好奇心MAXだった頃の話 (*゚ェ゚*) 


神秘体験や、瞑想によるトリップを体験したことで、
私はますます肉体の神秘に惹かれていった。

瞑想で生じる眉間の痺れ感や、
尾底骨から背中を駆け上るパルスのような感覚は、
心と身体のどのようなプロセスで起きるのか。
肉体の深淵なメカニズムを知れば、
意識のなにかに迫れるような気がしていた。

適度に仕事をこなしながら、あらゆる医学書を読み漁った。
西洋医学はもとより、カイロプラクティックや中医学、
アーユルベーダなどを乱読しては、
進むべき方向性を探っていたのだ。

なかでも中医学の鑑別診断ほど、不可解なものはなかった。

病気の原因を『風』『寒』『熱』『表裏』
『陰陽』『虚実』などと分別する方法は、
医術というより、
占いのルールを学んでいる気分になった。
だからといって、数千年の歴史である診断法を
軽んじるわけにもいかない。
やむなく易しそうな解説書を選び直し、
基本的な概念の理解に努めた。

中医学のルーツは易経に遡る。
易経とは本来、ものごとの筋道、人の生きる道、
天下国家を治める道、
宇宙の原理を現わす教書だ。

その易経を基に、森羅万象の全てを陰と陽に分け、
さらに万物が木、火、土、金、水
(もく、か、ど、ごん、すい)という
五つの基本物質で出来ていることから
『陰陽五行説』が生まれた。

しかし、五行のマス目に、季節や食べ物、
臓器、人の感情や感覚、色まで配置する手法には
抵抗を感じずにはいられなかった。
季節や食べ物などは、国によって違いが大きい。
診断法としてマニュアル化するには、無理があるからだ。

(陰陽の二元論までは、ふむふむ、だ。 
だが、五行説の分類はやっぱり腑に落ちない。
どう考えても、こじつけだよなぁ……。
だから、先に進んでも疑問ばかりが膨らむ。
納得できなくても、
決まり事として丸暗記するしかないのだろうか……。

納得できない基本理念と、
鑑別診断の複雑さに匙を投げたくなったとき、
読み比べていた、西洋医学の叢(そう)と呼ばれる
神経の束に活路を見出した。

実態のないものとされていたチベット仏教のチャクラや、
ツボの位置が、西洋医学の神経叢と合致していたからだ。
(そっかぁ! 論より証拠を見つけた気分……。
素問や零枢、難経などの難解な書物に
囚われる必要はないのかも)


中国やチベット、インドあたりの古典医学を含めて、
いわゆる東洋医学の根本的な思想は同じだ。
違うのは、体系化する過程での方法論に過ぎない。

例えば、インドの賢者によって体系化されたアーユルベーダーも、
五千年の歴史を経た高度な生命哲学だ。

その思想は、心と身体を一面的に捕らえ、
心身のバランスの調和をはかることを目指す。
そのため医学という一域を超え、
天文学や気候学、占星術の知識を有し、
中国や、ギリシャ医学に大きな影響を与えたようだ。

だからといって難しいものではない。
万人が理解し、利用できるような医学体系にまとめて
現在に至っている。

日本人にとって、東洋医学イコール中国医学の感が否めないが、
東洋医学とはインドやチベット、中国など、
東洋に位置する国々の医学を指す。
シルクロードを経由することで、
それらには多くの共通点がある。

チャクラの位置と色が見えたインドの賢者のように、
その昔、中国にも気の流れが見える人がいたらしい。
今でいう超能力者だ。
もっとも、超能力を使う古人は世界各地に存在する。
テレパシーを使うマサイ族や、精霊と交信する
インディアンのシャーマンたちだ。

だが、文明の発達とともに超能力はしだいに失われ、
記述として伝承された。
伝承は、時代を経ることで真実から遠ざかる。
神の固有名詞が刻まれた旧約聖書が否定され、
新約聖書に書きなおされたように、である。

古典医術に関わる書物も、
同じ運命を辿ったのではないだろうか。

本来、気の流れや経絡が見える術者、
あるいは感じられる者が残した記述は、
シンプルで易しい内容ではなかったろうか。

初期のアーユルベーダーのように
人を自然の一部と解釈し、移り行く季節や恵みに
同調させることが肝心というような記述だったはず……。

一方、気やオーラが見えず、感じられない医術者にとって、
経絡やツボの存在は信じがたいものとなったはずだ。
そこで陰陽虚実や『風』、『寒』、『熱』、『表裏』、
『陰陽』などを用いて体系づけ、
説得力を高める必要に迫られたのかもしれない。

そんなふうに視点を変えると、
中医学(中国の古典医学)にこだわる理由はなくなる。
むしろインドや、チベット含む、東洋の医学にこそ光明を感じた。


感情に反応するチャクラの存在は体験的に知っていた。
愛しさで胸の奥がキューンと絞られる感覚や、
身の危険を感じたときの尻底骨のムズムズ感、
瞑想時に背骨を駆け上る振動波などだ。

それらは神経叢からはじまるにも関わらず、
西洋医学は、その重要性に気づかない。
意識や感情は、すべては脳の反応として片づけるわけだ。

チャクラを体感して幽体離脱を体験すると、
人体は意識そのもの、
あるいは瞬間移動する気で作られていると感じる。
肉体という器こそないが、
それ以外の感覚や、感情は変わらないからだ。

しかも、身体から抜け出たものは、
人体の細胞のひとつ々に、
根源的に存在する意識のエネルギー体だと直感する。
理屈ではなく……ダイレクトに体感できる。

そう考えると、現代医学では説明のつかない幻肢痛さえ、
すんなり理解できよう。

幻肢痛とは切断面の痛みではなく、
失った足自体の痛みを訴える状態だ。
思うに、切断によって肉や骨、
神経や血管などが切り離されたとしても、
エーテル体……そこにあった細胞たちの意識は、
相当期間、記憶として残るのではないだろうか。

それは、臓器移植を受けた人にも見られる。
移植後、嗜好や趣味が様変わりすることがあるそうだ。
細胞たちの意識を宿した臓器だからこそ、
提供者の記憶を感受するのでは? と、思うわけだ。

アーユルベーダーとの類似点として、
人体の要素を『気』『血』『水』に分ける
中医学の考え方も興味深い。

『血』と『水』は血液とリンパ液のことだが、
それらを巡らせるエネルギーに相当するものが
『気』だと捉えている。
肉眼で見えなくても(実体がなくても)、
それが、根源的な生命エネルギーであることを
理解しているのだ。

東洋の思想や伝承医学を学ぶに連れ、
身体についての好奇心は高まる一方だった。
できることなら、その筋の専門学校に行き、
心身のメカニズムを深く学びたいとさえ思っていた。

だが、日本ではチベットや、
インド医学の専門学校は存在しない。
ヨガや瞑想、自然食、アーユルベーダーもだが、
民間レベルの協会や、研究会などがあるくらいで、
国家資格として取り上げられるほど、認知されてはいないのだ。

選択の余地はない。
国家資格として認可されている東洋医学の門は、
鍼灸師をめざすことでしか得られそうもなかった。

そうだなぁ……。
鍼灸師の資格を持った
『東洋医学の研究者』になろう!
40歳で、私は新たな道を定めた。




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