命の水

 18, 2015 15:44
 水
     大洞池



水……それは万物の命の源。

雨粒の一滴から生まれ、せせらぎや小川、
いくすじもの川や、大河となって海に注ぐ。

その過程で田畑を潤し、湿地で浄化され、
地下に浸透して伏流水となり、ふたたび地上にあふれ出る。

命の水は変幻自在だ。
雪や氷、あるいは蒸発して雲に変身したかと思えば、
再び雨粒となって大地に降り注ぐ。

これら水の循環を、心豊かにイメージできる人は幸いだ。
難解な哲学書など読まなくても早晩、人としての生き方を悟る。

人の思考や行いを雨粒に例えたとき、
せせらぎや小川は、幅が狭く底も浅い。
曲がりくねり、でこぼこも多いことから、
雨でも降ればたちまち氾濫する。

だが、大河ともなると水の容積は膨大だ。
巨大なパワーを秘めていて、とめどなく穏やかに流れ下る。

大ヒットした「川の流れに」という唄は、
文字通り、人生を川の流れに重ねたものだ。

細く長い道、でこぼこ道、曲がりくねった道は、
若い人生そのものであり、
ゆるやかに、穏やかに、は、
大河に成長した人の晩年を重ねている。


聞く者に共感を覚えさせる歌詞は、
作詞家の感性の豊かさから生まれる。
万物に対する洞察力の確かさはもちろん、
心(意識、気、念)を持った者の偉業だと感じる。


私は長い間、悟りに通じるであろう哲学書や、
精神世界系の書物を読みあさっていた。
が、なんと……。
真理(答え)は足元に、山野に、
自然界のいたるところにあるものだと気づいた。
それは追い求めるものではなく、
心の在り様だと気づいた。

繰り広げられる自然現象からは、
始まりと終焉、再生のプロセスを教えられる。
目に見えなくても存在する水の分子や、
光の粒子、あるいは宇宙微子を意識すれば、
世界は仰天するほど変わるし、愛しいものになる。

人の心も見えない。
だが人は、
見えない感情に一喜一憂する能力に長けている。
かもしれない…そうかも?…そうに違いない。
そんな繊細な意識と情熱を、
自然界に向けたらどうだろう。
その瞬間から、
地球規模の行者になれること請け合いだ。



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定位置

 18, 2015 15:37
 タカちゃん
       定位置


野良猫のタカには、お気に入りの定位置がある。
玄関先にある鉢植えの花を置くための、古木の最上部だ。

あたかも置き物のようなポーズ。
無表情ながら、世の成り行きを静観しているような、
涼しげで憂いを含んだ目が魅惑的だ。

遠目でも、至近距離に近づいても、
彼は、このポーズと表情を保っている。
ほとんど瞑想状態に思える。

だからといってはなんだが、
つい、チョッカイを出したくなる。
下あごを撫で、頭を撫で、
『タカちゃ~ん!……二ャ~ン』などと、
スキンシップの押し売りをして、迷惑がられるというわけだ。

母猫が子育てを放棄したらしく、
かつて、子猫だったタカは栄養失調状態でわが家に現れた。
恐がりで生存意欲も乏しく、
左目が白内障のように混濁していた。

やんちゃで人懐っこい、いかにも元気印の兄弟猫が獣に襲われ、
臆病だったタカが、生き残った。
(『ハクビシン』の記事で、喉に致命傷を負った兄猫の弟)


成長とともに瞳の混濁も薄まり、
今では“賢者”のような眼差しを向ける。

人生も、だが、
猫生だって何が幸いするのか、わからないものだ。


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こだわり

 18, 2015 15:32
 おぼろ焼け
      おぼろ焼け


アマチュアカメラマンの連れ合いは、
雲の造形と、空の焼け具合に格別の“こだわり”を持っている。
かつては、憑かれたように富士山に通ったものだ。

富士山は、それ自体が美しい。
素が美しいものは、素人が撮っても美しい。
そうなると、カメラマンの誰もが、
希少価値的な美を追い求めようとする。

素が美人なら、化粧や衣装で絶世の美女にもなれる。
それ自体が美しい富士山も同じだ。
傘雲や、吊るし雲、花鳥風月を加えて、
オリジナリティの構図美を追求するわけだ。


連峰である北アルプスでは、笠雲や、吊るし雲は望めない。
その代わりだろうか。
連れ合いは朝焼け、夕焼けなど、
空の微妙な色彩の変化に魅せられるようだ。

目の覚めるような……、
劇的とも思える……、
そんな特別の構図には恵まれないが、
小川村の空は時々刻々、繊細で微妙なグラディションに染まる。

『ふ~む、今日は小焼けがいいかもなぁ…』

『?……夕焼け小焼けの、小焼け?…そんなんあるの?』

『知らんか?…夕焼けのあとに一瞬、究極に焼けるんや』

『へぇ…歌詞の小焼けって、そうやったん…』



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 なんじゃ?
     なんじゃ これ?


「ワァーオ!……翼? それも親子鳥?」 

自然界にサプライズが生じるたびに、
連れ合いは、慌ててシャッターを切る。

この日の、鳥の親子が戯れているようなシチュエーションは、
ものの数分で分解された。

もう少し白っぽければいいのに…。
夕日に照らされ、赤く染まっていたらなぁ…
手前に、本物のカラスでも飛んでたら面白いかも…。
カメラマンの欲求は尽きない。

「うん、うん。まぁ、翼もいいけど、虹を撮って欲しいなぁ。
虹の中からUFOの群れが飛来!なぁ~んて構図、
いいと思うけどなぁ……」

「へぇ、へぇ……まかしとけ!
そんなチャンスがあったら、逆立ちして撮ったるわ!
虹とUFO……未知との遭遇Ⅱや!
そら、ほんまにええけどなぁ」


どうせ叶わないなら、
思いきったファンタジーがいい。



三次元では、想像力が現実を創る。
手塚治のロボットや、
ロケット漫画が現実化したように、
人々の思いや想い、志が現実を創る。

いいことも悪いことも、
私たちの“意識の表れ”なのだから…。



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ハクビシン

 18, 2015 15:21
 ハクビシンjpg
        
 ハクビシン

              

何年も空き家になっている隣家から、
ガタゴトと、怪しげな音が聞こえるようになって久しい。

タヌキ? と思いきや……。
ある雪の日に、軒下で小さなハクビシンの死骸を発見。
ハクビシンがファミリーで住み着いていることを確信し、
地区の猟友会メンバーに捕獲してもらった。

檻に入ったハクビシンを熱心に観察した。
なるほど“白鼻心”とはよく言ったものだ。
鼻筋に白粉を塗ったようで、なかなか可愛い顔をしている。

思わず棒きれで檻をつついて、その反応をうかがった。
すると『ギャオ―!』
牙をむき出して、激しく威嚇するではないか。
その獰猛きわまりない表情に、思わず後ずさりしたほどだ。

『はは~ん、やっぱり……。
子猫たちや、尾っぽだけ残してリスを食べたのは、お前だな!』
何年来の、不可思議な変死骸についての疑問が解けた。

村人たちは、ハクビシンを忌み嫌う。
果物や野菜はもとより、鳥やウサギ、飼い猫など、
全てのものを食い荒らすばかりか、
満腹でも小動物たちを傷つけ、命を奪うからだ。


そう…。
わたしたちが可愛がっている野良猫の子供たちは、
その可愛い盛りに、なんど襲われたことだろう。

腹部から腸が飛び出た子猫をくわえ、救いを求めてきた母猫。
その哀願するような目を、私は今も忘れない。
可愛がっていた子猫が、
首に致命傷を受けて冷たくなっていたことも……。


タヌキや、アナグマ、ハクビシンなどは、
人家の屋根裏をセカンドハウスのように使う。
天敵もいないし、暖かいからだ。
そこで出産や、子育てまでするらしい。

当然、糞が堆積し、臭気がこもり、畳もふすまも、
そこらじゅうがズタズタになってしまう。
空き家とはいえ、持ち主にすれば迷惑な話だ。

いや! 持ち主に代わってでも、占領は阻止するつもりだ。
まして、よちよち歩きの子猫を襲うなど、
『コラ! 可愛い顔して、なにするんじゃぁ~』
と、威嚇したい気分になること請け合いだ。


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福寿草

 18, 2015 15:16
 福寿草
          福寿草



雪の重さで圧縮され、死に絶えたような土色の原野に、
突如として黄金色の花が現れる。
福寿草だ。

自然界において、この花は突如として咲くように感じる。
毎日のように通りかかっていても、
花芽や、つぼみの状態を見たことがないからだ。

もっとも、死に絶えたようなペッタンコの斜面が続いていると、
通りかかる方も期待をしない。
緑の葉が茂っているわけでもないし、
2~3㎝にも満たない茎や花芽は、腐葉にまぎれて目立たない。


だからこそ、ワァオ!……。
思わず目を見張り、春の訪れを実感するというわけだ。
この感動レベルは、都会暮らしでは語れない。
豪雪、極寒地の人々にとって、気つけ薬にも匹敵することだろう。


福寿草は、旧暦の元旦の頃に開花することから、
元日草(がんじつそう)、朔日草(ついたちそう)とも呼ばれる。
花の開花期間が長く、黄金色の花を小判にみたて、
幸福で寿命が長いという意味にあやかった名だという。

生薬では、福寿草の根茎を乾燥したものを、
福寿草根(ふくじゅそうこん)と呼ぶ。
強心、利尿効果はあるが、劇薬のため民間での使用は禁止されている。

ともあれ、福寿草やフキノトウは春の使者だ。
福寿草は希望をもたらし、フキノトウは人体を活性化させる。

冬眠から目覚めた熊は、最初にフキノトウを食べるらしい。
もっとも、その叡智は人間にも共通する。

「春の皿には苦味を盛れ」と言うように、
フキノトウに含まれるビタミンEや、ビタミンKは、
冬の間に溜った脂肪を流し、味覚を刺激して気分を引き締める。


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雪猫

 18, 2015 15:07
 雪猫jpg
         雪ネコ


『雪やこんこん、あられやこんこん……猫はコタツで丸くなる』

入村して間もなく、この歌詞に違和感を覚えた。
猫たちが、降りしきる雪の中で駆け回っていたからだ。

わが地区の猫たちは、雪を屁とも思わない。
雪の中を徘徊し、戯れ、ときにはラッセルさえ厭わない。
雪の下にトンネルを造って移動する野ネズミの、
かすかな動きに聞き耳を立てる。
それこそ、キツネのようにジャンプして、
野ネズミを捕食するわけだ。

猫なで声ですり寄ってくるたびに『さぞ寒かろう……』
そう思い込んで懐に抱き、コタツに入れてやったことがある。
だが、どの猫も怖がって落ち着かない。
人の膝で丸まって眠ることはあっても、
閉じ込められる感覚に耐えられないのだ。

自由気ままに、
それでいて、人間とも仲よく暮らしたいらしい。
『ふ~む。同感だなぁ……』と思う。


懐に抱いて暖をとるのは、人間の方?
癒されたいのも人間の方?

ふと思う。
彼らの存在によって癒されるのはなぜだろうと…。

ふ~む。
期待(欲求)を放棄して、無償の愛を注げるからだろう。

夫や子供、友人となると、そうはいかない。
○○したのに……、○○だったのに……、
責任があるし、義理立てがあるし……。


期待は、人間関係をダメにする。
期待を放棄して、あるがままの姿を愛することで、
自らが癒されるのかも……。

そうなんだろうなぁ。
時として猫たちに無視され、威嚇されようが、
彼らに対する愛情(情熱)は変わらないもの。

ふ~む……そのまま人間関係の『秘訣』かも。



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凍てつく

 18, 2015 12:10
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移住して、初めて迎えた冬のことだ。

冷たくゴワゴワした襟元の感触で目が覚めた。
吐息が布団にこびりつき、それが凍っていたのだ。
大阪なら、真冬に外で寝ているようなものかもしれない。

台所では、布巾が板状に凍りついていた。
外気温は零下10数℃くらいだろうか……。


ふと“おしん”の時代の古民家の暮らしを思う。

板張りの床に敷きつめたムシロ。
外とは障子一枚で隔てられた天窓。
至るところから入り込むすきま風などなど……。


それでも、かつては囲炉裏で暖をとったのだろうが、
中途半端に改造された現代風古民家は、
それにも増して厄介かもしれない。


わが家は、なんといっても築120年の古民家である。
基礎的な構造に問題があって、戸や柱そのものが歪んでいた。
当然のことながら、容赦なくすきま風が入る。
吹雪の夜、寒さで目を覚ましたこともある。
サッシと障子の間に、うずたかく雪が積もっていたのだ。

もっとも、入居時時点で各部屋にストーブは設置されていた。
しかし、そもそも部屋が広すぎる。
24畳のスペースともなると、室温を10℃に上げるまで
2時間以上もかかるのだ。


「ねぇ、台所だけでも二重サッシにしない?」

「寝室は内障子あって二重にはできないけど、
サッシの内側にプチプチ素材でも貼らないとねぇ…」

「熱が逃げないように、
2階の板間に極厚のスチロールでも敷かないと…」

「ねぇ、このストーブ、相当古いのかなぁ。
パワーないよねぇ…」

「この24畳、なんとかならない? 
仕切り入れて2部屋に…」

移住して数年の間、毎年のように防寒対策を重ねていった。
心強いのは、ゼネコンの建築部に所属していた夫の技術だ。

ことわっておくが、大工ではない。
職人を使うことで、見よう見まねで覚えた技らしい。

台所と寝室を仕切る、大きな4枚のふすまを扉つきの壁に。
24畳を、ふたつの部屋に。
玄関の上がり段、ひな壇式の花壇、庭の椅子、鍼灸院の看板や、
ポスト、リスや、野鳥のえさ箱の全ては、連れ合いが雑木を生かして工作した。

「へぇ、すご~い!…さすが大工の息子!」


大手ゼネコンの所長職では、その技術や、
センスを生かす機会はなかった。
だが築120年の古民家ともなると、容赦なく改造できる。
村には伐採され放置された木材も豊富で、
ワイルドな男のフィールドとなった。

今では、連れ合いほど田舎暮らしに役立つ人間はいないかも
と、思う。



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冬枯れ

 18, 2015 10:07
冬枯れ
     凍てつく


冬枯れの、あたかも死んだような木々が好きだ。

葉を落としてスッピン、スッポンポン。
見栄えは悪いが、抱きつけば、ほっこりと暖かい。
耳をすませば「どっこい、生きてるぞ~い!」
そんな命の鼓動が聞こえるからだ。

冬枯れの木に、生き方を教えられる。
体裁や、しがらみ、自尊心などを捨てて、
いざとなったらスッピン、スッポンポンになればいい。
厳しい冬を越したければ、
幹や枝葉の重みに耐えられる根っこが必要だから……。

冬枯れの、モノトーンの山々が好きだ。
夜がなければ昼の明るさがわからないように、
それがなければ、新緑や、紅葉の美しさが際立たないから……。

モノトーンの山々に、個としての主張を教えられる。
ひとかたまりの灰色の山が、何百、何千種類もの色彩に彩られ、
種の個性を表現する季節がやってくる。
香しい花を咲かせ、結実し、生きとし生けるものを引き寄せる。
動物や、虫たちがそれを運び、老木が倒れて苗を育てる。
紅葉、落葉、倒木、芽吹き……命のサイクルを見せてくれる。
山々が、輪廻転生を見せてくれる。

私たちも同じだ。
ひとかたまりの生き物でありながら、
ただの人間、動物、虫たちではない。

1人、一頭、一匹ともに、
それぞれの個性を放って生を全うする。

植物と違うのは、霊魂は光のもとに帰ること。
植物よりも長いスパンで休眠し、次の転生先を選択する。

ふ~む……、次回も地球がいいと思う。
クリアできていない課題がたくさんあるし、
知らない星で『ピッカピカの1年生』なんて、
恐~い! ((((;゚Д゚)))))))



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秋空

 18, 2015 09:49
  秋雲
       天高く


天高く馬肥ゆる……と詠われるように、
秋の空は高く、広く、すがすがしい。

うろこ雲、いわし雲、さば雲、ひつじ雲、すじ雲など、
白くて薄い、小さなかたまりの雲がたくさん見られる。

それらの雲は、5000~13000mの高いところにできる。
巻積雲(けんせきうん)という雲の俗称で、
秋の季語になっているほどだ。


子供の頃、原っぱに寝ころんで雲の形を楽しんだ。
動物や、パン、乗り物なんかになぞらえて……。

「あ~ぁ、羊が消えた。うん? アンパンみたい…」

「さっきのはなぁ、金魚やってんでぇ」


この歳ともなると、雲の造形を楽しむことはない。
しかも、代わりといってはなんだが、
うろこ雲の高さに設置された、
宇宙ステーションを思い描いてしまう。

宇宙ステーション、宇宙……。
たかだか地上400㎞そこらを
『宇宙』と言っていいものだろうか?


無数にある銀河系。
そのひとつである銀河系の中の太陽系。
その太陽系の中の地球である。

そもそも銀河は、クモの巣状に永遠に広がる。
まだ誰も、その全体像をイメージすることさえ叶わない。
私たちの住む太陽系に太陽はひとつだが、
太陽が700個もある銀河だってあるそうだ。

そうなると、宇宙全体から見て国際宇宙ステーションなんて代物は、
地球の表面を動き回るゴミ粒のようなものではないか。
果たして、莫大な費用をかけて建設する意味などあるだろうか?
そんなことを思い、憂うわけだ。

宇宙開発に投じられる金は莫大である。

まず、宇宙ステーションの建設費用が5兆円。
(どんどん膨らんでいる)
そのうち、日本に割り当てられているのが6000億円だ。

スペースシャトルを打ち上げると、1回、600億円。
日本のH2ロケットを打ち上げると、1回、200億円。
有人火星探検なら、1回で10兆円~数10兆円かかるらしい。
国の偉い人々は、一体、何を考えているのだろう。

●公立の小中高校の校舎改修費用1年間の予算が1.515億円。

●ガン関連の研究予算、1年分の余算が140億円。

●アレルギーや伝染病治療の研究予算なら、
 1年分でも53億円に過ぎない。

“スペースシャトル打ち上げの1回分を日本が引き受けるとしたら、
ガンの研究予算4年分が消える”にも関わらず、だ。

そんなふうに嘆いていたところ、
シャトル打ち上げにピリオドが打たれた。
大国アメリカも、世論を無視することはできなかったようだ。

地上600㎞を周回する、ハップル宇宙望遠鏡を含めて、
人類は無数の人工衛星を打ち上げてきた。
天気予報の精度や、ナビゲーションは充実したが、
地球の表面は、今や回収不能なゴミの川になった。

宇宙とは思えない、人の目に見える『うろこ雲』あたりに、
宇宙テーションを造る、って?
地球人の移住先候補地として、火星を探索するって?

なんのために?
誰のために?
人類に必要な優先順位を、逸脱していないだろうか?
シャトルが飛ばなくなり、建設計画は縮小されたようだが、
どの計画も、今の地球人には時期尚早の計画に思える。

物欲をコントロールすれば、環境破壊は止められる。
強欲な資本の搾取に歯止めをかけ、
餓死する人間などいない地球にすべきだろう。

秋の空は、澄みきっていて美しい。
童心に帰って、雲の造形を楽しめる空に戻って欲しい。

無意識に眺めるのは“本物の空”
水でも空気でも、意識するものに本物はない。



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