偉大なるヒーラー 001
    厳冬の北アルプス


夜明け前に家を出て大洞高原にさしかかる頃、
源さんちの鶏が朝を告げる。
凛とした空気の中、
雲海に浮かぶ島のような山々を見下ろし、
冠雪の北アルプスが、
ブルーからピンクに染まるひとときを存分に楽しむ。
それが習慣化した私のウォーキングパターンだ。

誰かに田舎暮らしの意義を聞かれたとしたら、
迷わず答えることだろう。

毎瞬、形を変える大空の雲、聳え立つ鹿島槍ケ岳、
木々の緑と幻想的な朝もや……。
それらは、黙して人の心を明日に向かってリセットさせる。
『偉大なるヒーラー』の懐に抱かれて、
暮らしているようなものなのだと。

『毅然という言葉の意味が知りたくてなぁ、
海を見に行ったんや……。
風の強い日でなぁ。
そそり立つ岩々に向かって、
何度も何度も凄い波が打ち寄せてなぁ。
それを見てたら泣けて、泣けて……。
どう生きればいいか教えてもろたわ』

自尊心や執着、妬みや謗りの渦巻く人間関係に
悩んでいた友の言葉である。


早朝、大洞高原で一人きりの静寂な時間を迎えるたびに、
私は自分自身と向かい合う。
些細なことで言い争った自分を省み、生きる意味を問い直しては、
心のあり方を軌道修正するのだ。

毅然とした生き方を求めていた友は早晩、飄々と生きるに違いない。
私は悟ったような気分で下りのコースを歩き始めた。


「たまには、よったいよう!(寄ってお茶でも飲んで行っとくれ)」

突然、頭上からしわがれ声が聞こえた。
見ると、仕切屋で有名な四郎爺ちゃんではないか。
崇高な意識が一瞬のうちに砕け散った。

「問題は知能の流失。この村は変わりようがないのよ。
能力や、やる気のある人は、み~んな都会に出てね。
残ってるのは老人と無能な人ばかり。
そのくせ近所同士でいがみ合って……」 

てな具合で、前日に数少ないUターン女性から、
村人同士の諍いを聞かされたばかりか、
○○地区のネックは四郎爺ちゃんだというのだ。

私は反射的に社交辞令を返した。 「ありがと、そのうちねぇ~」


純朴そうに見える村人だが、
ひとたび内情に触れると、面子や体裁、
地区毎の自治で競われる役職や、
貢献度に対するこだわり様は都会人の比ではない。
それらは歴史を刻んだ骨肉の争いで、
よろず相談鍼灸院といえども、耳、日曜の世界でもある。


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カッパ軍団② ページ
 かぼちゃオブジェ


正月3日の早朝、近所の主婦からSOSの電話が入った。

金沢から来た実母が立てなくなって救急病院に行ったらしいが、
神経性という診断で手当てをしてもらえなかったという。
不思議だったが、とりあえず施術の依頼を引き受けた。

「アァ、痛い、痛い、もう死んだ方がましや。
死んだ弟が夢枕に立って、私を責めるが……」 

息子に抱かかえられてベッドに横たわるや否や、
老婆は心身の不幸を嘆いた。

「へぇ、生前、弟さんに意地悪したん?」

臍の下3寸にある、エネルギー回復のツボに灸頭鍼。
頭頂のツボに鍼をしながら、私は彼女の精神に向かい合った。

「悪いことなんかしてないが。
けど、お父ちゃん死んでから病気ばかりして。
嫁には邪魔者扱いされるし、
生きてて楽しいことなんか、な~にもないが」 

老婆は子供のように駄々をこねた。

「大丈夫。痛みはとれるし、すぐに歩けるよ」 
彼女の顔を覗き込み、その頬や肩をさすりながら言った。

病気とは本来、気が病んだ状態だ。
まさに老婆の被害者意識が創りあげた筋肉群のストライキ現象に、
私は“愛”という呪いをかけることにした。

「お婆ちゃんな、な~んもせんでも、グズグズ言いながらでも、
生きてるだけで大したもんや!
嫁は自分の心と戦い、娘たちにもな、
情やジレンマと向かい合う機会を与えたようなもんや。

必要やったんよ。
自分のためにも周囲のためにも。

弟の霊もそうだけど、こんど現われたら聞けばいいやんか。
責めてるんじゃないと思うなぁ……。
姉ちゃんが心配で見守ってんのかもよ。
ええなぁ、霊ちゃんが見えて……超能力やんか!」

一時間後、老婆は自らの足で車に乗り込み、
明日も来るから…と言いながら帰って行った。


いつのまにか、介護施設に勤めるヘルパーや、
ケアマネージャーたちの施術も定期的になった。

彼女たちは職業柄、腰痛や肩関節痛を訴えるのだが、
心の状態が引き金になっているケースも少なくない。

給与条件の悪さから離職が相次ぐ問題もさることながら、
村人の大半が親族という、
特異的な人間関係ゆえの気苦労が重なるからだ。

初回から数回までは聞き役に徹し、ケース・バイ・ケースで、
心を癒すための方法論をアドバイスする。
他に予約患者がいなければだが、
施術が終わった後も、30分や1時間は話し込むこともある。

かつて、カウンセラーの道を歩んだ者の善意に過ぎないが、
同時に、彼女たちこそがヒーリング鍼灸を志す私の
想念が呼んだ患者たちだと知っているからだ。




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白髪大王

 17, 2015 08:44
わが家
      わが家


小鳥のさえずりを聞きながら、
木陰のハンモックで昼寝タイム……。
かつて、都会暮らしで憧れた光景だ。

だが、田舎暮らしを始めて愕然とした。
ハンモックを吊りたくなる空間の大部分が、
アブやスズメバチの交通の要衝で、
メルヘンチックな余韻に浸るどころか、
早々と退避せざるを得ないのだ。

入村して2年目の夏、
私たちは連日のように毛虫退治に励んだ。

地元では白髪大王と呼ばれる、
ヤマガユ科の楠蚕(クスサン)が大発生。
栗の古木が丸裸になりかかったばかりか、
軒下や縁台のいたるところに、スカシダワラという
強靭な繭を形成しはじめたからだ。

その昔は釣り糸に利用されたというだけあって、
サッシの枠に繭を張られようものなら、
戸の開閉さえ不能になる。
ノミで削っても剥がれないという代物だ。

毛虫の大群は枝先の葉を食いつくし、
次の枝葉に移ろうと、日に何度も幹を往来する。

生い茂る葉に紛れている間はともかく、
大群が幹を移動する光景には度肝を抜かれた。

遠目には幹全体が振動しているように見えるのだが、
近づくと毛虫が滝のように下っていて、
ヒッチコックの恐怖映画を思わせる。

その脅威と、栗の木を守りたい一心から、
毛虫の群れが捕獲可能な範囲に下降するやいなや、
火バサミとバケツを抱えて栗の木に走り寄るという具合だ。

3週間後、退治した毛虫の数が5200匹を越えた。
排泄物の生臭さにうんざりして、数える気力も萎えてはいたが、
わずかに残った栗の葉に安堵したものだ。


私の好きな田舎の情景は次のようなものだ。  

「ケン、ケーン……」 
静寂をやぶるような、甲高いキジのひと鳴き。
木間を縦横無尽に走り、華麗なジャンプを披露するリスの群れ。
とぼけた眼差しで庭を横切るタヌキの親子。
極めつけは、雨上がりの林から聞こえるヒグラシの、
魂に響くような歌声などなど……。

一方、必要で存在していると解かっていても、
見るもおぞましい蛾に変身する白髪大王はもちろん、
何種類もの蜘蛛や蟻、アブ、スズメバチ、それに毒蛇とくれば、
恐怖以外のなにものでもない。

今年もまた、わが家の周りは虫たちの楽園と化した。
何はともあれ、この時期の昼下がりは室内で過ごすに限る。
田舎暮らしも4年目に入り、
この楽園に侵入したのは人間の方だという、
自覚が芽生えたからに他ならない。


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村人の診療信仰

 17, 2015 08:37
 看板マック      
       野良猫マック(看板ネコ)


山間僻地に点在する集落が多いためだろう。
長野県には、保健福祉行政を行き渡らせるための
「保健補導員」という役があり、
入村するやいなや、その役が私に廻ってきた。

「保健補導員等活動の栞」なるものを一読すれば、
保健師の補佐をする仕事だけに、
一定の研修を受ける必要性が謳われている。

だが高齢化、過疎化のすすんだ村のこと。
補導員の大半が、視力や聴力の低下した70歳以上の老人で、
研修を課すなど机上の空論に過ぎない。
もっぱら検診用紙など、印刷物の配り屋に過ぎないのが現実のようだ。

「えぇっと、これでいいかい?」 

検診の申し込み用紙を回収に行くと、
秀子婆ちゃんが胸部レントゲンの項目を指さして訊ねた。

「この前、鍼に来たとき、ドックに入ったって言わなかった? 
また受けるの?」

必要以上のX線など浴びさせたくない私が言った。

「ハツエさんが行くっていうから、
レントゲンだけ付き合おうかと思ってさぇ……」

「秀子さん、レントゲンは放射能だよ。
付き合いで行くようなものじゃ…」

言い終わらないうちに有線電話のベルが鳴り、
秀子婆ちゃんはそそくさと奥の部屋に向かった。


問診や雑談のたびに、
私は老人たちの根強い診療信仰を憂慮するようになった。
多くの患者が10年~30年もの間、鎮痛剤はもとより、
降圧剤、精神安定剤などを服用し続けている現実を知ったからだ。

「鍼灸と違って2時間ほどしか効かねぇがね。
飲み薬以外にも毎週、痛み止めの注射もしてもらうだ。
湿布剤もいっぱいもらいてぇし……。
まぁ、いざというとき往診してもらうためには、
先生とも馴染みになんねぇとね。」

悪びれる様子もなく、初枝婆ちゃんが言う。

「なるほど、先生と馴染みにねぇ……。
まっ、湿布剤はいいとして、こうやって鍼灸やってるんやから、
痛み止めの注射は止めといたら? 
どっちが効いてるんか解かれへんやんか……」

私が、苦笑いしながら応えた。

「痛み止めなんぞ効かねぇ、気休めていどだ。
 けど、雨でも降ったら、診療所で友達と世間話するのも楽しみだで……」

老人医療の恩恵がもたらした、村人たちの通院観念である。


村人たちの薬剤散布は止まるどころか、
昨今の薬剤は効力が弱いと嘆く声を耳にする。
医原病……。
いわゆる薬剤が原因の二次的な病気に対する認識も同じで、
純朴さの陰に潜む、無知ゆえの盲信に胸が痛む。


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マタギの今

 17, 2015 08:27
 熊棚 001
  クマ棚(座って栗を食べた跡)


ウォーキングの帰りにクマの足跡を見て以来、
小池地区は熊銀座と化した。

家々の近くにある栗の木に、無数の熊棚が出現したのだ。
もっとも、熊の出没は村全体の脅威となっていた。
餌料用のトウモロコシ畑や、リンゴ農家の蔵が荒らされ、
注意を呼びかける有線放送の回数が日毎に増えていた。


「ねぇ、熊打ち名人、なんとかしてよ」

大男の肩に鍼を打ちながら、猟友会会長の堀田に言った。
今は枝打を生業とする彼が、肩板炎で当院に通っていたのだ。

「ダメだ。熊が出れば、今でも役場から連絡は来るがね、
人身事故でも起きない限り捕殺はできねぇんだ。
動物愛護団体がうるせぇってんで俺もおまんまの食い上げだ。
そんでもって、枝打なんてのを始めたわけで……。
昔は良かったなぁ……小池の峰でも一頭、捕殺したがね。
そいつが頭のいい、大学出の熊で……」

「大学出の熊……それなに?」 

かつて、行政からの依頼で熊を撃ち、毛皮を売る傍ら、
万病に効くという“熊の肝”作りに励んだ堀田の話は、
実に臨場感に富んでいる。
いつだって本題を外れ、思わず身を乗り出す私なのだ。 

「生け捕り用の檻にしてもだ。
俺は足跡から推測して歩幅を考え、慎重に餌を置くわけだがね。
仕掛けを踏まずに餌だけ持って行く頭のいい熊がいてさぇ。
そりゃあ、頭いいだ。
俺と違って、大学出の熊ってこんだな。
その餌集めってのが、また大変で……。
大量の蜂蜜にローヤルゼリー……」 

こと熊となると、彼の話は尽きない。
加減を見計らって、こちらのペースに連れ戻すしかないのだ。

「なるほど、たいしたもんだ。
熊と生きる、なぁんて自伝が書けそうやんか。
おかげでクマの賢さや、恐さがよ~く判ったわ」

「そうだ! 俺が確認しているだけでも、小池の峰にはまだ三頭はいるな。
ここから梶尾に下って成就のリンゴ畑行くだ」

堀田が、こともなげに言った。

「けど、人身事故でも起きない限り捕殺できないってのもねぇ。 
それでは遅いやんか。小谷村の中学生が襲われて失明したとか、
鬼無里村でも収穫中に襲われて……」

「そう!その婆ちゃん、頭の皮、そっくり剥がれたらしいがね。
反射的に自分で引き戻したそうな。
そばにいた息子が慌てて救急車呼んだってこんだが……。
熊も凄いが、人間も、とっさにはやるもんだなぇ」 

さすが熊打ち名人、余裕の観察眼を持っているようだ。

「ええかいなぁ、名人が感心してどうすんの……」 

私が、関西人の乗りで合いの手を入れた。


クマとの共存を目指し、ショック療法を試みる団体の存在は微笑ましい。
しかし、発信機つきの熊が舞い戻るケースの多さを思えば、
イタチゴッコの観は否めない。

それにしても説得力に欠けるのは、
熊騒動における専門家の希望的観測であろう。

今年は木の実が不作で……。
去年は豊作でベビーラッシュになり……。
今年は子供の数が増えた分、食べ物が不足して……。

そんな解説を聞くたびに、えぇ~? ほんまかいなぁ。
自然のサイクルなんて大昔から繰り返されているんじゃ、
と思うわけだ。

なんといっても、それらの根本的な原因は山林の荒廃だろう。
クマにしても人間は恐い存在である。
山林の間伐や下刈りが徹底され、山の上まで見通しが利けば、
めったに人里に下りてくることはあるまい。
だが、昨今の森林は荒れ放題だ。
整備に勤しんだ村人たちの高齢化、過疎化の結果である。

このような根本原因の次に考えられるのが、
温暖化などによる森林環境の変化ではないだろうか。
もっとも、大規模な森林伐採により生活圏を追われた結果、
象の群れが村を襲うなんて単純な話もある。
いずれにしても、人間ほど性質の悪い動物はいないようだ。

元アメリカ合衆国副大統領ゴア氏の『不都合な真実』によれば、
地球温暖化の影響は、庶民には予想もつかない事態を引き起こしているらしい。
2003年にはヨーロッパを熱波が襲い3万5千人もの命を奪い、
2004年、2005年にはアメリカをたびたび大型ハリケーンが襲った。
氷を探して泳ぎ疲れた北極熊が溺死し、蚊やダニが生息エリアを広げ、
いままでは熱帯に限られていた感染症が、広いエリアで流行するという。


おや……?
解説や評論だけなら誰だってできる。
温暖化を防ぐための、自分の生活スタイルはどうなんだ……。

「最近、世の中おかしいよねぇ、あっちでも、こっちでも……」 
などと、地球温暖化による異常気象を話題にはしても、
私は結局、日常的な雑事を優先してるじゃないか。

そうなんだ…。
知っていながら行動しない世の大半の人々同様、
自分の都合を擁護する暮らし振りなのだ。
しかも、言い訳だけは準備している。
自分にできることなど知れている。
まずは大企業から。
それも国が厳しく監視するべきで……、
などと、抜け目なく逃げ道まで用意して、だ。

個人の訴えから始まった拉致問題は、
瞬く間に日本中を震撼させ民衆の怒りを集結させた。
代議士とはいえ、その問題を無視すれば落選するほどの
国家的課題に昇格したわけだ。

日本人も捨てたものではない。
拉致という理不尽極まりない暴挙に感情を移入させ、
国を動かしたのだから……。

ふと、思う。
温暖化は人災だ。
それも人間一人一人の欲求の末に生じ、
世界に蔓延した人災なのだと。

まずは、私が責任の一端を引き受けよう。
いつまでも子供じゃあるまいし、
何かの、誰かのせいにしていては、
残りの人生で意識の進化は望めそうにないし…。



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 アルプス菜の花 (2)
                          


天文台や宿泊施設、スポーツセンターなど、
村には、かつての村興し事業で建設された数々の箱物がある。
その赤字運営で莫大な借金を背負ってしまった村が、
「癒しの里づくり」という地域活性化のための新たな構想を打ち立てた。

村人から提案されたアイディアは次のようなものだ。

●北アルプスの眺望を目玉としたロマントピア街道構想。
●景観整備と花の名所構想。
●ホタルの里づくり。などである。

ところがいざ実行となると、原材料費を除く労力の一切が、
村人の永続的な勤労奉仕に依存されようとしていた。

なんのことはない。
予算の乏しい村政にすれば、苦肉の策だったのだろう。
住民の声を反映する企画だと強調すれば、
労働力は提供してもらえると、たかをくくっていたのだ。

「癒したぁ、なんだや?」 

懇談会の最中、一人の老人が勇気をふり絞るように質問した。
ふむ……。素朴だが、的を得た質問だと、私は思った。
答えを待つ人々の視線が、司会者に注がれた。

「えぇ~、安心するというか、満足するというか……」

役場職員が慎重に言葉を選びながら答えた。

「誰のためにするだぁ。観光客のためだか?」 

すかさず老人が聞き返した。

「いや、観光客のためだけじゃなく、私たちも癒されるため……」

一瞬、座がしらけ、村人たちの様々な反応が飛び交った。



懇談会は混迷を極めた。

「おらぁ足も腰も痛てぇ。
それでも畑やらねぇと飯の食い上げだ。
まずは、おらぁを癒してもらいてぇ」

老人の本音に大爆笑が沸き起こった。

ボランティア精神といえば聞こえはいい。
しかし、出来栄えを問われることのない作業には、
美的センスや、一貫した継続性は望めない。
陰口を恐れ、高齢者のほとんどが足腰の痛みを堪えて、
地区の草刈や清掃に参加しているのが現実なのだ。
居住域の環境整備。それも何年も継続する勤労奉仕となると、
中途半端な挫折や責任転換の風評が立つことは目に見えていた。

「全面的な勤労奉仕じゃなくて、
人材センターなどで支払われる時間給の5割や3割の報酬。
または村内店舗の割引買い物券などを発行して、
楽しみという付加価値をつけたらどうでしょう?」 

私が提案してみた。
聴衆は頷き、役場職員はポーカーフェイスを装った。


かつて長野県知事だった田中氏は、
経費のかかる知事公社を処分すると決めた。
その折り、小川村がもらいうけて知事公舎を移設した。
村出身の知事が 存在したという誇りのためだが、
それまでに国の補助金で多くの箱モノを造り、
その全てが経費倒れしているというのに、である。

神戸や、東北大震災以来、流行語のようになった『癒し』という言葉を、
これほど不適格に、無様にスローガン化した役場職員の意識……。
それこそが問題ではなかろうか。


「まずは、おらぁを癒してもらいてぇ」 

そう言った老人の率直な欲求に答えるためにも、
役場職員は、自らの奉仕精神を発揮して欲しいものだ。


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ふれあい

 17, 2015 07:47
柿とアルプス横
   初秋の北アルプス
        

人気者の婆ち人ゃんがいる。
友人はもちろん、嫁相手だろうが、孫相手だろうが、
そこに存在するだけで場が輝く、不思議な婆ちゃんがいる。

「亭主は早死にしちまうし、家は全焼しちまうし、
オラ、いいとこなしの人生だったがね、今じゃ息子も孫も良くしてくれる。
孫なんてさえ、今でも一緒に風呂へえるが
『どうだい、婆ちゃん! 毛も生えて立派なもんだろう』なあ~んて、
いちもつを自慢するんだ。まったく、笑っちまう」

「えっ!お孫さんて中学生の男子でしょう? 
すっごお、抵抗ないん?」

私は心底、感動していた。

「ねぇな、まったく。姉ちゃんもそうだ。
『婆ちゃん、今日は私が背中流してやるわ』とかなんとか言ってさぇ…。
風呂上りなんぞ爪にマニキュアまで塗ってくれて
『ほらテルヨちゃん、綺麗になったじゃないの!』だってさ。
オラ、姉ちゃんのオモチャみたいなもんだ」

「いい話やねぇ。今どき、汚いだの臭いだの言われて、
年寄りは除け者あつかい受けてんのに。
やっぱ、テルヨさんに不思議な魅力があるんやろねぇ」


彼女には忍耐と寛容、繊細さと潔さ、遊び心などがバランス良く備わっている。
もちろん、天性のものではない。
度重なる不幸に曝され、自尊心と闘って人々の情を受容し、
懸命に働き続けた末に獲得した魅力だ。
それらは地層のように重なっていることだろう。
掘り進むと涙の川や、怒りに燃え盛ったマグマの残骸をも含んで……。


「ああ、やっぱ、引っ張ってもらったら具合がいい。
これでまた頑張れるってもんだ……」 
仕上げのときの、彼女の決まり文句である。

初めて診たとき、彼女の頚椎は甚だしく側屈していた。
交通事故に遭って以来、ひどい肩こりや、めまい、偏頭痛などに襲われるらしい。

私はまず、鍼にパルス通電して痛む部分の筋肉を解す。
次に機能低下に至った臓器に対して、予防医学的な施術を施す。
最後はエネルギーを消耗する仕上げだ。

各関節の可動域を増やすため、手技で下肢や頚椎を伸ばす。
脳の腫瘍や血管障害、三半規管などの異常でなければ、
この方法で大抵のめまいや、偏頭痛などは消失する。

鍼灸師の私が軽いマッサージや、牽引を行うのには理由がある。
オステオパシイや、中国整体の利点を生かしたいこと。
患者にとっての心地よさを提供し、直接、ふれあうためだ。

そのとき、私は手を通してエネルギーを分け与える。
気巧師ではないので効果のほどはわからないが、
痛みが癒されますようにと、おまじないをかけていることは確かだ。


「そうそう、先生。これ……中元代わりだ」
服を着ると、彼女は施術費と別に5千円を握らせようとした。

「えっ?……そんなわけには」

「いいだ、いいだ。銭やなんか持って死ねるわけでもねぇし。気持だ。
旦那さんに送り迎えしてもらって、こんなに丁寧にやってもらって。
オラ、死ぬまで通いたいと思ってるでね。
物やなんか貰っても好き嫌いもあるし、裸でごめんよ」

「いやぁ、いいんですか? 
お小遣いもらったみたい……嬉しい!」

満面の笑みで、ちゃっかり、チップをいただくことにした。
そうすることが、彼女の喜びだと知っているのだ。


金遣いには人間性が滲む。
執着レベルが見え隠れしてしまうのだ。
ああ……なんて格好いいんだろう。
私も、かく在りたい。



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価値観の行方

 17, 2015 07:30
里山②



リンゴの消毒するって言うもんで、帰ってきた。7回目やて……。
とてもじゃないけど、丸かじりなんかでけへんなぁ」 

リンゴの木のオーナーになったことから、
がぜん張り切って葉摘みに出かけた連れ合いが、
気落ちしたように言った。

「7回?……収穫まであと何回消毒するのかなぁ」 

苦笑いしながら、私が答えた。


村人の農作業を見る機会が増えるにつけ、
農薬散布の頻度と量には驚かされたものだ。
自家用の米はもちろん、野沢菜や白菜にまで、
液体の成長促進剤などが頻繁に散布される。

もっとも、無農薬栽培を理念に入村した就農カップルがいる。
その若夫婦に熱い視線を向けていたのだが、
彼らの理想と、現実のギャップにも唖然とした。

飛び地の休耕畑を借りたことから、
農薬漬になっている周囲の田畑から虫たちが大移動。
葉物などは、たちまちレース状態になってしまうのだ。
しかも、病原菌感染も早い。
ワクチン摂取を怠ってインフルエンザにかかったようなもので、
無農薬栽培の厳しさを目の当たりにしたばかりだったのだ。


「せっかくの栗やけど、虫食いがあってな。
子供たちも気持悪がって食べへんよ」 

大阪に住む姉からの電話に胸が痛んだ。
虫がいるってことは無農薬の証で…などとは言えなかった。
葉もの野菜を一枚ずつはがして、青虫やナメクジを退治する作業は、
決して心地良いものではないと体感しているからだ。

それだけに村人が野菜の見栄えにこだわる気持も、痛いほど解かる。
都会に住む息子や娘に、青虫の糞がついた野菜など送れないだろう。


「一郎さんな、また今朝も白菜の消毒してたで。
なんや、栄養剤とか言って、白い薬も撒いてたなぁ」

連れ合いの観察論を聞くたびに心が痛い。
固いだの、形がいびつで調理しにくいだの、虫食いだのと、
彼が育てた野菜を批評する自分が恥ずかしいと思うのだ。


私は、四国の田舎で生まれ育った。
にも関わらず、長い都会暮らしで見栄えの良い野菜に慣らされ、
本物の味を忘れてしまったのかもしれない。

「農薬って、見えない、匂わない、ってのが、問題かもねぇ」

あるとき、私が言った。
連れ合いの苦労に報いるための、援護射撃みたいなものだ。

「そうや!…目に見えて、しかも匂ったら誰も買わんやろなぁ。
そしたら虫食いだの、糞ついてるだの、
形が不ぞろいでも文句言わんかもなぁ!

無農薬で野菜作ろう思たら、そら大変やでぇ。
堆肥作りも重労働やし、害虫駆除に木酢液や牛乳なんか使ってたら
高ついてかなわんしなぁ……。

けど、ここで見てたら、自家用の野菜でも農薬じゃんじゃん使ってて、
ほんま、びっくりするわ。
俺ら、な~んも知らずにスーパーの野菜食べてたんやなぁ……。
実際、10数回も消毒するリンゴ見て、驚いたもんなぁ」


今でこそ敬遠する人も多いが、味の素は一世を風靡した。
初めて食べたチキンラーメンの美味しさに、
感動しなかった人がいただろうか? 

ふと、思う。
科学調味料に慣れ親しんだ世代に、
本物の味覚を愛する人がどれほどいるのだろう。
身体に悪い物質が味覚として捉えられない限り、
無農薬野菜の本来の価値は伝わらないのではないだろうかと…。



そもそも野菜というもの、単に無農薬というだけでは美味くない。
安心はできても、硬かったり筋っぽかったりで、
調理の工夫や味付け以前の問題が多いのだ。

だが、安全で美味い野菜というのはざらにあるものではない。
最低3年はかかるという土壌改良と、
腐葉土や、鶏糞などをたっぷり与えた土作りに始まり、
消毒剤代わりに使う牛乳や、木搾液が必要になるからだ。

そのコストを思うと、
価格は市場に出回っている物の2倍はするだろう。
だから出荷となれば、原価の高さで市場競争には勝てない。
無農薬栽培農家が増えない理由のひとつだ。

一方で、消費者たちの観念を推測してみる。
食の安全、安心が叫ばれて久しいにも関わらず、
スーパーなどで無農薬野菜を見かけないのはなぜだろう、
と思うわけだ。

徹底したリサーチを行うスーパーのこと。
消費者が1本200円のニンジンや、
キュウリを買うとは思わないはずだ。
情報を敏感にキャッチしても、消費者の懐が豊かでない限り、
大きな需用は期待できないというわけだ。

自家用にも関わらず、村では今も除草剤や消毒剤が撒かれる。
長年に渡る農協の指導と教育によって習慣化し、
作物の出来の良さから、村人たちの薬剤に対する抵抗感は消失したようだ。

私たちのように田舎暮らしを選択し、無農薬の家庭菜園を楽しむ者としては、
農薬を意識しないことが大問題に思えてならない。
生産過程を目の当たりにすることで、
都会で食べ続けた食材の残留農薬を意識させられるからだ。


さらにショックな現実がある。
歳老いて草刈りもままならない老人たちが、
屋敷内に除草剤をまくことである。

「水道管がボロボロになっちまって……。
あちこちで水がもれるわ、田んぼに流れ込むわ。
年寄りってのは、除草剤の恐さが解ってねぇだ!
誰かが除草剤の入った米食べる、ってことがわかんねぇだ」

水道管の敷設や、交換などを生業とする患者の嘆きである。


意識するものに本物はない。
塩素の匂いが鼻を突く、都会の水。
工業地帯の空をおおうスモッグや、化学物質の匂い。

いゃ、そんなものは序の口だろう。
福島の原発事故が起きたことで、
今や空気を意識しないで暮らすことはできなくなった。

せめて空気だけは、意識しないで暮らしたい。
選択の余地なく、否応なしに取り込むのだから……。



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キトラ&キララ

 17, 2015 07:25
 連れ合い 002
       キトラ&キララ


キトラは、わが家の濡れ縁で熟睡している。

耳元でアブが飛び回ろうが、郵便配達のバイクが来ようが、
一向に動じない。
洗濯物を取り込む際にうっかり尻尾を踏んでも、
わずかに頭を持ち上げ、気だるそうに「ニャーン」と、ひと泣き。
再び寝入ってしまった。
警戒心のかけらもないが、彼は歴然とした野良猫である。


キトラとの出会いは近くの村道だった。
車のエンジン音もどこ吹く風、悠然と道端に佇んでいる彼を見て、
どこかの飼い猫に違いないと思ったものだ。

それから間もなく、彼は突如として我家の縁側に現われた。
しかも、身体をすり寄せてスキンシップを諮るではないか。
元来が動物好きの私たちである。
わざわざ煮干などを買って来ては与えるようになった。

黒っぽい虎柄の外見から、そのオス猫をキトラと名づけた。
留守をするときは近所の婆ちゃん方にお任せして、
無責任な友達関係を結んだというわけだ。

彼ほど幸せそうな猫にはお目にかかったことがない。
本能のままに獲物を求めて山野を駆け回り、
ヘビや、野ネズミに飽きたら<、縁辺りでニャーンと鳴けばいい。
それこそ“猫なで声”が効を即して、
汁かけご飯や、イワシの頭、お菓子や、羊羹だって貰えるのだ。

地区では野良猫を虐待する者はいない。
野ネズミの被害から農作物を守ってくれるし、
独居老人にとっては格好の伽なのだ。

それに引き換え、都会の飼い猫は気の毒だ。
小鳥や蝉を仕留める快感を知ることもなく、
爪を切られ、去勢手術を強要されて、
人間たちのマスコットとして生きるしかない。

服は迷惑だろうが、食べ物と住まいが保障されることを思えば、
選択するのは猫自身かもしれないのだが……。

ペット産業の躍進が物語るように、
都会派ペットたちの暮らし振りはゴージャスきわまりない。

冷暖房の効いた部屋で暮らし、高カロリー食に運動不足とくれば、
行き着く先は動物病院というわけだ。

すると一転、ダイエットフードが開発され、エステやプール、
マッサージまで組まれた健康プランがもてはやされる。


あれ、なんの話しだっけ?
今どきの人間の暮らし振りにそっくりではないか……?
ああ、だからこそ田舎暮らしを選択し、
自然体で野良猫を観察しているというのに、だ。

もっとも、入村してまだ半年である。
風土の認識なんてキトラの足元にも及ばないはずが、
すでに評論家きどりの自分が恥ずかしい。
彼ほどの風格を漂わせるには年季がかかるというものだ。


ある日、キトラは一匹の猫を同伴して現われた。
見るからに若さ溢れる美形の雄猫で、
鼻から腹部までが白い毛で覆われたトラ柄の猫だ。

ピンと張った耳に鋭い目……いかにも利巧そうな猫なのだが、
恐ろしく気性が荒い。
餌をやろうと近づくと、歯をむき出して威嚇するではないか。
あまりの形相に思わず嫌な奴!と思ったものだ。

もっとも、その瞬間、呼び名が閃いた。
キトラとは正反対の気性なのだが、
その美形から「キララ」と呼ぶことにした。


キララはいつも空腹だった。
そのくせ相当の距離を置かなければ、餌を食べようとはしない。
よほどひどい目にあったのだろう、キララは人の手を信じない。

手渡しで餌を与えようものなら、
肉片の下に刃物でも隠しているように思うのだろう。
フゥーと威嚇しながら爪で素早く掻き落とし、
遠方に持ち逃げして食べる。

まるで野生のキツネでも餌付けしているような気分になる。
しかも、ひっかき傷の絶え間がない。
キトラと比較すれば、可愛さは月とスッポンだ。

だが、キララの出現によって、
キトラの英知を思い知らされる結果になった。

食べ物は、置き場所を離して二つに分ける。
だが、キララは食べ終わると、決まってキトラの分を奪い取る。
抗いもしないのに、キトラに頭突きまで食らわせて、である。

だが、キトラが怒ったことは一度もない。
余裕の表情で、されるがままキララに場所を譲るのだ。

さすがのキララも、日を追ってキトラに寄り添うようになった。
キトラの尽きることのない一方通行の愛情は、
つっぱり息子を見守る老父の風格を思わせた。

ああ、子育ては年寄りに限る。
若者に未来を託す気概があるし、
とてつもなく寛容で慈愛に満ちている。



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人間曼荼羅

 16, 2015 17:06
 ページ おかげさま
      リス「おかげさまで…」


「いい曲ですねぇ、聞いてるだけで涙が出そう……」

施術室に流れるメロディのせいにしたかったのだろう、
洋子が目頭の涙を拭いながら呟いた。
ケアマネージャーとして働いてきた彼女だったが、
所長補佐に抜擢されてからというもの、
思いつめた様子で来院することが増えていた。

「うん。“祈り”っていうんだけど、いいよねぇ。
聞いてるだけで心の棘が溶けていくし、
素直な気持で自分に向かい合えるもんね……」

更年期の不定愁訴に対応する鍼を施しながら応えた。


「えっ! 先生みたいな人でも心が刺々しくなるんですか?」

「あるある。洋子さんに負けへんくらい。
まぁ、鍼灸師になってから少なくはなったけど、
かつては日常的に棘が発生してたわ。

ノルマを課せられた美容関係の営業職だけどね。
金銭欲と二人三脚で売りまくった日々に始まり、
営業所長として女性軍団を率いたこともあるからね。

ナポレオン・ヒルの『成功哲学』や『人を動かす』なんて本に依存しながら、
今の洋子さんみたいに腹を立て、自問自答し、
混沌とした精神を抱えた時代の長かったこと……」


「へぇ、そうなんだ……。
どうやって乗り越えたんですか?」 

洋子が身を乗り出すように聞いた。

「あっ! 動かないで!鍼が曲がるし……。
最初は洋子さんと同じ。
高給取りをいいことにイタリア製の靴や、サガミンクの毛皮を衝動買いしたり、
神経を麻痺させたくて毎晩のように寝酒飲んだり……。

けど、物を買って晴れるような憂さじゃないってわかってね。
しかも男女や、親子の情愛なんかでは満たされない、
空しさに似た孤独感に曝される日々が続いてて……。

というのも、子供の頃から一風変わった面があってね。
長くなるから説明は省略するけど、
額に現れる映像によって出来事を予知したり、
行ったことのない場所に夢の中で前もって行ってしまうとか…。

それってデジャブ(既視感)っていうんだけど、
とにかく、ちょっと普通ではなかったわけ。
その感覚の一部は大人になってからも残っててね。
UFOや、呼吸する球体に遭遇したりなんかする度に、
生きる本当の目的を知りたいという衝動に駆られたわけ。

中でも人間関係の迷路というのが難問中の難問でね。
悟りの経典なんかに書かれた『あるがまま』とか、
『全てはひとつ』なんか、ただ、知識だけで…。
その真理を、実生活に生かすことって容易じゃないんよね。

そんなとき、尊敬する人の受け売りで、
『人間曼荼羅』ってのを書いて本気で遊んでみたわけ」

「人間曼荼羅?」 
洋子が怪訝そうな眼差を向けた。

「チベットの寺院なんかにある曼荼羅図ってあるでしょう?
釈迦が真ん中で、周囲に様々な如来や菩薩を配置した絵図ね。
そのまま中央の釈迦の位置に自分を入れて、
周囲に親兄弟、友人、知人を配置していくんだけど、
肝心なのは好き嫌いにこだわらずに、
自分に関わった全ての人を並べること。

それから一人、々との関わり方、出来事、
感情の全てをじっくりと辿っていくんだわ。
すると凄いことが解かって……。
ほんま、泣いたのなんのって。

というのがね……。
一緒にいて居心地のいい人……。
例えば親友のように自分を擁護してくれた人よりも、
なんと! 嫌いだった人、反抗した相手こそが、
自分を育ててくれたって気づいたわけ……。

といっても、仲良し関係を否定しているわけではないよ。
気心の知れた親友とのひとときは安らぐし、
大切な存在に違いないからね。

私の場合、貧困ゆえに教育には無関心だった母親もしかり、
後輩の前で恥をかかされた上司への反骨精神があったからこそ、
努力をいとわない人間になれたってことも再認識できた。

カリスマ的な才能に恵まれた人と関わった時期なんか、
自分の魂レベルを思い知らされてね……。
羨ましいって気持はあっても、
自分が嫉妬心や、猜疑心を持ってるという自覚はなかったからねぇ。

そもそも、それが傲慢だったわけで、
自分が、実力のわりにプライドだけは
人一倍旺盛なんだ、って気づかされて……。
正直、それを認めることはきつかったねぇ。

それにしても反面教師的な人の存在意義に気づいたとき、
目からうろこの心境だったもんねぇ。
だからって、感情に任せて呆れたり軽蔑したりもするよ。

けど、そんな相手がいるからこそ、自分自身が理解できる。
自分がどんな尺度で物事を考え、
どんな価値観を持っているかが、鮮明になるんだもんね。

それらの存在はね。理想の自分を思い描くための、
相対的なバロメーターになっていたってことがね。
頭ではなく、胸の深いところで解かったんだわ」

洋子は一瞬、目を閉じ、ゆっくりと見開いて空を見つめた。
彼女が、自らの人生に関わった人々の存在意義に、
焦点を当てていることは察しがついた。


「確かに、看護師だった前所長がそうでした。
すごく有能なんですけど厳しい完璧主義者で……。
資格はとれたけど、中卒の私なんか専門用語について行けなくて、
叱られるたびに腹を立てたし、うとましさを募らせました。

けど、今、胸がキューンとしました。
彼女の下で踏ん張った自分を、新鮮な感覚で思い出して……。
最近、スタッフの仕事に対する意識の低さに苛立ってたけど、
あの頃の所長から見れば、私も同じだったんだなあ、って……」 

「そうやね、洋子さんは踏ん張った。
収入以外に、何が洋子さんを踏ん張らせたと思ってる?」

「?……う~ん。腹は立ちましたけど、尊敬してました。
なにしろ介護の仕事に情熱を持っていましたし、
自らが身を粉にして、って感じの人でしたから……」

「それで? 今のスタッフたちは意欲がないって? 
利用者に対して目配り、気配り、誠意に欠けるって? 凄いね! 
今では前所長の視点に立って、腹を立ててるってわけだ!」 

足首のマッサージを加えながら、私は核心に触れていった。

「言われてみれば…ヤダ! 
私、あんなに煙たがってた前の所長に似てきたみたい。
知識や経験が豊富だからって、自分の物差しで量らないでよ!
みたいに思ってましたけど、先生に言われて、
やっと自分の成長に気づきました」

「そうやねぇ。人への批判メカニズムばっかり際立たせて、
自分のことを誉めてやれへんなんて、そら、精神も参るわ。
洋子さんを形作っている細胞たちに失礼だし、
どうかしたら細胞たちの意識が、団結してストライキするかもよ。
ハイ、息を吸って~、ハイ、吐いて~」

施術の仕上げに頸椎を伸ばしながら、私が耳元で囁いた。
洋子が、久しぶりに声を出して笑った。

「先生、ありがとうございました! 
身体もだけど、なんだか気分もすっきりしました。
あとは、どうすればスタッフの意識レベルを引き上げられるかですよねぇ」

服装を整えながら、彼女が名残惜しそうに助言を求めた。


「ほらほら、変えなければ、って意識し過ぎないこと。
洋子さんが意欲と誇りを持って働いていたら、それで充分。
かつての洋子さんがそうだったように、吸収したいと思う人は向上するし、
その気のない人は自然消滅するだけじゃない? 
何もかも自分の責任だと思い込まないこと。
責任感の強さは素晴らしいけど、一方で心身を傷めるばかりか、
自己顕示欲に繋がるから、ね!」


今日もまた、鍼灸という技を使ってヒーリングに勤しむ。
病気とは、気が病んだ状態だと知っている施術家の、
ささやかな隣人愛に過ぎないが……。



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