンジ、黄色、緑から青、そして究極の紫へと。
それらは微妙に濃淡を変えながら、留まることなく変化を繰り返していた。

心は空っぽだった。
流れ落ちる水の音、打ち寄せる波のざわめき、
かすかに頬を撫でる風を感じながら、
それら全てに浸透し拡散している自分を感じていた。
私は、風であり波であり水になっていた。
須藤と鎌田の話し声が聞こえているにも関わらず、
それはどこか遠いところで聞いているような静寂さに満ちた世界だった。

「あらら……俊ちゃん、どうしたん」 

その声で我に返ると、2人の目が真っ直ぐに私を見ていた。 

「えっ……なんで? 何んかあったん」  

「あんた、すごいオーラだったよぉ。びっくりした」 

須藤が目を丸くして言った。
驚いたのは私だ。
遠く、下のほうから聞こえていた彼女の声が、
突然、目の前で聞こえたことにも増して、
彼女に人のオーラが見えるなど想像もしていなかった。 

「えぇっ、オーラ……私に?
須藤ちゃん見たん?……羨ましい」

照れくささを隠すように、さっさと瞑想の岩から降りた。
なにかしら昂揚感に足が震えた。

「どうでしょう。瞑想室が空いてますし、本格的に瞑想されてみては」

鎌田が言った。


企業の研修用プログラムの一環として利用されるという瞑想室は、
ホテルの奥まった所にあった。
そこに至る通路には温泉名の由来となった龍神にまつわる伝承記事や、
護摩法要の際に現れるという、菩薩らしき炎の写真が何枚も展示されていた。

すでに雨戸の閉まった瞑想室で鎌田が待っていた。
そこは等身大の観世音菩薩像が安置された百畳ほどの和室で、
蝋燭の炎だけの暗い部屋にクーラーの涼風が漂っていた。

私たちは菩薩像の視線が注がれる辺りに並んで座った。
まずは菩薩に合掌して、鎌田に言われるまま半眼で蝋燭の炎を見つめた。
瞑想へ誘う音楽と女性の語りが流れはじめ、
鎌田が忍び足で部屋を出て行った。

いつまでも落ち着けなかった。
菩薩像に当たって跳ね返っているのか、
エアコンの風が蝋燭の炎を揺らし続けていたからだ。

いいや、目を閉じてしまおうと思った。
そして、すぐに自らを疑った。
真っ暗のはずの視界の中に色彩の世界が広がっていったからだ。
しかも露天風呂のそれと同様、色彩は順序を経て紫色に変わった。
すると奇妙なことが起きた。
視界の左上方から白い……といっても、
蛍光灯よりは淡い白さの丸い光が降りてきて、
私の頭に光の粒子を放射し始めたのだ。

驚きのあまり咄嗟に目を見開いていた。
暗闇の中に出現した鮮やかなチャクラの色はまだしも、
七色目の白は神の光だと知っていた。
その領域に至った畏れと猜疑心から、目を開けて確かめようとしたのだ。

やはり蝋燭の炎は揺れ動き、そばに正座して瞑想する須藤がいた。
もしや、と思った雨戸は固く閉ざされ一筋の光さえ侵入していなかった。

悲しくなった。
内なる自分を知りたいと、どれほど切望したことか。
あの光は大いなる存在に違いないのだ。
それなのに、まさにその扉が開かれようとした瞬間にさえ
猜疑心を捨てきれなかった。
なんという愚かさなのか。
後悔で胸が締めつけられた。

疑ったりしてごめんなさい。
応えて下って感謝します。
心の底から詫びながら、私は再びその光を求めた。

紫色の視界に放射状の光の粒子が降り注いでいた。
ああ、神さま! 
そう感じとった瞬間、さらに奇妙な事が起きた。
私は視界を抜け、永遠とも思える空間に浮かんでいた。
しかも、肉体は赤ん坊だった。

四つん這いになった私は、巨大な白い光に手を伸ばしながら泣いていた。
懐かしさに心を震わせ、そこに帰りたいと訴えていたのだ。 

「知っている……」 

交差するように光が応えた。
それは言葉ではなかった。
精神に感応するテレパシーで、
私と光の両方向で瞬間的に伝達された。
心は幾分軽くなったが、それでも現世の矛盾や憂いを愚痴り続けた。 

「知っている……全ては、あなたが選んだ」 

2度目のメッセージと同時に、その記憶が全身を貫いた。
光の世界から今生に転生することを選択したのは
魂レベルの自分自身だった。

慈愛に満ちた光の粒子が全細胞に浸透していった。
光は、愛のエネルギーそのものだった。
想いの全てが浄化され、すぐさま自分の弱さを自覚した。
赤ん坊の私は、迷子が家に戻る道順を思い出しでもしたかのように、
しゃくりあげながら涙を拭った。 

「もう一度、やり直します。ありがとう……」 

そういって光に背を向けたとき、
肉体の耳に雨戸を開け放つ音が聞こえた。


夏の強い陽射しが部屋中に溢れ、
泣きぬれた顔が陽光に曝された。

「何かあったようですね」 

鎌田が訊ねた。

「えぇ、光を見ました。それに……」 

呆然としていた。
理性がエンストしたようで上手く話せなかった。

「良かったですねぇ、それは観音様の光ですよ」

答え終わらないうちに、鎌田が断言するように言った。

観音様かどうかはわからなかったが、
なぜかそれ以上説明しようとは思わなかった。
仏教という限られた世界観で説明できるような現象ではなく、
その光は大いなる全ての源だった。
どうしても擬人化するのであれば、それはエホバやキリストであり、
仏陀であり、アッラーなのだろうが、
泣きじゃくっていた赤子の私には親であり故郷だった。

無論、現世的な故郷感ではない。
絶対的で崇高な愛の源。
全ての魂が記憶する場所だと確信していた。
そこで光のシャワーを浴びると至福感が押し寄せ、
魂がリニューアルされた。
ああ、言葉では的確に表現できない。
感覚や知覚の全てが高揚感に満ちていて、
まさに“筆舌に尽くしがたい”状態を味わっていた。


「へぇ~素晴らしい体験をしたね」

市内に戻る車の中で須藤が平然と言った。 

「信じる?」

「当然……。私なんか、あなた、
しょっちゅう変なもの見てるし、感じてるがね」 

「変なものって?」 

「この世にいない人に会ったり、人の持つ波動のようなもん感じたり。
さっきも兄と話したばっかり」 

「へぇ~、人はいろいろやねぇ」 

「ハイ、人はいろいろですたい」

相変らずの飄々振りだ。 

「ところで鎌田さんとは久し振りのようやったけど、お邪魔やったんと違う」 

「アハハ……な~んの。
彼はたまに電話するくらいの友達。
俊ちゃんが来ること考えたら急に思い出して、
彼に温泉のこと聞いてみようと思っただけ。
けど、あなたのオーラを見て、なんだ、こういうことか、って、
私の方が驚きましたと」 

彼女はあっけらかんと答えた。
だとすれば、神秘体験に至る橋渡し役を予感しながら
瞑想に付き合ってくれたのだ。
鎌田の須藤への想いを感じとったからこそ瞑想の岩に登ったのだが、
全ては聖なる者の計らいだとしか思えなかった。

須藤とのざっくばらんな会話で緊張がほぐれると、
矢継ぎ早に疑問が浮上した。

赤子の姿で光と遭遇したのはなぜだろう。
未熟な魂の反映なのか。
それとも純粋無垢な心の反映なんだろうか。
そのいずれにも納得できた。
マザーテレサのような進化した魂なら、
使命感に突き動かされて邁進するだろうが、
私は今生の辛さばかりを愚痴り、神が存在するなら
見せて欲しいと懇願した未熟な魂に過ぎない。

巨大な光との遭遇……その意味はなんなのだろう。
聖書の『求めよ。さらば与えられん』を証明してくれたことは確かだ。
あれは、納得すると一心不乱になれる私へのエールだろうか。


大阪に戻った私は、足しげく書店通いをするようになった。
鹿児島での体験を一瞬の夢や、錯覚として終わらせないためだ。

光との対話によって人間関係の全てが個々の選択だと知った。
だが、それを日々の暮らしに生かさなければ意味はない。
UFOの目撃やバイク事故同様、周囲から変人扱いされるだけなのだ。

過去に触れた世界の三大宗教以外に、
読まなければならない本は沢山あった。
ルドルフ・シュタイナー、エトガー・ケーシー、ホイットン博士、
シルバー・バーチの霊訓はもとより、ホーキング博士の
宇宙論さえも理解したいと思っていた。
霊的な書物の類には、超能力や超常現象だけを捉えて
大衆受けを狙うものが多い。
それらは唯我独尊を唱えるカリスマや、
新興宗教の誕生を促すことはあっても、
魂としての自分を見失う危険を孕んでいた。
中庸の精神を保つには、霊的な側面と同時に
科学や物理学的な見解を知る必要があった。


読書三昧の日々が続くと、さまざまな現象に見舞われた。
テレビのスイッチが勝手に入ったかと思うと
停電でもないのに留守電が作動し、電器が点滅を繰り返した。
買ったばかりのファックスが壊れ、
築10年のマンションでラップ現象が起きた。
それらは低周波の悪戯と思えないこともなかったが、
肉体にもさまざまな変化が起きた。

眠ろうとすると、閉じた視界の中がスクリーンになった。
映像はさまざまな景色や人物だったが、
過去生を想像するにはあまりに瞬間的だった。
吐き気を伴う背中の痛みと、強烈なめまいに襲われた。
メニエール病を疑い大学病院で精密検査を受けたが、
自律神経性めまいと診断された。

嬉しい変化は植物の葉の先端に耀くオーラが見えたくらいのものだ。
それは有名な神社や寺の社内に限ってだが、
信貴山のように鳥居をくぐった瞬間、頭部に電撃が走るゾーンも体感した。
おかげで風水の知識がなくても、
それらが強力な磁場に建立されていることを実感できた。

70冊に及ぶ精神世界の書物を読み終える頃になると、
私の心に一大革命が起っていた。

尊敬と軽蔑を同時に集めたハングリー精神が崩壊し、
替わりに平安と寛容が生まれていた。

無意識のうちに創りあげた理想の自分。
良妻賢母やキャリアウーマンを目指し、
人々からの賞賛を得るために失敗を恐れた過去の自分が、
虚像だと思うようになっていた。
もっとも、未熟だったとはいえ貴洋のような人間と惹かれあった私だ。
いきなり覚者のように生きられるわけはない。
ただ、現実というものが意識の在り方で決まることは確信できた。
過去の意識とできごとを照らし合わせば、
今生の目的が紐解けるかもしれない。

相反する性格を持った両親の間に生まれることを望んだのはなぜか。
ハングリーと無欲、激情と寛容、収縮と拡張など、
両極端から学ぶものは中庸、調和、バランスだ。
だとすれば、私は過去生でいずれかの『両極端』を生きたに違いない。

タイ人との恋愛に恐れをなし、自らの存在感に固執したのはなぜか。
あるがままの自分に価値を認めていなかった。
何かを与えなければ愛される価値がないと思い込んでいたのだ。
過去生でも自己否定を繰り返したのだろうか。

何かにつけ批判メカニズムを働かせるのはなぜか。
自分の中の見たくない部分を露呈させないため。
自らを擁護するためだ。
『あるがまま』を愛するべきだと知ってはいるが、
私は未だ評論家ぶっている。
過去生で誹謗中傷の矢面に立たされていたのだろうか。

そうやって過去を振り返ると、
人としての初歩的な課題が鮮明になった。

欲望に対してバランスを保つこと。
自尊心を捨ててあるがままの自分を愛することだ。
そうすれば自分以外の人や状態に対しても寛容になれる。
それが習慣になれば、いつの日か全ての人、
状況をあるがままに愛せるようになれるかもしれない。

手始めに欲望に対するバランスをとろうと、
執着していた高収入を捨ててみることにした。
販売した商品に責任を持つため、
3か月のフォロー期間を設けて退職届けを出した。

すると、面白いことが起った。


      次回投稿は9/1 『10類は友』に続きます。

8 夜明け前

自叙伝『囁きに耳をすませて』
08 /01 2020
            宇宙神秘


第一章 偶然は必然

8 夜明け前

湾岸戦争と時を同じくしてバブルが崩壊した。
株価の暴落に始まり住宅の下落や不況によるリストラが報じられる中、
高校生になった洋からの便りで継母が出て行ったことを知らされた。
貴洋の予想を上回る借財に希望を失い、
連帯責任から逃れるために離婚したらしい。
彼女のよき相談相手だった洋としては
当然の成り行きとして静観したという。

それ以外の内容は主に父親の性格を客観視したものだった。
膨れ上がった借金を悔いるどころか、
証券マンの無能さを責めたてる父親の人間性に失望したが、
商売に関わる情熱や、抜け目のなさには敬服する部分もあるという。

日常的には母親不在を感じさせない器用な父であり、
自分は傍観者に徹していることなどが書き連ねてあった。
しかし、父親の生きがいであろうとする洋の意志が萎えている様子はなく、
むしろ女房役を演じているようにも思えた。

今ではトップセールスマンではなく、2、3番手に落ち込むことしばしばと
書き送った手紙に答えて、心憎いセリフで手紙を締めくくっていた。

「いいやんか、お母さん。学校の成績でも2番か3番がいい。
追いつき、追い越す相手の存在があった方が気持に張りがあるって、
いつも僕に言ってたやんか……。
けど、そうはいってもお母さんのことや、
しばらくしたら、また1位になるんやろな!」

息子は健気で頼もしい男に成長していた。
私は神に感謝した。
離婚による喪失感は草木の冬枯れに似ていたが、
根はそれらを肥やしに新芽を育んでいたのだ。

その夜、私は自分を抱きしめながら、さめざめと泣いた。
安堵から沸き起こる感謝の涙に続いて、
息子との平和な暮らしを夢見て我武者羅に走り続けた
自分への愛しさがこみ上げた。
その努力も、息子の公平な愛の前では意味を失っていた。
父親に対する同情にも限界が来るに違いない。
母性を求めるのは時間の問題だろうと、
期待し続けた私の完全な敗北だった。

涙が闘争心を溶かしていった。
夫への憎しみと自己嫌悪、息子に対する罪悪感が創りあげた闘争心だった。
フレームの中の洋は、はにかんだような微笑を浮かべて私を見ていた。

『洋……お母さんだって、お父さんと変われへん。
ほんま、洋が思うほど強くはないんやよ。
けど、お父さんみたいに死ぬなんて言えへん。
男のくせに卑怯や。』
私は力なく息子の写真に訴えた。

それから間もなく、貴洋から2度目の電話があった。

最初の電話は、再婚で子供が3人に増えたので
洋の財産分与が減るという愚痴めいたもので、
お前は再婚をせずに財産を洋に残すよう言い含める内容だった。
その厚顔ぶりには呆れて腹も立たなかった。
親バカを装ってはいたが、
自分のために私との絆を繋いでおこうとする画策に過ぎないと判っていた。

今回の電話がそれを証明していた。
コンビニ経営を思いついたらしく、借り入れに必要な
7000万の連帯保証人になって欲しいと言うではないか。
憎悪で背筋が凍りついた。
だが断る前に、平静を装って負債額を問い質してみた。
反応から察すると1億2、3000万のようだった。
家や株券を売却しようにも底値では、などという虫のいい話をしながら、
別れた女房にリスクを背負わせようというのだ。


無力感に苛まれる日々が続いた。
2年後には息子の大学費用を準備する必要があったが、
貴洋の絵に描いたような没落パターンを思うと気力が萎えていた。

貴洋が使い果たした6000万は、
私たち夫婦が馬車馬のように働いた12年間の結晶だった。
それが5年足らずで2倍の借金に変わったことにも増して、
金に蝕まれた貴洋の心理的プロセスを思わずにいられなかった。

貴洋は端から強烈にハングリーな男だった。
だが、無能な嫁をもらっていたらどうだろう。
実力以上の青写真など描かなかったのではないだろうか。
週刊誌の見出しのように『愚妻こそが夫を育てる』としたら、
貴洋の期待に答え続けた自分こそが、
この現実を創った加害者かもしれない。
そんな思いに取りつかれていた。


静寂な時間が訪れると、
私は再び『切なさに似た孤独感』に襲われるようになった。
過去に起きた肉体と意識の分離ではない。
胸のあたりに自我のような存在が現れてキューン、キューンと泣くのだ。

その感覚を最初に味わったのは17歳の頃である。
経済的な事情から高校に進学できなかった私は、
定時制高校に通える名古屋の某会社に就職していた。

自転車で通う学校までの道筋に教会があって、
毎回のように屋根の十字架に見とれていた。
近づくに連れて胸の奥がキューンと鳴き、その場所を離れられなくなった。
理由はわからなかった。
キリストや尼僧など、聖なる存在に憧れる思春期の感傷に過ぎない。
時折、そう自分にいい聞かせたものだ。
しかし、その後も十字架に対する奇妙な感情は高ぶる一方だった。
見つめているだけで懐かしく、畏敬の念や切なさが溢れて涙を流してしまう。
答えがそこにあるような気がして、ある日、勇気を出して教会の門を叩いた。
だが、ミサにおける儀礼や、寄付金の説明を優先する牧師の態度に幻滅した。
やっぱり、年頃の感傷に過ぎないんだ……。

切なさに似た孤独感は、結婚生活の最中にも頻繁に現れていた。
もっとも、夫との確執に悩み、早くから保育所に預けた
息子へ罪悪感に苛まれていたので、
原因は慢性的な欲求不満だと思い込んでいた。

それが人間関係や境遇にあるのではなく、
自らの内に潜む本質的な衝動だとわかったのは離婚後のことだ。

トップセールスマンとしての名声と豊かな暮らしを手に入れ
異性から愛されてもなお、その渇望感だけは癒えることがなかった。

貴洋の、絵にかいたような没落人生もだが、
結果によって善悪が入れ替わる人生の無常を知った私に、
切なさに似た孤独感が拍車をかけた。

物質や愛情を巡る喜怒哀楽の全てが空しかった。
それらに翻弄され続けた自分に愛想をつかしていながら、
本能的な衝動が何かを求めていた。
切なさに似た孤独感に曝されるわけが知りたかった。
人としての存在の理由が知りたかった。

渇望による叫びは、いつの間にか祈りに変わっていった。
何に対して祈っているのかはわからなかった。
聖書を研究はしても、私は基本的には無心論者で、
あらゆる宗教を否定していた。
宗教はどれも良いことを唱えてはいたが、
必ずといってよいほど組織を持ち、教会や神殿を建てて金を集め、
大儀名分のもとに権力を奮って統合と分裂を繰り返していたからだ。

気がつくと『求めよ、さらば与えられん』という
聖書の言葉を頼りに祈っていた。

大いなるもの、あるいは神、宇宙の真理に問います。
この切なさに似た孤独感はなんなのですか。
そのわけを示して下さい。
人間関係の無常については
自らの観念が反映された結果として受け入れます。
ですが胸の深いところでキューン、キューンと存在を示す、
あたかも遺伝子に刻まれたような孤独感は、
何によって埋められるのですか。


ある日、途方に暮れた精神を抱えて、
書店の前で山積みされた書籍を眺めていた。
すると『アウト・オン・ア・リム』という表題の本が目に入った。
まるで本の方から飛び込んできたかのようだった。
表題の意味はわからなかったが、
アメリカの女優、シャーリー・マクレーンの物憂げな眼差しに惹かれ、
何気なく小見出しのページを開いてみた。

全身に鳥肌が立った。
そこに、探し求めていた答えがあったからだ。
その本を買い求め、自宅に急行した。

幼い頃からの不可思議な出来事が一晩で明白になった。
驚きと興奮、共感と確信が心を埋め尽くし号泣していた。
その激しさでガタガタと机が揺れたが、
過去に流した多くの涙とは全く異質なものだった。

一切の罪や苦悩から解き放たれ、
清らかさと懐かしさの入り混じった不思議な涙だった。
転生の記憶を持つ魂としての自分が、
肉体を通して喜びを伝えているような奇妙な感覚を伴っていた。
この世に『悟り』などという境地があるとすれば、
"自らの本質に気づいた"その瞬間を指すのかもしれない。


翌日、仕事が終わるや否や、
書店に直行してシャーリー・マクレーンの本を全て買い求めた。
彼女が10年の歳月をかけて書き上げた本を、
まるで乾いた砂漠に水が吸い込まれるようなスピードで読み続けた。

数日で世界が変わっていた。
『切なさに似た孤独感』が跡形もなく消えて……。

    
         次の投稿は8/15(土) 『9神秘体験』に続きます。

7 一心不乱

自叙伝『囁きに耳をすませて』
07 /15 2020
           道幻想


第一章 偶然は必然


7 一心不乱

物件を買って3年というもの、
販売マシーンのような日々を過ごしていた。

顧客リストの配布件数は過去3ヶ月の実績に順じて配布される。
それを基に各自が目標を設定し、月初めのミーティングで自主申告する。
しかし、リスト効率が群を抜く私の目標設定は毎回無視され、
記録更新ゲームを観戦する支店長の希望数値に置き換えられた。
それでも毎回のように目標数値を受け入れた。
できるか否かは別として、挑戦者の存在は
営業所全体の士気を高めるとわかっていたからだ。

周囲の喝采と、自らのプライドに引きずられる
トップセールスマンの宿命として、
不可能とも思われる数字への挑戦が続いた。
寝食以外の時間はゼロに等しく、友人、知人との交流や、
遊びごとの一切に背を向けた。

数字は、自分との戦い以外の何ものでもなかった。
住宅ローンの返済に目途がつくと、途切れそうな集中力を持続させるため、
投機目的のワンルームマンションを買って新たなローンも背負ってみた。
また早い段階で目標をクリアしたら、それ以後の報酬で
好きなものを買おうと決めていた。
集中力を持続させ、それでいてストレスにならない工夫だ。

幸いなことに、私には一度でいいから叶えたい幼稚な夢があった。
100万ほどの現金を持って街をぶらつき、衝動買いする夢である。
手始めに宝石をちりばめたコインペンダントや、
北欧製の手編みのセーター、イタリヤ製のブーツを買った。
さらに数ヶ月後、サガミンクのコートと皮製のジャケットを手に入れた。

ところが、それらを身につけて鏡を見ると、
達成感や優越感が、自己嫌悪に変わっていった。
そもそも小太りの私にミンクは似合わない。
しかも冷暖房の完備された通勤電車では、嵩張るばかりで意味をなさない。
それでも着込むとすれば、見栄以外のなにものでもないわけだ。
虚栄は自らの卑しさを露呈する行為だとわかっていた。
その教訓を知ったのは、報奨旅行でルイ・ビトンの本店を訪れたときのことだ。

カウンター越しに、カトリーヌ.ドヌーブのような美しい店員が
フランス人の老夫婦を接客していた。
そこへ日本人一行がなだれ込み、彼らをかき分けるようにして覗き込んだ。
すると店員の顔がみるみる強張り、先客への敬意を欠いた日本人を
蔑むように凝視したではないか。

私は穴があったら入りたい気分になった。
ビトンは、豪奢な屋敷や使用人を持つ上流社会の人々が求めると、
何かの本で読んだ記憶があった。
フランスでは今も歴然とした貴族社会が存在するらしい。
質素で創意工夫に満ちた庶民の暮らしぶりなどが紹介される一方、
ルイ・ビトンに熱狂する日本人への嘲笑的な論評が書いてあった。
"マッチ箱のような団地に暮らし、
ローンで車やブランド品を買い求める日本人。
不思議なことに、その大半が中流意識を持っている"
まさに、その光景は論評どおりに観えた。

だが、品定めに夢中の日本人たちに店員の視線は届かなかった。
それどころか、お目当ての財布やバックを見つけるなり、
われ先にと店員に清算を求めた。
すると、突如として店員の甲高い叱責が飛んだ。
目で通じないと判断した店員が、
仰々しいまでのジェスチャーで警告を発したのだ。
驚いた日本人たちが場所を譲ると、
店員は優雅なしぐさで老夫妻をカウンターに呼び戻し、
耀くような笑顔で商品説明を再開した。

老夫婦は感激していた。
その表情やジェスチャーから察するに、
マナーを重視した店員の勇気を称えたのだろう。
互いが信頼を深めたように見えた。

私はしばらくその光景に見入っていた。
店員の知的で清楚な美しさもさることながら、
ルイ・ビトンがロマンスグレーのオールドマンに良く似合っていた。
年輪が育んだ風格に共鳴し合って、互いを引き立てているように感じたものだ。

分不相応な贅沢を諦めた私は、
ストレス対策として思考を鈍らせることにした。
寝る前のアルコールが欠かせなくなったきっかけだった。
寝酒の力を借りてでも、稼がなければならない理由があった。
高校進学を目前に息子の新しい家族は崩壊し、
父親は破産寸前だったからだ。


その年の2月、母が脳梗塞で倒れた。
浮腫みのために醜く歪んだ母の顔は赤黒く、素人目にも事態の深刻さが伺えた。
梗塞の場所が脳幹に近く手術は不可能だったが、
新たな梗塞さえ起きなければ助かる見込みはあるという。

同居する兄夫婦の話によると近年、母の体重は増え続けていたらしい。
しかし、太っているわりに血圧が低いタイプだったことや、
可愛げのない母の性格が家族の気遣いを遠ざけていたようだった。
ある日、足元がふらついた母は、階段の途中から滑り落ちた。
とはいえ救急車が到着した時、母は会話に応じていたという。
念のために運ばれた病院だったが、その診察室で悲劇が起きた。
兄夫婦が医師の説明を聞いている間に、
ベッドの端に座らされていた母が床面に転げ落ちたというのだ。
直後、母の意識は急速に混濁したということだった。

母は不運としか言いようがなかった。
診察後、椅子にでも座らせておけば点滴だけで退院できたかもしれないのだ。
しかも運ばれた先はリハビリ施設のない老人専門病院だった。
仮に容体が安定したとしても機能回復訓練はどうなるのだろう。
そう思いながらも身内の誰もが事態の深刻さにうろたえ、
転院を思い切れなかった。

母は社交性に乏しく、これといった趣味もなく隠居生活を送っていた。
町内会や老人会からの誘いはもちろん、
旅行や観劇を勧めても出かけようとはしなかった。
余暇の楽しみ方を知らないばかりか、
一文の得にもならない行動の全てを軽視する傾向にあった。

それだけに息子の守を引き受けてくれた日々が懐かしかった。
週末毎に片道8㎞ほどの道のりを自転車で通い、
自営業に勤しむ私を支え続けてくれたのだ。
母は必要とされることで心身の健康を保っていたのかもしれない。
道中の転倒事故を機に頼ることを断念したが、
それが存在感の消失に繋がったとも考えられよう。
無意識に自制心を失い、過食や運動不足による肥満で
血圧が上昇したのかもしれない。
そう思うと自分に腹が立った。
離婚沙汰や販売マシーンのような暮らしもだが、
兄嫁の悪口に明け暮れる母を嫌い、
2年近くも実家に行かなかったのだから。

3人の姉妹と兄嫁で昼夜の付き添いが始まった。
仕事との両立はきつかったが、1ヶ月もすると容体はすっかり安定した。
半身麻痺と言語障害こそあったが、ネガティブな感情野が
破壊でもされたかのように、すっかり好々婆になっていた。
童のような澄んだ目で、誰にでも微笑を浮かべるではないか。

看病の新たなローテーションが組まれた。
平日は、子供のない専業主婦の長女が2時間もかけて通い、
一人身の私が日曜や祝日の担当となった。
病院の近くで暮らしていた兄嫁が夕食に付き添い、
5人の子供がいて仕事に追われる次女は適時となった。

2本の電車とタクシーを乗り継ぎ、介護に通うようになって半年が過ぎた。
先の長い介護だろうと腹をくくり、それを前向きに捉えるために
必要とした時間だったのかもしれない。

「玉ちゃん、おはよう! この、べっぴんさんは、だ~れだ」

鼻先まで顔を近づけ、私は決まって母の顔を覗き込んだ。
すると母は、発語を手繰るように口の形をさまざまに変え、
ジレンマに陥り、ときに笑い転げた。
承知していても発声できないもどかしさと、
私のひょうきんな顔の両方が可笑しくてたまらない様子だった。

母が答えられるまで辛抱強く待った。

「アア……キョー、京子、……アア、ミ、ミ、美津子、……俊子!」

面倒みのいい長女の名前さえ発語できれば、
あとの二人は声門が後押ししてくれるようだった。

「俊子やんか。ああ、良かった、忘れられたらどうしよ思たわ。
玉ちゃん、頼むよぉ。最初に言って欲しかったなぁ」

そういって母をからかい、脳の記憶回路を刺激し続けた。
寝返りも打てない母に会話の楽しさだけでも味わって欲しかった。
オムツの交換や身体を拭くときも、母の関心が得られるような世間話を選んだ。
大雨で洪水になったニュースや、火災で死人が出た話をすると
悲しそうな顔になり、貴乃花が優勝したことを話すと目を丸くして喜んだ。
その変化に富んだ母の表情を見ることが介護の楽しみになっていた。

「どれどれ“玉ちゃん情報”でも読もうかね」 

姉が書いた看護日誌に目を通した。
排泄物の状態や、微熱の有無、意識的な反応などが書かれたノートを読み、
散歩に連れ出すか否かの判断をするためだった。 

「いや~、良かったなぁ、玉ちゃん。今日も散歩に行けるで。
桜は満開、日本晴れやしなあ。昼ご飯すんだら行こな!」

母は嬉しそうに頷いた。
60㎏のだらりとした身体を抱いて車椅子に乗せ、
毎回のように母を散歩に連れ出した。
遠路、日参する姉を思えば、自分にできる唯一の親孝行だったし、
2人きりの親密な時間を過ごしたいとも思っていた。

散歩では母の好きだった流行歌を大声で歌い、公園の花々に話しかけた。
水の流れや空の青さに触れ、小鳥たちのさえずりに耳を澄ませば、
母の言語障害が治るような気がしたものだ。

       次回の投稿は/8/1(土) 『夜明け前』に続きます。

風子

1952年、愛媛県生まれ。
子供時代は予知夢をみるような、ちょっと変わった子供。

40歳の頃、神秘体験をきっかけに精神世界を放浪。
それまでの人生観、価値観、死生感などが一新する。
結果、猛烈営業マンから一転、43歳で鍼灸師に転向。
予防医学的な鍼灸施術と、カウンセリングに打ち込む。

2001年 アマチュアカメラマンの夫と、信州の小川村に移住。晴耕雨読の日々を夢見るが、過疎化の村の医療事情を知り、送迎つきの鍼灸院を営むことに。

2004年 NHKテレビ「達人に学ぶ田舎暮らし心得」取材。

2006年 名古屋テレビ「あこがれの田舎暮らし」取材。

2006年 信越テレビ「すばらしき夫婦」取材。
      
2008年 テレビ信州「鹿島ダイヤモンド槍を追え」取材。

2012年 12年の田舎暮らしにピリオドを打ち大阪に戻る。