ソウルメイト

 15, 2015 05:57
オバさんたちの世間話 ♪( ´ー‘)(´ー‘ )♪


「へぇ~素晴らしい体験をしたね」 
市内に戻る車の中で、須藤が平然と言った。 

「信じる?」 

「当然…私なんか、しょっちゅう変なもの見てるし、感じてるがね」 

「変なものって?」 

「この世にいない人に会ったり、人の波動のようなもん感じたり。
さっきも兄と話したばっかり」 

「へぇ~、人はいろいろやねぇ」 

「ハイ、人はいろいろですたい」 

相変らずの飄々振りだ。 

「ところで、鎌田さんとは久し振りのようやったけど、
お邪魔やったんと違う」 

「アハハ…な~んの、彼はたまに電話するくらいの友達。
風ちゃんが来ること考えたら急に思い出して、
彼に温泉のこと聞いてみようと思っただけ。
けど、あなたのオーラを見て、
なんだ、こういうことか、って、私の方が驚きましたと……」 

彼女は、あっけらかんと答えた。
だとすれば須藤は、神秘体験に至る橋渡し役を予感しながら、
瞑想に付き合ってくれたことになる。

須藤との雑談で緊張がほぐれると、ふと疑問が浮かんだ。

赤子の姿で光と遭遇したのはなぜだろう。
未熟な魂の反映? 
純粋無垢な心?

そのいずれにも納得できた。
マザーテレサのような進化した魂なら、
使命感に突き動かされて邁進するだろうが、
私は今生の辛さばかりを愚痴り、
神が存在するなら見せて欲しいと懇願した未熟な魂に過ぎない。
光との遭遇は、聖書の『求めよ、さらば与えられん』を、
証明してくれたようなものだ。

この神秘体験の意義とは!
納得すれば一心不乱になれる、私へのエールだろうか。


大阪に戻った私は、足しげく書店通いをするようになった。
鹿児島での体験を一瞬の夢や、錯覚として終わらせないためだ。
光との対話によって、人生は自らの選択だと知った。
だが、それを今後の暮らしに生かさなければ意味はない。
UFOの目撃やバイク事故同様、
周囲から変人扱いされるだけなのだ。

過去に調べた世界の三大宗教以外に、
読まなければならない本は沢山あった。
ルドルフ・シュタイナー、エトガー・ケーシー、ホイットン博士、
シルバー・バーチの霊訓、バシャール、タデウス・ゴラス、
エリザベス・キューブラー・ロス、アンドリュー・ワイル博士、
アダムスキー、ホーキング博士の宇宙論さえも理解したかった。

霊的な書物の類には超能力や、
超常現象だけを捉えて大衆受けを狙うものが多い。
それらは唯我独尊を唱えるカリスマや、
新興宗教の誕生を促すことはあっても、
魂としての自分を見失う危険を孕んでいた。
精神のバランスを保つには、
霊的な側面と同時に、
科学や物理学的な見解を知る必要があった。

読書三昧の日々が続くと、さまざまな現象に見舞われた。

テレビのスイッチが勝手に入ったかと思うと、
停電でもないのに留守電が作動し、
電気が点滅を繰り返した。
買ったばかりのファックスが壊れ、
築10年のマンションでラップ現象が起きた。
それらは低周波の悪戯と思えないこともなかったが、
肉体にもさまざまな変化が起きた。

眠ろうとすると、閉じた視界の中がスクリーンになった。
映像は様々な景色や人物だったが、
過去生を想像するにはあまりに瞬間的だった。

吐き気を伴う背中の痛みと、強烈なめまいに襲われた。
大学病院で精密検査を受けたが、自律神経性めまいと診断された。
(医者って、原因不明はなんでも自立神経?……(-ι_- )))。。。)
処方された薬は廃棄した。

嬉しい変化は、
植物の葉の先端に耀くオーラが見えたくらいのもの。
それは有名な神社や寺の社内に限ってだが、
信貴山のように鳥居をくぐった瞬間、
頭部に電撃が走るようなゾーンも体感した。
おかげで風水の知識がなくても、
それらが強力な磁場に建立されていることを実感できた。

70冊に及ぶ精神世界の書物を読み終えると、
心に一大革命が起っていた。
尊敬と軽蔑を同時に集めたハングリー精神が崩壊し、
かわりに平安と寛容が生まれていた。

無意識のうちに創りあげた理想の自分……。
良妻賢母やキャリアウーマンを目指し、
人々からの賞賛を得るために失敗を恐れた過去の自分が、
虚像だと思うようになっていた。

もっとも、いきなり覚者のように生きられるわけはない。
ただ、現実というものが、意識の在り方で決まることは確信できた。
ということは、過去の出来事と、その時点での意識を思い起こせば、
今生の目的が紐解けるということだろうか……。

相反する性格を持った両親の間に、
生まれることを望んだのはなぜか。
ハングリーと無欲、激情と寛容、収縮と拡張など、
両親の両極端な性格から学ぶものはバランスだ。
だとすれば、私は過去生でいずれかの『両極端』を生きたに違いない。

タイ人との恋愛に恐れをなし、
自らの存在感に固執したのはなぜか。
あるがままの自分に価値を認めていなかった。
何かを与えなければ、
愛される価値がないと思い込んでいたのだ。
過去生でも自己否定を繰り返したのだろうか。

何かにつけ批判メカニズムを働かせるのはなぜか。
自分の中の見たくない部分を露呈させないため。
自らを擁護するためだ。
『あるがまま』を愛するべきだと知ってはいるが、
私は未だ評論家ぶっている。
過去生で、誹謗中傷の矢面に立たされていたのだろうか。

こうして過去を振り返ると、
人としての初歩的な課題が鮮明になった。

欲望に対してバランスを保つこと。
自尊心を捨てて、あるがままの自分を愛することだ。
そうすれば自分以外の人や、状態に対しても寛容になれる。
それが習慣になれば、いつの日か……。
全ての人、状況をあるがままに愛せるようになれるかもしれない。

手始めに、
欲望に対するバランスをとることにした。
高収入を得るための猛烈な仕事量を見直し、
心身にゆとりを持たせた。




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