余韻

 06, 2017 09:00
幻想夜景


初めて会ったのに、昔から知ってるような……。
初めて見る風景なのに、来たことあるような……。
この会話パターン、前にも誰かと交わしたような……。
わけもなく、涙があふれるメロディ……。
懐かしく、心揺さぶられる香り……。
全てが空しい、切ない……、
この虚無感は、どこから来るのだろう。

嫌だ!…理屈じゃない、生理的に受けつけない。
そういう輩に対しては、無性に腹が立つ。
その世界が好き、無性に……。
登りたい。
飛びたい。
潜りたい。


この感覚……皆さんにも、心当たりがあるでしよう?
良くも悪くも、遠い過去の感情の余韻とでもいうような、
懐かしさを伴った不思議な感覚の数々です。

それって、たぶん、今生のものではないかも?
と、オバちゃんは思っています。
過去世のどこかで味わった感情なんだろうと……。

ここで、ちょっとだけ講釈。(^_^ ;)
人が死ぬと、脳細胞も腐ります。
脳に刻まれた記憶(思考、知識)は全て消滅しますが、
胸のチャクラに刻まれた『感情』だけはスペシャル。
輪廻を繰り返しても、感情は『余韻』として残るようです。
“感情は魂の言語”といわれる所以なんですねぇ。

ノーベル賞を受賞した科学者だったとか、
大統領や、スポーツの世界王者だったとしても、
プロフィールが余韻として残ることはないようです。
研究成果で人々の病気を治したとか、
貧しい人々に寄り添う大統領だったとか、
子供たちに夢や希望を与えたなど、
愛に基づいた行為が付随していれば、
胸のチャクラに刻まれるわけです。
何者だったのか、は重要ではなく、
どんな行為をしたのか、が、進化のカギらしいです。
胸のチャクラの質を計測するのが、
高次の星の住人、アミが使っている度数計なんですねぇ。

おっと、話を元に戻して……(^_^ ;)

『感情の余韻』は、直観とは少し違います。
直観のような瞬間的な閃きではなく、一定の持続感を伴なった感情です。
映画や名曲などで感動した後の余韻と同類ですが、
これといった根拠のない、とりとめのない感情の波とでもいうか……。

それらが頻繁に出現すると、早晩、
人はスピリチュアルに生きることになります。
その感情の出所について、知りたいと探求するからでしょうね。

オバちゃん、子供の頃から多少、変な子でしたが、
思春期くらいから、頻繁に襲われた感情の余韻がありました。
“虚しさに似た孤独感”です。
過去記事のココ  渇望

以来、『感情の余韻』に対しては、忠実かつ素直になりました。
そうすることで、あらゆる局面において、どんなに救われたことか…。
気のせい? なんて、絶対に思わない方がいいです。
感情の余韻に浸ることは、本当の自分を知る入り口に
立っているようなものですから。

( ̄~ ̄;) ウーン……いまいちピンときませんかね?
感情の余韻って、どんな感じか。
過去記事以外に、体験をひとつ書いておきますね。


失業保険を受給しながら田舎物件を見て回っていた頃(48歳)
独身のキャリア婆Mさん(73歳)と、スペインに行きました。

Mさんは、私が勤めていたヒーリングサロンの上客で、
とくに鍼灸施術を好んでいたことから、サロンを退職した後も、
プライベートで施術を引き受けていました。
一緒に行けば費用は全額持つという事だったので、
移住までは暇だし、お供することにしたのです。

というのも、旅行好きのMさん、ちょっと困った性格の人でした。
人の好き嫌いが激しく、わがままで、プライドも高く、短気。
しかも、軽度の認知機能低下がチラホラ……。
想像ですが…私ごときに20数万出してでも、ってことは、
友人、知人の誰もが、一緒に行ってくれないのだろうと察したわけです。

そんなことで、九日間のスペイン旅行がスタート。
マドリッドからトレド、コルドバ、グラナダ、ミハス、バルセロナと巡り
オプションで、鋸状の山塊があるモンセラートに向かいました。
切り立った山塊をえぐるように建造された、
サンタ・マリア・デ・モンセラート修道院を見物するためでした。

この修道院にはエピソードがあります。
西暦880年のある土曜日、何人かの子供の羊飼いが、
美しいメロディとともに空から不思議な光が降りてきて、
山腹に留まるのを見たそうです。
同じことが数週間も続いたため、麓の町の司祭が調べたら、
洞窟の中から黒いマリア像が発見されました。
麓まで降ろそうとしましたが、動かないので仕方なく、
その地に聖堂を建てて安置したそうです。

観光の目玉は、その『黒いマリア像』でした。

列をなして順番を待ち、『黒いマリア像』の前に立ちました。
像全体はケースに覆われていましたが、
マリアが持っている球体(地球)部分だけは、
人々が触れられるように、くり抜かれていました。
(触りたいという衝動はなかった)

そのとき、突如として奇妙な感情に襲われ、
胃の底から突き上げるように嗚咽してしまいました。
ですが、同時進行で顕在意識(自我)が、それを客観視。
なんで泣くの? 初めて来たのに、と、
精神がくっきりと分離したのです。(奇妙な感覚です)

『あんた、なんで泣いてんの?……カトリックかぁ?』
修道院の通路を歩きながら、Mさんが言いました。
『なんでかなぁ…わかれへん。カトリックじゃないし‥』
『………あんた、変わってんなぁ』

Mさんが土産物を買うというので別行動。
建物の外に出てモンセラート山塊を見上げました。
すると、(◎ー◎;)……疑問が確信(直観)に代わりました。
確かに……かつて、ここにいた。
なにやってたんだろう。
シスター? 牧師?‥‥掃除オバちゃん?
ですが、詳細について直観は無反応……わけワカメでした。


過去記事『渇望』にも書いているように、
この、顕在意識と魂が分離した瞬間に慣れると、
人知れず微笑んでしまいます。

ああ、今は、この生なんだぁ、って再認識しますし、
平凡な日常が、いきなり輝きはじめ……。
人間関係の煩わしささえ愛しくなったり、
些細な出来事にも意味があることを知ったり、
新たな人生をやってるというだけで、自分に感動さえするんです。

これは、スゴイことだと思います。
波乱万丈人生やって、病気になって苦しんで、
それで人生終わりだと、夢も希望もありませんが、
王様や乞食、犯罪者や平凡な主婦、学者や、裁判官などなど、
さまざまな人生を体験してきて今があると思えば、
果敢に、今を生きる自分が、他者が、愛しいですよねぇ。


さて、9日間、寝起きを共にしたMさん。
その認知レベルは楽観できないものだと解りました。
施術中に何度も聞いた、若い頃のロマンス談義は10数回。
惚れた男の名前と年齢、しぐさと癖まで丸暗記しました。
旅行鞄の整理整頓は一晩に8回。 → 整理したことを忘れる
『靴下?‥それは右の入浴セットの下だよ』
『なんで?‥あんた、よう知ってんなぁ、見てたん?』
『うん…』 → すでに8回とは、口が裂けても言えない
お金の清算も一晩に10回。   
『あんた、今日のお金、払っとくわ』
『イヤイヤ、とっくに頂いたよ』
『そうかぁ…、やっぱ、あんたで良かったわ』
『……?』 
このパターンの繰り返し……。


で、帰国して2週間後、Mさんが言いました。

『なぁ、今度、どこ行きたい?……ベトナム、どう?
食べ物、日本人に合うらしいやんか。いつ行く?』

『((((;゚;Д;゚;))))カタカタ……う~む、そろそろ物件決めたいし、
また20数万も使うって、もったいない。
好意に甘えてばかりいられへんわぁ……』

ってか……それは方便でした。
呆けてしまった母親だと思おう……。
そう自分に言い聞かせた9日日間でしたが、
毎晩のことですので、正直、くたびれましたぁ。(^_^ ;)

この会話を最後に、彼女と永久の別れになりました。
過疎の村に移住1年後、奈良にある寺の住職(Mさんの兄)から、
訃報が届いたのでした。(脳梗塞)
70歳まで会計士やって、その後は短期間に10か国。
海外旅行を繰り返したMさん。
死の予感が、それをさせたのだろうと悲しくなりました。
(ごめんねぇ。せめてあと1回、同伴してあげれば…o(;_;)o)


感情の余韻が生じたとき、
なんで? どうして? 教えて! と、しつこく聞くといいですよ。
誰に、って?
内なる『あなた』に……宇宙に直球でいいかも……。( ˘ ³˘)
早くて3日、遅くても3か月くらいで、それらしき答えに行き着きます。
人なら、急速に接近。
風景なら、そこに行く機会が。
無性に惹かれる世界なら、
それに繋がるパンフレットや情報が。


日常的には厄介とも思える感情が、
実は魂の体験から尾を引くものだと知るだけで、
平凡な日常が輝きます。
こうして生きているだけで、
自分が大したもんだと思えるんですよぉ。(^_^ ;)



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