少年A

 25, 2017 00:05
道


岡山県の貧しい小作農家に生まれた少年Aは、
男兄弟3人の末っ子で、小学1年で母を亡くしました。(心臓弁膜症)
間もなく父が、Aと同い年の女子を連れた女性と再婚。
父からは、Aの成績が連れ子に劣っていると詰られ、
継母からは、ことごとく冷たい仕打ちを受けました。
見かねた祖母(父の母)と、継母の仲は険悪になり、
祖母はとうとう、首を吊って自殺してしまいます。
(少年Aの実母とは、折り合いが良かった)

少年Aをかばってくれた祖母が自殺してからというもの、
彼の心は荒む一方で、家出を繰り返すようになりました。

警察に保護され家に戻されるたびに、父はAを木に括りつけて折檻。
見かねた近所の人が意見しても、決して耳を貸さなかったそうです。
少年Aが、小学生で胃潰瘍を患った背景です。

軍人上がりの父は、怒りっぽく厳しいだけの性分だと、
家族の誰もが思っていました。
しかし、それが病気のせいだと判ったのは、
悲しいことに兄弟たちが成人した後のことでした。

昭和20年(1945年)8月6日、
広島に原爆が投下され終戦を迎えました。
70年間、人は住めないと物理学の権威が言いましたが、
町の復興が急ピッチで進み、Aの父も広島に仕事を求めました。
残留放射能の恐さも知らずに、です。
街は1年半で蘇りましたが、憂さ晴らしに遊んだのでしょう。
父は放射能に晒されただけでなく、梅毒にも感染していたのです。


終戦から3年後の昭和24年、
父が村に戻った翌年にAが生まれました。
物心つく頃には、父の病気が徐々に進行。
母親が逝った原因も、あるいは、
梅毒由来の弁膜症だった可能性もあるわけです。

原爆症と梅毒のダブル症状は、発熱や、疲労感、食欲不振、
怒りっぽくなる、不安を訴えるなど、感情の障害などです。
ですが父に、自らの体調を気にする余裕はありませんでした。
入退院を繰り返していた妻が逝き、子供を養育する必要から再婚。
子供は4人になったわけで、体調が悪くても病院には行けず
馬車馬のように働くしかなかったのでした。


高校を卒業すると、Aは大阪で就職。
運送業や、飲食業を経て、ショッピングセンター(S・C)内の
コーヒーショップを経営することなりました。

Aはよく、S・Cの企画室に通いました。
テナントならPOP広告は無償だったし、
店内装飾のアイデアなどもアドバイスしてもらえたからです。
固定と歩合の二重賃料を徴収するデベロッパーが、
販売促進に協力していたのは幸いでした。


企画室のPOPライター F子の主な仕事は、
イベントの予告ポスター書きや、共有スペースの装飾、
マーケティング関連のデータ収集などでしたが、
特にテナントからの依頼には誠心誠意、対応しました。
運営管理会社にとって核テナントのジャスコをはじめ、
60の専門店はS・C繁栄の拠り所だったからです。

吹けば飛ぶような個人経営のコーヒーショップとはいえ、
F子はAにも丁寧に対応しました。
メニュー用POPをはじめ、挽き売りコーヒーの銘柄別説明ボード、
コーヒー専門店らしい装飾のイメージを定め、
提供できる資材と、個人負担になるグッズをアドバイスしました。


平筆で一筆書きするPOP技術が珍しいのか、
仕上がり具合が気になるのか、AはよくF子の仕事ぶりを見に来ました。
しかも時折、身の上話をするのです。

カウンターだけの小さなコーヒー専門店でしたが、
その権利を買うのに預金では足らず、家具や家電まで売却。
売り上げが軌道に乗るまでは、夜な夜な屋台を引いてでも踏ん張りたい。
並々ならぬ決意と将来の夢を語るAの話に耳を傾けているうち、
F子の心に『同情心』が芽生えました。
チェーン展開している有名専門店の多いS・Cです。
資金力はもとより、人手、戦略共に、孤軍奮闘が目に見えるようで…。


( ˘ ³˘)……ここでネタばらし。

少年Aとは、離婚したオバちゃんの元夫。
POPライター F子とは、20歳の、わ・た・し、なので~す。(^_^ ;)

何を今さら…って思うでしょう?
人生の転機となった『道』の選択について、
オバちゃんの失敗談を、正直に告白しておこうという趣旨なんです。(*´ェ`*)


当時、私は国際結婚のための下見から帰国したばかり。離脱
恋愛感情とは、結婚とは、幸せな人生とは何か……。
深く考える日々を過ごしていました。

で、ある日、上司に聞きました。
国際結婚に悩む私を叱り、20日間の休みをくれた上司です。悩むな!考えろ!

『あのぉ……ズバリ、結婚とはなんですか?』
46歳、二児の父親、有能な経営コンサルタントで、
酸いも甘いも噛みしめたであろう、人生の先輩に答えを求めたのです。

『ふ~む……。結婚とは、40%の愛情と、60%の協力と忍耐』

人も羨む、野性的な美女を娶った上司が、自信たっぷりに答えました。

『(*′☉.̫☉)……ですか! ありがとうございました』

このとき、私の中で迷いが吹っ切れました。


学歴、仕事、家柄ともに、タイ人の恋人はパーフェクト。
発展途上国のタイではエリートの彼の場合、
結婚相手は引く手あまたです。
言葉をマスターしたとしても、しきたりや文化、親戚づきあいなど、
タイ女性の域には年季がかかります。
私が傍にいて、相手の役に立つことなんて、なさそうです。
強いて言えば、ちょっと可愛い日本女性って、
タイ人にとってはステータス……ぐらい。
愛情が褪めたら、それこそ四面楚歌状態の環境です。

もっとも、タイ人の彼は誠実に応えました。
『風子から、私でないと絶対にダメか、って聞かれると、返答に困るよ。
確かに、結婚相手に不自由することはないだろうけど、
理屈じゃないよ。愛しているから結婚したい。
う~ん、意地悪な質問だね』 と……。

彼の、私に対する情熱を試そうと発した言葉でしたが、
想像通り、寛容で冷静な反応でした。
それを聞き、なぜか急に不安になりました。
男女の情愛だけに依存して結婚することが、です。

というのも、高校生くらいまでに、
文学全集は全て読み終えていました。(日本、世界ともに)
そこに描かれている男女の情愛は、たいてい数年で色褪せて破局、
互いが傷つけ合い、新たな恋と別れを繰り返してばかり……。
“愛してる”というセリフの短命さを想像すると、
どうにも決心ができなかったわけです。

一方のA……。
学歴もなければ、知識も(勉強嫌い)金も、何もない人でした。
あるのはガッツ、強烈なハングリー精神だけでした。
ただ、ハングリーを生んだ背景には心底、同情していたことは確かです。
Aが背負った人間不信、父への憎しみを払拭してあげたい。
金に対する猛烈な執着も、そこそこ満たされれば癒えるかも。
判官贔屓ともいえる、そんな気持ちがありました。

この心境……。
『可哀そうだ、は、惚れたが……』と言われれば、具の根も出ません。
愁いを帯びた細面の二枚目だったんです……とほほ(^_^ ;)

それはさておき……( ˘ ³˘)
私にとって幸せとはなにか……懸命に考えました。

たどり着いた答えは、自分の『存在感』でした。
ゼロから何かにチャレンジして達成するのが人生だとすれば、
苦労はしても、いつの日か感謝さえ示してもらえたら。
『お前がいてくれたからこそ……』と言ってもらえたら、
それこそが『存在感』であり、充足できるのじゃないだろうか?

それが、Aを結婚相手に選んだ理由でした。



ところが……ドッコイ!
数年で、自らの考えが軽薄で不純だと気づきました。

まず、Aの欲求は天井知らずでした。

夫婦で努力した結果、店は三店舗に増えましたが、
年月の経過とともに売上が低迷。
そうなるとA特有の超ネガティブ思考が始まり、
苦虫をすりつぶしたような表情、焦燥感まる出しの愚痴に、
家族や周囲が巻き込まれていきました。
チェーン展開が夢だったのに、こんなことでは、とか…。
だだ食うてチョンの生活なら死んだ方がましや!とか…。
聞くに耐えられない、駄々っ子のような観念をまき散らすのです。

その焦燥感……私に対するジェラシーも含まれていました。
POPライターとして独立し、高収入を得ていた私と比較して、
男のプライドが許せないみたいな、焦りです。

とどのつまり、イライラが募って吐血……。
胃潰瘍で入退院を繰り返し、最終的に胃を切除することに…。
(当時は、胃潰瘍を放置すると癌に、が主流)
仕方なく、私がPOPライター業をたたんで店の主力になりました。

といっても、子育てとの両立ですから限界があります。
POP業なら自宅で子供を見ながらとか、寝かしつけて、とか可能ですが、
二店舗はS・C内、一店舗は水商売でしたから。

退院後、Aは二店舗を売却。
コーヒーショップだけを残しました。

コーヒーショップだけでも、一般家庭よりはましな収入でしたが、
Aの悲観と焦燥感は留まるところを知りません。
突如、近視回復センターを経営すると言い出し、結果的には私に丸投げ。
投資分の回収もできないまま撤収したかと思えば、
出稼ぎに行くから、店に出てくれ、など々、思いつきでジタバタするばかり。

事情があって親戚の子供2人を養育するようになると、
さすがに生活は厳しい状態になりました。それぞれの信念
POPライターに戻ろうにも、取引業者との基盤は崩壊していたため、
結局は私が、飛び込みの営業に出ることに。(ブックローン、学研の英才教育)
土日は店の助っ人ができるし、幼稚園のお迎え時間までに帰れば、
フルコミッションだけに活動は自由だったからです。

やがて……Aの本性はむき出しになります。

POP業の高収入も、でしたが、営業職でも好成績を収める私に、
ジェラシーを顕わに、ひがんで捨てセリフを吐くのです。
坊主(売上0)の日は、亭主の威厳を保とうと、偉そうに説教。
収入を言うと、『どうせ俺なんか、なんの能力もないしな!』ってなパターンです。

(((ʘ ʘ;)))……オイオイ、どうしろって言うの? 
あんたの欲求に協力してんのに、嫁の能力にジェラシーって?
あんたの好みの事業で成功しないと、気が済まないってわけ?
私は、あんたの身体の部分じゃない。
あんたのためだけに生きているわけでもないんよ。
自らの不甲斐なさの矛先を、妻や息子に向けるな!
それでも〇玉、持ってんのか?

(´-﹏-`;)…さすがに、感情の制御に限界が来ていました。
しかも、13年連れ添って確信に至っていました。
物質欲&自己顕示欲ともにMAX、ひがみ根性MAX、
感謝の気持ち皆無……それがAの本質だと……。

(×_×;) だめだ、こりゃあ!
尽くす価値無し。
幼年期の逆境、トラウマ払拭なんて無理。
私だって相当な貧困家庭で育ったけど、
情も深いし、努力も厭わない。
Aの場合、魂の問題かも?

ってなことで、ブチ切れ、
あげまん女房を13年で廃業したというわけです。(^_^ ;)

もちろん、反省はしましたよ。猛烈に……。

Aを選んだ理由は『存在感』を得ることでした。
『お前がいてくれたからこそ……』と言ってもらえたら、
それが全てだと、確かに思っていました。

ですが、それ、自己顕示欲なんですよねぇ。(´-﹏-`;)

タイ人の恋人のために役に立てなくても、
Aなら、自分の能力が際立つだろう、みたいな……。
解ります?
超絶美人の中では目立たない10人並みの女性が、
不美人ばかりの中では『美人』に思われる得、みたいな……。

私も若い頃は、かなりハングリーな人間でした。
しかも、自己顕示欲も強かった。
だから……Aと、引き合ったんですねぇ。(^_^ ;)

それを認め、猛省したとき、離婚の決断ができました。
良妻賢母ぶって、Aの犠牲になる人生なんて意味がない。
このまま我慢を続けたら、それこそボヤキ人生になってしまう。
この先は自分のために生きよう。
素直に、真剣に、そう思いました。(*^▽^*)


もっとも離婚はしても、Aの、私への依存はありましたよ。
(息子を人質にとられていたようなものだった)

またしても入院 → 奈良に通って息子の弁当づくり。
7000万の保証人依頼 → (●`∧´)即断
破産して金欠  → 300万くれてやる。

このとき、Aがなんて言ったと思います?
『オレ、心底、思うわ……。
お前が男やったら、生涯の親友になったやろうって…』
思わず心で‥‥。
『アホかいな!…こっちにも選ぶ権利あるわ!』


20年ぶりに、息子の結婚式でAと再会しました。(息子は36歳で結婚)
熱心に話しかけてきましたが、親族の手前、松竹喜劇のノリで、きっちり返しました。

『あんたね!、私たち別れて20年よ。
いつまでも“おまえ”呼ばわりされる覚え、あらへんでぇ!
ほんま、ええ加減にして欲しいわ』


すると、新郎新婦はもとより、親族全員が大爆笑!……(Aは苦笑い)
大阪弁って、こんなとき絶大な緩衝材になるんですよねぇ。((´∀`*))ヶラヶラ 

息子が結婚して、心底、安堵しました。
Aとの『ミクロの絆』を、断ち切ることができたのですから……。


えぇ、えぇ、解ってますよ。
Aは、私のために、憎たらしい夫を演じた魂だと。
商売の段取り、交渉、スピーディな動き、低身低頭、おべんちゃら、駆け引き……。
ぜ~んぶ、Aから学んだ処世術ですし、鍛えられたことは確かです。( ˘ ³˘)



『お父さんとこ、行って来たよ。元気そうやったわ。
プロ顔負けのお節作って待っててくれてなぁ……』

正月が過ぎたら、息子夫婦から電話があります。
破産した元夫は、大分県の山村で田舎暮らし、してるんです。
村の名産プロジェクトの一環で、
細々と山椒の栽培をしているようです。(^_^ ;)

『そうかぁ、良かったなぁ。孫の顔見てメロメロやろ?
まっ、お父さんには、あんたたち夫婦だけが身内やから、
父の日とかにも、ちょっとした気持ち、してやってな!』

こんな言葉をかけるのも、Aが、本来は完全な光の魂だと
知っているからに他ありません。

が、しかぁ~し、アストラル界に戻ったら、
一言、文句は言いますよ!
『あんたねぇ、金儲けもいいけど、金に囚われたら終いやで!
二度目の嫁さん、二年で出て行ったやんか。
兄さんたちとも、結局は縁、切ってしまったやんかぁ。
なにが足らんかったと思う? 感謝や、感謝~!……』

(*′☉.̫☉) えっ?
高次の世界に、そんな言語ないって? (。・?_?・。)ムゥ…。
さすが、オバちゃんブログ読んでくださっている方は、進化が速い!


自らのエゴを、同情にすり替えて結婚した、
オバちゃんの『汚点』エピソードでした。
こんな失敗談でも、発信する自分、好きですよ。
人は、失敗から多くのことを学ぶのですから‥‥。




ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

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癒したぁ、なんだや

 11, 2017 00:10
わが家の春ブク用jpg
       小川村のわが家


高齢化、過疎化の進んだ村で、
田舎暮らしをしていたときのエピソードです。



天文台や宿泊施設、スポーツセンターなど、
村には、かつての村興し事業で建設された数々の箱物がありました。
その赤字運営で莫大な借金を背負ってしまった村が、
癒しの里づくり」という地域活性化のための新たな構想を打ち立てました。

村人から募集されたアイディアは次のようなものでした。
●北アルプスの眺望を目玉としたロマントピア街道構想。
●景観整備と花の名所構想。
●ホタルの里づくり

ところがいざ実行となると、原材料費を除く労力の一切が、
村人の永続的な勤労奉仕に依存されようとしていました。
なんのことはない。
予算の乏しい村政にすれば、苦肉の策だったのでしょう。
住民の声を反映する企画だと強調すれば、
労働力は提供してもらえると、たかをくくっていたのかもしれません。


「癒したぁ、なんだや?」 

懇談会の最中、一人の爺さまが勇気をふり絞るように質問しました。
(´ー`*)ウンウン…もっともな質問だと、誰もが感じたようで、
答えを待つ人々の視線が、司会者に注がれました。

「えぇ~、安心するというか、満足するというか……」

役場職員が慎重に言葉を選びながら答えました。

「誰のためにするだぁ。観光客のためだか?」 

すかさず、爺さまが聞き返しました。

「いや、観光客のためだけじゃなく、私たちも癒されるため……」

一瞬、座がしらけ、村人たちの様々な反応が飛び交いました。


懇談会は混迷を極めました。

「おらぁ足も腰も痛てぇ。
それでも畑やらねぇと飯の食い上げだ。
まずは、おらぁを癒してもらいてぇ」

爺さまの本音に、大爆笑が沸き起こりました。

ボランティア精神といえば聞こえはいいですよね。
ですが、出来栄えを問われることのない作業には、
美的センスや、一貫した継続性は望めません。
陰口を恐れ、高齢者のほとんどが足腰の痛みを堪えて、
地区の草刈や清掃に参加しているのが現実なんです。
居住域の環境整備。それも何年も継続する勤労奉仕となると、
中途半端な挫折や、責任転嫁の風評が立つことは目に見えていました。

「全面的な勤労奉仕じゃなくて、
人材センターなどで支払われる時間給の5割や3割の報酬。
または村内店舗の割引買い物券などを発行して、
楽しみという付加価値をつけたらどうでしょう?」 

私が提案してみました。
聴衆は頷き、役場職員はポーカーフェイスを装いました。

結論として、実行されたのは『花の名所』づくりのみ。
もちろん名所というレベルではなく、畳一畳ほどの花壇で、
半年もすると雑草に覆われて見る影もなくなりました。

神戸や、東北大震災以来、流行語のようになった『癒し』という言葉を、
これほど不適格に、無様にスローガン化した役場職員の意識……。
現金収入のない村人の暮らしぶりをイメージすることなく、
労働だけを強いる、職員の意識こそが問題だったわけです。


かつて長野県知事だった田中氏は、 → 異色の知事
経費のかかる知事公社を処分すると決めました。
それを小川村がもらい受け、長野市内から村に移設しました。
その昔、長野県知事の1人が村出身者だったという理由だけで、です。
それまでに国の補助金で多くの箱モノを造り、
その全てが経費倒れしている矢先の、知事公舎移設でした。
移設費用は元より、その維持管理費に莫大な金をかけて借金を増やし、
地域活性化の労力は、100%ボランティアで、って?……(。・?_?・。)ムゥ

このときの、オバちゃんの心境…。
この村の役場職員って、なんでこうもボンクラ揃いなんや!
(○`ε´○)! 脳も心も錆びついてんのんか!
泰阜村にでも行って、学んで来んかい!
っと、まぁ、松竹喜劇風に憤っていたのでした。

★泰阜村は、同じ長野県下の過疎の村。
 早くから地域包括医療を実施。
 山村・都市交流プロジェクトを立ち上げ移住者を手厚く保護。
 その経営戦略は近隣の手本になっていました。


その昔、マズローという学者が、
人間の欲求5段階説を発表しました。
生存できるか否かに始まり、衣食住が満たされると、
社会的な地位や名誉に至り、後に慈善を行いたくなる、というものです。

確かに世界情勢の多くは、
『マズローの欲求5段階説』を証明しています。

例えばIS国。
いまでこそ世界中の若者が参加していますが、
初期の戦闘員の多くは、金銭的な待遇の良さが理由だったようです。
イスラム諸国では失業率も高く、
若者たちの雇用が確保されていません。
高校や大学卒の優秀な若者が就職できないと、
社会や政府への反感や怒りに変わります。
で……”ジハード(聖戦)”という都合の良い理由を見出し、
大義と共に、好待遇の義勇兵(聖職者が推奨)という仕事に、
のめり込んでいくのですねぇ。
衣食住が足りていれば、過激な輩は少数派だったかも……。

ふと思います。
日本は、平和です。
ワンちゃん猫ちゃん飼って、動画見て、
『癒されるぅ…(*´~`*)。o○ 』ってな暮らしですよね。
飢えるどころか、ダイエット意識満々ですよねぇ。
物心ともに老後に不安があったとしても、さほど深刻ではありません。
その証拠に、政界やスターのスキャンダルとか見聞きしたら、
ついネット検索して結末を見るでしよう?

誰のこと(・_・?)……って?
決まってるでしょう。 わ・た・し・です。(。・?_?・。)ムゥ…

ですが、その反動として必ず……。
『まずは、おらぁを癒してもらいてぇ』と言った爺さまの顔を、
イスラム国の聖戦に加わる若者たちを、
落ち着く先の見えないシリア難民を、
化学兵器で殺されたシリアの子供たちを、
命からがら脱北する北朝鮮の人々を想って、
一挙に落ち込むのです。(´-﹏-`;)


さ~て……ここからが本日の核となる話です。


昨今、何かというと『癒し系○○○』とか、
癒しの宿や、癒しの里とか宣伝されますが、
皆さん、それらに違和感、覚えません?

ってか……『癒し』って、なんでしょう。
どんな状態か、ご存知でしょうか?

ワンちゃん猫ちゃんと戯れたり、自然に触れ、
音楽などを鑑賞して得られるハッピィ感は、癒しというより、
安らぎや、 くつろぎを表すリラクゼーションじゃないでしょうかね。
癒しとは本来、病気が治る(癒える)ですし‥‥。

ですが人々は、『癒し』というニュアンスに熱狂します。
なぜでしょうね。

思うに……。
心の奥深く、
根深い不満があることに気づいていながら、
自らの内面に向かい合うことを拒み、
無意識に代償性の安らぎを求め、
癒されている“つもり”に浸っていたい?

そんなふうに思いません?
「自分は、こうしたい」と明確に判っていても、
欲求不満を解消したいと思っていても、
それを実行するためのエネルギーや、
環境変化(物心ともに)に伴う「恐怖」が、
結論を先延ばしにしているみたいな……。


!(・。・) おっと……偉そうに! ですよね。
そういう私も、若い頃はさんざん気を紛らわせました。
迷うばかりで決断、実行できなくて、
ヨガや、プール、登山など、どんなにのめり込んだことか……。(o´_`o)ハァ・・・

で、癒されたかというと、ぜ~んぜん!
つかの間の安らぎを得たに過ぎませんでした。(^_^ ;)
もっとも、端から『癒し』なんて大層なこと、求めていませんでした。
単なる気分転換、気晴らし、安らぎです。


では、本来の癒しとは何か……。
どんな状態になると、人は心底、癒されるのでしょう?

それはズバリ安心でしょうね。

とりたてては求めなくなる。
あるがままで幸せ。
自分への絶対的な信頼。

それが、安心……。
心が安らかな状態だと思います。

そこで、本来の癒し(安心)を得るための方法です。

自らの心や感情に正面から向かい合い、
見て見ぬふりしている「恐怖」の正体を掴み、 
その呪縛から解放されることでしょうね。
言いかえると、その決断と行動が起こるまで葛藤は続き、
決して癒されることはないと思います。


ですが、こんなふうに突き詰めると、たいていの人が、
『いいの、いいの、諦めてるし…』
と言います。

これ、諦めているのではなく、
代償性のメリットを優先させてるんですよねぇ。
(保証された収入、体裁、都合の良さ、etc。)

もちろん、それもいいと思います。
ただ、それを優先しているのは自分をだと、判ることが大切です。
自覚があれば、
相手ばかりを責めなくなります。
自覚があれば、
自分の本当の望みが見えてきます。
なにがなんでも、と、叶うものなら、の、
情熱の差が鮮明になります。
で、執着の強い方が、あなたにとっての癒し(安心)だと、
心底、解るわけです。(決して諦めているのではない)( ˘ ³˘)



今日の記事は、『鍼灸オバちゃんの田舎暮らし18話』の中から
編集し直したものです。



人生の戦いはすべて、僕たちに何かを教えてくれる。
敗北でさえもそうなのだ。
人生の意味とは、自分がやりたいと思うことをすること。
今、沢山の人々が、生きるのをやめています。
この人たちは怒りもせず、泣きもせずに、
ただ、時間がすぎるのを待っているだけです。
         パウロ・コエーリョ



ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

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エピソード/父ちゃん

 15, 2017 00:10
羊飼いの少年


一人きりの静寂な時間が好きだった私は、
小学5年ともなると、薪小屋の2畳ほどのスペースで寝てました。
ボロ屋ながら家はあったのですが、六畳二間と台所、
あとは豆腐屋家業の作業所という環境だったので、
父に頼んで小屋に台座を造って畳を入れてもらい、
念願のプライバシー空間を確保したというわけです。

しばらくして、捨て犬に遭遇。
よちよち歩きの子犬の可愛さに圧倒され、小屋で飼うことにしました。
名前は『シロ』……真っ白なワンちゃん、そのまんまです。
親に内緒ですから、あえて夕食を残して運んだり、
学校に行くときは少し戸を開けて、
子犬が自由に出入りできるようにしておいたのでした。
(村はずれの我が家、燐家は一軒だけ)

2カ月が過ぎても、親から咎められなかったので、
認めてくれたものだと思い、胸を撫でおろしました。
シロと遊ぶのが楽しみで、
学校からスキップしながら帰ったものです。

ところが、ある日、シロの姿が見当たりません。

『父ちゃん、シロ、知らん?』
『よう、知らんのう……どっかで遊んどるがやろぅ』

父を信頼していたので、母には聞きませんでした。
幼年期から貧困と辛酸をなめ尽くした母は、
無知蒙昧で、金の亡者のような人だったからです。

が、しか~し、です。
その日の夕方、台所から『すき焼き』の匂いが漂ってきました。
(((ʘ ʘ;)))おかしい!と、直観しました。
『すき焼き』なんて、わが家では大晦日だけのはず。
それも卵を得るための、自家用鶏をつぶして、でしたから‥‥。

(((ʘ ʘ;)))ま、ま、 まさか…そんなはずは…。
そう思いながら母屋に行くと、晩酌しながら父がい言いました。
『旨いぞ! 風子も食べんかぁ!』

心が凍りつきました。
ですが恐ろしくて、ストレートに聞けるはずもありません。
感情を押し殺し、その辺にあるもので夕食を済ませ、
流しに茶碗を運びながら、母の耳元で囁きました。
『あの肉、ひょっとして……シロ?』
苦笑いしたまま、母は答えませんでした。
(◎ー◎;)…それが何よりの答えだと、確信しました。

((((;゚;Д;゚;))))カタカタ …… なんてことを……((((;゚;Д;゚;))))
子供が可愛がってるワンちゃん食べるって、どんな神経?
肉食べたかったら、ウサギでも獲ってきたらいいやん!
鶏、つぶせよ…なんだってシロを…(´-﹏-`;)…o(;_;)o。

その日から3か月ほど、父と口を利きませんでした。
ですが子供なりに、父の人間性を俯瞰し続けました。

というのも、父は“良い人”だったんです。
感情を顕わにして怒ることなどない、温厚な人でした。
学歴こそありませんが博学で、なんでも教えてくれました。
即答できないことは、調べてでも、です。
焼酎好きで晩酌はしましたが、その後は読書して就寝。
雨風の強い日にはライフワークだった人相や手相学、
東洋医学や、薬草などの研究をしていました。

年に一度、すき焼き用の鶏を捌くときは、
『これが食道……これが砂袋いうてのぉ、
砂ごと突いて食べてしまう鶏の特徴ながよ。
面白いもんで、牛は胃が四つもあるがぜぇ』
などと、解剖学的な説明を加えてくれたものです。

大工でもないのに家を建てたり、機械修理もできるし、
絵もすこぶる上手なマルチ人間でした。
どう塗り直しても池の色が上手く描けず、
最終的に父を頼った展示会用の絵は、
郡が主催する中学生部門の展示会で、金賞に輝きました。
『池の色彩が突出して素晴らしい…』という評価で。(o´_`o)ハァ・・・。

父はまた、涙もろい人でもありました。
もともと正義感が強く、判官贔屓する人で、
情愛ものの浪曲なんかを聞いても泣いていました。

それが戦争体験となると、テンションはMAX。
晩酌をしながら、父は決まってフィリピンの話をするのですが、
私は毎回、相槌を入れながら上手に聞くよう努めました。
母があまりも不愛想で、父が気の毒だったからです。

日本軍は、フィリピンの村々で、大量虐殺を繰り返したそうです。
女子供、老人など、罪もない村人を、です。
泣きながら刃を向ける二等兵たちに向かって、
鬼軍曹が足蹴りして喝をいれたのだとか……。

戦局が不利に傾き、ジャングルを逃げ回るようになると、
飢えとマラリアで倒れる者続出。
人肉をむさぼる輩も現れ、
そのときばかりは死んだ方がましだと思ったそうです。

終戦になり、引き上げ船に乗ったとき、
残酷な命令を下した軍曹を、みんなで海に投げ込んだそうです。
父は加担しなかったそうですが、二等兵たちの心情に泣き、
それを止めなかった自分も同罪だと、泣くのです。
この話は何百回も聞きましたが、父は毎回、泣きました。


子供なりに、記憶にある父を回想すること3カ月。
とりあえずですが、父に対する憎しみが消えました。

『!(・。・)b 父ちゃんにとって、
シロは食料やったんや。
何も言わないって、変だったもんなぁ。
2か月って……太るのを待ってたんやぁ。
ウサギや、鶏、イノシシや、赤犬と同じなんやぁ。
もしかしてジャングルで飢え死にしそうになったら、
私だって、野良犬を食料にしたかも…… 』

赤犬というのは、もともと郷里の山に生息。
オオカミとの混血犬のことで、イノシシ同様、
かつては村人の食料として狩られていました。
父の話では、イノシシに似て美味だと言います。
父はまた、雪の日に罠を仕掛けてウサギを。
何匹ものマムシの皮を剥ぎ、
干して炙って、酒の肴にしていました。
そのワイルドな食の延長線上に、シロがいたわけです。

食べ物について、深く々、考えました。
自分は魚だってキジ(鳥)だって、喜んで食べた。
ウサギや鶏も、美味しかった。
都会に住む叔母ちゃんは、ステーキご馳走してくれた。
み~んな“生き物の命”食べている。
可愛いペットだから、って理由で、
父を恨み続けるってのも、なんか変かも……。
そう思って、許すことにしたのです。


久しぶりに実家を訪ねたとき(34歳)、父が言いました。
『わしゃ、もう死ぬけんの。皆の未来を占って書いておいたぜ』
『なんで?‥元気ピンピンやんかぁ』
『このところ毎晩のように、夢で母親が迎えに来るがよ』
『(((ʘ ʘ;)))……・』

躊躇はしましたが、思い切って“死”をテーマに雑談しました。
そんな方向にでも話を振らなければ、
いたたまれなかったのです。

『へぇ……。
けど、いい機会やから聞いておくわ。
父ちゃんは、人間、死んだら終わりやと思てる?
魂とか…どう思ってんの?』
『よっ、そりゃあ、人間、死んだら終いよ。
腐って土に還るがよ』
『そうかなぁ……。
私、魂は永遠やと思てんねん。
そしたらな、父ちゃん。
死んだとき、魂があるってわかったら、
私に合図してくれへん?
絶対やで!…約束してな!』
そう念を押すと、父は笑いながら頭を掻きました。

この会話の1ヵ月後、父は余命3カ月という宣告を受けます。
甚だしい黄疸で、目が真っ黄色……。
胆管、膵管が交差する厄介な場所の癌で、オペも不可能でした。


父が亡くなり数週間が経った頃、
私の心身に、顕著な変化が……。
父は、私との約束を守ってくれたのでした。
詳細記事はココ 身につくもの・つけるもの➁

エリザベス・キュプラー・ロス著『人生は廻る輪のように』の中で、
エリザベスは、魂や輪廻のあるなしで夫と口論になります。
怒った夫(外科医)が言います。
『もし本当に魂があるなら、僕が死んだとき、
お墓の前に、真紅のバラを咲かせてみせるよ』

で……奇しくも夫が急死。
娘と夫の墓に行ったエリザベスは、雪の日にも関わらず、
そこで真紅のバラが咲いているのを見て驚喜します。
『マニー、解ったのね! ありがとう…』 と……。


さて、話を今に戻して……。
“おしんの時代”と違い、空前のペットブームです。
夫より、妻よりもワンちゃん、猫ちゃん『命』。
そんな人々が圧倒的ですから、
こんな記事発信したら『どんな親やぁ!』と、
袋叩きになりそうですが……。(^_^ ;)

50数年もの間、誰にも打ち明けなかった、この話……。
最近、ひょんなことから、ある人にメールで告白しました。
折しも『洞窟おじさん』の映画を見たことが重なり、
父の思い出として記事にしておきたくなったのでした。

もっとも深刻な難民問題などは、
『洞窟おじさん』のサバイバルどころではありません。
船上で尿を飲んで水分を補給したとか、
亡くなった人の肉をたべたとか……。
そんなニュースを観るたびに、
スルーしてはいけない問題に思えたことも確かです。


さ~て、ここで質問です。
あなたが、ジャングルを彷徨う兵隊の一人だったとして、
飢え死か、生か、その選択を迫られたとき、
亡くなった同胞の肉を食べるでしょうか?

えっ?……。
そんなこと絶対にあり得ないから、答えられない、ですって?
それは、ずるい、逃避です。
よ~く、よく、考えてみませんか?

うん? (((ʘ ʘ;)))わたし?……。

飢餓の経験ないですからねぇ。
いざとなったら、それに耐えられず、
食べるかも?((((;゚;Д;゚;))))カタカタ。
ってか、それまでに、命、尽きてて欲しいですが、
自決する度胸なんてないので、
殺してもらえたら、喜んで食料になります。(^_^ ;)

こうして真剣に考えてみると、
飢えることのない現状は、それだけで天国ですよねぇ。(*^▽^*)




あらゆる動物において最も激しい欲望は、
肉欲と飢餓である。
ジョゼフ・アディソン(詩人、政治家、文学者)




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エピソード/超能力

 02, 2017 10:10
イルカと月①


38歳で営業職を辞めて、ある女性(Kちゃん)のセミナーに通いながら
プー太郎やってた頃の話です。

ある日、Kちゃんから『特別セミナー』ーの参加を促されました。
潜在能力を開発するためのセミナーで、
事業主や、スポーツ選手なども参加しているらしいとのこと。
二つ返事で受けました。
過剰な読書で頭が混沌としていた私には、
願ってもない内容に思えたのです。

内容は、次のようなものです。
⒈ 名刺で、20回連続で、割り箸を切断する。
⒉ 爪楊枝で、20回連続で、割り箸を切断する。
⒊ 厚紙に書いた文字を透視する。
⒋ 膨らませた風船に箸を通す。
この四種類の特訓でした。


セミナー会場に入ると、最初に講師陣による
デモンストレーションが行われました。
割りばしの両端を2人の講師がそれぞれに支え、
1人が名刺を持って立ちスタンバイ。
すぐに照明が消されて、
スポットライトに照らされたステージが浮かびあがりました。

講師たちは気合い入れ、精神統一を図りました。
すると、名刺が刃物になったかのように、
つぎつぎと割り箸を切断していくではないですか。
みごとな連続技に、
参加者全員が拍手喝采したのはいうまでもありません。


割箸切りは、臍下丹田に力を入れて45度の角度で切り込みます。
宮本武蔵の世界観なわけです。
その場合、腕力に頼ると名刺が折れ曲がり、
指先が箸に当たれば裂傷を負ってしまいます。
名刺を持った手もろとも身体全体を、
瞬時に落とすのがコツのようでした。

そうはいっても実際にやってみると至難の業でした。
格好良さに感動して楽しめたのは1~2時間です。
さらに連続20回という条件をクリアするのは、
並大抵のことではないと解りました。
10数回まで連続して切れたとしても、
20回までに失敗すれば振り出しに戻るからです。

このチャレンジ……食事休憩とトイレ以外は、
三日三晩、不眠不休で進行します。


何百回もの屈伸で膝が痛み、裂傷で指先が腫れあがる頃には
自らの、猜疑心との戦いが始まります。
いい歳をして、なんでこんなことやってんだろう。
かくし芸のひとつに過ぎないじゃん。
これができたからって、なんぼのもんやの。
3日間も寝ずに、ぶっ通す意味ってなんやの。
そうやって反発することで自分を慰めるわけです。



2日目の夜、係員に断って洗面所に向かいました。
汗だくの顔と、血まみれの手を洗うつもりだったのですが、
気がつくと、なぜかホースで頭から冷水を浴びていました。
すると不思議に邪念が吹っ飛び、頭の中が空っぽになりました。
脳が、思考を停止した感じです。

「風子、いきます!」 
会場に戻るや否や、私はただ一点を見つめて切り込んでいました。
肉体は名刺のように軽く、割り箸は異様に太く見えました。
切り込む角度がクローズアップされ、
まるで制御されているかのように、
肉体が上下運動を繰り返すのです。

突如、講師の手が伸びてきて握手を求められました。
事は、一瞬で終わっていたのです。
 
目標を達成すると、周囲の人々の苦闘が愛しく思えました。
そこで、挑戦者に寄り添うことにしました。
そばで念を送れば、彼らのパワーが増幅されるような気がしたのです。
もっとも時間の経過と共に次々と達成者は現われましたが、
最後に残された50歳過ぎの小母さんが、
今にも泣き出しそうに私を凝視しました。

「大丈夫、できるよ。必ずできる」 
思わず彼女を強く抱きしめていました。

「みんなで念を送ろう!」 
誰かが言いました。
その迫力に奮い立ったのでしょう。
小母さんは涙を拭い、覚悟を定めたかのような深呼吸をして、
一気に切り込みました。

愛のパワーが充満する会場に、
小母さんの気合だけが響き渡りました。

「ウォー、やったー!」 
喝采が小母さんを包みました。
それを機に、百数十名の参加者全員が、
代わる代わる抱き合いました。
苦しさと戦うことで、
個人レベルの価値観や優劣が消え去っていたのです。
(ちなみに、風子婆、優勝してました(^_^ ;))

不思議ですねぇ。
名刺による割り箸切ができると、爪楊枝で割り箸、ってのも
意外に簡単にできるのです。
(((ʘ ʘ;)))透視も、不可能から次第に、見えてきますし(成功率80%)
風船も破裂せずに、割り箸が入っていくのですから(◎ー◎;)‥‥。

その夜、大広間は消灯され、全員が大シャバアサナーに入りました。
大の字に寝転ぶことで筋肉を弛緩させ、
内なる自己を見つめるヨ-ガのポーズです。

暗闇にも関わらず、視界を埋め尽くす紫色に感激して、
私は泣いていました。
紫色は眉間の中央に位置するチャクラの色です。
それは第三の目と言われ、宇宙との交信ポイントだけに、
祝福を受けているような気がしたものです。

必要な時に、必要な人や物に恵まれた感謝の念が沸き起こりました。
途中、疑心暗鬼に見舞われたものの、
この訓練で、私は多くの教訓を学んだことに気がついたのです。

固定観念に縛られないこと。
心を解き放つこと。
無心になること。
自分を愛するように人を愛すること……。


この記事は、エリアンダーさんの動画を見ていてアップしました。
エリアンダーさん自身が発信している動画のアカデミー賞を
ご自分でランキング。その中の『幼稚園児 涙の挑戦』です。 夏への扉
この動画を見てて、自分の体験を思い出した、というわけです。

エリアンダーさんの動画は幼稚園児ですから、
それはそれは感動! うるうるですよo(;_;)o



が、しかぁ~し‥‥。
そのセミナーから帰って数週間もすると、
なんと、超能力が消失。
なんど試みても、20回連続ができないのです。


飲みにでも行ったら、披露しようと企んでいたのに……。(。・?_?・。)ムゥ…


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エピソード/郷に入れば

 23, 2017 01:00
小川村全景


過去記事のカテゴリー『鍼灸オバちゃんの田舎暮らし (18話)』は、
患者さんたちとの交流を描いた実話です。
ほっこりと、ちょっと切なく、コミカルな内容が多いのですが、
実際は、なじめない掟や風習を背景とする多くの裏話に満ちています。
今日は過去記事に書かなかった、郷のありさまを紹介しておきましょう。

なぜって…?
心に、わだかまりがあるんです。
田舎暮らしで、テレビ局の取材を三度も受けたのですが、
放映されたものは『やらせストーリー』ばかり。
郷に入るという暮らしの、実体、実感を、リアルに伝えられなかった。
オバちゃんには今も、そんな無念さがあるんです。

民放の取材はひどい……最悪です。
名古屋テレビが『あこがれの田舎暮らし』。
信越テレビが『素晴らしき夫婦』というテーマで取材に来たのですが、
ノリノリのリポーターが、勝手にはしゃいでストーリーを創作。
インタビューシーンの映像はあるものの、
内容は視聴者受けするコピーに差し替えられていたのです。

せめてNHKなら…そんな思いで取材を受けましたが、ガッカリでした。
『田舎暮らしに憧れている人たちにアドバイスを…。』
というので、正直にメリット、デメリットを話したのですが、
放映されたのはポジィティブ発言のみ。
いわゆる視聴者受けする内容に限定されていました。

NHKの取材は二日がかり。
謝礼はゼロで、クルー5名の食事も用意するんです。(暗黙の常識?)
近所の爺婆とのコミュニケ撮りたいとかで、
料理を作って皆さんを集め、さんざん振り回された挙句、
地区の皆さんへの寸志もなしで、個人的に菓子折りなど配る結果に。
で、放映時間は15分。σ(・´ω‘・) 
集まってもらった爺婆たちには、さんざん文句を言われました。
『オラ、テレビに映るってんで、他府県の親戚にまで電話したに、
まったく映ってなかったじゃねぇか!(●`∧´)』と…… → 誤り続けて、ご機嫌取り。

アマチュア写真家の夫と、鍼灸オバちゃんの組み合わせが面白かったのか、
あるとき、テレビ朝日『人生の楽園』が取材許可を求めてきました。
(テレビ局って、田舎にも情報網持ってます)

即、お断りしました。(^_^ ;) 
人生の楽園ともなると放映時間30分。
仕事もできず4~5日がかりですから‥‥。
その代わりとかで、テレビ局は万華鏡作家の移住者(患者)を取材。
母親が頚椎症で寝たきり、妻が統合失調症、本人がヘルニアという状態での撮影に、
見ている方がハラハラドキドキ……。
(生活苦に病人を抱えていたので、宣伝したいと思ったのでしょう。)
正直、局に対しては『バカやろう!』と、思ったのでした。

田舎暮らしは、慎重に検討することをお勧めします。
信州安曇野に移住組の同好会があって、定期的に親睦会もありましたが、
10年後には、20組中半数が転居、あるいは都会に戻りました。
中でも悲惨だったのは、白馬の移住者。
移住早々、墓の穴掘り。→ さまざまな勤労奉仕の一環
大規模な豚舎からの悪臭に苦しみ(地元民には金をばらまいて口封じ)
2800万の立派な古民家を手放しました。
購入まで何度も足は運んだのですが、
匂いは、その日の風向き次第で気づけなかったわけです。

もっとも、白馬村に移住した旧友は、自治組織を避けて、
あえて大規模別荘地に家を建てました。
管理会社に5万/年を払い、村の行事に関する業務の代行委任したわけです。

よくありますよね。
『10万円で暮らせる夢の田舎暮らし』なんてキャッチフレーズ。
近所から野菜の差し入れ、食べ放題の山菜、ゼロ円生活、とか‥‥。
頂くと、それなりのお礼をしますし、山菜も業者に荒らされて枯渇ぎみ。
入山禁止の山も多いものです。
また、自治会に関する出費も大きいです。
年会費、祭りや、花火、集会場改装などの寄付金額がスゴイのです。

自宅が古民家だと、3~5年おきに、屋根のペンキ塗りに30万。
寒冷地だと光熱費は莫大です。
薪を買うなら4万円/月、灯油でも2~3万円は必須です。

最近、ワイドショーで和歌山の別荘、格安物件が放映されていました。
南海トラフの巨大地震が予告されて10数年。
物件が売れずに困った組織が、番組に依頼したんでしょうね。

ね!……。
田舎暮らしって、誰もが一度は憧れますが、
テレビ局の創作物語に騙されないように、
現地に何度も足を運んで、詳細を聞き込むのが肝心です。


さて、ここからは郷のメンタルについて。
そこで12年暮らしたオバちゃんの、正直な思い、想いを発信します。

かつては陸の孤島だった僻地の村のこと。
食うや食わずの暮らしを強いられた親世代の観念が、
骨の髄まで沁み込んでいるのでしょう。
まずは、村人たちの強烈なハングリー精神に驚きました。

そもそも村には仕事がなく、年寄りしかいません。
運よく村役場や農協勤めができた少数派はいますが(村ではエリート)、
休日でも体を休ませる人など、ほとんどいません。
自家用、あるいは副収入目的の畑仕事を、平日の朝夕と、休日に行い、
連休などは木の伐採や、草刈りのバイトにも励みます。
まさに二足、三足の草鞋で、馬車馬のように働くわけです。
その甲斐あってか、勤め先のある村人は物持ちです。
機械貧乏だぁ‥とか言いながらも、乗用車や軽四トラックは一家に3~4台。
200万は下らない耕運機や、稲刈り機、それらを格納する小屋には、
稲の乾燥機や精米機まで完備しているのです。

そんなハングリー精神の延長なのでしょう。
選挙戦は、彼らにとって臨時収入を得るための一大イベントでした。

人々の関心は候補者のマニュフェストや、村全体の発展ではありません。
自らの1票が何10万になるのか…。
自分たちの地区にどれほどの便宜を図ってもらえるのか…。
この二点にあります。
(*′☉.̫☉)選挙違反ですって?
村に駐在所はありますが、よそ者の駐在員なんて蚊帳の外。
過疎の村は、自治組織こそが法、という側面を持っています。

ですから、選挙戦に突入すると、村中が北朝鮮状態になります。
個人の意思などは無視され、地区が定めた候補者の応援を強要されるわけで、
直立不動で選挙カーを迎え、拍手と握手を繰り返して盛り上げます。
でないと、即刻、村八分ですから‥‥。
候補者同士の接戦ともなると、あからさまに対抗馬のゴシップを吹聴し、
敵陣に汚泥をばら撒く輩もいます。(うんこ、ですよ。うんこ…(´-﹏-`;))
(。・?_?・。)ムゥ…冗談おいて、瀕死の婆さまでも、
戸板に乗せて投票所に運ばれるほどなんです。

だからといって私たちのような、よそ者の票などは端からあてにされていません。
下手に金を積んで、常識的な正義を振り回されては困るからです。
聞いたところでは、最低が一票10万。
焦っている候補者なら20~30万になるというから驚きです。


そんな村人から見ると、金にもならない趣味や、
ボランティアを行う者などは軽蔑されます。

『おめぇんちの父さん、写真やって金になるだか?』
『(*′☉.̫☉)…いやいや、趣味だから金には……』
『たまげたなぇ!…金にならねぇだか?
そりゃあ、お大臣さま(おでいじんさま)だなぇ』と
通りすがりの爺婆とかにも、よくからかわれたものです。

もっとも、どこにでも低俗な人間はいます。
施術の恩恵にあずかれる者からは感謝されても、
その繁盛ぶりが疎ましいのか、
事あるごとに意地の悪い物言いをする者もいるという具合に……。

また、田舎では人々が助け合って暮らしていると思いがちですが、
村人の多くは善意に甘えることを嫌います。
力仕事を手伝うとか、食べ物などをおすそ分けでもしようものなら、
怖いもののように即日、お返しが戻ります。
それも大層な返しなので、再びお返しをせざるを得ないわけで、
数年もすると、頼まれない限り、手助けは遠慮するのが常識になります。

それには勿論、理由があります。
ああしてやった、こうもしてやったと吹聴され、
否が応にも“恩を着せられる機会”を作らないこと。
酒の肴にされることを避ける知恵に他ありません。

この観念ばかりは、意外過ぎて腹がたちました。
村人たちって、助け合うんじゃないの?
それを逆手に取って自慢話や恩着せするって、
どんな精神性してるわけ? と、悲しくさえなったものです。

閉鎖的な世界(井の中の蛙)ですから、村人たちはうわさ話が大好きです。
一人一時間の施術の間、私は患者たちの噂話に耳を傾け続けました。

離れた地区や隣村との姻戚関係、家族の事情や病歴、
過去の争い事や事件の数々、時の勢力構図や、恨みつらみの全てを、です。
中でも地権争いの恨みは深刻で、
子や孫の代になっても絶交状態にあるといいます。

とくに存在感の薄れた年寄りたちは昔話に浸るのが好きで、
事件性のある話題の語りには熱が入ります。
読み書きのできない者の多くは、地権を定める書類の意義も判らず、
酒をふるまわれて騙され、挙句に自殺とか‥‥。
時代錯誤も甚だしい物語が、今も残存する世界でした。

ある婆さまなどは、騙されて自殺に追い込まれた者の怨念話や、
他殺説の真意を巡り、霊能者を訪ね回るのを趣味にしていました。
いわゆる話題作りのレベルで‥‥。
そんな婆ちゃん方は、したたかで扱いにくいです。
娘ほど歳の離れた私などは手のひらで転がされ、策略に利用されたものです。


ある日、独居老婆(78歳)に乳癌の兆候を発見。
検査を勧めました。
ですが1ヶ月後も病院に行ってなかったので、
仕方なく県外に住む娘に連絡をとりました。
その時点で娘は感謝していたのですが……。

一週間後の長距離電話で、娘は豹変していました。
『母の癌を人に言うなんて、どうしてくれるんです!
あなた鍼灸師でしょう?
守秘義務を怠るなんて……』
娘から、金切り声を浴びせられました。

『(。・?_?・。)ムゥ…誤解です。私は誰にも話していませんよ』
まったく身に覚えのないことでした。

『(●`∧´) そんなことないでしょう?
友だちが知っているからには、先生がしゃべったに違いないと、
母が言っていますよ!』
娘は、血管が切れそうな勢いで怒鳴りました。
万事休す……(o´_`o)ハァ・・・。
何を言っても無駄だと悟りました。

3ヶ月後、事の詳細が明らかになりました。
婆さまは昔から折り合いの悪かった娘を嫌い、
自分の症状を友人に打ち明けたようでした。

そのため、検査結果が乳癌だと判った夜のこと。
結果を案じていた友人から電話が入り、
それをたまたま実家にいた娘が受けたらしいのです。
娘は怒り狂い、母親を罵倒したようです。
その理由がすごい。
人の不幸は蜜の味だから、村人なんかに話してはいけないと。

娘の激怒ぶりに慄き、婆さまは誰にも言ってないと嘘をついたようです。
検査結果を案じていた友人も施術に通っていることを幸いに、
鍼の先生が喋ったに違いないと釈明したのでした。
(後日、その友人という婆ちゃんから聞きました)


その後、婆さまの手術は成功し、千葉県の娘の元で暮らしています。
もちろん、娘から誤解されたままです。

医者や鍼灸師から聞いたと言えば信憑性が増すようで、
村人の情報源として、私は幾度となく彼らの手玉にとられました。
例えば、よかれと思って話したことが、トピックスにすり替わることもあります。

幾つもの峰や山々に隔てられている集落のこと。
移動手段のない村の年寄りたちは、親戚でも何年も顔を見ないことが多く……。
鍼灸院などは互いの様子をうかがい知る情報源らしく、さまざまなことを聞かれます。

『○○も来てるらしいなぇ。
オラの従妹だがさぇ。5年も会ってねぇだ。
元気だか? どこ悪いだぁ?』
そう聞かれれば、適当に返事をしないわけにはいきません。

『うん、元気よ。ちょっと膝が痛いみたいで。
父ちゃん入院してるし、タバコの収穫時期で大変みたい』
という具合です。
ところが、このパターンの会話には必ず尾ひれがつきます。

だいぶ膝が悪いらしい。
手術しねぇと治らねぇようだ。
親父は脳梗塞だ。
先生が言うには、もう、百姓は無理ってこんだなぇ

手術?脳梗塞?……誰からの情報? とは思いますが、
患者さんたちは誰かに、得意顔で情報を発信するのが楽しみというわけです。


12年も経つと、私は誰よりも“村の事情通”になりました。
守秘義務を盾に、猫も杓子も言いたい放題。
愚痴や罵詈雑言、村政と業者の癒着構造や、村民同士の諍い源。
県外から嫁いで30数年のキャリア嫁たちが、未だによそ者扱いされる現実。
儲け話の配分や、介護施設への入所も、金とコネ次第というわけです。


そんな話に耳を傾けているうちに、村に骨を埋める気力は消失。
大阪に戻ろうかと思い始めたとき、それを後押しするような事情が発生しました。
空き家だった燐家に、都会から移住者が来たまでは良かったのですが、
ある思想に傾倒した連中で、他府県からの車の出入りが激しくなりました。

『あんたんちの隣に奇妙な連中が来たってじゃね?
客人が帰るときに抱き合うって? 
車が観えなくなるまで大きな旗振って、ありゃあ宗教かい?
まさか、オームじゃあるめぇな?』
ある日、ウォーキング中に村人に呼び止められました。

『いやいや、オームじゃないから安心して。
テンツクマンっていう思想家に傾倒してるみたいで、
そのグループが出入りしてるみたい。
自然主義に徹して玄米菜食とか、自力出産とか、
オムツもさせずにスッポンポン子育て、やってるみたい。
いずれ、大勢で暮すんだって。
まっ、新人類って感じかも……。
あんまり騒がしいのも困るし、話しい合ってはいるんだけど…』

やがて突如、古民家の改装工事が始まりました。
背後に出資してくれるオーナーがいるようで、表向きは農家民宿。
実体は思想を共有する連中とシェアハウスして、
活動の信州拠点のようなものを作る計画のようでした。

話し合いは決裂。
地区の反対を押し切ってでも、実行することが判りました。

時を同じくして、連れ合いが心臓病を発症。
冬は零下10数度の世界ですから、心臓疾患には堪えます。
山間部のことで、救急車到着までには時間がかかります。

そろそろ潮時かも……。
ごく自然に、そう思いました。

不思議ですねぇ。
鍼灸院としてはメチャメチャ繁盛していたのですが、
ここで骨は埋めないと決心したとたん、
動かざるを得ない状況、事情が生じたのです。

大阪に戻る予告をすると、村中が大騒ぎになりました。
新人類が騒がしいなら、離れた地区に家を提供するとか、
村長を筆頭に、反対運動グループ起こすとか‥‥。

ですが、全てに目をつむって、引っ越しを決行しました。


大阪に戻った後、連れ合いは大阪南医療センターに入院。
一度心臓を止め、電気ショック療法を受けました。
心臓肥大まで進行していると不可能だったのですが、ラッキーでした。
幸いにも経過が良く、薬を飲みながら、今も菜園を楽しんでいます。

大阪に戻ると知り、掌を返す態度になった村人や、患者さんもいましたが、
今も長距離電話をかけてきては、近況を話してくれる村人もいます。
小川村から車で30分ほどの美麻村での事件を、得意げに聞かせてくれる婆さまも、です。

美麻村の移住者が、グループで大麻販売していたニュース。
ご存知でしょう?(美麻村、その近隣の村に分散)
表向きは音楽ライブ。
実態は大麻の販売パーティだった事件です。
このよううな実例があると、村人の警戒心はMax。
『まったく…よそ者ってのは、ろくなもんじゃねぇ!』
ってなもんで、今後、移住者の受け入れは難しいでしょうね。

あくまで主観ですが……。
『郷に入れば郷に従う』という考え方には無理があります。
美しいことわざに思えますが……。
(*′☉.̫☉)ドッコイ! ただの悪習の数々です。
そんなもんに従えるかい!と、オバちゃんは思いました。



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人体の摩訶不思議

 03, 2017 08:00
月と猫



いきなりですが、ご存知でしょうか?

人は、意識を持った37兆個の細胞の集合体だということを。
しかも、37兆個の細胞の、ひとつひとつに意識があるということを……。

臓器移植を受けた人の嗜好や趣味が激変したり、
幻肢痛(切断した足の痛み)に悩まされるのは、
人の細胞が、脳と同じ意思を持っているからに他ならない。
大胆にも、オバちゃんはそう思っています。(^_^ ;)

私の知る限りですが、覚者と呼ばれた人で、
このことを知っているのはOSHOだけでした。

今回は人体の摩訶不思議について。
北アルプスを望む過疎の村で、意識(魂)の具現化である人体を、
鍼灸師の視点で見つめた話です。



≪患者A≫

正月3日の早朝、近所の主婦からSOSの電話が入りました。
金沢から来た実母が立てなくなり救急病院に行ったが、
神経性という診断で手当てをしてもらえなかったというのです。
(・_・?)…でしたが、とりあえず施術の依頼を引き受けました

「アァ、痛い、痛い、もう死んだ方がましや。
死んだ弟が夢枕に立って、私を責めるが……」
息子に抱かかえられてベッドに横たわるや否や、
老婆は心身の不幸を嘆きました。

「へぇ……生前、弟さんに意地悪したん?」
臍の下3寸にある、エネルギー回復のツボに灸頭鍼。
頭頂のツボ(四神総)に鍼をしながら、彼女の精神に向かい合いました。

「悪いことなんかしてないが。
けど、お父ちゃん死んでから病気ばかりして。
嫁には邪魔者扱いされるし、生きてて楽しいことなんか、な~にもないが」 
老婆は子供のように駄々をこねました。

「大丈夫。痛みはとれるし、すぐに歩けるよ」 
彼女の顔を覗き込み、その頬や肩をさすりながら言いました。

病気とは本来、気が病んだ状態です。
まさに老婆の被害者意識が創りあげた筋肉群のストライキ現象に、
私は“愛”という呪いをかけることにしました。

「お婆ちゃんな。な~んもせんでも、グズグズ言いながらでも、
生きてるだけで大したもんや!
嫁は自分の心と戦い、娘たちにもな、
情やジレンマと向かい合う機会を与えたようなもんや。
必要やったんよ。
自分のためにも周囲のためにも。
弟の霊もそうだけど、こんど現われたら聞けばいいやんか。
責めてるんじゃないと思うなぁ……。
姉ちゃんが心配で見守ってんのかもよ。
ええなぁ、霊ちゃんが見えて……。超能力やんか!羨ましい…」

一時間後、老婆は自らの足で車に乗り込み、
明日も来るから…と言いながら帰って行きました。
彼女の娘婿が、あっけにとられたのは言うまでもありません。


≪患者B≫

『わたし、パニック障害なんですけど、鍼で治ります?』

開口一番、Mさんがストレートに聞きました。(70歳 ♀)
症状を聞くと、心臓バクバク、呼吸困難、めまい、吐き気、眠れない、でした。

『パニック障害とか聞いたらビックリするけど、
医者は病名つけるの仕事だし……。
けど、大丈夫。体中が酸素不足で誤作動してるだけだから。
深刻に思いつめたり、したの?』
自律神経系の施術をしながら聞きました。

『いえ、なにも……ある日、突然』
初対面で、心情なんて言うわけないですが、
顕在意識で否定するからこそ、身体に現れるわけです。
しんどい、辛い、虚しいと、誰かに愚痴れない人が罹りやすい病気です。


『あのさぁ、ウォーキングでもダンスでもいいわ、有酸素運動して。
歩くなら速足で汗ばむくらい。ダンスなら…村では無理か?
気晴らしに長野市内まで出て、エアロビか、社交ダンスでもしたら?』
一通りの施術を終え、私が言いました。

『((´∀`*))…ダンス? この歳で? やだぁ先生!』
彼女が、服を着ながら大笑いしました。

『何言うてんの、Mさん。70歳にはとても見えへんよ。
ほんま、お世辞抜きで50代くらいにしか……。
スタイルいいし、洋服のセンスもいいし、村人とは思われへんわ……あっ、ゴメン。
しかも、そうやって片足立ちで5本指ソックス履くなんて、凄い!
私なんか、座らないとダメ。まともに履かれへん……』
何気なく、彼女を褒めたたえました。
お世辞ではなく、本当にそう思っていましたから。

小さな村のことです。
彼女の噂は、耳にしたことがありました。
村の建設会社で40年に渡り金庫番(経理)を務めた真面目な人。
会長の愛人で、その会長も亡くなったと……。

『あのぉ…病院の薬なんですけど、飲むと胃がおかしくなって。
やめた方がいいです?』
帰り間際に聞かれました。

『緊急に発作が起きたら飲んだらいいけど、大丈夫だと思うわ。
まっ、その辺はMさんの判断でいいよ。』


週に一度、施術に来るようになって1カ月が過ぎた頃、
Mさんが弾んだ声で言いました。

『わたし、フォークダンス始めたんです。
長野市内の会員制クラブで、世界の伝統的なフォークダンス。
この歳で、って思ったけど楽しくて、楽しくて……』

『(*′☉.̫☉)ほぉ…スゴ~イ!…ということは、衣装にもこだわって踊るん?』

『もちろんです。次の発表会はチロル地方の民族衣装なんだって……。』

『ええなぁ‥‥羨ましい。スリムなMさんなら衣装も映えるわ。
そのうちロマンスグレーの彼氏、できたりなんかして…』

こんな会話をして3か月……。
一度も薬を飲むことなく、Mさんのパニック障害は完治しました。


彼女たちの意識の、なににスイッチが入ったのかは判りません。
生理学的には、意識の変化と有酸素運動の効果として、
甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン↑? 
ドーパミン↑? 
ノルアドレナリン?
それら脳内物質の何が、どの程度作用したのかも解りませんでした。

うつろな精神、悩む、悲観的に思いつめているとき、
人は無意識に呼吸が浅いものです。
とくに脳は、酸素不足に陥りやすいのです。
交感神経(戦う神経)ばかりが旺盛になり、緊張から血管は収縮。
酸素不足の上に血液循環も悪くなります。
(*′☉.̫☉)精神→神経→免疫学(病は気から)の、
メカニズム、まっしぐらというわけです。


低体温の人が増え、冷え性人口が急増していることも
病気発症のリスクになります。
だからこそ、運動(有酸素運動)が大切です。
そのメリットは……。
•ストレス解消(自律神経のバランスが整う)
・景色、季節を感じ気分のリフレッシュ。(プラーナを吸う)
•肥満防止(体重より脂肪燃焼効果)
•生活習慣病の予防(深部体温上昇)
•脳の活性化
•心肺機能の向上
•筋力の低下予防




過疎の村では、現代医学に匙を投げられた患者さんたちを多く診ました。

・病院のハシゴでも治らなかった頸椎症は、ただ単に、
 枕を変えるよう指示しただけで完快。
 (首から肩にかける筋肉の過緊張を緩める施術のみ)

・整形外科で治らなかった神経絞扼症候群(肩から腕の激痛)や、
 突発性難聴(発症2ヵ月)は、数本の鍼とパルスの併用で完治。
 (患者が村長とか議員だったために、『神の手』のうわさが…)

・難病の赤血球減少性紫斑病は、その余命宣告を遅らせ、
 癌は、ステージⅢの末期くらいまでなら消失しました。
 (望診段階で無理だと感じた患者は、亡くなりました)

完治した患者さんたち共通の意識は、
大阪からやってきた鍼灸師への、100%の信頼だったかも? と思っています。
歳も歳だし、かなりの熟練鍼灸師、という錯覚?
好感度抜群(性格的に)な鍼灸師への信頼感?
私のおまじない効果?(^_^ ;)

この……施術前の『おまじない』について説明しておきますが、
『私の身体を通して、この人が癒されますように……ありがとう!』
それだけです。(鍼を通して光が浸透するイメージを保つ)

よくある症状群について……。
ぎっくり腰や、バネ指などは比較的容易に鍼灸効果が得られ、
五十肩、膝関節痛、腰痛、脊柱管狭窄症による下肢の痺れなど、
何十年にも渡る姿勢の悪さや、過度の使いすぎ、加齢による骨の異形成などは、
魔法のように即、完治というわけにはいきません。
痛み止めの常用で新たな医原病を発症するよりは、
鍼灸施術の方が安全で、全身症状にも良い、というくらい。
施術家の冷静な見解としては、たかが鍼……されど鍼でした。

ですが、それにも増して『意識の在り様』が大事です。

このことは、アンドリュー・ワイル博士の、
『人はなぜ治るのか』『癒す心、治る力』に詳しく書かれていますし、
その中のイボ取りの話などは超有名です。イボとりの話

ハーバード大学で植物学の学位、後に医学部を卒業した彼は、
世界放浪の旅に出て伝承医学を学びました。(日本の禅も)
人を、肉体としてではなく、意識体として捉える数少ない医師で、
その著書全てを読んだ私は、彼が神秘体験をしていると確信しました。
(慎重に言葉を選んではいますが、至る所で、それと判る)

意識の何かについて、身をもって示したのが、
末期ガンから生還した、インドのアニータ・ムアジャーニさんです。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8B&tid=4508ead8041363a5c82e485d1f53439b&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1


もっとも、世界では1000人以上の人たちが末期ガンを克服し、論文に掲載されています。
(*′☉.̫☉)ケリー・ターナー博士の研究著書。http://president.jp/search/author/Kelly%20A.%20Turner

末期ガンから自力で生還した人たちが実践している9つのこと

・抜本的に食事を変える
・治療法は自分で決める
・直感に従う
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ

だそうですよ。


私自身、臨床で何度も体験しましたが、
奇跡のようなことが起きたとき、多くの人の反応は3タイプほどに分かれます。
⒈ そんなバカな……トリック? まぐれ? 偶然に過ぎない。
⒉ へぇ……ふ~ん。
⒊ そうだろうなぁ……感動したぁo(;_;)o

さて、あなたは、どう捉えるのでしょう?


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エピソード/宇宙戦艦ヤマト

 29, 2017 08:15
戦艦大和

私が完全に営業の世界から卒業したエピソード、傑作編です。


鍼灸師の免許を取ると、一挙に出張が増えました。

直販部(大阪営業所)の好調な売り上げを見越して、社長が博多支店を開設。
男の支店長を据えたのですが、半年たっても売り上げが伸びず、
販売マニュアルの伝授を頼まれたのでした。
無理もありません。女性の美容などとは縁のない、
外資系のシティバンクにいた男性を支店長に採用したのですから。

会ってみると、支店長はガっツのあるユニークな男でした。

九州大学在学中に学生運動に傾倒。
東大紛争に駆けつけ、結果、3日間、留置場に。
典型的な山男で、プライベートな時間の全ては登山三昧。
エベレストに憧れ、勤務先でも階段を利用して足腰を鍛える。
山以外の趣味はジャズ…博多のジャズバー『blue note 』大好き男でした。

(ふ~む、確かに……。
枠にはまった銀行マンや、公務員は不向きだわ。
開拓精神旺盛だし、データ解析大好きみたいだし、
営業マンか、商売人だよなぁ‥‥。)
そう感じた私は、全面的な協力を約束しました。
この業界の全体像とノウハウ、活字化した販売マニュアル、
販売員の教育、ロープレなどなど。
毎週のように2泊3日の出張を重ねてバックアップしたものです。

その甲斐あってか、3年後には会社全体で10数億/年商まで躍進。
自社ビルも夢ではない域まで発展したのです。

ところが……。
ある月を境に、リストの生産が滞るようになりました。
週刊誌に広告を出し、お買い上げ顧客をリスト化し、
それを基に直販部がセールスするわけですから、
リストの枯渇は、そのまま業績の悪化に直行するわけです。
リストの配布は博多支店長に任せていたことから、
ある日、報告がありました。

『おかしいと思ってですね、本社行って探ってきたんですが……。
なんと、社長がですね、宇宙戦艦ヤマトに夢中で……。
いろんな人が出たり入ったりで、ろくに話もできなくて……』

『(◎ー◎;)…う、宇宙戦艦ヤマト?‥‥松本零士の?』

『それです。アニメの……。
どうやら、ヤマトの実写化プロジェクトに、うちの社長が入れ込んでるようなんです。
そっちに投資して、媒体にCMする金がないんじゃぁないかと?……』

『(*′☉.̫☉)…そんなアホな。確かなんですか? 投資っていくらくらい?』

『この前採用したって男……あの気取り屋、つかまえて問い正したんですけどね。
数億は突っ込んでるみたいです。実際は二けただったりして…』

『興行収入見越してです?…それとも、ただのロマン?』

『アニメの実写化なんてダメですよ。メチャメチャ金かかりますから。
興行収入なんて知れてます。……まぁ、男のロマンでしょ』

一晩、考えに耽りました。
営業所を開設して3年間は2足の草鞋。
その後、お礼奉公のつもりが、すでに3年が過ぎていました。
( ̄~ ̄;) ……宇宙戦艦ヤマトねぇ……そろそろ潮時かも、と。

1週間後、帰宅すると支店長から電話がありました。
テンションMAXのまま、機関銃のように……。

『リストがなくて営業員にせっつかれますし、他社リストを買ったんです。
それを報告すると、なんて言ったと思います?
ダメだよ。僕のプライドにかけて他社リストなんて…ですよ!
そこでブチ切れました!
現場の悪戦苦闘、叱咤激励の日々をなんだと思ってんだぁ!
ヤマトにうつつぬかして、他社リストはダメって、なめんなよ!って…。
そしたら翌日、博多に飛んできて……。

じっくり話し合いましたよ。
で、結論から言うとですね。
博多支店と管轄の営業所は閉めるそうです。
大阪営業所は、残すそうですよ。
1号店ですし、社長にしても思い入れがあるのでしょう。
そんなことで、僕は辞めることにしましたから‥‥』

『ですか……。ついでと言ってなんですが、私も辞めます。
能力の高い支店長が加わり、年収600万も頂いて3年です。
(資格取得後、正社員に昇格。自ら稼ぎ出してたコミッションが給与に反映された)
目の前のニンジン食べたさで、いつまで走ってもきりがありませんから‥』

『やっぱり……所長はそう言われると思ってました。
以前に社長から聞いてましてね。幹部にしたいけど、彼女、
鍼灸で身を立てたいんだろうね、とかなんとか。』

『支店長、今だから言いますけどね……。
わが社、ヘッド、ふたつですよね。
私が入社したとき部長だった姫さま、今、専務ですよね。
〇〇城の姫って女性と、社長が折半して立ち上げた会社ですよね。
このケース、未来的には政権争いで分裂かも?って観ていました。
本社行ったとき、近くにある彼女のサロン、見ました?
一等地にゴージャスなサロン展開しましたよね。
1台500万のボディカプセル数台、高級化粧品とか並べて……。
開店1年で、利益はほぼゼロなんでしょう?

男女は窮地にあると一丸となりますが、儲かって余裕ができるとどうでしょう。
実はここ1年ほど、専務から何度か電話がありまして……、
化粧品やドリンクの、内容成分の有効性を知りたいとかなんとか。
それ以外のことは、聞いても決して答えませんでしたが。
ただ、その話、社長は蚊帳の外。
これは彼女の権限が独立してる、ってことですよね。

その姫も結婚した今、残るのはヘッド同士の勢力争いだけでしょう?
社長は宇宙戦艦ヤマトに、専務は、VIP見込んでお姫様ごっこ……。
正直、個人的には辞職のグッドタイミングだと思いました。』


一週間後、来阪した社長とじっくり話しました。
ヤマト投資には触れず、辞職の意を伝えたわけです。

『博多支店を閉めて、どうして大阪を残すんです?』

『確かに博多支店の売り上げは要でしたが、経費も膨大でね。
彼は外資系銀行出身ですから、その辺がザルで……。
それに比べると、大阪営業所の利益効率はバツグンでした。
所長が、自営業出身者だからでしょうね。
専務ともども、感謝してました……辞められるのは残念です』

ということで、支店長は友人と組んで通販会社を起こすことになり、
私は、あるオーナーの希望でヒーリング鍼灸サロンを始めたというわけです。
たまに週刊誌でチェックするのですが、会社は倒産を免れ、細々と続けているようです。

そうそう、宇宙戦艦ヤマトの興行収入は41億ほどで、
邦画での客動員数は第4位だったらしいのですが、そのうち配給収入は約20億。
配給手数料などを差し引いたら、製作会社に入って来る収入は20億以下。
この時点では製作費が回収出来ずに赤字という事だそうです。

もっとも、日本が東北大震災で パニックになり、
人々が宇宙戦艦ヤマトどころではないと思ってしまったようで、
タイミング的な不運もあったようですが……。

もちろん、私も見ましたよ(テレビで)
キムタク主演…どう欲目に見てもアニメに劣ります。拍子抜けしました。
そりゃあそうです。
となりのトトロ…実写化したら夢も希望もなくなりますよねぇ。
トトロのほんわかとした図体が醸し出す癒し、猫バスの運行ルート…。
CGを駆使したとしても描き切れるものではないと思います。
はて、進撃の巨人、興行収入、どうなんでしょうね。

ともあれ、映画を見てて、なぜか笑えました。
『宇宙戦艦ヤマト‥…あはは……。
辞職のきっかけとしては、ドラマティックで良かったなぁ』と。
この思考、罪でしようか?(^_^ ;)


矛盾に満ち溢れているがゆえに情熱的な人
情熱的であるがゆえに間違いだらけの人
間違いだらけであるがゆえに愛すべき人
      (詠み人知らず) 


ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○


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エピソード/老いらくの恋➁

 24, 2017 04:00
道

エピソード/老いらくの恋 完結編です。


セミナーを試みたおかげで目標は定まったものの、
すぐに実行というわけにもいきませんでした。
息子の進学費用を除けば貯金にゆとりがなかったのです。

ああ、またしても寄り道、回り道ではないか。
事情に足止めされるのは、私の観念のせいだろうか?
それとも夢の実現には、必要なプロセスなのか?
瞑想に耽ってみても、答えは得られませんでした。

仕方なく再び仕事を探して、社団法人の営業職に就きました。
労働省の諮問機関が発行する『工学技術員』の認定書を斡旋する仕事です。
怪しげな社団法人の営業職というだけで興味をそそられました。
窮地にいても、好奇心だけは躍動する私です。

この会社で再び、金と権力に溺れるオーナーと親密になってしまいます。
ストーリーの詳細は過去記事に書いてます。阿修羅のごとく


ただ、印鑑屋の人間関係と違ったのは、
交わった人々に良い影響を与えられたことかもしれません。
しかも、阿修羅のような生きざまのオーナーと接触したことで
私自身、腹をくくることができました。

来年こそは、なんて、悠長なことは言ってられない。
半年という期限を切って休職し、受験勉強に没頭しよう。
合格したら、資金源はそのときに考えよう、と。

で……受験の前夜、不思議な体験をします。ビッグマン


そうそう、『老いらくの恋』の続きですが、
受験の結果を待っている日々にも、爺さまから電話はありました。
仕事の縁は切れたから、一切、電話もしないで。
そんなふうに拒絶することは簡単でしたが、
かつての苦い経験から、それだけはできませんでした。


勤労学生だった頃の話です。(名古屋の大手毛織物会社、事務職)

夜間高校の試験に備えようと、早朝出勤して掃除を済ませ
就業時間まで自習する私のリズムを知っていたのでしょう。
ある日を境に、出勤すると、完璧に掃除が終わっている日が続きました。

聞きまわると、職場の大先輩Kでした。
(27歳♂、総勢200名の男子寮寮長、会社の野球部キャプテン)

勤労学生に同情? とも思いましたが、理由を聞くと次のような感じでした。
野球の早朝練習の後、寮に帰っても暇だし……。
若いのに感心だなぁと思って……。
妹みたいで可愛いし……。
以来、何かにつけ、よく面倒をみてくれたものです。
登山の醍醐味を知ったのも、会社の登山クラブに所属していた彼の影響でしたし、
年に数回は、サイクリングや、ハイキングなども楽しみました。

高3になり、大学受験に備えようと女子寮を出てアパートを借りました。
夜学の授業が終わって会社の寮に戻るのがPM9時。
10時消灯が規則でしたから、入浴が精一杯だったのです。

その頃、会社で噂話を耳にするようになりました。
生産現場と離れた職域でしたし、夜学の関係で分刻みの暮らしぶり。
そもそも噂などは耳に入る環境ではなかったのですが、
職場結婚するはずだったKが、婚約破棄して小娘に夢中になってると……。

(*′☉.̫☉)…へぇ、婚約者いたんだぁ。
……わたし? それはないんじゃ…。

いや、その通りでした。
それから間もなく告白されましたから‥‥。

『Kさんのことは好きだけど、まだ学生だし、大学にも行きたいし…』
残酷なようで、兄のように、とは言えませんでした。

『だから黙って3年待ってた。真剣に考えて欲しい。
婚約破棄して両親も気落ちしてるし。僕も30歳だし。
大学は、結婚してから行けば? 僕としては大丈夫だから』

『ちょっ、ちょっと待って……。結婚して、奥さんが大学生なんて変。
わたし18歳だよ。他にもやりたいことだらけで……』

こんな押し問答を繰り返して数か月後、事件が起きました。

ある夜、Kが酔っぱらってアパートまで押しかけて結婚を迫るので、
つい面倒くさくなって、実は、好きな人がいる、と言ったわけです。
実際、大阪在住のタイ人と、文通は続けていました。
するとKが逆上、ガス栓をひねり、台所の包丁を私の胸に当てました。((((;゚;Д;゚;))))カタカタ

人間、とっさの行動って凄いものです。
反射的に包丁を払いのけ、裸足で部屋を飛び出し、交番に飛び込みました。
事情を説明して警官に様子を見て欲しいと頼んだものの、
恐くてアパートに帰れず、友人宅に一泊させてもらいました。

次の日、恐々、出勤ししました。
顔を合わせれば最悪の1日になるだろうと思いながら……。
すると、顔面の切り傷、肩から指先までギブス固定され、
包帯でグルグル巻きになったKが、
うつろな表情で、そこにいるではないですか。

事情は、次のようなものでした。

私のSOSで、パトカーがアパートに急行。
酔っぱらって眠り込んでいたKに、警察官が事情徴収。
真夏のことで窓は網戸にしていて、ガスは警察官が止めたようです。
氏名や勤務先も言っておいたので、厳重注意の上、彼を寮に送り届けたそうですが、
それからが、大変なことに……。
寮の窓ガラスを何枚も素手で叩き割って暴れ、
顔面や、腕の神経を傷つけたことを知りました。
(◎ー◎;))……(o´_`o)ハァ・・・o(;_;)o

行きつけのスナックで喧嘩になって…みたいな噂も聞きましたが、
もう、この会社にはいられないと思いました。
自分の存在が、男一人の人生を狂わせたという事実が衝撃過ぎて……。

で、いさぎよく辞職ました。(両者とも職域の変更は不可)
勤め先を変えてでも、高校だけは卒業しなければいけません。(夜間高校は4年)
大学進学計画もありましたが、志望の名古屋大学は、名古屋城を挟んで互いの行動範疇にありました。
バッタリ会ってしまう可能性や、彼に対する罪悪感を思うと心は萎えるばかり……。
結局は大阪に戻る選択をしたわけです。(両親が田舎から移住していた)

通信教育でレタリングを習得していたことから、
大阪では、三菱商事が造ったショッピングセンターの企画室に 勤務。
過去記事『悩むな!考えろ!』に繋がります。悩むな!考えろ!


一途な想いを一刀両断したばかりに生じた事件……。
そんなトラウマを抱えていた私ですから、堅物で通っていたという、
爺さまの恋心に対しては慎重にならざるを得なかったのです。

もっとも、頻繁な電話を叱ったのが堪えたのか、
その頻度は1回/週くらいに減り、熱烈な情愛トークも封印。
とりとめもない会話ができるように落ちついていました。

『あのぅ、折り入って、お願いがあるんですが……』
ある日の電話中、私の方から言いました。

『合格した場合、医師か鍼灸師の紹介状がいるんですけど、
私にはつてがなくて……。先生、ご存知ないですか?』

『(◎ー◎;)お、お任せください!
松下幸之助の腰痛を治したという伝説の鍼灸師がいましたが、
その娘婿が後を継いでいまして、二人とも信者でございます。
ご安心ください。早速にも私が電話いたします』

『(*′☉.̫☉)…ですか。じゃあ、合格通知が来たら、お願いします』
そういうと、爺さまの声のトーンが一挙に弾みました。


『桜 咲く……』
〇〇東洋医学院から、粋な合格通知が届きました。
大変です!急いで仕事を探さなくては……。
この話は過去記事『二足の草鞋』に書いています。二足の草鞋

翌々日、爺さまから電話があったので、
合格の旨と、紹介状の件をお願いしました。
自分のことのように喜ぶ爺さまに、少しはほろっとしたのですが……。
数日後、彼から、とんでもないFAXが届きました。
私への3年分の『送金計画書』でした。
しかもFaxナンバーを確認すると、こともあろうに組合長室からでした。
なんて大胆な……破滅するぞ!……です。

マンションのローン、息子の学費、私の学費、生活費を合わせると、
年間600万近い出費になります。
送金計画書の内訳は、まさに600万/年 × 3年分でした。
しかもご丁寧に、月々に分割して書かれていました。
一括すれば、さまざまな意味で支障をきたすかも? という、
彼の年季と、几帳面さがにじみ出ていたのです。

この金額、どうやって弾いたのだろう?
その後にコンタクトして専務から情報を得た?
まさか、興信所使って調べた?
陳情書を携え、何度も林野庁に足を運ぶ、アクティブ極まりない爺さまです。
老いらくの恋を成就させようと、全力で動き回ったとしか思えませんでした。

ふと、冗談として聞き流していた爺さまの妄想が浮上しました。
広大な山林の一部を開墾して整備。
そこに私の別荘をを建て、別棟の施術所と隣接する温泉施設を造る。
『神さまの鍼灸師』とかなんとかのフレーズで、信徒たちに宣伝。
どんな難病も、たちどころに治るとかなんとか言って通わせる。(´-﹏-`;)
(◎ー◎;)ワァ~オ、なんて爺さまだぁ!
財産、地位、名誉、家庭もろとも崩壊コースじゃん。

当然ですが、一晩寝ずに策を練りました。

ワード仕上げの10数ページに渡る手紙の内容は下記のようなものです。
・誠心誠意、尽くしてくださったことへのお礼。
・私の人生観と、価値観。
・先生の余生展望(妻、息子夫婦、孫の存在と、それらに生かされてきた先生の今)
 それを大切にすることこそが、神の道。(な~んちゃって偉そうに、です)
最後に……。
紹介状に対する心ばかりのお礼を同封します。
これで美味しいアテでも買って、一杯飲んでください。
このお金は『天国の通帳』から下ろしました。お気遣いなく。
書き終えた便せんで10万円を巻いて、翌日、速達で投函しました。



電話のない、静かで不気味な日が続きました。( ̄~ ̄;)

この地方の一番高い山に登って、
見渡す限りが私の土地だと、豪語した爺さまです。
大本教に1000万寄付したことが自慢の爺さまです。
出雲大社に、大本教由来の石碑を建て、
その尽力過程を本にして、1ページに『私』を10数回も登場させ、
読む気力を萎えさせた爺さまなんです。

長文の手紙と10万円が、彼の自尊心を崩壊させたのでしょうね。
まぁ、家族に見守られているし、お歳ですから、
酔っぱらって自暴自棄とかは、ないと確信しています。(*´ェ`*)
ここで断言しておきますが、私は良い事をしたと思っています。(^_^ ;)


本当にやりたいことを発見して、実現までに3年、かかりました。
失業 → 寄り道 → 印鑑屋 → 社団の内勤営業 → 受験
どの仕事、どの人に対しても、全力で受け止め、最善を尽くしました。
一見、紆余曲折のように見えますが、『必要な漂流時期』って、あるんですねぇ。

渦中にあるときは辛く、悲しく、惨めにも思いましたが、
振り返ると喜劇であり、悲劇、メロドラマであり、
プロデュースされた映画のようにも感じます。
たぶん、魂レベルの自分が、プロデュースしたからでしょうね。(^_^ ;)

さて、エピソード三部作に登場した人々は、全員、地球を卒業しました。
物理次元での意識はリセットされ、今は光の粒子に戻っていることでしょう。
だからこそ、交わった日々が愛しいと思えるのです。

『若さ』という宝物を持っているニートさん……。
遅かれ早かれ、私たちは全員、地球を離れるのですよ。
冥途の土産話(古っ!)準備した方が、天国でも、もてると思うんですけどねぇ。(*´ェ`*)


「やりたいことだけをやる」というのは本当に大切です。
そんなことをしたら貧乏になって、
狭い家に引っ越さなくてはならなくなると思うでしょう。
でもその代わり、全身全霊で生きることができます。
世を去るときに、自分の人生を祝福することができるのです。
       エリザベス・キューブラー・ロス



ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○


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エピソード/老いらくの恋

 21, 2017 13:30
森のたまご

エピソード/瓢箪から駒 の、続きです。


セミナーの原稿作りが一段落したある日、
地方の得意先を廻るという専務から同行を求められました。
外交には出ないという約束でしたが、
年に1、2回の挨拶回りだと聞いて付き合うことに……。


I市の森林組合に着いたのは昼前でした。
職員に案内されて組合長室に入ると、
精悍な顔つきをした大柄の老人が座っていました。

「やぁ、思ったより早く着きましたね。これは、これは……」 
出迎えるつもりだったらしく、その老人は恐縮するように言いました。
林業従事者3000人のトップに君臨する男であり、
地元では有名な宗教家だと聞いていました。

「高速がすいてまして。まぁ、先生、お久し振りです」 
弾んだ調子で専務が挨拶を交わしました。
名士や権力者に対してはもちろん、物事に秀でてさえいれば、
誰彼かまわず先生と呼ぶのが、彼女の営業における常套手段でした。

「お話した人をご紹介します。そりゃあもう先生、彼女の博学さときたら…」
マンネリ化した営業パターンを払拭でもするかのように、
専務が私のパワーや感性を吹聴し続けました。
(×_×;)……嫌な予感がしました。
組合長の反応を伺っていると、私の人柄や離婚暦などの個人情報が、
事前に伝わっているような気がしたからです。

「専務、その辺で止めて下さいよ、前宣伝が過ぎます。失望されるかも」
恐縮しながら組合長に微笑みかけました。
すると、恥らうように彼の顔が紅潮するではないですか。
(◎ー◎;)……どう見てもひと目惚れの兆候でした。


「まぁ、ありがとうございます。今回はこれだけですよね」 
印鑑の受注伝票を確認しながら、専務が念を押すように聞きました。

「はい、そげです」
そわそわと落ち着かない様子で、組合長が私を見ながら答えました。

大本教(丹波哲郎で有名/元祖 出口王仁三郎)の宣伝マンを自称する組合長が、
印鑑販売の仲介役を引き受けるようになったのは数年前のことだったようです。
信徒を増やしたい一心で誰とでも交流の輪を広げる彼と、
にわか信者に修まって販路を広げようとした専務の出会い、という関係でした。

商売人の専務はまだしも、交換条件で信者を増やすなど、宗教家の風上にもおけない。
まして公務員の立場で印鑑を斡旋するからには、リベートが組合の雑収入になっているのだろうか。
私はそんなことを訝っていました。

「他に、お心当たりはございませんかね」 
恵比寿顔を繕いながら、専務が物欲しげに訊ねました。
ヒヤリとしましたが、彼女のとぼけたような表情の可愛らしさに救われました。

専務は73歳。阿蘇村の村長の娘で、林野庁にコネを持っていました。
甥っ子が代議士という側面も、森林組合にとっては重要なパイプですが、
下膨れの丸顔といい、目尻の垂れ具合といい、
彼女が笑うと、誰もが恵比寿さんをイメージするのが幸いでした。 

「うーん、待てよ……今から行ってみるか」
閃いたかのように膝を打ち鳴らし、組合長が職員を呼びつけました。
何やら指図した後、狼狽する職員たちを尻目に、
組合長自らの運転で印鑑販売に廻り始めたのでした。

一抹の不安を覚えました。
組合長たる者が、直々に高給印鑑を斡旋して回る?
どう考えても異常じゃん(´-﹏-`;)
老いらくの恋に身を焦がし、彼が失脚するような予感が……。


それから2ヶ月もしないうちに、売上を確保した組合長から電話があったようです。
私の同行を望んだことから、専務はひと目惚れの効用だとはしゃぎまわりました。

「専務。なんか、まずいんじゃないですか」 

「いいの、いいの。あの歳で一目惚れしたからって、どうなるもんでもないし。
まっ、ドライブにでも行くつもりで付き合って。
心配せんかて、風ちゃんに手出しするほどの度胸はないやろ。
けど、おもろいなぁ。あの先生が顔赤らめるやなんて。
堅物で通ってた人がなぁ……」
専務が愉快そうに私の背中を叩きました。



翌日、高速道路の渋滞に巻き込まれ、予定より2時間遅れで森林組合に着きました。

「やっと来られましたか。組合長がお待ちです。なんだか落ちつかない様子で」 
出迎えた職員が首をすくめながら言いました。

「すいません、遅くなって……オカンムリですか」
親指を立てて見せながら、専務が組合長の機嫌を訊ねました。

「いつものことながら大変です。イラチですから」
彼女が、職員の反応に同情を示すような表情をしました。

「そんなに短気なんですか」 
職員の後に続きながら、私が声を潜めて聞きました。

「いいや。今までも遅れたことはあるし、それで怒るなんてのは珍しいけどなぁ……。
そや! 風ちゃん恋しさかもなぁ」

「まさか……」

「いや、わかれへんよ。愛しさ余って、殿さま御乱心ってとこかも」 

「あほなこと……。それでなくても彼は九紫、火の星なんですから」

「よう知ってんなぁ。調べたん? しかも五黄。占いて、よう当たんなぁ」

「もう! 専務。何もかも調べてからお膳立てしたくせに。よく言うわぁ」
私たちは笑いながら組合長室に入っていきました。

専務の予想は的中しました。
組合長が私を見るなり、今にも泣き出しそうな表情になりました。
車の事故を心配して気をもんだというのです。
(´-﹏-`;)……頭痛を覚えましたが、すっかり機嫌を良くした彼は、
遅くなった昼食の予約をとろうと電話をかけはじめました。

「だから言わんこっちゃない。知りませんよ!」
声を潜めて専務の肘を小突きました。

「まぁ、まぁ、なるようにしかならんて…」


昼食の間中、専務は意図的に信仰心を話題にしました。
それでいて組合長が得意とする教義についていけなくなると、

「せっかくですから、ちょっと知り合いに会ってきます。
まぁ先生、風ちゃんと宗教談義でも楽しんでください。
彼女の見識の深さは保障しますよ」
そう言いながら、ちゃっかりと席を立ちました。
退屈になったときの彼女の常套手段です。
もっとも、そうだからこそ彼女は私を同行させていたわけで、
組合長の話し相手になることも、仕事に違いはないのですが……。


「あなたは不思議な人だ……神を見ずして神を語る。
私は40年に及ぶ信仰の中で、今だ神の御姿を拝見致してはおりません」 
大本教〇〇市総代が言いました。
思わず吹きだしそうになりました。

「教祖さまがいるじゃないですかぁ。生き神さまなんでしょう?」

「あの方はそのぉ……神さまの代理というか、人間ですから。
私は、あなたの話のように本当の神にお会いしたい」

「いえいえ、本当の神かどうかは判りませんよ。
崇高な愛を放射する光に遭遇しただけで……。
ですが、それを望まれるなら、生神さまではなく、
ご自分の中の神を崇めた方が早いんじゃないですかね」

「私の中に神がいらっしゃると?」

「ええ、私たちの中の高次の意識……それって『本当の自分』っていうんですけど、
本当の自分が何者なのか気づけば、遅かれ早かれ光りに遭うことができますよ」 

「さようですか……して、その方法は」 

「心を空っぽにして瞑想すること。それが来るのを信じることかな。
言葉では、ちょっと、しんどい感じはしますが…」 
言い終わらないうちに、彼は赤面しました。

「心を空っぽになどできません……あなた様が恋しくて恋しくて。
実は生涯に渡り、物心共にあなた様を支えたいと願っておりますが、いかがなものでしょうか」
ワァ~オ!(◎ー◎;)
2度目の会食だというのに、老人は告白してしまいました。。

「(´-﹏-`;)……それって、私に妾になれっていう意味ですか」 
グサリと聞きました。

「いえ、とんでもございません。妾だなどと。
あなた様のお役に立ちたいと願っているだけでして。
あなた様のお傍に居させていただき学びたいと…」 

「先生、学ぶというより、神は感じるものでしょう?」

「そのことも教えていただきたい。そのためにお傍にいて物心共に……」 
そう言うと、彼は震えながら私の手を握りました。
衝動的な情愛を、何とかして宗教家の善意にすりかえようと……。

「ありがとう先生。けど私、物心ともに間に合ってます。
押し入れに『天国の通帳』しまってて、お金に不自由はないし、
心の問題も、自分の深いところに相談して間に合ってるし……」

「天国の通帳でございますか」 

「はい。使っても、使っても減らない天国の通帳、持ってるんです」
私は悪戯っぽく微笑みました。

「あなたという人は……」 
彼が、そう言いかけたとき専務が戻ってきました。
彼女に目線で抗議はしましたが、タイミングの良さに安堵したものです。
憐れだとは思いましたが、当時40歳の私です。
70歳過ぎの老人相手に、恋愛問答なんてできるものではありません。


それからというもの、老人は四十路のバツイチ女に尽くそうと躍起になりました。
私が歩合給だと思ったようで、まるで印鑑屋の地方営業所かと思えるほど、
2、3ヶ月毎に100万以上の売上を確保し続けてくれたのです。
(林業従事者や、信徒たちには迷惑千万だったことでしょう)

社長や専務は大喜びで老いらくの恋の行方を楽しみ、
私の憂鬱は深まる一方でした。
電話魔の彼が、すがりつくように情愛を告白し続けていたからです。


数か月後のある日、浮かない顔の専務からお茶に誘われました。
C型肝炎に罹っていた社長が、医師から入院の指示を受けたと言います。(この頃、C型肝炎は不治の病)
頼みの綱だった新企画の収入も、膨れ上がっていた借金の返済には届かず、社長が廃業を決心したというのです。

「先生、どうする?」 
いつの間にか先生になったらしい私に、専務が憮然と聞きました。

「どうするって、どうもしようもないですもんね。社長、癌かなんかですか」

「うん、まぁ、本人はC型肝炎って言うけど、即刻、入院らしいわ」

「ですか……。早くから、調子悪そうにしてはったもんね」 
面接の日から、弱気な発言に終始していた彼の心中を思いやりました。

「私と一緒に組んで仕事せぇへんか」 
専務が唐突に言いました。

「事務所も無くなるのに?
専務はお得意さん持ってはるやろうけど、
事務所なしで新規客の開拓なんか無理ですよ。
かといって、セミナーも限界感じてるし……」
正直に心境を吐露して退職を宣言しました。

すると気が緩んだのか、彼女が私を採用したときの経営状況を暴露しました。

霊感商法の煽りを受けて以来、営業不振が続いて借金が膨れ上がったこと。
固定給を大幅に引き下げた結果、営業員達の離職が相次いだこと。
更に若さや斬新なアイデアに賭けようと、
最期の求人広告を出して私を拾い上げたことを聞かされました。
すべてが推測通りだったというわけです。 (。・?_?・。)

「背水の陣として採用されたのに、すみませんね。お役に立てんで」 
ほほ笑みながら言いました。

「いやいや、おかげで楽しかったわ。
風ちゃんがおれへんかったら、とうに倒産してたやろし、
なにより、あの熱烈な老いらくの恋が面白かったなぁ。
私までが若返ったわ。
ところで、爺、どうなってんの」
縁が切れるとなると、殿から爺への降格です。

「今じゃ巻紙の手紙です。
好きな人がいるって言ってやったんだけど、
自分の情熱で気持を変えてみせるとまで言い出して…。
ほんま、尋常じゃないわ」

「ほんで、あんたどうすんの。返事したん?」 

「とっくにしました。2回目の出張で、妾になる気はサラサラないって」 

「そしたら?」

「だから、巻紙の熱烈なラブレターと、無言電話のオンパレード」 

「無言電話って?」 

「日に何度もかけて来るから、ある日、怒ったんです。
今にフォーカスされて地元の笑い者になりますよ、って脅して。
そしたら、私の留守番電話の声聞いて自分を慰めているみたいです。
キャッチ回数からして異常……彼だと思うわ」

「えらいこっちゃなぁ……」
彼女は珍しく真顔になりました。

「まあね。けど、会社も終わりだし、そのうち諦めるやろとは思うけど」 

「そらそうやな。山持ちの爺さま相手にしても、出せる金額なんてしれてるわ。
それより風ちゃん、代議士秘書せぇへんか。
田中角栄の金庫番だった青木伊平って人、知ってるやろ? 
結局は責任とって自殺してんけど。
あんたの才覚といい度胸といい、
代議士秘書にうってつけやと思うんやけどな。
実はな……」

あれがだめならこっちという軽さにも増して、
素人の私を親族の代議士秘書に推薦するなど、愚の骨頂としか思えませんでした。

「(o´_`o)アホな……。
専務が村長の娘だってことは知ってますけど、政治家なんて信用でけへんわ。
気の毒な結果にはなったけど、それならまだ爺さまの方が純粋で人間的やないですか。
やめて下さいよ。仕事は自分で探しますから……」 
強い口調で言いました。

さすがの専務も、口をつぐみました。
陽気で天真爛漫ですが、反面、性急で飽きっぽい彼女は、もめごとを起こしやすい性質でした。
経営方針の違う社長や、意のままに動かない代議士に激高するたびに、高血圧症の彼女を案じものです。

少し気まずい雰囲気になったので、自らの発言をフォローしました。

「……専務、私ね。バイトしながら専門学校に行こうと思って…」

「学校て、何の」
彼女は身を乗り出しました。

「専務の亡くなったご主人、医師だったんですよね。
医師となると最低5000万はかかるでしょう?
まあ、この歳と甲斐性を思えば、行けても鍼灸専門学校くらいですかねぇ。
それでも学費が700万ほどはかかるみたいで、すぐにというわけにはいかないけど」 

「えぇっ、風ちゃんバイタリティあるなぁ。今から学校行くて……」 

「セミナーやらせてもらって、本当にやりたいことが解かったような気がして。
幸か不幸か独身の身だし、生活だけに追われる人生じゃなくて、
今からは納得のいく人生やろうと思うんですよ」 
そういい切ると、彼女はやっと諦めたような表情になりました。


ところが…どっこい‼…です。
専務は諦めていませんでした。
連日のように代議士秘書から電話が入るのです。(´-﹏-`;)

「……ですからね、叔母さんが勝手に思っているだけで、
私としては代議士に会う気はないんですよ‼」

「ですが、先生は叔母上に急かされて、明日、ヒルトンホテルでお待ちすると……」

「い~え!行きませんよ。専務には私から電話しときます(○`ε´○)! 」
手厳しく電話を切りテレビをつけると、聞き覚えのある名字の代議士が映っていました。
農林水産大臣に就任したということで、その顔がズームアップされていたのです。

そのアップされた顔を見て………独り言です。

『(*′☉.̫☉)うん?‥‥この男かぁ…ダメ、論外。
短気で独断的、打算的過ぎて自滅するタイプじゃん。
ほんまにもう、専務の見え透いた打算、軽率さには閉口するわ…(o´_`o)』

すでに時効だろうと書きますが、数年後、彼は自殺しました。
直後に秘書も‥…。((((;゚;Д;゚;))))


権力は人を酔わせる。
酒に酔った者はいつかさめるが、
権力に酔った者は、さめることを知らない

         ジェームズ・バーンズ(米国の政治家)


さて、老いらくの恋の結末は?
爺さまは、諦めてくれたのでしょうか?    
このストーリーは、次回で完結します(^_^ ;)


書き始めたものの、こんな話はさっさとアップして、忘れたい、の心……(´-﹏-`;)


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エピソード/瓢箪から駒

 17, 2017 04:45
時計


思うところがあって、カテゴリー『エピソード』を追加しました。
カテゴリー『気づき』も、まだまだ書きたいことはあるので、並行して発信します。


ここ10数年の社会現象……。
フリーターや、ニートの若者たちが急増しましたよね。
利益主義社会への反発、不信感から鬱になったり、引きこもったり、
電通の女性社員が自殺した事件なんかは、その典型だろうと感じています。

確かに、ブラック企業の多さには癖癖します。
私の息子も大学卒業後、積水ハウスに入社しましたが(20年前)、
帰宅は連日、真夜中の2時過ぎ……。
理由を聞くと、資料づくりや会議の連続で、
暗黙のサービス残業が先輩方の常識だと言いました。

テレビCMのイメージは、ほっこりした好感のもてる会社ですが、
実体は『精神疾患発生源』の職域だと感じたものです。
中小企業ならともかく、株式上場の会社でさえも……ですよ。

もっとも、息子は2年後に辞職しました。
父親に自営業を手伝うよう懇願されてのことですが、
そのまま在籍していたとしたら、電通女性の二の舞になっていたかもしれません。
なにしろ生真面目で、融通の利かないタイプでしたから‥‥。

利益主義が優先される社会の闇で、
多くの若者が経験する失望と挫折、そして混沌……。
ニートや、引きこもりは増える一方のようですが、
気になるのは、社会や世間を批判するだけで、
解決策を模索する気力さえ失ったような、ブログの多さです。(´-﹏-`;)

ニート暮らし、まだまだ続けるつもり?
そろそろ、飽きてきてるんじゃないの?
本当は、なにがしたいの?
好きなこと、あるでしょう?
ブログは理論的だけど、その能力を生かしたらどう?
世間が恋しくない?
気楽だろうけど、ニートって極貧でしょ?
好きなこと発見しても、物理的にトライできない。
そろそろ、真剣に、自分と向かい合ったらどう?

定期的に、このページを訪れてくれる彼らに、
そんなことを、心で語りかけてしまうのです。\(?。?")



そんな意味も含めて、書いてみようと思いました。
半端な年齢で失業したオバちゃんの、紆余曲折の日々が、
意外にも、誰かのヒントになるかも? と思いながら……。



エピソード① 瓢箪から駒 です。

不思議体験によって、それまでの人生観や価値観が崩壊したとき、
オバちゃんは迷わず販売マシーンを辞めました。
38歳、働き盛りの歳に、です。
しばらくはプータローでもしようと、
京都で開かれていた、ある女性の勉強会に通いました。
カリスマ性は魂の天秤

聰明でカリスマ性に富んだKちゃんと交わること1年半。
いつまでも遊んでいるわけにもいかず、真剣に、新しい職探しをはじめました。

新聞の求人欄だけが頼りでしたが、
さすがに40歳を過ぎると職種には選択の余地はありませんでした。
仕方なく印鑑販売の会社で面接を受けたのですが、
給与が募集内容と違っていたことから、オーナーに問い正しました。
固定給はなく、100%の歩合給だと判ったわけです。
すると神経質そうな顔をしたオーナーが、肘掛に頬杖をついたまま言いました。

「そない言うけどなぁ。そうとでも書かんかったら、誰もきてくれへんのや」

(◎ー◎;)あまりの正直さに、思わず爆笑してしまいました。

「∵ゞ(´ε`●) ですが社長。嘘はダメです。社長は正直な方だとは感じましたが、
最初に嘘をつかれたら信用できませんからね」 

「そやねん、ワシ、ほんまは正直で誠実な男なんやけど、
そやから商売に向かんて、いっつも専務に叱られまんねん。
今日は、その専務が留守でな、ワシが面接したんやけど……。
困ったなぁ……あんたの履歴書読んだら、面白いなぁ思てんけど。
給与は考え直すよって、あんた、もういっぺん考えてみてくれへんか?」 

ただでさえ下がった眉が、マンガチックな八の字になりました。

「印鑑がダメだと言ってるんじゃないですよ。
あくまでやり方の問題なんですが……。
現行の8名の営業マンたち、フルコミッションの飛び込みでしょう?
書籍などと違って、高給印鑑を買う意義って、見栄だけですよね?
しかも占いで人を不安に陥れるような手法では、未来がありませんから」 

(○`ε´○)! ピシャリと言いました。

「ウ~ム、ワシかてそう思てるで。そやから、あんたに期待して……」

「いえ、お気持ちは嬉しいですが辞めときます。すいません」

そう言うと、なぜか笑いがこみ上げてきました。
社長もつられて笑っていました。
不思議な気分でした。
互いが言いたい放題だったにも関わらず、
楽しめたような気がして……。 (^_^ ;)


次の日、その会社の専務という女性から電話が入りました。
どうしても採用したいというのです。
押し問答の末、条件をつけました。
営業をする気はサラサラない。
代わりに企画書を書くので、それが採用されれば勤めてもいいと応え、
その場で了解されました。

(*′☉.̫☉)一般募集の新人に企画を委ねるって、
よほど経営状態が逼迫しているのかも?
ひょっとして、倒産寸前?‥…そう思いました。

ですが、力試しと賭けのつもりで‥‥。
一週間の自宅待機を認めてもらい、社名入りで『占いの手引』なるものと、
仮称『元気になるセミナー』のプログラムを作成しました。
両方とも生命保険会社にプレゼントするつもりでした。

というのも、生命保険会社の営業員に、
昼休みを利用して印鑑を売り込んでいた専務が、
短時間で購入させるのは難しいと嘆いたことに始まります。

そりゃあそうです。
象牙や瑪瑙、水晶など、数10万の印鑑ですから。
しかも、同業者とのバッティングや、所長の視線を気にしながらですから‥‥。
ですが、専務の愚痴を聞き、突如として対処法が閃めきました。
『!(・。・) 専属の印鑑屋になればいいじゃん?
保険会社にメリットのある献上品を差し出し、
堂々とキブ・アンド・テイクを要求すればいいじゃん‼』……と。

占いは、女性客との会話ネタに最適です。
的中率が高ければ顧客の方から歩み寄ってくるはず。
保険契約を得たい営業員としても、
『占い師』になれる虎の巻は魅力的なはずだと思ったのです。

加えて、営業員自身の癒しと、
やる気に繋がるショートセミナーを定期開催するつもりでした。
女性の職域に特徴的な妬みや、謗り、中傷を洗い流して
成績向上にも邁進できるエネルギー源としてのセミナーです。


占いの手引書作りは簡単でした。
40数年、易学や、東洋医学を研究していた父の影響です。
的中率の高い人相学や手相学をベースに、
四柱推命や、声質によるイメージを織り交ぜて完成させました。
占いは統計学です。
何種類ものデーターを集めた方が特徴的な傾向を強くします。
それを、営業員が携帯できるようポケットサイズで完成させました。
あとはコピーして製本するだけです。

一方、セミナーのプログラム作りにはエネルギーを消耗しました。
セールス時代のストレスや人間関係を思い起こし、
観念を変えるための訓練法をマニュアル化したり、
霊的な書物の要点を、人間関係の知恵に変換していたからです。

気がつくと、私はKちゃんのミニチュアになっていました。
彼女との日々が、より道ではなく、
仕掛けをプロデュースする訓練になっていたわけです。



セミナー担当の私と、印鑑販売を受け持つ専務の
新企画行脚が始動しました。

予想通り、企画は好評を博しました。
半年で5ヶ所の営業所に出入りが許され、
営業員たちは月に一度のセミナーを心待ちするようになっていました。
セミナー終了後には所長が歓談時間を設けてくれ、
幸運を招く高給印鑑を求める者には専務が、
悩みの相談には私が対応したというわけです。

こうして私は自力で年相応の固定給を獲得しました。
社長は好調な売上を見越して歩合給を勧めましたが、
その気はありませんでした。
給与の増減に一喜一憂するより、
セミナーそのものに精力を注ぎたかったのです。

執拗に粘られた入社もですが、突如、閃いた企画の完成度を思うと、
不思議でなりませんでした。
何者かに、どこかへ誘われているような気がしたものです。
(常に、高次意識のバックアップを信じていました)


半年ほど経ち、最初に開拓した営業所でのセミナーは、
6段階プログラムを終え、5分~10分程度の誘導瞑想メニューを行っていました。

意識の何かを教えるために、それを肉体の一部にフォーカスさせるよう誘導していたのですが、
段階を踏むにつけ、自らの手法そのものに疑問を感じるようになっていました。

親指に意識を集中してみて下さい。
そこにある筋肉や骨はどんな形をしているのだろう。
血管と、そこに流れる血液をイメージして…などと人々に問いかけながら、
解剖学的には無知な自分に気づきました。

身体の全細胞を耳にして…などと誘導しながら、
細胞の何かを知らない自分が情けなくもありました。
肉も骨も血管も、まずはその状態や働きを熟知していなければ、
説得力に繋がるわけがないのです。

そもそも意識とは何か。
感じてはいても、それを受容する器官の場所や、働きの全てが疑問でした。
瞑想で感じる眉間の振動や、
尾底骨から背中を駆け上る電気刺激(微細なパルス)のような感覚は、
果たしてどのようなプロセスで起きるのか。
私は肉体のメカニズムを知る必要に迫られていました。

セミナーを主導する力量不足に気づいた私は、
人体について学ぼうとあらゆる医学書を読み漁りました。
現代医学、中医学、アーユルベーダなど々……。
それらを乱読しながら、自らの選択すべき方向性を探っていたのです。

中でも中医学の経絡やツボに惹かれました。
瞑想時に生じる振動の起点との、類似点が多かったからです。
それを学ぶに連れ、現代医学では説明のつかない人体への好奇心は
高まる一方でした。


まさに『瓢箪から駒』とは、このことです。
失業 → 印鑑屋 → セミナー → 人体への好奇心MAX

当座の生活手段として勤めた印鑑屋でしたが、
そこでの出会いが『なりたい自分』へと繋がっていきます。
行動さえすれば、“瓢箪から駒”が次々と出てくるのです。

行動は、思考と決意の結果です。
行動は、『私はこうなる』の宣言です。
すると、宇宙のバックアップ機構が発動します。
瓢箪の小さな口から、いろいろな駒が出るんですねぇ。    


オバちゃん、鍼灸師になりたくて専門学校に行ったわけではありません。
単に、詳しく人体を知りたかっただけなんです。
                               次回につづきます。(@^^)/~~~



9000回以上シュートを外し、
300試合の勝負に敗れ、
勝敗を決める最後のシュートを任されて
26回も外した。
人生で何度も失敗した。
それが成功の理由だ。 マイケル・ジョーダン



ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○


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