ふれあう下心

 29, 2017 00:05
可愛い猫187
      ……ってか、内緒……


過疎の村で鍼灸院を営んでいた頃の話で、
過去記事『ふれあい』から編集し直しました。
というのも、この話には“どっこい!”の『オチ』があり、
それがず~と気になっていたもので……


過去記事『ふれあい』より

人気者の婆ち人ゃんがいる。
友人はもちろん、嫁相手だろうが、孫相手だろうが、
そこに存在するだけで場が輝く、不思議な婆ちゃんがいる。

「亭主は早死にしちまうし、家は全焼しちまうし、
オラ、いいとこなしの人生だったがね、今じゃ息子も孫も良くしてくれる。
孫なんてさえ、今でも一緒に風呂へえるが
『どうだい、婆ちゃん! 毛も生えて立派なもんだろう』なあ~んて、
イチモツを自慢するんだ。まったく、笑っちまう」

「えっ!お孫さんて中学生の男子でしょう? 
すっごお、抵抗ないん?」

私は心底、感動していた。

「ねぇな、まったく。姉ちゃんもそうだ。
『婆ちゃん、今日は私が背中流してやるわ』とかなんとか言ってさぇ…。
風呂上りなんぞ爪にマニキュアまで塗ってくれて
『ほらテルヨちゃん、綺麗になったじゃないの!』だってさ。
オラ、姉ちゃんのオモチャみたいなもんだ」

「いい話やねぇ。今どき、汚いだの臭いだの言われて、
年寄りは除け者あつかい受けてんのに。
やっぱ、テルヨさんに不思議な魅力があるんやろねぇ」


彼女には忍耐と寛容、繊細さと潔さ、遊び心などがバランス良く備わっている。
もちろん、天性のものではない。
度重なる不幸に曝され、自尊心と闘って人々の情を受容し、
懸命に働き続けた末に獲得した魅力だ。
それらは地層のように重なっていることだろう。
掘り進むと涙の川や、怒りに燃え盛ったマグマの残骸をも含んで……。


「ああ、やっぱ、引っ張ってもらったら具合がいい。
これでまた頑張れるってもんだ……」 

仕上げのときの、彼女の決まり文句である。
初めて診たとき、彼女の頚椎は甚だしく側屈していた。
交通事故に遭って以来、ひどい肩こりや、めまい、偏頭痛などに襲われるらしい。

私はまず、鍼にパルス通電して痛む部分の筋肉を解す。
次に機能低下に至った臓器に対して、予防医学的な施術を施す。
最後はエネルギーを消耗する仕上げだ。

各関節の可動域を増やすため、手技で下肢や頚椎を伸ばす。
脳の腫瘍や血管障害、三半規管などの異常でなければ、
この方法で大抵のめまいや、偏頭痛などは消失する。

鍼灸師の私が軽いマッサージや、牽引を行うのには理由がある。
協会レベルの資格でも、オステオパシイや、中国整体の利点を生かしたいこと。
仕上げには患者にとっての心地よさを提供し、手でふれあうためだ。
そのとき、私は手を通してエネルギーを分け与える。
気巧師ではないので効果のほどはわからないが、
痛みが癒されますようにと、おまじないをかけていることは確かだ。


「そうそう、先生。これ……中元代わりだ」

服を着ると、彼女は施術費と別に5千円を握らせようとした。

「えっ?……そんなわけには」

「いいだ、いいだ。銭やなんか持って死ねるわけでもねぇし。気持だ。
旦那さんに送り迎えしてもらって、こんなに丁寧にやってもらって。
オラ、死ぬまで通いたいと思ってるでね。
物やなんか貰っても好き嫌いもあるし、裸でごめんよ」

「いやぁ、いいんですか? 
お小遣いもらったみたい……嬉しい!」

満面の笑みで、ちゃっかり、チップをいただくことにした。
そうすることが、彼女の喜びだと知っているのだ。

金遣いには人間性が滲む。
執着レベルが見え隠れしてしまうのだ。
ああ……なんて格好いいんだろう。
私も、かく在りたい。


と、まぁ……ここまでは美しい話なんです。
もちろん、このエッセイを書いた時点では、
婆ちゃんの話を、そのまま信じていたわけですが……。



どっこい……。


別の日、テルヨ婆さんの友人が施術に来ました。
祖母と孫のふれあいを話題にしたところ……。

『そりゃあ、そうさぇ!
あの人、若いときは苦労したがさぇ。
旦那が事故で死んじまって、労災や生命保険入って、
今は余裕綽々だで……。
したが(だけど)……。
あんなに頻繁に小遣いくれてやったら、
孫だって要領覚えて、ご機嫌とるさぇ。
一番上の孫の運転免許だって、
テルヨさんが出したってじゃね。
そのうち車だって買ってやるんじゃねぇか』

『(*′☉.̫☉)無免許運転で人身事故起こした孫?
大工見習って聞いてたけど……そうなんだぁ。』

(´-﹏-`;)……バツの悪さに、話題を変えたくなりました。

『オレんちの孫なんぞ、寄りつきもしねぇ。
野菜や漬物なんかは送ってやるがね。
正月に来ても、お歳玉2000円ずつが精一杯だ。
貧乏な爺婆には用もねぇだろうが、
まっ、金くれてやっても、ろくなことにはなんねぇし。』

『(^_^ ;)うんうん、そりゃあ、そうだよねぇ……』

もはや、合いの手を入れるので精いっぱい。
なんか妙に虚しさを覚えました。


それから10数年後……。
大阪に戻って家事援助のバイトとかやってると、
年寄りの愚痴を聞くことも増えました。

『お金は出すわ、息子に叱られるわ、さんざんやってん。
風ちゃん、ちょっと愚痴、聞いてな……中学生の孫がな。
み~んな持ってるのに私は買ってもらえない、とか言うもんで、
ゲーム機買ってやったら、えらい剣幕で息子に叱られて……』

『へぇ‥‥高いものなんです?』

『5万円……。
何が腹立つって、息子な!
それなら、私にお金返すんかと思えば、
返しもせんくせに未だに怒ってんねん。どう思う?』

『徒歩3分の所に住んでても、
日頃は顔見せることもない孫たちでしょう?
中学生だし、誕生日でもなんでもないし、
高額過ぎるかも……。』

遠慮がちに言いました。

『ほんま、アホやったわ。
けどな、仲間外れになるとかなんとか孫に泣きつかれて……』

『お孫さん、ここに来たんです?‥‥電話で、ですかぁ。
う~ん……お孫さん、ちゃっかりしてません?
年金暮らしの年寄りに、電話一本で5万円の出費させるって……。

それでなくても、孫のランドセル代10万円とか、
嫁が、そのデザイン気に入らないとかで険悪になったり、
社会人になっても、プレゼントひとつない、とか。
お金を巡っては、いろいろ聞きますよねぇ。

まぁ、今回は痛かったけど、いい経験じゃないですかぁ。

というのもね、私の息子の話ですが……。

その昔、商売してて付き合いも多かったし、
一人息子は周囲からちやほやされて、してもらってばかり。
ところが息子。
成人しても他者に何かをしてあげることがなくて……。
気がつかないというか、ボケーとしてて。

一度、叱ったこと、あるんです。
よそ様を訪ねるときは、手土産くらい持参せぇ、とか、
親の誕生日くらい覚えて、メールのひとつも送ったらどうや、とか‥‥。

それでも30歳くらいまでは毎年、誕生日プレゼントもしてました。
ですが、そんなこと、言葉にする自分にも腹が立って、
結婚を機に、息子へのプレゼントは一切、止めました。
幸いなことに、結婚相手は良く気のつく娘で、
息子に変わって『母の日』とかに気遣いしてくれますけど。(^_^ ;)

私たちの時代と違って、
今の子供たちは何不自由なく育ってますからねぇ。
不自由させなかった親が悪いといえば、その通りですし、
当人は幸せですが、ある意味、欠陥人間ですよね。
ありがたさを感じず、自尊心ばかりが強くて、打たれ弱い。
物のない時代に育った人々とは、『根っこ』が違いますから。

ただ、自分でも思いますが……。
してやれる喜び、ってあるじゃないですかぁ。
それが、母親の苦労を見てきた息子さんには
解らないかも、ですよね。
だから……。
孫の誕生日プレゼントをしたからって、
息子や嫁からも感謝されたいとか、
その先を期待するとロクなことがないです。

自分の喜びのために、したければする。
余裕がなければ無理はしないこと。
そんでいいんじゃないかなぁ‥‥』

『そやな!……ほんま、ええ勉強したわ』


はて、存在感を求めず、ただ見守る老人になれるでしょうか?(。・?_?・。)


ふれあいは、ときとして『下心』に満ちて、
真心からは、どんどん遠ざかる。
社会や経済、恋愛さえも『下心』に満ちて、
『生きかた上手』な人々を生産し続ける。
結果、おべっかや、へつらう行為さえも、
“忖度”などと釈明せざるを得なくなる不思議。  
        四緑木星 風の象 風子





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エピソード/恋心

 29, 2017 15:15
タイ
     ビルマとの国境にて/20歳


♪恋というものは不思議~なも~の~なんだぁ~
逢っ ているときは~ なんともないが~
さよならすると~ 涙がこぼれちゃう♪

布施明のヒット曲『恋』……。
恋心を的確に表現していて、憎らしいほど。
懐かしくもあり、切ない記憶ですよねぇ。

But……\(?。?")。
今にして思えば、恋はやっぱ、病かも?と思います。
恋心というものは、『知らぬが仏』状態で、
互いが、勝手に思い描く理想象に恋しているのかも、と。(^_^ ;)

46年前、オバちゃんも人並みに恋をしたのですが、
『異文化の壁』を前にして、白昼夢から覚めました。
その、オバカなエピソードを公開しましょう! 

今日の話は長いです。(お忙しい方はスルーください)
著名でもない、ふつうのオバちゃんの恋物語なんて退屈ですよ。
ただ、これを読むことで皆さん自身の青春を思い出し、
人として成熟した今の自分を、褒めてあげられたら幸いです。



20歳の私は、かつてのシャム王国(タイ)に向かいました。
目的は、国際結婚の下見旅行でした。
過去記事『悩むな!考えろ!』に書いた経緯を経て、
21日間の長期休暇をもらって旅立ったのでした。

恋人の名前はタノン・ブンジョス。
軍人の父を持つ長男で、30歳のエンジニアでした。
出会いは、家族で行った大阪万博のタイパビリオン内。
近畿大学工学部に留学中の彼が、
自国のパビリオンで通訳のバイトをしていたことに始まります。

当時、私は名古屋在住の勤労学生で、2年間は文通だけの付き合い。
その後、実家のある大阪で就職してデートを重ね、
互いが結婚を意識するようになっていきました。

国籍を取得して日本で就職するか否か、
タノンはかなり悩みましたが、私は帰国を勧めました。
当時の日本では、まだまだ黒人やアジア系の人々に対する偏見が強く、
彼にとっての就職は、自国の方が有利だろうと思ったわけです。

もっとも、私は、すぐに結婚したいとは思っていませんでした。
POPライター業は楽しく、専門職としての未来に希望を持っていましたし、
数年先なら結婚してもいいけど……くらいの温度差はありました。

ただ、相手の立場(30歳、長男)や、心境は理解していました。
留学過程が終了しているのに、好きな人がいるとかで、
一向に帰国しようとしない長男坊に、両親がやきもきしていたのです。

ある日、タノンが真剣な眼差しで言いました。

『結婚の予行練習してみない?
まずはタイを知って欲しい。
できれば僕と一緒に行って欲しいけど、
現地を見て、風子がそこで暮すと決心できれば、
僕、数年くらいなら待てるから……』
自分の気持ちと両親の間で葛藤していたタノンは、
私の気持ちの本気度チェックしたかったのです。

『うん、判った……。帰国に合わせて一緒には無理。
お金も貯めないと行けないし、長期休暇も簡単ではないからね。
けど、必ず行く……約束するわ。』
この会話から1年後、上司の配慮で実現した旅行だったわけです。



タノンの実家は、
バンコクの北方400㎞ほどのペチャブリー市にありました。

100坪ほどの敷地に木造二階建ての家屋と、小さな菜園。
日本の田舎によくある平均的な一軒家でしたが、
軍から派遣された2名の番兵が駐屯するという、
小屋の粗末さが妙に可笑しかったことを覚えています。

実家に到着した夜、親戚や友人、知人が集まって、
盛大な歓迎会が始まりました。
好奇に満ちた大勢の目に晒され、
婆さま方には手相や足相まで鑑定され、
なんとか『合格』が言い渡されました。

すると翌日から義母は早速、私を市場に同伴させたり、
日本ではありえない米の炊きかたや、
男女別に位置が決まっている洗濯物の干し方などを説明。
いくらなんでも早すぎない?
下見だ、っちゅうに、……とか思いながらも、
好奇心が勝って義母の後をついて回りました。

冷蔵庫以外の家電はなく、米は薪で、洗濯は洗濯板で、
食器と洗濯物の洗剤は、同じものを使用するようでした。
タイは常夏の国……日に何度も水浴びをするということで、
風呂は、ドラム缶に張った水を浴び、同じ場所にあるトイレは、
そのドラム缶の水を汲んで、手動で流すという具合でした。

その生活スタイルはどうってこともなかったのですが、
最大の壁は、激辛で香辛料ムンムンのタイ料理でした。

このタイ料理……バンコク滞在の数日は何とか持ち応えていました。
望めばホテルで洋食を摂り、喫茶店で涼をとることも可能でしたから。
しかし、実家にきてからというもの、地方色の濃いタイ料理が続きました。
それらは観光客に配慮したバンコク市内のものとは違い、
耐えがたいほどのニンニクと香草、激辛の香辛料が混入していました。

口元に運ぶだけで、反射的に吐き気をもよおすのですが、
母親やタノンの胸中を思えば、食べないわけにはいきません。
吐き気を堪えて無理やり飲み込むうちに、胃の方がストライキ。
日増しに食欲をなくしてから七日目の朝、
ひどい目眩に襲われ倒れてしまったのです。

実は私、持病を持っていました。
刺激の強い食事を摂ると、まずは胃がやられ、
しだいに膀胱炎症状に見舞われます。
それが夏場なら最悪で、大量の発汗によって体液の塩分濃度が上がり、
尿に血が混じって微熱が出る……腎盂腎炎の再発です。
放置すると炎症が腎臓まで広がり、
最悪の場合は人工透析の必要に迫られることから、
医師からは安静と水分補給を促されていたのです。


義母が、煎じた薬草を持ってきて枕元に置きました。
藁にもすがる思いで一気に飲み干すと、不思議なことが起きました。
腹部全体がクワ~と熱くなり、すぐに深い眠りに堕ちたようです。
目覚めると、なんと爽やかなこと。
胃の不快感は消え、元気が戻っていました。
そのときの薬草効果は、魔法に思えたほどです。


その日以来、
タノンは私を連れて観光地巡りをするようになりました。
実家での緊張や食事から開放しようという配慮でしたが、
タイ料理そのものが恐怖になった私は、
現地では豚の餌らしいのですが、
路上販売のスイカばかりで、空腹を満たしていました。


そんなとき、たまたまタイの要人から、アメリカとタイ空軍による
アクロバッ飛行トショーに誘われ、貴賓席で観覧することに。

というのも、大阪万博の折に……。
タイのVIP一行が京都、奈良観光をしたいということで、
タノンが通訳、私が神社仏閣の説明に同伴した縁でした。
(タノンは、漢字の多い建造物の歴史や説明が読めない)

ベンツ二台、貸し切りで二日連続。
夜は北新地で豪遊……未体験、別次元の世界でした。
その時のメンバーってのが……。
妻同伴の大臣、都知事、警視総監、タイパビリオン館長と、
その妻(元ミスユニバース)という顔ぶれで、
風子がタイに来てるなら会いたい、みたいな話になったわけです。

ココで注訳
いきなりですが、タイ美人の基準に触れます。
とにかく、丸顔が好まれます。
目がぱっちり、口元が小さく、手足が小さい。
おこがましいですが、そのまんま、わたし。
壮年のVIP一行に、大層可愛がられた理由です。

そんないきさつで上流社会のお歴々と同席して、
身の置き所のない苦痛を味わったり、
リゾートビーチのコテージで、彼と2人だけの静かな夜を過ごしたり、
身分不相応でロマンチックな体験もさせてもらいました。


帰国が近づいたある日……。
タノンの弟と、その友人を同乗させてアユタヤ遺跡を巡り、
単身でビルマとの国境に駐屯する、タノンの叔父を訪ねました。
彼等は7年ぶりの再会ということで、話が弾みました。

ですが、言葉の壁というものも辛く歯がゆいものです。
タイ語の特訓を受けたわりには(3カ月ほどタノンから猛特訓された)
現地ではまったく役に立ちません。
バンコク市内なら英語も通じますが、田舎では身振り手振りばかり。
フラストレーションがたまります。
2時間ほどで耐えられなくなった私は、
外に出て手のひらサイズの猿と遊んで時間を潰しました。
人見知りしない小さな猿が、低木の間に沢山いたのです。


叔父と別れ、ビルマとの国境沿いに差しかかると、
ヤシの木の間から集落が見えました。
秘境探訪ドキュメントにでも出てくるような、
高床式、藁屋根、板張りの簡素な住居が見え隠れしていて、
俄然、好奇心が躍動。
彼等の暮らしぶりが見たいと、タノンにせがみました。

集落の手前で車を降りて歩き始めると、
広場にいた人々の目が、一斉に私たちに向けられました。
そりゃあ、そうです。
腰巻だけで半裸の男たちと、全裸の子供たち。
女性は胸下をボロ布で覆っただけの格好の中、
私は冒頭の写真のような格好でしたし、
タノンや高校生の弟、友人共に、ホワイトカラーでしたから。

石積みの釜戸や、洗濯場のある広場で、
縄を編んだり、矢じりを研いだりしていた男たちに近づき、
タノンが丁寧に挨拶をして回りました。
『ちょっと見学させてください』
『あんたたち、どこから来たの?』
そんな意味合いだったと思います。

私は、芋の皮をむく女性の傍らで独特な道具に見入ったり、
遊びまわる裸の子供たちを眺めたり、
高床式の住居の下で飼われている豚や、鶏に気をとられていました。
住居の床板は隙間だらけで、階下に残飯を落とすにはもってこい。
山岳民族の暮らしぶりに感心したりしていたわけです。

30分ほど経ったでしょうか。
タノンが血相を変えて近づいてきて、耳元で囁きました。

『車に乗って!急いで!』
驚いて振り向くと、男たちはもとより、
そこにいたはずの、女子供の姿もありません。


弟たちはすでに待っていたようで、
私が乗り込むと車が急発進しました。

『どうしたの?』
『ゲリラ!……車に積んでた父の勲章付きの帽子見た。
追いかけられるかも……』

猛スピードで集落から逃れる車の後方で、
けたたましい銃声がしました。(◎ー◎;)……((((;゚;Д;゚;))))カタカタ
『頭、下げて!』
伏せ気味に運転しながら、タノンが叫びました。
反射的に身をかがめ、耳を疑いました。
(゚◇゚;) 嘘!……この時代に銃で狙撃って……夢?

横を見ると、ハンドルを持つタノンの手が震え、
弟たちも身をかがめて固まっています。

えぇ~っ、ここで死ぬの?
死骸は野犬かなんかの餌になって?
母さん、ゴメン……(×_×;)
日本人女性、タイで行方不明とか、新聞に載る?
そんなはずは……これは夢なんじゃ?


30分ほど激走して、湖のほとりの広い道路に出たとき、
タノンが車を止めて言いました。

『危なかったねぇ……途中、男が僕の車、見に行った。
戻ったら他の男を誘って家の中に入って、一人ずついなくなった。
それで僕、思い出した。
後部座席の見えやすい所に、陸軍の帽子、置いてた。
たぶん、殺されるか、身代金要求されたかも……』

『(。・?_?・。)ムゥ…(o´_`o)ハァ・・・』

この危機一髪話……。
身内はもとより、親友にも話したことはありません。
『南方の土人と結婚するなら親子の縁を切る』
そう言い切った母にすれば、
『だから言わんこっちゃない!』ですから‥‥。


この事件の発端となった勲章付きの軍帽について、
補足です。

タイにきてからというもの、
軍人に対する優遇措置には驚かされたものです。

市内のレストランで駐車場が満車だったとき、
タノンは平然と駐禁ステッカーの横に車を停めました。
案の定、いかにも苦々しい顔をした警察官が近づきはしましたが、
後部座席に置いた父親の軍帽を見るなり、
敬礼して立ち去ってしまったのです。
それが高僧の袈裟だとしたら、
警察官は合掌して平伏すというから驚きです。

タイの軍人は特権階級に属しています。
父が陸軍大尉のタノンなどは申請だけで普通車免許がもらえるし、
医療費が全額免除されるということでした。

タイという国には、未だ歴然とした身分制度があります。
王様でさえも仏教徒の一人ということで、最高位は僧侶(たてまえ)。
その次が軍人で、人口の40%ほどしかいない
純粋なシャム人たちで構成されています。
残り60%は華僑(中国系の商売人たち)で、
経済は実質、華僑に支えられているのですが、
僧侶や軍人からは、卑しい身分という偏見がありました。

★21日間のタイ旅行全容について興味があれば、
 過去記事の『離脱』『賢者のささやき』『悩むな!考えろ!』などを参照ください。
  悩むな!考えろ! 
  離脱
  賢者のささやき


帰国の前夜、タノンから聞かれました。

『どお?‥‥タイで暮らせそう?』
ドキドキしました。

『う~ん……努力はするつもり。
そうそう、お母さんは、私のことどう思ってる?』
思わず話の焦点をずらしてしまいました。

『お母さんね、風子がこのままタイに残るなら結婚できるけど、
帰ったら、たぶん、無理だろう、って言ってる。』
内心、ドキッとしました。

『えぇ~っ!……いくらなんでも、このままってわけにはいかないよ。
上司を裏切るわけにいかないし、家族にも、それではあんまりだわぁ』
そういうと、タノンは寂しそうに微笑みました。

別れの朝、タノンはバンコクの親戚や友人宅に寄り道して世間話。
途中の渋滞などを予想すると、間に合わなくなりそうで、
なんども急かして険悪なムードに……。

案の定、空港に着くと、搭乗手続きは終了し、
トランシーバーを持った係り員たちが走り回っていました。
!(・。・) 私を捜していたのです。
冷汗を拭いながら、タノンが係員に言い訳し、
それが終わらないうちに、
係員が私の手をとって走り出しました。

『行って!…早く行って!』
振り返る私に、タノンの声だけが聞こえました。
係員に急き立てられて、
関係者以外立ち入り禁止という通路の階段を降りていたのです。

外に出ると、ジープと軍人が待機していて、
すでに滑走体制に入っていた飛行機に運ばれました。


『たまにいるのよね、こんな人……』
そんな目をしたスチュワーデスが、笑顔で迎えてくれました。
もちろん、乗客の何人かに睨まれました。
私のために、飛行機は離陸を5分も待っていたのですから。


『もう、あんなに急かしたのに。言わんこっちゃない……』
そう思いながら窓の外に目をやると、
送迎デッキで手を振るタノンの姿が見えました。
愛しさが押し寄せ、嗚咽しました。
このドタバタ劇は、私を日本に返したくないタノンが、
意図的に仕組んだと、やっと理解したのです。

帰国の日が近づくにつれ、どんなに葛藤したことか。
最後の夜は二人だけで過ごしたかったのに、
親戚の家に泊まって、妙にテンション高く雑談に耽ったタノン。
その真意を量りかねていた自分の愚かさに腹を立て、
同時に、真意には沿えない悲しさに苦悶しました。


帰国して数か月というもの、
冒頭、布施明の歌詞そのものの心境でした。
愛しさに胸かきむしられる反面、
冷静な自分に諭されるわけです。

無理、ムリ、ムリ……。
何か月も、その理由を自らに言い聞かせました。
・激辛で臭いタイ料理
・歴然とした身分制度への抵抗(物乞いする子供たちの多さ)
・2度も体験した“幽体離脱”よる世界観の好奇と混乱。


こうして、わたしの恋は終結。

今も思うのは、タイに移住していたら、
精神世界の探求や、神秘体験はなかったはず。
ましてブログを書くなんて、まず、なかっただろうと……。

ですが、一方では、
タイ人に嫁いだ自分の人生を想像します。
【人生はすでに完成しているDVDのようなもの】
意識の海にはパラレルワードがあって、
幾つもの人生脚本が、同時進行で展開していると
知っているからです。



(*′☉.̫☉)えっ? タノンとも離婚しただろう! って?

(´・_・`)…… ワ~オ!……あるいはそうかも、です。
この世には、男女の情愛より楽しいことが多すぎて……。(^_^ ;)

いずれにしても、人生は無常です。
変わらないものは、なにひとつ、ないんですよね。
歳を重ね、ブラックジョークのひとつにでも共感できれば、
あなたも『人生の哲人&鉄人』って、ことじゃないでしょうか、ネ!(*^▽^*)


結婚するとき、
私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。
今考えると、あのとき食べておけばよかった。
  アーサー・ゴッドフリー(米国のブロードキャスター)




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ワイルドライフ ②

 10, 2017 00:05
わが家
        小川村のわが家


前々回に続く未公開記事。
ワイルドライフ②……『熊棚』です。




生活センターの掃除当番を終えた頃、
すぐ近くで、八重子婆ちゃんの興奮した声が聞こえた。

「栗拾おうと思って朝早く来たらさぇ。
あそこでクマが座って、栗、食ってるじゃねぇ。
オラ、たまげたのなんのってさぇ……」 

「クマ棚?……なんのこと?」
連れ合いに聞いた。
「さぁ?……見に行ってみるか!」
興味深々である。

生活センターから数mほどの栗の木に近づくと、
一目瞭然、クマ棚なるものに合点がいった。

栗の木のほぼ中央、枝ぶりの頑丈そうな木の股に、
マウンテンゴリラの寝床を思わせる枝葉の塊があったのだ。
まさにクマが造った棚としかいいようのない代物である。

その棚にどっかりと腰を据え、
枝ごと折った栗を片っ端から頬張るクマの姿が目に浮かんだ。

「えれぇこんだなぇ! こんな近場にできるなんぞ、初めてのことでねぇか?」 
「ああ、役場には連絡した。この調子じゃぁ明日も来るで出ちゃなんねえぞ。
婆ちゃん、聞いてるか」 
組長の松下が言った。
 


「すっごお! なんかワクワクすんね」 
自宅に戻った後も、私は、なぜかはしゃいでいた。
ジェラシックパークには遠いが、似通った気分に浸っていたわけだ。 

「あのな、あそこに来たってことは、うちにも来るんやで。
小池なんか栗だらけなんやから、気つけななぁ」 
車は四駆のRV車に固執し、悪路となるとファイトを燃やす性質の連れ合いが、
本音をはぐらかすように言った。  

だが、その予想が的中。
一か月も経たないうちに、わが小池地区はクマ銀座と化した。
しかも、ウォーキングの帰り道で、近所の婆ちゃんに聞かれるではないか。

「ねぇ、おめぇんち、熊、行かなかったか?」
「ハハハ、冗談!…こんな昼間に熊なんか…」
「冗談じゃねぇ。ほれ見てみい。クマの足跡だぁ!
さっき見たときはなかったが、そこの畑から帰ったらこうだ。
おめぇんちに向かってるぞい…」

確かに。
うっすらと積もった雪の上に、わらじの足跡のようなものが続いていた。
「(((ʘ ʘ;)))えぇ~っ!……どうしよう((((;゚;Д;゚;))))カタカタ」
注意深く歩き出し、遠目で、わが家の周囲をくまなく眺めた。

ワ~オ! クマ?……いや、連れ合いだ。
黒い防寒着を着こみ、背中を丸めてクルミを選別していた。


“怖いもの見たさ”とは、よく言ったものだ。
棚におすわりして栗を食べるクマの姿が見たくて、
私たちは、夜の僻地ドライブまで敢行した。
都会人ゆえの愚行だと知りながら……。


過疎の村で13年暮らしましたが、
幸いにも熊に遭遇したことは、一度もありませんでした。
ですがシーズンには熊による人身事故も多く、
有線放送による『熊出没注意』の頻度が増します。
○○地区で出没、○○方面に向かった、みたいな情報を参考に、
村人たちは警戒態勢に入るわけです。

熊は、蜂蜜やリンゴが大好物。
農家の多くは兼業で養蜂を行っていることから、
蜂蜜や、収穫したリンゴを格納している蔵は良く荒らされます。
蔵の分厚い扉を破壊する熊の爪……襲われたらひとたまりもありません。
山菜採りや、農作業中に襲われたりするので、
親はマイカーで、登校する子供たちをバス停まで送迎。
私たちも、長野市内まで出かけて帰りが夜になった場合、
駐車しても車から降りずに、屋敷内をライトで照らしてチェックしたものです。

徘徊する熊を見たいような、怖いような……。← バカです(^_^ ;)
で…、自宅に入り胸を撫で下ろしたときの安堵感たるや独特です。
五感の、極度の緊張の後にくる全身の筋肉弛緩……。
改めて、生きている実感と幸せに浸るのでした。
Why?‥‥(。・?_?・。)


 
ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

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ワイルドライフ ①

 31, 2017 00:05
大阪に戻って、4年目の夏が来ようとしています。

早朝ウォーキングの途中、草むらに座り込んで休憩していると、
な、なんと、オコジョが通りかかりました。(ムチャクチャ可愛い!)
驚いて……(((ʘ ʘ;)))互いの目が点……。
小川村で見かけた真っ白ではなく、茶色の夏毛でしたが、
しばらく見つめ合った後、姿を消しました。
(!(・。・)b …こんなところでも、いるんだぁ。)

わが家は大阪府の端っこ、河内長野市の山間部にありますから、
ウォーキングではさまざまな生き物を見かけます。
川沿いではカワセミや、カモ、アオサギや、シロサギを見かけますし、
林道だと美しい雄キジに遭遇したり……。
ですが、オコジョは初めてで、意識が懐かしい小川村に飛びました。


ちょっと季節は真逆の感ですが……。
以降、“小川村版ワイルドライフ”をお楽しみください。( ˘ ³˘)

オコジョ冬毛
 冬毛のオコジョ

キツネ
 餌をさがしてトボトボと
 

白銀の世界が訪れると、白昼でも徘徊する獣が増える。

なかでも頭をたれてトボトボと徘徊するキツネなどは、
なんとなく憐れに映る。
すると突如、寓話などでキツネが悪賢く語られるのは
なぜだろう、と思う。

キツネは、大きな目と、鼻すじの通った小さな顔をしている。
人にたとえれば細面の美女のようだ。
といっても、キツネの利口さゆえだろうか…。
同時に狡知(悪賢い)さも感じるから不思議だ。

キツネは、猟犬に足跡をつけられたりすると、
水に入ったリ、木に登るなどをして姿をくらませるらしい。
また、カモの群れなどに近づくときには、
頭の上に雑草を乗せ、体を水中に沈めたまま近づくらしい。

それだけではない。
キツネは、なかなかの役者だ。
たとえば草を食べているウサギを発見したら、
逃げられない程度に近づき、苦しそうに転げまわる。
そうやってウサギの気を引き、
距離を詰めて一挙に捕えるそうだ。

そんな悪知恵が働くという伝承から、
キツネは『騙す』というイメージが定着したのかもしれない。

もっとも、キツネは死肉も好んで食べる習性があるらしい。
仲間の死肉を食い、ときには人の墓を荒らしたりする。

さらに、エキノコックス(サナダ虫)病も恐い。
キツネや犬の糞に汚染された山菜や、
沢水を口にすると感染する病気で、
幼虫が肝臓に到達すると、致死的な肝機能障害をもたらす。

そんなことから「ムツゴロウ動物王国」の移転先である
「あきる野市」の人々が、
「エキノコックス」の感染を心配して「反対運動」をしたようだ。

以前は北海道特有の風土感染病だったが、
キツネやネズミ、犬を通して、 近年は本州中部でも
「エキノコックス症」が確認されているらしい。

見かけによらず獰猛なハクビシン同様、
キツネも遠目で観察するのがいい。

わが家で群れる野良猫たちの動作が止まり、
一極集中して見つめる先には、 必ずといっていいほど、
レギュラーメンバーとまでは言えない獣たちがいる。
このワイルド感がたまらない。



雪の斜面で、黄金色の毛に包まれたテンに見とれ、
夏の盛り、魂を揺さぶるようなヒグラシの羽音に酔い、
『ケン、ケ~ン』と、静寂を破る甲高いキジのひと鳴きに心躍らせました。
この、生き物たちとの共存こそが田舎暮らしの醍醐味です。
人間と交わるより、はるかに多幸感をもたらしてくれるんですよねぇ。…(*´~`*)。o○

人間は、感情が複雑で心が疲れます。
過去記事にも書いたように『郷に入れば』なおさらです。
エピソード『郷に入れば』
だからって、野生動物たちと共に暮らせるはずもありません。
それでも彼らの生き方は参考になる気がするのです。
見ざる、聞かざる、言わず、の三拍子ではありません。
家族や敵を見分け、気配に聞き耳を立ててはいても、
“よけいなことは言わざる”に徹しているように思えるから……。(^_^ ;)



ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

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少年A

 25, 2017 00:05
道


岡山県の貧しい小作農家に生まれた少年Aは、
男兄弟3人の末っ子で、小学1年で母を亡くしました。(心臓弁膜症)
間もなく父が、Aと同い年の女子を連れた女性と再婚。
父からは、Aの成績が連れ子に劣っていると詰られ、
継母からは、ことごとく冷たい仕打ちを受けました。
見かねた祖母(父の母)と、継母の仲は険悪になり、
祖母はとうとう、首を吊って自殺してしまいます。
(少年Aの実母とは、折り合いが良かった)

少年Aをかばってくれた祖母が自殺してからというもの、
彼の心は荒む一方で、家出を繰り返すようになりました。

警察に保護され家に戻されるたびに、父はAを木に括りつけて折檻。
見かねた近所の人が意見しても、決して耳を貸さなかったそうです。
少年Aが、小学生で胃潰瘍を患った背景です。

軍人上がりの父は、怒りっぽく厳しいだけの性分だと、
家族の誰もが思っていました。
しかし、それが病気のせいだと判ったのは、
悲しいことに兄弟たちが成人した後のことでした。

昭和20年(1945年)8月6日、
広島に原爆が投下され終戦を迎えました。
70年間、人は住めないと物理学の権威が言いましたが、
町の復興が急ピッチで進み、Aの父も広島に仕事を求めました。
残留放射能の恐さも知らずに、です。
街は1年半で蘇りましたが、憂さ晴らしに遊んだのでしょう。
父は放射能に晒されただけでなく、梅毒にも感染していたのです。


終戦から3年後の昭和24年、
父が村に戻った翌年にAが生まれました。
物心つく頃には、父の病気が徐々に進行。
母親が逝った原因も、あるいは、
梅毒由来の弁膜症だった可能性もあるわけです。

原爆症と梅毒のダブル症状は、発熱や、疲労感、食欲不振、
怒りっぽくなる、不安を訴えるなど、感情の障害などです。
ですが父に、自らの体調を気にする余裕はありませんでした。
入退院を繰り返していた妻が逝き、子供を養育する必要から再婚。
子供は4人になったわけで、体調が悪くても病院には行けず
馬車馬のように働くしかなかったのでした。


高校を卒業すると、Aは大阪で就職。
運送業や、飲食業を経て、ショッピングセンター(S・C)内の
コーヒーショップを経営することなりました。

Aはよく、S・Cの企画室に通いました。
テナントならPOP広告は無償だったし、
店内装飾のアイデアなどもアドバイスしてもらえたからです。
固定と歩合の二重賃料を徴収するデベロッパーが、
販売促進に協力していたのは幸いでした。


企画室のPOPライター F子の主な仕事は、
イベントの予告ポスター書きや、共有スペースの装飾、
マーケティング関連のデータ収集などでしたが、
特にテナントからの依頼には誠心誠意、対応しました。
運営管理会社にとって核テナントのジャスコをはじめ、
60の専門店はS・C繁栄の拠り所だったからです。

吹けば飛ぶような個人経営のコーヒーショップとはいえ、
F子はAにも丁寧に対応しました。
メニュー用POPをはじめ、挽き売りコーヒーの銘柄別説明ボード、
コーヒー専門店らしい装飾のイメージを定め、
提供できる資材と、個人負担になるグッズをアドバイスしました。


平筆で一筆書きするPOP技術が珍しいのか、
仕上がり具合が気になるのか、AはよくF子の仕事ぶりを見に来ました。
しかも時折、身の上話をするのです。

カウンターだけの小さなコーヒー専門店でしたが、
その権利を買うのに預金では足らず、家具や家電まで売却。
売り上げが軌道に乗るまでは、夜な夜な屋台を引いてでも踏ん張りたい。
並々ならぬ決意と将来の夢を語るAの話に耳を傾けているうち、
F子の心に『同情心』が芽生えました。
チェーン展開している有名専門店の多いS・Cです。
資金力はもとより、人手、戦略共に、孤軍奮闘が目に見えるようで…。


( ˘ ³˘)……ここでネタばらし。

少年Aとは、離婚したオバちゃんの元夫。
POPライター F子とは、20歳の、わ・た・し、なので~す。(^_^ ;)

何を今さら…って思うでしょう?
人生の転機となった『道』の選択について、
オバちゃんの失敗談を、正直に告白しておこうという趣旨なんです。(*´ェ`*)


当時、私は国際結婚のための下見から帰国したばかり。離脱
恋愛感情とは、結婚とは、幸せな人生とは何か……。
深く考える日々を過ごしていました。

で、ある日、上司に聞きました。
国際結婚に悩む私を叱り、20日間の休みをくれた上司です。悩むな!考えろ!

『あのぉ……ズバリ、結婚とはなんですか?』
46歳、二児の父親、有能な経営コンサルタントで、
酸いも甘いも噛みしめたであろう、人生の先輩に答えを求めたのです。

『ふ~む……。結婚とは、40%の愛情と、60%の協力と忍耐』

人も羨む、野性的な美女を娶った上司が、自信たっぷりに答えました。

『(*′☉.̫☉)……ですか! ありがとうございました』

このとき、私の中で迷いが吹っ切れました。


学歴、仕事、家柄ともに、タイ人の恋人はパーフェクト。
発展途上国のタイではエリートの彼の場合、
結婚相手は引く手あまたです。
言葉をマスターしたとしても、しきたりや文化、親戚づきあいなど、
タイ女性の域には年季がかかります。
私が傍にいて、相手の役に立つことなんて、なさそうです。
強いて言えば、ちょっと可愛い日本女性って、
タイ人にとってはステータス……ぐらい。
愛情が褪めたら、それこそ四面楚歌状態の環境です。

もっとも、タイ人の彼は誠実に応えました。
『風子から、私でないと絶対にダメか、って聞かれると、返答に困るよ。
確かに、結婚相手に不自由することはないだろうけど、
理屈じゃないよ。愛しているから結婚したい。
う~ん、意地悪な質問だね』 と……。

彼の、私に対する情熱を試そうと発した言葉でしたが、
想像通り、寛容で冷静な反応でした。
それを聞き、なぜか急に不安になりました。
男女の情愛だけに依存して結婚することが、です。

というのも、高校生くらいまでに、
文学全集は全て読み終えていました。(日本、世界ともに)
そこに描かれている男女の情愛は、たいてい数年で色褪せて破局、
互いが傷つけ合い、新たな恋と別れを繰り返してばかり……。
“愛してる”というセリフの短命さを想像すると、
どうにも決心ができなかったわけです。

一方のA……。
学歴もなければ、知識も(勉強嫌い)金も、何もない人でした。
あるのはガッツ、強烈なハングリー精神だけでした。
ただ、ハングリーを生んだ背景には心底、同情していたことは確かです。
Aが背負った人間不信、父への憎しみを払拭してあげたい。
金に対する猛烈な執着も、そこそこ満たされれば癒えるかも。
判官贔屓ともいえる、そんな気持ちがありました。

この心境……。
『可哀そうだ、は、惚れたが……』と言われれば、具の根も出ません。
愁いを帯びた細面の二枚目だったんです……とほほ(^_^ ;)

それはさておき……( ˘ ³˘)
私にとって幸せとはなにか……懸命に考えました。

たどり着いた答えは、自分の『存在感』でした。
ゼロから何かにチャレンジして達成するのが人生だとすれば、
苦労はしても、いつの日か感謝さえ示してもらえたら。
『お前がいてくれたからこそ……』と言ってもらえたら、
それこそが『存在感』であり、充足できるのじゃないだろうか?

それが、Aを結婚相手に選んだ理由でした。



ところが……ドッコイ!
数年で、自らの考えが軽薄で不純だと気づきました。

まず、Aの欲求は天井知らずでした。

夫婦で努力した結果、店は三店舗に増えましたが、
年月の経過とともに売上が低迷。
そうなるとA特有の超ネガティブ思考が始まり、
苦虫をすりつぶしたような表情、焦燥感まる出しの愚痴に、
家族や周囲が巻き込まれていきました。
チェーン展開が夢だったのに、こんなことでは、とか…。
だだ食うてチョンの生活なら死んだ方がましや!とか…。
聞くに耐えられない、駄々っ子のような観念をまき散らすのです。

その焦燥感……私に対するジェラシーも含まれていました。
POPライターとして独立し、高収入を得ていた私と比較して、
男のプライドが許せないみたいな、焦りです。

とどのつまり、イライラが募って吐血……。
胃潰瘍で入退院を繰り返し、最終的に胃を切除することに…。
(当時は、胃潰瘍を放置すると癌に、が主流)
仕方なく、私がPOPライター業をたたんで店の主力になりました。

といっても、子育てとの両立ですから限界があります。
POP業なら自宅で子供を見ながらとか、寝かしつけて、とか可能ですが、
二店舗はS・C内、一店舗は水商売でしたから。

退院後、Aは二店舗を売却。
コーヒーショップだけを残しました。

コーヒーショップだけでも、一般家庭よりはましな収入でしたが、
Aの悲観と焦燥感は留まるところを知りません。
突如、近視回復センターを経営すると言い出し、結果的には私に丸投げ。
投資分の回収もできないまま撤収したかと思えば、
出稼ぎに行くから、店に出てくれ、など々、思いつきでジタバタするばかり。

事情があって親戚の子供2人を養育するようになると、
さすがに生活は厳しい状態になりました。それぞれの信念
POPライターに戻ろうにも、取引業者との基盤は崩壊していたため、
結局は私が、飛び込みの営業に出ることに。(ブックローン、学研の英才教育)
土日は店の助っ人ができるし、幼稚園のお迎え時間までに帰れば、
フルコミッションだけに活動は自由だったからです。

やがて……Aの本性はむき出しになります。

POP業の高収入も、でしたが、営業職でも好成績を収める私に、
ジェラシーを顕わに、ひがんで捨てセリフを吐くのです。
坊主(売上0)の日は、亭主の威厳を保とうと、偉そうに説教。
収入を言うと、『どうせ俺なんか、なんの能力もないしな!』ってなパターンです。

(((ʘ ʘ;)))……オイオイ、どうしろって言うの? 
あんたの欲求に協力してんのに、嫁の能力にジェラシーって?
あんたの好みの事業で成功しないと、気が済まないってわけ?
私は、あんたの身体の部分じゃない。
あんたのためだけに生きているわけでもないんよ。
自らの不甲斐なさの矛先を、妻や息子に向けるな!
それでも〇玉、持ってんのか?

(´-﹏-`;)…さすがに、感情の制御に限界が来ていました。
しかも、13年連れ添って確信に至っていました。
物質欲&自己顕示欲ともにMAX、ひがみ根性MAX、
感謝の気持ち皆無……それがAの本質だと……。

(×_×;) だめだ、こりゃあ!
尽くす価値無し。
幼年期の逆境、トラウマ払拭なんて無理。
私だって相当な貧困家庭で育ったけど、
情も深いし、努力も厭わない。
Aの場合、魂の問題かも?

ってなことで、ブチ切れ、
あげまん女房を13年で廃業したというわけです。(^_^ ;)

もちろん、反省はしましたよ。猛烈に……。

Aを選んだ理由は『存在感』を得ることでした。
『お前がいてくれたからこそ……』と言ってもらえたら、
それが全てだと、確かに思っていました。

ですが、それ、自己顕示欲なんですよねぇ。(´-﹏-`;)

タイ人の恋人のために役に立てなくても、
Aなら、自分の能力が際立つだろう、みたいな……。
解ります?
超絶美人の中では目立たない10人並みの女性が、
不美人ばかりの中では『美人』に思われる得、みたいな……。

私も若い頃は、かなりハングリーな人間でした。
しかも、自己顕示欲も強かった。
だから……Aと、引き合ったんですねぇ。(^_^ ;)

それを認め、猛省したとき、離婚の決断ができました。
良妻賢母ぶって、Aの犠牲になる人生なんて意味がない。
このまま我慢を続けたら、それこそボヤキ人生になってしまう。
この先は自分のために生きよう。
素直に、真剣に、そう思いました。(*^▽^*)


もっとも離婚はしても、Aの、私への依存はありましたよ。
(息子を人質にとられていたようなものだった)

またしても入院 → 奈良に通って息子の弁当づくり。
7000万の保証人依頼 → (●`∧´)即断
破産して金欠  → 300万くれてやる。

このとき、Aがなんて言ったと思います?
『オレ、心底、思うわ……。
お前が男やったら、生涯の親友になったやろうって…』
思わず心で‥‥。
『アホかいな!…こっちにも選ぶ権利あるわ!』


20年ぶりに、息子の結婚式でAと再会しました。(息子は36歳で結婚)
熱心に話しかけてきましたが、親族の手前、松竹喜劇のノリで、きっちり返しました。

『あんたね!、私たち別れて20年よ。
いつまでも“おまえ”呼ばわりされる覚え、あらへんでぇ!
ほんま、ええ加減にして欲しいわ』


すると、新郎新婦はもとより、親族全員が大爆笑!……(Aは苦笑い)
大阪弁って、こんなとき絶大な緩衝材になるんですよねぇ。((´∀`*))ヶラヶラ 

息子が結婚して、心底、安堵しました。
Aとの『ミクロの絆』を、断ち切ることができたのですから……。


えぇ、えぇ、解ってますよ。
Aは、私のために、憎たらしい夫を演じた魂だと。
商売の段取り、交渉、スピーディな動き、低身低頭、おべんちゃら、駆け引き……。
ぜ~んぶ、Aから学んだ処世術ですし、鍛えられたことは確かです。( ˘ ³˘)



『お父さんとこ、行って来たよ。元気そうやったわ。
プロ顔負けのお節作って待っててくれてなぁ……』

正月が過ぎたら、息子夫婦から電話があります。
破産した元夫は、大分県の山村で田舎暮らし、してるんです。
村の名産プロジェクトの一環で、
細々と山椒の栽培をしているようです。(^_^ ;)

『そうかぁ、良かったなぁ。孫の顔見てメロメロやろ?
まっ、お父さんには、あんたたち夫婦だけが身内やから、
父の日とかにも、ちょっとした気持ち、してやってな!』

こんな言葉をかけるのも、Aが、本来は完全な光の魂だと
知っているからに他ありません。

が、しかぁ~し、アストラル界に戻ったら、
一言、文句は言いますよ!
『あんたねぇ、金儲けもいいけど、金に囚われたら終いやで!
二度目の嫁さん、二年で出て行ったやんか。
兄さんたちとも、結局は縁、切ってしまったやんかぁ。
なにが足らんかったと思う? 感謝や、感謝~!……』

(*′☉.̫☉) えっ?
高次の世界に、そんな言語ないって? (。・?_?・。)ムゥ…。
さすが、オバちゃんブログ読んでくださっている方は、進化が速い!


自らのエゴを、同情にすり替えて結婚した、
オバちゃんの『汚点』エピソードでした。
こんな失敗談でも、発信する自分、好きですよ。
人は、失敗から多くのことを学ぶのですから‥‥。




ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

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癒したぁ、なんだや

 11, 2017 00:10
わが家の春ブク用jpg
       小川村のわが家


高齢化、過疎化の進んだ村で、
田舎暮らしをしていたときのエピソードです。



天文台や宿泊施設、スポーツセンターなど、
村には、かつての村興し事業で建設された数々の箱物がありました。
その赤字運営で莫大な借金を背負ってしまった村が、
癒しの里づくり」という地域活性化のための新たな構想を打ち立てました。

村人から募集されたアイディアは次のようなものでした。
●北アルプスの眺望を目玉としたロマントピア街道構想。
●景観整備と花の名所構想。
●ホタルの里づくり

ところがいざ実行となると、原材料費を除く労力の一切が、
村人の永続的な勤労奉仕に依存されようとしていました。
なんのことはない。
予算の乏しい村政にすれば、苦肉の策だったのでしょう。
住民の声を反映する企画だと強調すれば、
労働力は提供してもらえると、たかをくくっていたのかもしれません。


「癒したぁ、なんだや?」 

懇談会の最中、一人の爺さまが勇気をふり絞るように質問しました。
(´ー`*)ウンウン…もっともな質問だと、誰もが感じたようで、
答えを待つ人々の視線が、司会者に注がれました。

「えぇ~、安心するというか、満足するというか……」

役場職員が慎重に言葉を選びながら答えました。

「誰のためにするだぁ。観光客のためだか?」 

すかさず、爺さまが聞き返しました。

「いや、観光客のためだけじゃなく、私たちも癒されるため……」

一瞬、座がしらけ、村人たちの様々な反応が飛び交いました。


懇談会は混迷を極めました。

「おらぁ足も腰も痛てぇ。
それでも畑やらねぇと飯の食い上げだ。
まずは、おらぁを癒してもらいてぇ」

爺さまの本音に、大爆笑が沸き起こりました。

ボランティア精神といえば聞こえはいいですよね。
ですが、出来栄えを問われることのない作業には、
美的センスや、一貫した継続性は望めません。
陰口を恐れ、高齢者のほとんどが足腰の痛みを堪えて、
地区の草刈や清掃に参加しているのが現実なんです。
居住域の環境整備。それも何年も継続する勤労奉仕となると、
中途半端な挫折や、責任転嫁の風評が立つことは目に見えていました。

「全面的な勤労奉仕じゃなくて、
人材センターなどで支払われる時間給の5割や3割の報酬。
または村内店舗の割引買い物券などを発行して、
楽しみという付加価値をつけたらどうでしょう?」 

私が提案してみました。
聴衆は頷き、役場職員はポーカーフェイスを装いました。

結論として、実行されたのは『花の名所』づくりのみ。
もちろん名所というレベルではなく、畳一畳ほどの花壇で、
半年もすると雑草に覆われて見る影もなくなりました。

神戸や、東北大震災以来、流行語のようになった『癒し』という言葉を、
これほど不適格に、無様にスローガン化した役場職員の意識……。
現金収入のない村人の暮らしぶりをイメージすることなく、
労働だけを強いる、職員の意識こそが問題だったわけです。


かつて長野県知事だった田中氏は、 → 異色の知事
経費のかかる知事公社を処分すると決めました。
それを小川村がもらい受け、長野市内から村に移設しました。
その昔、長野県知事の1人が村出身者だったという理由だけで、です。
それまでに国の補助金で多くの箱モノを造り、
その全てが経費倒れしている矢先の、知事公舎移設でした。
移設費用は元より、その維持管理費に莫大な金をかけて借金を増やし、
地域活性化の労力は、100%ボランティアで、って?……(。・?_?・。)ムゥ

このときの、オバちゃんの心境…。
この村の役場職員って、なんでこうもボンクラ揃いなんや!
(○`ε´○)! 脳も心も錆びついてんのんか!
泰阜村にでも行って、学んで来んかい!
っと、まぁ、松竹喜劇風に憤っていたのでした。

★泰阜村は、同じ長野県下の過疎の村。
 早くから地域包括医療を実施。
 山村・都市交流プロジェクトを立ち上げ移住者を手厚く保護。
 その経営戦略は近隣の手本になっていました。


その昔、マズローという学者が、
人間の欲求5段階説を発表しました。
生存できるか否かに始まり、衣食住が満たされると、
社会的な地位や名誉に至り、後に慈善を行いたくなる、というものです。

確かに世界情勢の多くは、
『マズローの欲求5段階説』を証明しています。

例えばIS国。
いまでこそ世界中の若者が参加していますが、
初期の戦闘員の多くは、金銭的な待遇の良さが理由だったようです。
イスラム諸国では失業率も高く、
若者たちの雇用が確保されていません。
高校や大学卒の優秀な若者が就職できないと、
社会や政府への反感や怒りに変わります。
で……”ジハード(聖戦)”という都合の良い理由を見出し、
大義と共に、好待遇の義勇兵(聖職者が推奨)という仕事に、
のめり込んでいくのですねぇ。
衣食住が足りていれば、過激な輩は少数派だったかも……。

ふと思います。
日本は、平和です。
ワンちゃん猫ちゃん飼って、動画見て、
『癒されるぅ…(*´~`*)。o○ 』ってな暮らしですよね。
飢えるどころか、ダイエット意識満々ですよねぇ。
物心ともに老後に不安があったとしても、さほど深刻ではありません。
その証拠に、政界やスターのスキャンダルとか見聞きしたら、
ついネット検索して結末を見るでしよう?

誰のこと(・_・?)……って?
決まってるでしょう。 わ・た・し・です。(。・?_?・。)ムゥ…

ですが、その反動として必ず……。
『まずは、おらぁを癒してもらいてぇ』と言った爺さまの顔を、
イスラム国の聖戦に加わる若者たちを、
落ち着く先の見えないシリア難民を、
化学兵器で殺されたシリアの子供たちを、
命からがら脱北する北朝鮮の人々を想って、
一挙に落ち込むのです。(´-﹏-`;)


さ~て……ここからが本日の核となる話です。


昨今、何かというと『癒し系○○○』とか、
癒しの宿や、癒しの里とか宣伝されますが、
皆さん、それらに違和感、覚えません?

ってか……『癒し』って、なんでしょう。
どんな状態か、ご存知でしょうか?

ワンちゃん猫ちゃんと戯れたり、自然に触れ、
音楽などを鑑賞して得られるハッピィ感は、癒しというより、
安らぎや、 くつろぎを表すリラクゼーションじゃないでしょうかね。
癒しとは本来、病気が治る(癒える)ですし‥‥。

ですが人々は、『癒し』というニュアンスに熱狂します。
なぜでしょうね。

思うに……。
心の奥深く、
根深い不満があることに気づいていながら、
自らの内面に向かい合うことを拒み、
無意識に代償性の安らぎを求め、
癒されている“つもり”に浸っていたい?

そんなふうに思いません?
「自分は、こうしたい」と明確に判っていても、
欲求不満を解消したいと思っていても、
それを実行するためのエネルギーや、
環境変化(物心ともに)に伴う「恐怖」が、
結論を先延ばしにしているみたいな……。


!(・。・) おっと……偉そうに! ですよね。
そういう私も、若い頃はさんざん気を紛らわせました。
迷うばかりで決断、実行できなくて、
ヨガや、プール、登山など、どんなにのめり込んだことか……。(o´_`o)ハァ・・・

で、癒されたかというと、ぜ~んぜん!
つかの間の安らぎを得たに過ぎませんでした。(^_^ ;)
もっとも、端から『癒し』なんて大層なこと、求めていませんでした。
単なる気分転換、気晴らし、安らぎです。


では、本来の癒しとは何か……。
どんな状態になると、人は心底、癒されるのでしょう?

それはズバリ安心でしょうね。

とりたてては求めなくなる。
あるがままで幸せ。
自分への絶対的な信頼。

それが、安心……。
心が安らかな状態だと思います。

そこで、本来の癒し(安心)を得るための方法です。

自らの心や感情に正面から向かい合い、
見て見ぬふりしている「恐怖」の正体を掴み、 
その呪縛から解放されることでしょうね。
言いかえると、その決断と行動が起こるまで葛藤は続き、
決して癒されることはないと思います。


ですが、こんなふうに突き詰めると、たいていの人が、
『いいの、いいの、諦めてるし…』
と言います。

これ、諦めているのではなく、
代償性のメリットを優先させてるんですよねぇ。
(保証された収入、体裁、都合の良さ、etc。)

もちろん、それもいいと思います。
ただ、それを優先しているのは自分だと、判ることが大切です。
自覚があれば、
相手ばかりを責めなくなります。
自覚があれば、
自分の本当の望みが見えてきます。
なにがなんでも、と、叶うものなら、の、
情熱の差が鮮明になります。
で、執着の強い方が、あなたにとっての癒し(安心)だと、
心底、解るわけです。(決して諦めているのではない)( ˘ ³˘)



今日の記事は、『鍼灸オバちゃんの田舎暮らし18話』の中から
編集し直したものです。



人生の戦いはすべて、僕たちに何かを教えてくれる。
敗北でさえもそうなのだ。
人生の意味とは、自分がやりたいと思うことをすること。
今、沢山の人々が、生きるのをやめています。
この人たちは怒りもせず、泣きもせずに、
ただ、時間がすぎるのを待っているだけです。
         パウロ・コエーリョ



ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

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エピソード/父ちゃん

 15, 2017 00:10
羊飼いの少年


一人きりの静寂な時間が好きだった私は、
小学5年ともなると、薪小屋の2畳ほどのスペースで寝てました。
ボロ屋ながら家はあったのですが、六畳二間と台所、
あとは豆腐屋家業の作業所という環境だったので、
父に頼んで小屋に台座を造って畳を入れてもらい、
念願のプライバシー空間を確保したというわけです。

しばらくして、捨て犬に遭遇。
よちよち歩きの子犬の可愛さに圧倒され、小屋で飼うことにしました。
名前は『シロ』……真っ白なワンちゃん、そのまんまです。
親に内緒ですから、あえて夕食を残して運んだり、
学校に行くときは少し戸を開けて、
子犬が自由に出入りできるようにしておいたのでした。
(村はずれの我が家、燐家は一軒だけ)

2カ月が過ぎても、親から咎められなかったので、
認めてくれたものだと思い、胸を撫でおろしました。
シロと遊ぶのが楽しみで、
学校からスキップしながら帰ったものです。

ところが、ある日、シロの姿が見当たりません。

『父ちゃん、シロ、知らん?』
『よう、知らんのう……どっかで遊んどるがやろぅ』

父を信頼していたので、母には聞きませんでした。
幼年期から貧困と辛酸をなめ尽くした母は、
無知蒙昧で、金の亡者のような人だったからです。

が、しか~し、です。
その日の夕方、台所から『すき焼き』の匂いが漂ってきました。
(((ʘ ʘ;)))おかしい!と、直観しました。
『すき焼き』なんて、わが家では大晦日だけのはず。
それも卵を得るための、自家用鶏をつぶして、でしたから‥‥。

(((ʘ ʘ;)))ま、ま、 まさか…そんなはずは…。
そう思いながら母屋に行くと、晩酌しながら父がい言いました。
『旨いぞ! 風子も食べんかぁ!』

心が凍りつきました。
ですが恐ろしくて、ストレートに聞けるはずもありません。
感情を押し殺し、その辺にあるもので夕食を済ませ、
流しに茶碗を運びながら、母の耳元で囁きました。
『あの肉、ひょっとして……シロ?』
苦笑いしたまま、母は答えませんでした。
(◎ー◎;)…それが何よりの答えだと、確信しました。

((((;゚;Д;゚;))))カタカタ …… なんてことを……((((;゚;Д;゚;))))
子供が可愛がってるワンちゃん食べるって、どんな神経?
肉食べたかったら、ウサギでも獲ってきたらいいやん!
鶏、つぶせよ…なんだってシロを…(´-﹏-`;)…o(;_;)o。

その日から3か月ほど、父と口を利きませんでした。
ですが子供なりに、父の人間性を俯瞰し続けました。

というのも、父は“良い人”だったんです。
感情を顕わにして怒ることなどない、温厚な人でした。
学歴こそありませんが博学で、なんでも教えてくれました。
即答できないことは、調べてでも、です。
焼酎好きで晩酌はしましたが、その後は読書して就寝。
雨風の強い日にはライフワークだった人相や手相学、
東洋医学や、薬草などの研究をしていました。

年に一度、すき焼き用の鶏を捌くときは、
『これが食道……これが砂袋いうてのぉ、
砂ごと突いて食べてしまう鶏の特徴ながよ。
面白いもんで、牛は胃が四つもあるがぜぇ』
などと、解剖学的な説明を加えてくれたものです。

大工でもないのに家を建てたり、機械修理もできるし、
絵もすこぶる上手なマルチ人間でした。
どう塗り直しても池の色が上手く描けず、
最終的に父を頼った展示会用の絵は、
郡が主催する中学生部門の展示会で、金賞に輝きました。
『池の色彩が突出して素晴らしい…』という評価で。(o´_`o)ハァ・・・。

父はまた、涙もろい人でもありました。
もともと正義感が強く、判官贔屓する人で、
情愛ものの浪曲なんかを聞いても泣いていました。

それが戦争体験となると、テンションはMAX。
晩酌をしながら、父は決まってフィリピンの話をするのですが、
私は毎回、相槌を入れながら上手に聞くよう努めました。
母があまりも不愛想で、父が気の毒だったからです。

日本軍は、フィリピンの村々で、大量虐殺を繰り返したそうです。
女子供、老人など、罪もない村人を、です。
泣きながら刃を向ける二等兵たちに向かって、
鬼軍曹が足蹴りして喝をいれたのだとか……。

戦局が不利に傾き、ジャングルを逃げ回るようになると、
飢えとマラリアで倒れる者続出。
人肉をむさぼる輩も現れ、
そのときばかりは死んだ方がましだと思ったそうです。

終戦になり、引き上げ船に乗ったとき、
残酷な命令を下した軍曹を、みんなで海に投げ込んだそうです。
父は加担しなかったそうですが、二等兵たちの心情に泣き、
それを止めなかった自分も同罪だと、泣くのです。
この話は何百回も聞きましたが、父は毎回、泣きました。


子供なりに、記憶にある父を回想すること3カ月。
とりあえずですが、父に対する憎しみが消えました。

『!(・。・)b 父ちゃんにとって、
シロは食料やったんや。
何も言わないって、変だったもんなぁ。
2か月って……太るのを待ってたんやぁ。
ウサギや、鶏、イノシシや、赤犬と同じなんやぁ。
もしかしてジャングルで飢え死にしそうになったら、
私だって、野良犬を食料にしたかも…… 』

赤犬というのは、もともと郷里の山に生息。
オオカミとの混血犬のことで、イノシシ同様、
かつては村人の食料として狩られていました。
父の話では、イノシシに似て美味だと言います。
父はまた、雪の日に罠を仕掛けてウサギを。
何匹ものマムシの皮を剥ぎ、
干して炙って、酒の肴にしていました。
そのワイルドな食の延長線上に、シロがいたわけです。

食べ物について、深く々、考えました。
自分は魚だってキジ(鳥)だって、喜んで食べた。
ウサギや鶏も、美味しかった。
都会に住む叔母ちゃんは、ステーキご馳走してくれた。
み~んな“生き物の命”食べている。
可愛いペットだから、って理由で、
父を恨み続けるってのも、なんか変かも……。
そう思って、許すことにしたのです。


久しぶりに実家を訪ねたとき(34歳)、父が言いました。
『わしゃ、もう死ぬけんの。皆の未来を占って書いておいたぜ』
『なんで?‥元気ピンピンやんかぁ』
『このところ毎晩のように、夢で母親が迎えに来るがよ』
『(((ʘ ʘ;)))……・』

躊躇はしましたが、思い切って“死”をテーマに雑談しました。
そんな方向にでも話を振らなければ、
いたたまれなかったのです。

『へぇ……。
けど、いい機会やから聞いておくわ。
父ちゃんは、人間、死んだら終わりやと思てる?
魂とか…どう思ってんの?』
『よっ、そりゃあ、人間、死んだら終いよ。
腐って土に還るがよ』
『そうかなぁ……。
私、魂は永遠やと思てんねん。
そしたらな、父ちゃん。
死んだとき、魂があるってわかったら、
私に合図してくれへん?
絶対やで!…約束してな!』
そう念を押すと、父は笑いながら頭を掻きました。

この会話の1ヵ月後、父は余命3カ月という宣告を受けます。
甚だしい黄疸で、目が真っ黄色……。
胆管、膵管が交差する厄介な場所の癌で、オペも不可能でした。


父が亡くなり数週間が経った頃、
私の心身に、顕著な変化が……。
父は、私との約束を守ってくれたのでした。
詳細記事はココ 身につくもの・つけるもの➁

エリザベス・キュプラー・ロス著『人生は廻る輪のように』の中で、
エリザベスは、魂や輪廻のあるなしで夫と口論になります。
怒った夫(外科医)が言います。
『もし本当に魂があるなら、僕が死んだとき、
お墓の前に、真紅のバラを咲かせてみせるよ』

で……奇しくも夫が急死。
娘と夫の墓に行ったエリザベスは、雪の日にも関わらず、
そこで真紅のバラが咲いているのを見て驚喜します。
『マニー、解ったのね! ありがとう…』 と……。


さて、話を今に戻して……。
“おしんの時代”と違い、空前のペットブームです。
夫より、妻よりもワンちゃん、猫ちゃん『命』。
そんな人々が圧倒的ですから、
こんな記事発信したら『どんな親やぁ!』と、
袋叩きになりそうですが……。(^_^ ;)

50数年もの間、誰にも打ち明けなかった、この話……。
最近、ひょんなことから、ある人にメールで告白しました。
折しも『洞窟おじさん』の映画を見たことが重なり、
父の思い出として記事にしておきたくなったのでした。

もっとも深刻な難民問題などは、
『洞窟おじさん』のサバイバルどころではありません。
船上で尿を飲んで水分を補給したとか、
亡くなった人の肉をたべたとか……。
そんなニュースを観るたびに、
スルーしてはいけない問題に思えたことも確かです。


さ~て、ここで質問です。
あなたが、ジャングルを彷徨う兵隊の一人だったとして、
飢え死か、生か、その選択を迫られたとき、
亡くなった同胞の肉を食べるでしょうか?

えっ?……。
そんなこと絶対にあり得ないから、答えられない、ですって?
それは、ずるい、逃避です。
よ~く、よく、考えてみませんか?

うん? (((ʘ ʘ;)))わたし?……。

飢餓の経験ないですからねぇ。
いざとなったら、それに耐えられず、
食べるかも?((((;゚;Д;゚;))))カタカタ。
ってか、それまでに、命、尽きてて欲しいですが、
自決する度胸なんてないので、
殺してもらえたら、喜んで食料になります。(^_^ ;)

こうして真剣に考えてみると、
飢えることのない現状は、それだけで天国ですよねぇ。(*^▽^*)




あらゆる動物において最も激しい欲望は、
肉欲と飢餓である。
ジョゼフ・アディソン(詩人、政治家、文学者)




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エピソード/超能力

 02, 2017 10:10
イルカと月①


38歳で営業職を辞めて、ある女性(Kちゃん)のセミナーに通いながら
プー太郎やってた頃の話です。

ある日、Kちゃんから『特別セミナー』ーの参加を促されました。
潜在能力を開発するためのセミナーで、
事業主や、スポーツ選手なども参加しているらしいとのこと。
二つ返事で受けました。
過剰な読書で頭が混沌としていた私には、
願ってもない内容に思えたのです。

内容は、次のようなものです。
⒈ 名刺で、20回連続で、割り箸を切断する。
⒉ 爪楊枝で、20回連続で、割り箸を切断する。
⒊ 厚紙に書いた文字を透視する。
⒋ 膨らませた風船に箸を通す。
この四種類の特訓でした。


セミナー会場に入ると、最初に講師陣による
デモンストレーションが行われました。
割りばしの両端を2人の講師がそれぞれに支え、
1人が名刺を持って立ちスタンバイ。
すぐに照明が消されて、
スポットライトに照らされたステージが浮かびあがりました。

講師たちは気合い入れ、精神統一を図りました。
すると、名刺が刃物になったかのように、
つぎつぎと割り箸を切断していくではないですか。
みごとな連続技に、
参加者全員が拍手喝采したのはいうまでもありません。


割箸切りは、臍下丹田に力を入れて45度の角度で切り込みます。
宮本武蔵の世界観なわけです。
その場合、腕力に頼ると名刺が折れ曲がり、
指先が箸に当たれば裂傷を負ってしまいます。
名刺を持った手もろとも身体全体を、
瞬時に落とすのがコツのようでした。

そうはいっても実際にやってみると至難の業でした。
格好良さに感動して楽しめたのは1~2時間です。
さらに連続20回という条件をクリアするのは、
並大抵のことではないと解りました。
10数回まで連続して切れたとしても、
20回までに失敗すれば振り出しに戻るからです。

このチャレンジ……食事休憩とトイレ以外は、
三日三晩、不眠不休で進行します。


何百回もの屈伸で膝が痛み、裂傷で指先が腫れあがる頃には
自らの、猜疑心との戦いが始まります。
いい歳をして、なんでこんなことやってんだろう。
かくし芸のひとつに過ぎないじゃん。
これができたからって、なんぼのもんやの。
3日間も寝ずに、ぶっ通す意味ってなんやの。
そうやって反発することで自分を慰めるわけです。



2日目の夜、係員に断って洗面所に向かいました。
汗だくの顔と、血まみれの手を洗うつもりだったのですが、
気がつくと、なぜかホースで頭から冷水を浴びていました。
すると不思議に邪念が吹っ飛び、頭の中が空っぽになりました。
脳が、思考を停止した感じです。

「風子、いきます!」 
会場に戻るや否や、私はただ一点を見つめて切り込んでいました。
肉体は名刺のように軽く、割り箸は異様に太く見えました。
切り込む角度がクローズアップされ、
まるで制御されているかのように、
肉体が上下運動を繰り返すのです。

突如、講師の手が伸びてきて握手を求められました。
事は、一瞬で終わっていたのです。
 
目標を達成すると、周囲の人々の苦闘が愛しく思えました。
そこで、挑戦者に寄り添うことにしました。
そばで念を送れば、彼らのパワーが増幅されるような気がしたのです。
もっとも時間の経過と共に次々と達成者は現われましたが、
最後に残された50歳過ぎの小母さんが、
今にも泣き出しそうに私を凝視しました。

「大丈夫、できるよ。必ずできる」 
思わず彼女を強く抱きしめていました。

「みんなで念を送ろう!」 
誰かが言いました。
その迫力に奮い立ったのでしょう。
小母さんは涙を拭い、覚悟を定めたかのような深呼吸をして、
一気に切り込みました。

愛のパワーが充満する会場に、
小母さんの気合だけが響き渡りました。

「ウォー、やったー!」 
喝采が小母さんを包みました。
それを機に、百数十名の参加者全員が、
代わる代わる抱き合いました。
苦しさと戦うことで、
個人レベルの価値観や優劣が消え去っていたのです。
(ちなみに、風子婆、優勝してました(^_^ ;))

不思議ですねぇ。
名刺による割り箸切ができると、爪楊枝で割り箸、ってのも
意外に簡単にできるのです。
(((ʘ ʘ;)))透視も、不可能から次第に、見えてきますし(成功率80%)
風船も破裂せずに、割り箸が入っていくのですから(◎ー◎;)‥‥。

その夜、大広間は消灯され、全員が大シャバアサナーに入りました。
大の字に寝転ぶことで筋肉を弛緩させ、
内なる自己を見つめるヨ-ガのポーズです。

暗闇にも関わらず、視界を埋め尽くす紫色に感激して、
私は泣いていました。
紫色は眉間の中央に位置するチャクラの色です。
それは第三の目と言われ、宇宙との交信ポイントだけに、
祝福を受けているような気がしたものです。

必要な時に、必要な人や物に恵まれた感謝の念が沸き起こりました。
途中、疑心暗鬼に見舞われたものの、
この訓練で、私は多くの教訓を学んだことに気がついたのです。

固定観念に縛られないこと。
心を解き放つこと。
無心になること。
自分を愛するように人を愛すること……。


この記事は、エリアンダーさんの動画を見ていてアップしました。
エリアンダーさん自身が発信している動画のアカデミー賞を
ご自分でランキング。その中の『幼稚園児 涙の挑戦』です。 夏への扉
この動画を見てて、自分の体験を思い出した、というわけです。

エリアンダーさんの動画は幼稚園児ですから、
それはそれは感動! うるうるですよo(;_;)o



が、しかぁ~し‥‥。
そのセミナーから帰って数週間もすると、
なんと、超能力が消失。
なんど試みても、20回連続ができないのです。


飲みにでも行ったら、披露しようと企んでいたのに……。(。・?_?・。)ムゥ…


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エピソード/郷に入れば

 23, 2017 01:00
小川村全景


過去記事のカテゴリー『鍼灸オバちゃんの田舎暮らし (18話)』は、
患者さんたちとの交流を描いた実話です。
ほっこりと、ちょっと切なく、コミカルな内容が多いのですが、
実際は、なじめない掟や風習を背景とする多くの裏話に満ちています。
今日は過去記事に書かなかった、郷のありさまを紹介しておきましょう。

なぜって…?
心に、わだかまりがあるんです。
田舎暮らしで、テレビ局の取材を三度も受けたのですが、
放映されたものは『やらせストーリー』ばかり。
郷に入るという暮らしの、実体、実感を、リアルに伝えられなかった。
オバちゃんには今も、そんな無念さがあるんです。

民放の取材はひどい……最悪です。
名古屋テレビが『あこがれの田舎暮らし』。
信越テレビが『素晴らしき夫婦』というテーマで取材に来たのですが、
ノリノリのリポーターが、勝手にはしゃいでストーリーを創作。
インタビューシーンの映像はあるものの、
内容は視聴者受けするコピーに差し替えられていたのです。

せめてNHKなら…そんな思いで取材を受けましたが、ガッカリでした。
『田舎暮らしに憧れている人たちにアドバイスを…。』
というので、正直にメリット、デメリットを話したのですが、
放映されたのはポジィティブ発言のみ。
いわゆる視聴者受けする内容に限定されていました。

NHKの取材は二日がかり。
謝礼はゼロで、クルー5名の食事も用意するんです。(暗黙の常識?)
近所の爺婆とのコミュニケ撮りたいとかで、
料理を作って皆さんを集め、さんざん振り回された挙句、
地区の皆さんへの寸志もなしで、個人的に菓子折りなど配る結果に。
で、放映時間は15分。σ(・´ω‘・) 
集まってもらった爺婆たちには、さんざん文句を言われました。
『オラ、テレビに映るってんで、他府県の親戚にまで電話したに、
まったく映ってなかったじゃねぇか!(●`∧´)』と…… → 誤り続けて、ご機嫌取り。

アマチュア写真家の夫と、鍼灸オバちゃんの組み合わせが面白かったのか、
あるとき、テレビ朝日『人生の楽園』が取材許可を求めてきました。
(テレビ局って、田舎にも情報網持ってます)

即、お断りしました。(^_^ ;) 
人生の楽園ともなると放映時間30分。
仕事もできず4~5日がかりですから‥‥。
その代わりとかで、テレビ局は万華鏡作家の移住者(患者)を取材。
母親が頚椎症で寝たきり、妻が統合失調症、本人がヘルニアという状態での撮影に、
見ている方がハラハラドキドキ……。
(生活苦に病人を抱えていたので、宣伝したいと思ったのでしょう。)
正直、局に対しては『バカやろう!』と、思ったのでした。

田舎暮らしは、慎重に検討することをお勧めします。
信州安曇野に移住組の同好会があって、定期的に親睦会もありましたが、
10年後には、20組中半数が転居、あるいは都会に戻りました。
中でも悲惨だったのは、白馬の移住者。
移住早々、墓の穴掘り。→ さまざまな勤労奉仕の一環
大規模な豚舎からの悪臭に苦しみ(地元民には金をばらまいて口封じ)
2800万の立派な古民家を手放しました。
購入まで何度も足は運んだのですが、
匂いは、その日の風向き次第で気づけなかったわけです。

もっとも、白馬村に移住した旧友は、自治組織を避けて、
あえて大規模別荘地に家を建てました。
管理会社に5万/年を払い、村の行事に関する業務の代行委任したわけです。

よくありますよね。
『10万円で暮らせる夢の田舎暮らし』なんてキャッチフレーズ。
近所から野菜の差し入れ、食べ放題の山菜、ゼロ円生活、とか‥‥。
頂くと、それなりのお礼をしますし、山菜も業者に荒らされて枯渇ぎみ。
入山禁止の山も多いものです。
また、自治会に関する出費も大きいです。
年会費、祭りや、花火、集会場改装などの寄付金額がスゴイのです。

自宅が古民家だと、3~5年おきに、屋根のペンキ塗りに30万。
寒冷地だと光熱費は莫大です。
薪を買うなら4万円/月、灯油でも2~3万円は必須です。

最近、ワイドショーで和歌山の別荘、格安物件が放映されていました。
南海トラフの巨大地震が予告されて10数年。
物件が売れずに困った組織が、番組に依頼したんでしょうね。

ね!……。
田舎暮らしって、誰もが一度は憧れますが、
テレビ局の創作物語に騙されないように、
現地に何度も足を運んで、詳細を聞き込むのが肝心です。


さて、ここからは郷のメンタルについて。
そこで12年暮らしたオバちゃんの、正直な思い、想いを発信します。

かつては陸の孤島だった僻地の村のこと。
食うや食わずの暮らしを強いられた親世代の観念が、
骨の髄まで沁み込んでいるのでしょう。
まずは、村人たちの強烈なハングリー精神に驚きました。

そもそも村には仕事がなく、年寄りしかいません。
運よく村役場や農協勤めができた少数派はいますが(村ではエリート)、
休日でも体を休ませる人など、ほとんどいません。
自家用、あるいは副収入目的の畑仕事を、平日の朝夕と、休日に行い、
連休などは木の伐採や、草刈りのバイトにも励みます。
まさに二足、三足の草鞋で、馬車馬のように働くわけです。
その甲斐あってか、勤め先のある村人は物持ちです。
機械貧乏だぁ‥とか言いながらも、乗用車や軽四トラックは一家に3~4台。
200万は下らない耕運機や、稲刈り機、それらを格納する小屋には、
稲の乾燥機や精米機まで完備しているのです。

そんなハングリー精神の延長なのでしょう。
選挙戦は、彼らにとって臨時収入を得るための一大イベントでした。

人々の関心は候補者のマニュフェストや、村全体の発展ではありません。
自らの1票が何10万になるのか…。
自分たちの地区にどれほどの便宜を図ってもらえるのか…。
この二点にあります。
(*′☉.̫☉)選挙違反ですって?
村に駐在所はありますが、よそ者の駐在員なんて蚊帳の外。
過疎の村は、自治組織こそが法、という側面を持っています。

ですから、選挙戦に突入すると、村中が北朝鮮状態になります。
個人の意思などは無視され、地区が定めた候補者の応援を強要されるわけで、
直立不動で選挙カーを迎え、拍手と握手を繰り返して盛り上げます。
でないと、即刻、村八分ですから‥‥。
候補者同士の接戦ともなると、あからさまに対抗馬のゴシップを吹聴し、
敵陣に汚泥をばら撒く輩もいます。(うんこ、ですよ。うんこ…(´-﹏-`;))
(。・?_?・。)ムゥ…冗談おいて、瀕死の婆さまでも、
戸板に乗せて投票所に運ばれるほどなんです。

だからといって私たちのような、よそ者の票などは端からあてにされていません。
下手に金を積んで、常識的な正義を振り回されては困るからです。
聞いたところでは、最低が一票10万。
焦っている候補者なら20~30万になるというから驚きです。


そんな村人から見ると、金にもならない趣味や、
ボランティアを行う者などは軽蔑されます。

『おめぇんちの父さん、写真やって金になるだか?』
『(*′☉.̫☉)…いやいや、趣味だから金には……』
『たまげたなぇ!…金にならねぇだか?
そりゃあ、お大臣さま(おでいじんさま)だなぇ』と
通りすがりの爺婆とかにも、よくからかわれたものです。

もっとも、どこにでも低俗な人間はいます。
施術の恩恵にあずかれる者からは感謝されても、
その繁盛ぶりが疎ましいのか、
事あるごとに意地の悪い物言いをする者もいるという具合に……。

また、田舎では人々が助け合って暮らしていると思いがちですが、
村人の多くは善意に甘えることを嫌います。
力仕事を手伝うとか、食べ物などをおすそ分けでもしようものなら、
怖いもののように即日、お返しが戻ります。
それも大層な返しなので、再びお返しをせざるを得ないわけで、
数年もすると、頼まれない限り、手助けは遠慮するのが常識になります。

それには勿論、理由があります。
ああしてやった、こうもしてやったと吹聴され、
否が応にも“恩を着せられる機会”を作らないこと。
酒の肴にされることを避ける知恵に他ありません。

この観念ばかりは、意外過ぎて腹がたちました。
村人たちって、助け合うんじゃないの?
それを逆手に取って自慢話や恩着せするって、
どんな精神性してるわけ? と、悲しくさえなったものです。

閉鎖的な世界(井の中の蛙)ですから、村人たちはうわさ話が大好きです。
一人一時間の施術の間、私は患者たちの噂話に耳を傾け続けました。

離れた地区や隣村との姻戚関係、家族の事情や病歴、
過去の争い事や事件の数々、時の勢力構図や、恨みつらみの全てを、です。
中でも地権争いの恨みは深刻で、
子や孫の代になっても絶交状態にあるといいます。

とくに存在感の薄れた年寄りたちは昔話に浸るのが好きで、
事件性のある話題の語りには熱が入ります。
読み書きのできない者の多くは、地権を定める書類の意義も判らず、
酒をふるまわれて騙され、挙句に自殺とか‥‥。
時代錯誤も甚だしい物語が、今も残存する世界でした。

ある婆さまなどは、騙されて自殺に追い込まれた者の怨念話や、
他殺説の真意を巡り、霊能者を訪ね回るのを趣味にしていました。
いわゆる話題作りのレベルで‥‥。
そんな婆ちゃん方は、したたかで扱いにくいです。
娘ほど歳の離れた私などは手のひらで転がされ、策略に利用されたものです。


ある日、独居老婆(78歳)に乳癌の兆候を発見。
検査を勧めました。
ですが1ヶ月後も病院に行ってなかったので、
仕方なく県外に住む娘に連絡をとりました。
その時点で娘は感謝していたのですが……。

一週間後の長距離電話で、娘は豹変していました。
『母の癌を人に言うなんて、どうしてくれるんです!
あなた鍼灸師でしょう?
守秘義務を怠るなんて……』
娘から、金切り声を浴びせられました。

『(。・?_?・。)ムゥ…誤解です。私は誰にも話していませんよ』
まったく身に覚えのないことでした。

『(●`∧´) そんなことないでしょう?
友だちが知っているからには、先生がしゃべったに違いないと、
母が言っていますよ!』
娘は、血管が切れそうな勢いで怒鳴りました。
万事休す……(o´_`o)ハァ・・・。
何を言っても無駄だと悟りました。

3ヶ月後、事の詳細が明らかになりました。
婆さまは昔から折り合いの悪かった娘を嫌い、
自分の症状を友人に打ち明けたようでした。

そのため、検査結果が乳癌だと判った夜のこと。
結果を案じていた友人から電話が入り、
それをたまたま実家にいた娘が受けたらしいのです。
娘は怒り狂い、母親を罵倒したようです。
その理由がすごい。
人の不幸は蜜の味だから、村人なんかに話してはいけないと。

娘の激怒ぶりに慄き、婆さまは誰にも言ってないと嘘をついたようです。
検査結果を案じていた友人も施術に通っていることを幸いに、
鍼の先生が喋ったに違いないと釈明したのでした。
(後日、その友人という婆ちゃんから聞きました)


その後、婆さまの手術は成功し、千葉県の娘の元で暮らしています。
もちろん、娘から誤解されたままです。

医者や鍼灸師から聞いたと言えば信憑性が増すようで、
村人の情報源として、私は幾度となく彼らの手玉にとられました。
例えば、よかれと思って話したことが、トピックスにすり替わることもあります。

幾つもの峰や山々に隔てられている集落のこと。
移動手段のない村の年寄りたちは、親戚でも何年も顔を見ないことが多く……。
鍼灸院などは互いの様子をうかがい知る情報源らしく、さまざまなことを聞かれます。

『○○も来てるらしいなぇ。
オラの従妹だがさぇ。5年も会ってねぇだ。
元気だか? どこ悪いだぁ?』
そう聞かれれば、適当に返事をしないわけにはいきません。

『うん、元気よ。ちょっと膝が痛いみたいで。
父ちゃん入院してるし、タバコの収穫時期で大変みたい』
という具合です。
ところが、このパターンの会話には必ず尾ひれがつきます。

だいぶ膝が悪いらしい。
手術しねぇと治らねぇようだ。
親父は脳梗塞だ。
先生が言うには、もう、百姓は無理ってこんだなぇ

手術?脳梗塞?……誰からの情報? とは思いますが、
患者さんたちは誰かに、得意顔で情報を発信するのが楽しみというわけです。


12年も経つと、私は誰よりも“村の事情通”になりました。
守秘義務を盾に、猫も杓子も言いたい放題。
愚痴や罵詈雑言、村政と業者の癒着構造や、村民同士の諍い源。
県外から嫁いで30数年のキャリア嫁たちが、未だによそ者扱いされる現実。
儲け話の配分や、介護施設への入所も、金とコネ次第というわけです。


そんな話に耳を傾けているうちに、村に骨を埋める気力は消失。
大阪に戻ろうかと思い始めたとき、それを後押しするような事情が発生しました。
空き家だった燐家に、都会から移住者が来たまでは良かったのですが、
ある思想に傾倒した連中で、他府県からの車の出入りが激しくなりました。

『あんたんちの隣に奇妙な連中が来たってじゃね?
客人が帰るときに抱き合うって? 
車が観えなくなるまで大きな旗振って、ありゃあ宗教かい?
まさか、オームじゃあるめぇな?』
ある日、ウォーキング中に村人に呼び止められました。

『いやいや、オームじゃないから安心して。
テンツクマンっていう思想家に傾倒してるみたいで、
そのグループが出入りしてるみたい。
自然主義に徹して玄米菜食とか、自力出産とか、
オムツもさせずにスッポンポン子育て、やってるみたい。
いずれ、大勢で暮すんだって。
まっ、新人類って感じかも……。
あんまり騒がしいのも困るし、話しい合ってはいるんだけど…』

やがて突如、古民家の改装工事が始まりました。
背後に出資してくれるオーナーがいるようで、表向きは農家民宿。
実体は思想を共有する連中とシェアハウスして、
活動の信州拠点のようなものを作る計画のようでした。

話し合いは決裂。
地区の反対を押し切ってでも、実行することが判りました。

時を同じくして、連れ合いが心臓病を発症。
冬は零下10数度の世界ですから、心臓疾患には堪えます。
山間部のことで、救急車到着までには時間がかかります。

そろそろ潮時かも……。
ごく自然に、そう思いました。

不思議ですねぇ。
鍼灸院としてはメチャメチャ繁盛していたのですが、
ここで骨は埋めないと決心したとたん、
動かざるを得ない状況、事情が生じたのです。

大阪に戻る予告をすると、村中が大騒ぎになりました。
新人類が騒がしいなら、離れた地区に家を提供するとか、
村長を筆頭に、反対運動グループ起こすとか‥‥。

ですが、全てに目をつむって、引っ越しを決行しました。


大阪に戻った後、連れ合いは大阪南医療センターに入院。
一度心臓を止め、電気ショック療法を受けました。
心臓肥大まで進行していると不可能だったのですが、ラッキーでした。
幸いにも経過が良く、薬を飲みながら、今も菜園を楽しんでいます。

大阪に戻ると知り、掌を返す態度になった村人や、患者さんもいましたが、
今も長距離電話をかけてきては、近況を話してくれる村人もいます。
小川村から車で30分ほどの美麻村での事件を、得意げに聞かせてくれる婆さまも、です。

美麻村の移住者が、グループで大麻販売していたニュース。
ご存知でしょう?(美麻村、その近隣の村に分散)
表向きは音楽ライブ。
実態は大麻の販売パーティだった事件です。
このよううな実例があると、村人の警戒心はMax。
『まったく…よそ者ってのは、ろくなもんじゃねぇ!』
ってなもんで、今後、移住者の受け入れは難しいでしょうね。

あくまで主観ですが……。
『郷に入れば郷に従う』という考え方には無理があります。
美しいことわざに思えますが……。
(*′☉.̫☉)ドッコイ! ただの悪習の数々です。
そんなもんに従えるかい!と、オバちゃんは思いました。



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人体の摩訶不思議

 03, 2017 08:00
月と猫



いきなりですが、ご存知でしょうか?

人は、意識を持った37兆個の細胞の集合体だということを。
しかも、37兆個の細胞の、ひとつひとつに意識があるということを……。

臓器移植を受けた人の嗜好や趣味が激変したり、
幻肢痛(切断した足の痛み)に悩まされるのは、
人の細胞が、脳と同じ意思を持っているからに他ならない。
大胆にも、オバちゃんはそう思っています。(^_^ ;)

私の知る限りですが、覚者と呼ばれた人で、
このことを知っているのはOSHOだけでした。

今回は人体の摩訶不思議について。
北アルプスを望む過疎の村で、意識(魂)の具現化である人体を、
鍼灸師の視点で見つめた話です。



≪患者A≫

正月3日の早朝、近所の主婦からSOSの電話が入りました。
金沢から来た実母が立てなくなり救急病院に行ったが、
神経性という診断で手当てをしてもらえなかったというのです。
(・_・?)…でしたが、とりあえず施術の依頼を引き受けました

「アァ、痛い、痛い、もう死んだ方がましや。
死んだ弟が夢枕に立って、私を責めるが……」
息子に抱かかえられてベッドに横たわるや否や、
老婆は心身の不幸を嘆きました。

「へぇ……生前、弟さんに意地悪したん?」
臍の下3寸にある、エネルギー回復のツボに灸頭鍼。
頭頂のツボ(四神総)に鍼をしながら、彼女の精神に向かい合いました。

「悪いことなんかしてないが。
けど、お父ちゃん死んでから病気ばかりして。
嫁には邪魔者扱いされるし、生きてて楽しいことなんか、な~にもないが」 
老婆は子供のように駄々をこねました。

「大丈夫。痛みはとれるし、すぐに歩けるよ」 
彼女の顔を覗き込み、その頬や肩をさすりながら言いました。

病気とは本来、気が病んだ状態です。
まさに老婆の被害者意識が創りあげた筋肉群のストライキ現象に、
私は“愛”という呪いをかけることにしました。

「お婆ちゃんな。な~んもせんでも、グズグズ言いながらでも、
生きてるだけで大したもんや!
嫁は自分の心と戦い、娘たちにもな、
情やジレンマと向かい合う機会を与えたようなもんや。
必要やったんよ。
自分のためにも周囲のためにも。
弟の霊もそうだけど、こんど現われたら聞けばいいやんか。
責めてるんじゃないと思うなぁ……。
姉ちゃんが心配で見守ってんのかもよ。
ええなぁ、霊ちゃんが見えて……。超能力やんか!羨ましい…」

一時間後、老婆は自らの足で車に乗り込み、
明日も来るから…と言いながら帰って行きました。
彼女の娘婿が、あっけにとられたのは言うまでもありません。


≪患者B≫

『わたし、パニック障害なんですけど、鍼で治ります?』

開口一番、Mさんがストレートに聞きました。(70歳 ♀)
症状を聞くと、心臓バクバク、呼吸困難、めまい、吐き気、眠れない、でした。

『パニック障害とか聞いたらビックリするけど、
医者は病名つけるの仕事だし……。
けど、大丈夫。体中が酸素不足で誤作動してるだけだから。
深刻に思いつめたり、したの?』
自律神経系の施術をしながら聞きました。

『いえ、なにも……ある日、突然』
初対面で、心情なんて言うわけないですが、
顕在意識で否定するからこそ、身体に現れるわけです。
しんどい、辛い、虚しいと、誰かに愚痴れない人が罹りやすい病気です。


『あのさぁ、ウォーキングでもダンスでもいいわ、有酸素運動して。
歩くなら速足で汗ばむくらい。ダンスなら…村では無理か?
気晴らしに長野市内まで出て、エアロビか、社交ダンスでもしたら?』
一通りの施術を終え、私が言いました。

『((´∀`*))…ダンス? この歳で? やだぁ先生!』
彼女が、服を着ながら大笑いしました。

『何言うてんの、Mさん。70歳にはとても見えへんよ。
ほんま、お世辞抜きで50代くらいにしか……。
スタイルいいし、洋服のセンスもいいし、村人とは思われへんわ……あっ、ゴメン。
しかも、そうやって片足立ちで5本指ソックス履くなんて、凄い!
私なんか、座らないとダメ。まともに履かれへん……』
何気なく、彼女を褒めたたえました。
お世辞ではなく、本当にそう思っていましたから。

小さな村のことです。
彼女の噂は、耳にしたことがありました。
村の建設会社で40年に渡り金庫番(経理)を務めた真面目な人。
会長の愛人で、その会長も亡くなったと……。

『あのぉ…病院の薬なんですけど、飲むと胃がおかしくなって。
やめた方がいいです?』
帰り間際に聞かれました。

『緊急に発作が起きたら飲んだらいいけど、大丈夫だと思うわ。
まっ、その辺はMさんの判断でいいよ。』


週に一度、施術に来るようになって1カ月が過ぎた頃、
Mさんが弾んだ声で言いました。

『わたし、フォークダンス始めたんです。
長野市内の会員制クラブで、世界の伝統的なフォークダンス。
この歳で、って思ったけど楽しくて、楽しくて……』

『(*′☉.̫☉)ほぉ…スゴ~イ!…ということは、衣装にもこだわって踊るん?』

『もちろんです。次の発表会はチロル地方の民族衣装なんだって……。』

『ええなぁ‥‥羨ましい。スリムなMさんなら衣装も映えるわ。
そのうちロマンスグレーの彼氏、できたりなんかして…』

こんな会話をして3か月……。
一度も薬を飲むことなく、Mさんのパニック障害は完治しました。


彼女たちの意識の、なににスイッチが入ったのかは判りません。
生理学的には、意識の変化と有酸素運動の効果として、
甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン↑? 
ドーパミン↑? 
ノルアドレナリン?
それら脳内物質の何が、どの程度作用したのかも解りませんでした。

うつろな精神、悩む、悲観的に思いつめているとき、
人は無意識に呼吸が浅いものです。
とくに脳は、酸素不足に陥りやすいのです。
交感神経(戦う神経)ばかりが旺盛になり、緊張から血管は収縮。
酸素不足の上に血液循環も悪くなります。
(*′☉.̫☉)精神→神経→免疫学(病は気から)の、
メカニズム、まっしぐらというわけです。


低体温の人が増え、冷え性人口が急増していることも
病気発症のリスクになります。
だからこそ、運動(有酸素運動)が大切です。
そのメリットは……。
•ストレス解消(自律神経のバランスが整う)
・景色、季節を感じ気分のリフレッシュ。(プラーナを吸う)
•肥満防止(体重より脂肪燃焼効果)
•生活習慣病の予防(深部体温上昇)
•脳の活性化
•心肺機能の向上
•筋力の低下予防




過疎の村では、現代医学に匙を投げられた患者さんたちを多く診ました。

・病院のハシゴでも治らなかった頸椎症は、ただ単に、
 枕を変えるよう指示しただけで完快。
 (首から肩にかける筋肉の過緊張を緩める施術のみ)

・整形外科で治らなかった神経絞扼症候群(肩から腕の激痛)や、
 突発性難聴(発症2ヵ月)は、数本の鍼とパルスの併用で完治。
 (患者が村長とか議員だったために、『神の手』のうわさが…)

・難病の赤血球減少性紫斑病は、その余命宣告を遅らせ、
 癌は、ステージⅢの末期くらいまでなら消失しました。
 (望診段階で無理だと感じた患者は、亡くなりました)

完治した患者さんたち共通の意識は、
大阪からやってきた鍼灸師への、100%の信頼だったかも? と思っています。
歳も歳だし、かなりの熟練鍼灸師、という錯覚?
好感度抜群(性格的に)な鍼灸師への信頼感?
私のおまじない効果?(^_^ ;)

この……施術前の『おまじない』について説明しておきますが、
『私の身体を通して、この人が癒されますように……ありがとう!』
それだけです。(鍼を通して光が浸透するイメージを保つ)

よくある症状群について……。
ぎっくり腰や、バネ指などは比較的容易に鍼灸効果が得られ、
五十肩、膝関節痛、腰痛、脊柱管狭窄症による下肢の痺れなど、
何十年にも渡る姿勢の悪さや、過度の使いすぎ、加齢による骨の異形成などは、
魔法のように即、完治というわけにはいきません。
痛み止めの常用で新たな医原病を発症するよりは、
鍼灸施術の方が安全で、全身症状にも良い、というくらい。
施術家の冷静な見解としては、たかが鍼……されど鍼でした。

ですが、それにも増して『意識の在り様』が大事です。

このことは、アンドリュー・ワイル博士の、
『人はなぜ治るのか』『癒す心、治る力』に詳しく書かれていますし、
その中のイボ取りの話などは超有名です。イボとりの話

ハーバード大学で植物学の学位、後に医学部を卒業した彼は、
世界放浪の旅に出て伝承医学を学びました。(日本の禅も)
人を、肉体としてではなく、意識体として捉える数少ない医師で、
その著書全てを読んだ私は、彼が神秘体験をしていると確信しました。
(慎重に言葉を選んではいますが、至る所で、それと判る)

意識の何かについて、身をもって示したのが、
末期ガンから生還した、インドのアニータ・ムアジャーニさんです。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8B&tid=4508ead8041363a5c82e485d1f53439b&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1


もっとも、世界では1000人以上の人たちが末期ガンを克服し、論文に掲載されています。
(*′☉.̫☉)ケリー・ターナー博士の研究著書。http://president.jp/search/author/Kelly%20A.%20Turner

末期ガンから自力で生還した人たちが実践している9つのこと

・抜本的に食事を変える
・治療法は自分で決める
・直感に従う
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ

だそうですよ。


私自身、臨床で何度も体験しましたが、
奇跡のようなことが起きたとき、多くの人の反応は3タイプほどに分かれます。
⒈ そんなバカな……トリック? まぐれ? 偶然に過ぎない。
⒉ へぇ……ふ~ん。
⒊ そうだろうなぁ……感動したぁo(;_;)o

さて、あなたは、どう捉えるのでしょう?


ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○


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