サラリーマン

 15, 2015 16:55
43歳のオバちゃんが正社員になった(゚△゚;ノ)ノ


仕事と学業を両立して、またたく間に3年が過ぎた。

鍼灸師の免許を取ると、社長から正社員になるよう促された。
43歳のオバさんを正社員雇用?……正直、驚いた。
開業を理由に、退職されることを恐れた社長の英断でもあろうが、
その要請は、私にとって渡りに船だった。
息子が大学を卒業するまでは、安定した収入が必要だったからだ。

健康保険の利かない鍼灸院の経営は難しい。
開業するなら臨床経験を積み、
2~3年分の生活資金をプールしておかなければならない。
(正社員なら週休2日である。臨床や勉強もできる。ありがたい! 
御礼奉公をかねて2、3年勤めれば一石二鳥ではないか…) 

大阪営業所が示した実績から福岡支店が増設され、
予想以上の躍進を遂げていた。
外資系の銀行から転職した男が支店長に抜擢されたことから、
私が販売マニュアルを提供し、販売員たちの研修にも力を尽くした。
その行為に恩義を感じていた福岡支店長の口添えもあり、
改めて年収650万円の管理職に就いた。
実戦から解放され、所長兼、研修責任者兼、
顧客相談室長となったのだ。

販売員の教育は望むところだった。
解剖学や生理学を学んだことで、
商品に新たな訴求力を加える自信も深まっていたからだ。

営業会社の管理は増収と販売員のレベルアップに尽きる。
私は燃えた。
仕事に全力を投じられる今こそ、
営業職の集大成として自らの管理能力を発揮してみたかった。

手始めに、狭く立地条件の悪かった大阪営業所を駅前に移転させた。
駅の構内からエスカレーターを降りた対面のビルで、
出入りの激しい業界の求人には最適の場所だった。
家賃と光熱費は13万円から150万円に跳ね上がったが、
月商1700万円の目標数値を思えば、どうってことはなかった。
実戦を退いた私自身の数字を補填するため、
求人を繰りかえし、新たに8名の営業員を採用した。

数ケ月で目標額をクリアすると、
本社や支店から出張の依頼が一挙に増えた。
大阪営業所のクレームはなかったが、
東京や福岡営業所のトラブルは日常的で、
営業員の質の向上が急務だった。

私は精力的に働いた。
試験漬けの日々や、忍耐を必要とするセールスの実戦から解放され、
サラリーマンの気楽さに感動さえしていた。
日銭の心配もせずに、任務に徹せられること自体が快感だった。
営業員たちの諍いや、顧客のクレーム処理も、
穏やかに、心を込めて対応する時間的な余裕があるのだから……。

待遇の安定を機にマンションを買い替え、天王寺に移り住んだ。
地下街まで数分という立地にも関わらず、
大通りから一筋入った静かな環境が決め手だった。
新たに800万円のローンを背負ったが、それを返済しきる期間は、
販売員の教育改革を行うための、格好の鎹となった。

そこは奈良から大阪府立大学に通う息子のオアシスでもあった。
大学帰りのバイト先に近く、時間調節や腹ごしらえができたからだ。

「今回は2泊3日の出張。悪いけどミィの餌とウンコの処理、頼むよ。
おかずは何種類か冷蔵庫に入ってるし、ご飯は冷凍室にあるからチンして。
もし、ミィが外に出たがったら、餌と水もベランダに出しといてな……」

猫の世話についての申し送りだ。
私たち親子は、連絡帳で要件を伝えあっていた。

「ご飯、ごちそうさま。美味しかったで…。
ミイ、やっぱり外に出たがったわ。
時間までに帰ってけぇへんかったから鍵はかけたで。
では、バイト行くわ。お疲れ~!」

几帳面な字で書かれた息子の返事である。
父親との暮らしで鍛えられたのだろう。
食器を洗い、夏場は観葉植物の水にまで気を配る青年になっていた。


土曜と日曜は、臨床を学ぶ日に充てた。
営業所は稼働していたが、
販売員たちの仕事ぶりは放任することにした。
ネガティブな考えに引きずられる集団意識の恐さは知っていたが、
自己管理能力が試される良い機会でもあったからだ。
そのための意識改革はやってきた。

私は体裁をかまわず自らの離婚歴や、その後の奮闘ぶり、
あえて背負った借金などの詳細を、販売員たちに話してきた。
彼女らの多くが離婚を経験し、
大半が経済的な自立を夢見ていたからだ。
具体的な目標を持ち、自分を信じて邁進すれば夢は必ず叶う。
その結果が、この私だと宣言してきた。

誰だってノルマや、稼働時間の管理などされたくはない。
自らを励まし叱咤激励できるのは、結局のところ自分しかいない。
欲求を満たすための世界を選んだ人たちなのだから……。


日曜日には山に登った。
都会の喧騒から離れ、
大自然の中で自分を見つめるためだ。

奈良の山は深い。
天川村や、十津川村にいたっては代表的な陸の孤島で、
大阪の中心からだと、
始発電車に乗らなければ帰ってくるのは難しい。

ローカル電車の終点からバスを乗り継ぎ、
そこから登山口まではタクシ―を利用した。
バスの本数は1日に2~3本で、
帰りはバス停まで徒歩になる。
時間を節約しなければならないのだ。

ときにはヒッチハイクにもトライした。
山中で道に迷って6時間も歩き続け、
登山口に戻った頃には日が暮れかかっていた。
だが、そこからバス停までは10㎞以上もあった。
(どうしよう…。10㎞を歩くと2時間近くはかかる。
どこかで民家の灯りでも見えたら、
電話を借りてタクシ―を呼ぶかぁ……)
そう思いながら歩き始めると、運よく軽四トラックが通りかかった。
もはや、なりふりなどかまっていられない。

必死の形相で道路の真ん中に立ち、乗せてくれるよう頼み込んだ。
間伐作業の帰りだという2人の男は、
あきれた顔をしながらも、座席を空けてくれた。

奈良の山は奥深いが、高さは1000m前後のものが多い。
私はいつの間にか、その半分ほどを制覇していた。

山登りは生き方に重なった。
小さな歩みでも、着実に一歩さえ踏み出せば頂上に至ったからだ。
エベレスト登頂に挑んでいるわけではない。
こうするべき、こうあらねば、なんて制約がましいことも必要ではない。
ただシンプルに、マイペースで歩めばいい。

山登りは楽しかった。

それも一人きりが最高だ。
踏みしめる落ち葉の葉音や、その柔らかさを味わうことができる。
野鳥のさえずりや、風にそよぐ枝葉のざわめきが心に浸みわたるし、
陽光に照らされて匂い立つ苔が香しい。
それらが、眠っていたような感性を目覚めさせてくれる。
すると、妖精を捜している自分に気づく。
熊や、鹿ではない。
妖精を捜しているのだ。
その瞬間の、童のような意識が好きだ。
精神が、無垢になるのがいい。


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