四十九日 その①

 15, 2015 12:31
霊体の『玉ちゃん』がやって来た!σ(◎◎;)


8年間の闘病生活を経て、1998年2月に母が逝った。

その2週間前、出張先の博多で母の危篤を知らされたが、
すでに夜の11時を過ぎ、帰ろうにも電車がなかった。

ホテルのベットに横たわり、母を想った。
(夢で予行練習してたもんな。玉ちゃん、こんどは逝くの?
チューブから胃袋に液体なんか流されて、白い天井ばかり眺めて。
生きててもしゃぁないもんなぁ……。

けどゴメン、帰られへん。
だから、玉ちゃんの方から会いに来て! 
私の想念をキャッチしたら距離なんて問題やない。
瞬間移動できるって知ってるし…)
目を閉じて母に語り続けた。

しばらくして、うとうととまどろんでいたとき、
突如、腹部に衝撃が走った。
壁側から頭を飛び越えて、何かが落ちてきたのだ。

「痛い! なにすんの……」

反射的に飛び起きると、そこに母がいた。

「えっ、玉ちゃん? ほんまに来てくれたん。すごぉ~……」

一瞬、自分は寝ぼけていると思った。
だが、母はいたずらっぽい笑みを浮かべて、
ベッドに腰掛けているではないか。

「へぇ~、霊になったら手も足も自由に動くんや! 
良かったなぁ、玉ちゃん……」 

感動して母の手を撫でまわした。

「あたりまえじゃが……。ちゃんと動くぜぇ。ホレ!」

母はブラブラと足を動かして見せた。
脳梗塞になる前の健康そうな肉体で、
その立体感や、柔らかさを感じられることが
不思議でならなかった。

私たちは並んでベッドに座り、思い出話に耽った。
甲斐性のない父に代わって豆腐屋稼業で生計を立てた母。
老いてからも、私の息子を守してくれた母を労いながら、
互いが、泣き笑いの人生を語り合っていたのだ。

そのうち…不思議なことに時間がスキップしていった。
出来事が断片的に語られ、
ビデオのスキップ機能のようになっていった。

「よっ。わしゃ、もう行こわい……」

突如、思い出したように母が言った。

「行くって、どこへ?」

言ってしまってから、馬鹿じゃないか、と思った。
案の定、母もあきれたような顔で私を見た。
(えぇバカんのう、お前にはわかっとろう)
と、言わんばかりの表情だ。

急に涙があふれた。

「ごめん、行くんやなぁ……。
みんな順番やし、私たちもみんな、あとから行くけんな。
元気で……」

元気で……? 
思わずふき出してしまった。
母も笑っていた。
しかし、送ろうとしながらドアの前まで進むと、
母は吸いこまれるかのように消えてしまった。


茫然としていた。
(やっぱり……人は、肉体じゃなく魂(霊)なのだ。
霊は念波という種類の波動を持ち共鳴する。
想えば伝わり、どこにでも瞬間的に行けるのだ。
念波は、素粒子よりも小さい幽子という物質の集合体らしい。
幽子の集合体となったからこそ母は壁を抜け、
ドアに浸みこむことができたのだから……。

うん? 壁を抜け……)

ふと疑問がわいた。
母は確かにドアから帰って行った。
だが現れたときは、壁から私の腹部めがけて
ダイビングしたのだ。

悪ふざけだと思えないこともない。
だが、その目は怒っているように見えた。
なぜだろう?……。


四十九日の法要の席に、
母の『悪ふざけ』の理由が解った。

続きは次回のお楽しみ!



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