悲感・俯瞰・宇宙観

 20, 2017 00:05
戦争の爪痕


このところ、『国境なき医師団』からの募金要請メールが頻発。
目を覆うような写真と共に、毎度、々『緊急!』ばっかりです。

で、最近のこと……。
町全体が廃墟と化した、イラク北部モスルの動画を見ました。
それはもう、言葉にならない惨状で、
脱出できずに、未だ、そこで暮す人々の、
信じられない光景が広がっていました。

イラクのアバディ首相は、ISとの戦いに勝利したと表明。
今後は、ISが「首都」と称するシリア北部ラッカの奪還が焦点となるようです。


≪悲観≫

シリア内戦5年で……。
死者47万人、殺された医師705人
(国連は2014年初頭から死者数の集計をやめている)
自爆要員に仕立てられる7歳~14、5歳の子供たち。
子供たちは何も知らず、爆弾は遠隔操作される。
難民になったシリアの子供たちの数480万人(ユニセフ)。
2016年3月現在、難民と避難民の数は、
1100万人以上になりました。
国民の2人に1人が避難生活をしています。



わたし、基本的に……。
世界情勢や、政治には口チャックなんですが、
七歳の女の子が父親に扇動され、遠隔操作されて自爆。
巻き毛の頭髪に覆われた頭部以外、見当たりません。
目、鼻、口、身体が木っ端みじんに吹き飛んだようで、
その肉片を集めて(父親)、風呂敷に包んでいる映像を見て、
(●`∧´)…o(;_;)o…思わず活字にしてしまいました。

この悲惨な戦争や、内戦、テロはなぜ起きたのでしょう。

≪俯瞰≫

その先導役を務めたのは、アメリカのブッシュ一族。
湾岸戦争を始めた父親、ジョージ・ブッシュと、
9・11同時テロを口実に、アフガン、パレスティナ戦争、
イラク戦争を引き起こした息子のブッシュ・ジュニアでしょう。

フセイン大統領やカダフィー大佐は殺害されましたが、
彼らの政権当時には、
スンニ派とシーア派の軋轢はあったものの、
毎年数万人を越す死者が出るような状況ではありませんでした。
宗派間の抗争やテロ、自爆行為が始まったのは、
アメリカが介入した戦争以降のことなんですねぇ。

マスメディアは表向き、民族紛争として報道しますが、
ほとんどの紛争は、その背後に利権などの経済的理由があるようです。

経済的にメリットのない戦争は、どこの国も行いません。

中東で戦争が繰り返される大きな理由のひとつに、
埋蔵されている石油があります。
そこに石油やガスなどの天然資源がなければ、
何十年も戦争を繰り返すことはなかったかもしれません。

現に、北朝鮮では戦争が行われていません。
ソマリアも世界中から放棄されています。
何らかのメリットがないと、他国の問題に介入せず、
戦争も勃発しないのです。
さらに、戦争には仕掛け人がいて、
それに応じて多くのお金が秘密裏に動くようです。



さて、延々と続く民族紛争(宗教戦争)と、資源搾取。
人類の果てしない暴挙を、高次意識たちはどう見ているのでしょうか。

≪宇宙観≫


高次意識A  
ふ~む……エゴイズムを放棄するか、自滅するか。
道は二つしか残されていないようだね。

高次意識B
『自分に、もっと、もっと自分に…』
この執着を放棄しない限り、
公正で平和な世界を建設することは不可能ですし。

高次意識C  
進化した星では“私たちみんな”と捉えるけど、
地球では“自分”だけが重要なんですね。

高次意識A
重要なことは地球という惑星を救うことだが、
文明世界には、未開世界の発達進歩に干渉しないという
規定があるんだ。
 
高次意識B
人類が自滅しないで、三つの条件を満たしていたら、
我々は姿を現すことができるんですけどねぇ。

高次意識C  
( ̄~ ̄;) ……三つの条件。
世界の統一をはかり、宇宙の基本法を知り、
それに基づいた組織づくりをすること。
まだまだ時間がかかりそうですね。

高次意識A  
他の文明に対する我々の関わり方は、
彼ら自身の決めた運命にまかせておくしかないんだ。
進歩という問題はとてもデリケートな事柄で
やたらに干渉することはできない。
ある特別な人を通して、わずかに、
ほのめかすことしかできないんだ・・・・・・。


( ˘ ³˘)…高次元の俯瞰(宇宙観)は、
『アミ小さな宇宙人』から引用、アレンジしました。(^_^ ;)

彼らは、宇宙にまで影響を与える核使用に関しては干渉しますが、
それ以外のことは静観しているんですって……。(´-﹏-`;)



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奇跡の脳

 14, 2017 00:05
奇跡の脳



統合失調症の兄を持つジル・ボルトテイラー 博士は、
その破壊的な精神疾患の正体を探ろうと脳科学者の道に進み、
35歳の若さで全米精神疾患同盟(NAMI)の理事に抜擢されます。
そしてある朝、自らに脳卒中の発作が……。

1996年12月10日の朝、
私は起きると自分の脳に障害があるのを発見しました。
私の左脳で、血管が破裂したのです。
その後の4時間の間に、私は自分の脳が、
すべての情報を処理する能力が、
完全に退化していくのを見ていました。

私はバランスを崩しそうになって、壁をもたれかかりました。
そして腕を見下ろしたときに、
自分の体の境界が分からなくなっているのに気がつきました。
自分がどこから始まって、どこで終わっているのか分からないのです。
自分の腕の原子や分子が、壁の原子や分子と混じりあっているのです。

なんとも奇妙な感覚。
からだが、固体ではなくて流体であるかのような感じ。
まわりの空間や空気の流れに溶け込んでしまい、
もう、からだと他のものの区別がつかない

その瞬間、 左脳のささやきが 完全に途絶えました。
まるで誰かが テレビのリモコンで消音ボタンを押したかのように
全くの静寂になりました。
最初、 頭の中の静寂に ショックを受けていましたが
それからすぐに 周囲の大きなエネルギーに魅了されました。
もはや 体の境界が分からない私は
自分が大きく広がるように感じました 。
全てのエネルギーと一体となり 、それは、 素晴らしいものでした

この空間の中では、 仕事に関わる ストレスが 全て消えました。
体が軽くなったのを感じました 。
外界全ての関係と 、それにかかわる ストレスの元が 、
すべてなくなったのです 。
平安で満ち足りた気分になりました。
想像して下さい。
37年間の感情の重荷から解放されるのが どんなものか!
ああ! なんという幸福。
とても素敵でした

空間のなかでの自分の体の位置が分からなくなり、
自分が大きく広がっていくのを感じていました。
ちょうど瓶から解放された精霊のように。
そして私の精神は自由に舞い上がりました。
ちょうど音のない恍惚の大海を悠然と泳ぐ鯨のように。

涅槃(ニルヴァーナ)だ。
これは涅槃(ニルヴァーナ)だ。
私はこう 考えていたのを憶えています。
私のこの壮大な大きさを、
私の小さな肉体に戻して閉じ込めることなどできないだろうと。

時間も止まり、今この瞬間が全てになる

それは、右脳の意識の中核には、心の奥深くにある、
静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在しているんだ、という思い。
右脳は世界に対して、平和、愛、歓び、
そして同情をけなげに表現し続けているのです。



私にとって、この本は衝撃でした。

なぜなら第一に……。
一般的に、脳梗塞のリハビリは6カ月までとされ、
それ以降の目覚ましい回復はありえないと言われているにも関わらず、
ジル・ボルトテイラー の場合、左脳の機能不全(赤ちゃん状態)から、
8年の歳月をかけて完全回復したという事実です。

第二に……。
左脳が沈黙したことで、
右脳の超常的な働きがクローズアップされたこと。
瞑想などによる幽体離脱ではなく、
脳梗塞の最中に起きたワンネス体験の衝撃です。

このことは、人間の脳には予め霊的な世界にアクセスするための
チャンネルが備わっていることを示唆します。
ふだん、左脳の抑圧によって閉じられているチャンネルが開通。
異次元の体験を味わったわけですから。

正直、人の意識のなにかについて、
『ほぉ(((ʘ ʘ;)))…ここまできたんだぁ…』と思いました。
最近の霊的体験って、医学者に増えてますよね。

エリザベス・キュープラー・ロス博士に続き、
過去記事で紹介した脳神経外科医の臨死体験、スピ界の変遷
ボルトテイラーは自らの脳で、左脳と右脳の特徴をリアルに実感。
脳卒中の兆候が現れるところから、
回復にいたるまでの経緯を説明するために、
本を書いたり講演を行いました。(NHKのドキュメンタリーにも)

もっとも、彼女が奇跡的に完全回復したのは、
高次元から『象徴として選ばれた』のだろうと、思います。
理性(左脳)が支配する世界に囚われないこと。
左脳を黙らせれば、
愛と平和に満ちた世界を誰もが感受できると、
人々に伝えるために、です。

日本語字幕付きの動画です。
脳卒中体験を語る / ジル・ボルティ・テーラー


脳卒中の前は、
自分なんて脳がつくりだした"結果"に過ぎず、
どのように感じ、何を考えるかについては、
ほとんど口出しできないんだと信じ込んでいました。

出血が起きてからは、心の目が開かれ、
両耳の間で起きることについて、
実際にはいろいろと選べることがわかってきました。

頭の中でほんの一歩踏み出せば、
そこには心の平和がある。
そこに近づくためには、
いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい。
          ジル・ボルトテイラー


●ジル・ボルトテイラー 博士
1959年、アメリカ・ケンタッキー州生れ。
神経解剖学者。
ハーバード医学校で脳と神経の研究。
マイセル賞を受賞。
全米精神疾患同盟の理事を務める。
37歳で脳卒中に倒れ、その後8年を経て「復活」。
2008年にはタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。


( ˘ ³˘)…だから、って……。
脳梗塞にはなりたくないし、
なったとしても、博士のように、
右脳が開花するとも限らないですよねぇ。
( ̄~ ̄;) ウーン
やっぱ、安全に右脳を開花させるのは、
瞑想か、あるいは“ボ~…”だと思います。
“ボ~…”だと、そのまま眠ってしまう方は、
運動などで体力を消耗させ(理屈消滅、精神高揚)、
肉体を、ボロ雑巾状態にするのが近道では?と、
体験から思います。(^_^ ;)


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魂の組み合わせ

 09, 2017 00:05
宇宙④


6~7歳の頃の“やるせない”記憶があります。
辛く悲しく、ジレンマを含んだ感情の記憶です。

原因は、連日のように姑にイジメられ、罵倒される母の悔しそうな顔と、
そのとばっちりを受ける私の、不愉快な日常でした。

兄や姉たちは学校へ。
就学前の私は両親と野良仕事に行くのですが、
(田舎なので幼稚園などはなかった)
祖母の持たせてくれる弁当が『嫁いびり』を象徴していました。
父と私の弁当には梅干しとメザシが2尾。
母の弁当箱には梅干しがひとつ入っているだけでした。
もちろん、100%の麦飯ですが、
祖母は家計を握り、米しか食べませんでした。

孫として祖母に可愛がられた記憶は皆無でしたが、
毎日のように問われました。

『風子、わしと母ちゃんと、どっちが好きじゃ?』
そんな稚拙な……というか、無神経な問いかけに応じられるはずもなく、
私は毎回、だんまりを通したものです。

祖母は、かつての庄屋の娘で贅沢三昧に育ち。
裁判官を理屈で負かしたと語り継がれるほどの雄弁家でしたが、
隣村の祖父に嫁いだ後は貧乏暮らしが続き、
欲求不満を抱えた“意地悪婆さん”に成り下がっていました。


ある時、とうとう祖母の嫁いびりに耐え切れず、
私たち一家は10㎞ほど離れた隣村に引っ越しました。
祖母の使い走り兼、伽として、
中一だった姉(長女)を残して、です。

姉(長女)は、よ~く耐えました。
中学は制服だったのですが、姉だけは私服で通し(極貧)、
修学旅行も仮病でパスしました。(祖母の命令)

中学を卒業すると、姉は私が通う小学校の用務員として就職。
9歳年下の私には、眩しいほど大人に観えました。
私は自らの思いを何通もの手紙にして、学校で姉に手渡しました。
電話もメールもない時代で、実の姉妹でも話す機会がなかったのです。

少年院に入ってもいいから、
皆のために婆ちゃんを殺したいと思うことがある。
姉ちゃんだけが犠牲になって可哀そう過ぎる。
母ちゃんは情が薄い。
母ちゃんにとって、子供は労働力でしかないのでは?
父ちゃん、人はいいけど、マザコンもいいとこ。
健康な男なら、しっかり家族を養うべき。


そんなことを書き連ねていたわけです。
すると……。

そんなこと、考えてはいけない。
婆ちゃんは気位高くて嫌われ者やけど、その考えには一理ある。
母ちゃんも、出来の悪い嫁であることは確か。
父ちゃんは板挟みで辛い。
出稼ぎに行こうにも、長期は婆ちゃんが許さない。
心配せんでも、私はアンタが思うほど不幸じゃない。


姉からはいつも、中庸精神の立派な返事が返ってきました。


10数年後、祖母が亡くなり、解放された姉(長女)は、
大阪で働いていた従妹の男性と結婚。
血が濃いので子供はつくらず、
専業主婦として今(73歳)に至っています。

もっとも、祖母に抑圧され続けたせいか、
人間恐怖症みたいな側面があって、
他人とのコミュニケーション作りは消極的です。

3年前に大腸癌(ステージⅢの末期)をオペ。
入院する前に、さっさと終活してましたが、
現在5年生存率の最中で、元気に暮らしています。

何が驚いたかって、
よりによって姉(長女)が癌になったことでした。

玄米菜食で少食、運動も欠かさない健康オタクのような人で、
従妹の夫との関係も兄弟みたいなもの。
子供のない夫婦でしたから、ストレスもさほどありません。
それなのに、なぜ?
更に1年遅れで、夫も胃癌に。(同じくステージⅢの末期))
2人に1人が癌の時代という確率が、姉夫婦の場合は、
2人に2人の確率でしたからねぇ……参りました。

原因は一体、なんなのか。
野菜に含まれる残留農薬、肉の飼育環境や、魚養殖の環境、
加工品に使われる食品添加物、空気、水、etc……。
個人的に1年ほどは、その解明に没頭しましたが、
結論から言えば、『まともな食品は皆無に近い』と判りました。
世界で増加している『食べない人々』って、
食の実態に警鐘を慣らしているのだろうか?
そう思ったほどです。
このことは、書き始めるときりがありません。
恐ろし過ぎて、反って口チャックしかないと、
今は思っています(^_^ ;)


私が言うのもなんですが……。
姉は、主婦の鏡のような人です。
若いときからノーメイクで、頭髪も自分でカット。(夫の散髪も)
古着を加工して装い、質素倹約を旨としています。
タクシー運転手の夫にはパーフェクトに尽くし、
常に控え目で、決して自己主張をしません。

中学しか出ていませんが、姉は驚くほど物知りです。
新聞はもとより、季刊誌や情報誌をよく読み、
園芸や裁縫、アイディア小物づくりに長けています。

使い古した薄物のカーペットを裁断して洗濯。
それで冬用のスリッパや、ドアノブカバーを作ったり、
卵の殻を貯め置き(極小の穴を開けて飲んだ卵)、塗料を塗って
ブドウのようなインテリア作品で部屋に彩をつけたり。
レンゲや、つゆ草など、お金のかからない季節の花を生け花にして、
素朴で豊かな日々を送っているというわけです。


さて、この辺りで本日のテーマ……。

わたし、子供の頃から、親兄弟の組み合わせが
不思議でたまりませんでした。
遺伝の法則で姿形こそ似ていますが……。
同じ親から生まれ、同じものを食べて暮しているのに、
感受性、思考パターン、価値観、人生観が、
まるっきり違うんですよねぇ。


例えば、私の下の姉(3歳違い)は、長女とは正反対。
馬車馬のように働き、遊び、他者に散財し、肝っ玉も座ってます。
活字嫌いで人の受け売り好きなので、
思考は軽薄、早とちりが多く、自信に満ちている分、
思い込みが強いタイプです。

この姉、肝っ玉母ちゃんになったには訳があります。
年子で5人の子を産み育てたのですが、
そのうち3人が内蔵奇形のハンディを持っていました。

長男は致命的な心臓疾患があり、
大阪大学病院で、15歳まで生きられないと宣告され、
三女は生殖器欠損で生まれました。
次男は心室中隔欠損でしたが、幸いなことに自然治癒。
いずれも、姉が19歳の頃に受けた
甲状腺治療のホルモン剤の影響でした。

(ホルモン剤の扱いが原始的な時代は、
多くの患者さんが副作用で苦しみました。
甲状腺ホルモンも、ですが、子宮収縮剤オキシトシンの乱用で、
子宮破裂事故や、赤ちゃんに障害が残り、法律が改正されたほどです。
流産防止の薬剤も、23番目の性を決定する遺伝子には致命的です。
それを使って息子を生んだ私ですが、病理学で医源病とか学んで、
男の子で良かったと、つくづく思いました)


医師から余命宣告された、姉の長男のことは
過去記『スピリチュアルな関係③』に。
スピリチュアルな関わり③

生殖器欠損の三女は(18歳過ぎても生理が始まらなくて判明)、
横隔膜の一部を利用して子宮を形成。
長期間、金属の型にはめたものを挿入。
姪っ子は、その痛みを耐え忍びました。
好きな人ができたときに、せめて性を交わすくらいは……。
姉の親心で、オペを受けさせました。(保険効かず280万)

見かけがグラマーでチャーミングな姪っ子ですから、
幸か不幸か男性にもてるのです。
出産は不可能ですが、性生活が可能なら結婚もあり得ます。
その場合、セックスシーンを想像すると、
女性側が空洞って状態だけは、回避してやりたかったんですねぇ。(´-﹏-`;)


長男の、生死をかけた入退院の10数年。
三女の生殖器再生術。
結果……。
『近畿大学病院は、うちの庭みたいなもんよ!』
そう豪語する姉(次女)になったというわけです。


わたしたち、本当は6人兄弟なんです。
戦後まもなく2人の姉が赤痢に感染して死亡。(顔も知りません)
その後、長女、長男、次女、私と生まれたわけです。

そうそう、忘れるところでした。
長男は“忠犬ハチ公”を寡黙にしたような性格で、3姉妹とは別格です。
無口、シャイ、忠実な性格ですが、不愛想MAXみたいな……。
ですが、甲斐性無しの父を観察し、母の苦労を見続けた長男ですから、
大黒柱としての責任感は大したもの。
70歳の今も、黙々と大工仕事をこなしています。


そんなこんなで……思うわけです。

●戦時中に生まれ、4~5歳という可愛い盛りに逝った2人の姉は、
 何を体験するために生れたのだろう?

実は、2人の姉が逝った後、両親は一度離婚しました。
ですが、実家に戻っても、母に居場所はありませんでした。
母の母は幼少期に他界。
父は後妻をもらって異母兄弟が3人もいました。
しかも、実家の父に言われました。
口減らしのために、4人の子供いる男に嫁げと……。
で、仕方なく母は、マザコンの父と寄りを戻して再婚。
他人の子を4人も育てるくらいなら、
もとの男がましだと思ったようです。
“おしんの時代”ですから、
こんな話は珍しくもなかったのでしょうが……。

先立った2人の姉は、母の人生観を決定づける役割を
担ったとしか思えません。


●母は、あまりの艱難辛苦から、人生、金だけが頼りの哲学を習得。
 魂の課題は、生き抜くパワーだったのかもしれません。
 その母の、43歳の肉体と、価値観の下に宿った私。
 過去世ではプライドばかりが高く、
 軟で耐久力のない人間だったのかも? なんて思います。
 また、脳梗塞、言語障害の母が、 
 私とだけ喋れたのはなぜだろうと思います。
 旅立つ前に、その世界のヒントを特別贈与してくれたのでしょうか?
 脳の機能を疑った日

●『エドガーケイシー/地球卒業者「18人」という本がありますが、
 姉(長女)は、その本に登場する人間像そのもので、
 人の在り様として、私の手本になってくれていると感じますし、
 もう一人の姉(次女)は、肝っ玉母ちゃんを演じることで、
 家族愛のなにかを教えてくれる存在だと、今も思います。


同じ親から生まれ、同じものを食べて暮していても、
性格はてんでんバラバラ……。
次元の似た魂たちの舞台として家族カテゴリーを組み、
影響を与え、与えられているんですねぇ。

(*′☉.̫☉) えっ? もう2度とは組みたくない奴もいる、って?

(´ー`*)ウンウン…… 骨肉の争いとか言って、
他人より始末の悪い関係も、世の中にはありますもんね。

ですが、拒絶すると、端からやり直しらしいですよ。
魂レベルの、あなた自身の選択したソウルメイトですから。

今からでも遅くはありません。
親兄弟や伴侶との、魂の組み合わせに焦点を合わせて、
その存在意義を考えてみるのも面白いですよ。
とどのつまり、私たちは“ひとつ”。
地球という星に住む意識的集合体ですから。

思うに……。
人間関係は『食物』と同じだと思います。
好き嫌いなくバランスよく食べて、
肉体で消化、吸収、分解、合成し、
最高位のホルモン合成に
至るのですから‥‥。
    風子(*^▽^*)



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ザッカ―バーグ氏の演説

 04, 2017 00:05
ザッカーバーグ氏


Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグ氏が、
母校ハーバード大学の卒業式に呼ばれてスピーチしました。
その内容を紹介します。


ケネディ大統領がNASAの清掃員さんに何やってるの?って聞いたら
「人類を月に送る手伝いをしてるんです」って答えた話が好きで、
そうやって「あらゆる人に、
"俺達はやれるんだという感覚"を持ってもらうこと」が、今必要なこと……。
っていうのは、あらゆる分断が社会を引き裂いていくこの時代に、
凄く重要なメッセージだと思いました。

僕は社会への貢献に関係しない決断は、できるだけ下さないようにしている。
実はこれは多くの心理学的な理論に基づいていることで、
何を食べるか、何を着るかなどのたとえ小さな決断でも、
繰り返し行っているとエネルギーを消費してしまうんだ。
日々の生活の小さな物事にエネルギーを注いでしまうと、
僕は自分の仕事をしていないように感じてしまう。
最高のサービスを提供して、
10億人以上もの人々を繋げることこそ、僕のすべきことなんだ。

僕がやりたいのは会社を経営することではありません。
世界をより良い方向に変えていくことです。
フェイスブックはその手段です。

Facebookという会社のカルチャーは非常にオープンです。
僕と社員の間もオープンだけど、
社員同士でもオープンで密接な交流が図れるようにしています。
会社のオフィス設計もオープンです。
広い部屋にデスクがずらっと並んでいて、誰も個室を持っていません。
僕らが人と会うための会議室はあるけど、
それはガラス張りで外から何が起きているかすっかりわかります。



さすが……。
天下のハーバードを中退してまでも、
Facebookの普及に没頭したんですねぇ。

このザッカーバーグ氏……。
自らが保有するフェイスブックの株式の99%を、
自らが設立する慈善団体に寄付すると発表しました。
持ち株の現在の評価額は450億ドル(約5兆5000億円)を、です。

と……。
ここまでの話には胸を打たれるのですが……。

どっこい!
この寄付は、慈善活動よりも節税対策が主な目的ではないか。
そんな声も少なくありません。


というのも、ザッカバーグ氏は寄付をするにあたって、
慈善団体に、ではなく、自らの合同会社を設立しました。
合同会社なら、基金の使途は慈善事業に限定されず、
民間企業と同様に営利事業への投資や政治献金もできます。
慈善団体のように、投資先などの情報開示の義務はありません。
要は慈善事業というよりも、ザッカーバーグ夫妻による
自由な投資の母体として機能する、というわけです。

しかも、合同会社には税制上のメリットがあります。
米国では、合同会社に対する課税は、法人課税か、構成員課税かを選ぶことができます。
ザッカーバーグ氏が構成員課税を選べば、法人税はまったくかからず、
個人に対する課税のみになるらしいのです。


ここで、寄付をしなければ、の話……。
創業者の株式を、税金を納付するために一気に売却などできません。
ということは、現状だと、生まれたばかりの娘に
2兆円ほどの税金が発生するんだそうです。

で…「世界の教育に役立てるため」とか言って「慈善団体」を設立。
なんの仕事をしなくてもOK。
ザッカーバーグ氏本人や、妻、生まれたたばかりの娘を役員として登録。
すると、5兆5千億円の基金の「利子分」は、
自分たちの余禄として自由に動かすことができる。
もしかして、預けた銀行の利息や運用で2%の収益があったとすると、
5兆5千億円の2%は、(((ʘ ʘ;)))1100億円

なんと、生まれたばかりの娘の手元には毎年、
利息だけで1000億円以上のお金が入ってくるわけです。
この利回りが4%だった場合、年間2000億円以上です。

(((ʘ ʘ;)))……年間2000億円!
小国、養えますよねぇ。

この手法、アメリカではメジャーらしいです。
「世界の教育のため、子供たちのための団体を作ってそこに寄付します」
そういって、富豪たちは節税対策をするんですって!(。・?_?・。)ムゥ…。


( ̄~ ̄;) ウーン …。
まぁ、いろんなツッコミもあるでしょうが、
わたし、ザッカーバーグ氏の
『見えるシステム』…尊敬しています。
トランプに代わって、大統領、
やってもらったらどうでしょうね?(^^;)



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エピソード/恋心

 29, 2017 15:15
タイ
     ビルマとの国境にて/20歳


♪恋というものは不思議~なも~の~なんだぁ~
逢っ ているときは~ なんともないが~
さよならすると~ 涙がこぼれちゃう♪

布施明のヒット曲『恋』……。
恋心を的確に表現していて、憎らしいほど。
懐かしくもあり、切ない記憶ですよねぇ。

But……\(?。?")。
今にして思えば、恋はやっぱ、病かも?と思います。
恋心というものは、『知らぬが仏』状態で、
互いが、勝手に思い描く理想象に恋しているのかも、と。(^_^ ;)

46年前、オバちゃんも人並みに恋をしたのですが、
『異文化の壁』を前にして、白昼夢から覚めました。
その、オバカなエピソードを公開しましょう! 

今日の話は長いです。(お忙しい方はスルーください)
著名でもない、ふつうのオバちゃんの恋物語なんて退屈ですよ。
ただ、これを読むことで皆さん自身の青春を思い出し、
人として成熟した今の自分を、褒めてあげられたら幸いです。



20歳の私は、かつてのシャム王国(タイ)に向かいました。
目的は、国際結婚の下見旅行でした。
過去記事『悩むな!考えろ!』に書いた経緯を経て、
21日間の長期休暇をもらって旅立ったのでした。

恋人の名前はタノン・ブンジョス。
軍人の父を持つ長男で、30歳のエンジニアでした。
出会いは、家族で行った大阪万博のタイパビリオン内。
近畿大学工学部に留学中の彼が、
自国のパビリオンで通訳のバイトをしていたことに始まります。

当時、私は名古屋在住の勤労学生で、2年間は文通だけの付き合い。
その後、実家のある大阪で就職してデートを重ね、
互いが結婚を意識するようになっていきました。

国籍を取得して日本で就職するか否か、
タノンはかなり悩みましたが、私は帰国を勧めました。
当時の日本では、まだまだ黒人やアジア系の人々に対する偏見が強く、
彼にとっての就職は、自国の方が有利だろうと思ったわけです。

もっとも、私は、すぐに結婚したいとは思っていませんでした。
POPライター業は楽しく、専門職としての未来に希望を持っていましたし、
数年先なら結婚してもいいけど……くらいの温度差はありました。

ただ、相手の立場(30歳、長男)や、心境は理解していました。
留学過程が終了しているのに、好きな人がいるとかで、
一向に帰国しようとしない長男坊に、両親がやきもきしていたのです。

ある日、タノンが真剣な眼差しで言いました。

『結婚の予行練習してみない?
まずはタイを知って欲しい。
できれば僕と一緒に行って欲しいけど、
現地を見て、風子がそこで暮すと決心できれば、
僕、数年くらいなら待てるから……』
自分の気持ちと両親の間で葛藤していたタノンは、
私の気持ちの本気度チェックしたかったのです。

『うん、判った……。帰国に合わせて一緒には無理。
お金も貯めないと行けないし、長期休暇も簡単ではないからね。
けど、必ず行く……約束するわ。』
この会話から1年後、上司の配慮で実現した旅行だったわけです。



タノンの実家は、
バンコクの北方400㎞ほどのペチャブリー市にありました。

100坪ほどの敷地に木造二階建ての家屋と、小さな菜園。
日本の田舎によくある平均的な一軒家でしたが、
軍から派遣された2名の番兵が駐屯するという、
小屋の粗末さが妙に可笑しかったことを覚えています。

実家に到着した夜、親戚や友人、知人が集まって、
盛大な歓迎会が始まりました。
好奇に満ちた大勢の目に晒され、
婆さま方には手相や足相まで鑑定され、
なんとか『合格』が言い渡されました。

すると翌日から義母は早速、私を市場に同伴させたり、
日本ではありえない米の炊きかたや、
男女別に位置が決まっている洗濯物の干し方などを説明。
いくらなんでも早すぎない?
下見だ、っちゅうに、……とか思いながらも、
好奇心が勝って義母の後をついて回りました。

冷蔵庫以外の家電はなく、米は薪で、洗濯は洗濯板で、
食器と洗濯物の洗剤は、同じものを使用するようでした。
タイは常夏の国……日に何度も水浴びをするということで、
風呂は、ドラム缶に張った水を浴び、同じ場所にあるトイレは、
そのドラム缶の水を汲んで、手動で流すという具合でした。

その生活スタイルはどうってこともなかったのですが、
最大の壁は、激辛で香辛料ムンムンのタイ料理でした。

このタイ料理……バンコク滞在の数日は何とか持ち応えていました。
望めばホテルで洋食を摂り、喫茶店で涼をとることも可能でしたから。
しかし、実家にきてからというもの、地方色の濃いタイ料理が続きました。
それらは観光客に配慮したバンコク市内のものとは違い、
耐えがたいほどのニンニクと香草、激辛の香辛料が混入していました。

口元に運ぶだけで、反射的に吐き気をもよおすのですが、
母親やタノンの胸中を思えば、食べないわけにはいきません。
吐き気を堪えて無理やり飲み込むうちに、胃の方がストライキ。
日増しに食欲をなくしてから七日目の朝、
ひどい目眩に襲われ倒れてしまったのです。

実は私、持病を持っていました。
刺激の強い食事を摂ると、まずは胃がやられ、
しだいに膀胱炎症状に見舞われます。
それが夏場なら最悪で、大量の発汗によって体液の塩分濃度が上がり、
尿に血が混じって微熱が出る……腎盂腎炎の再発です。
放置すると炎症が腎臓まで広がり、
最悪の場合は人工透析の必要に迫られることから、
医師からは安静と水分補給を促されていたのです。


義母が、煎じた薬草を持ってきて枕元に置きました。
藁にもすがる思いで一気に飲み干すと、不思議なことが起きました。
腹部全体がクワ~と熱くなり、すぐに深い眠りに堕ちたようです。
目覚めると、なんと爽やかなこと。
胃の不快感は消え、元気が戻っていました。
そのときの薬草効果は、魔法に思えたほどです。


その日以来、
タノンは私を連れて観光地巡りをするようになりました。
実家での緊張や食事から開放しようという配慮でしたが、
タイ料理そのものが恐怖になった私は、
現地では豚の餌らしいのですが、
路上販売のスイカばかりで、空腹を満たしていました。


そんなとき、たまたまタイの要人から、アメリカとタイ空軍による
アクロバッ飛行トショーに誘われ、貴賓席で観覧することに。

というのも、大阪万博の折に……。
タイのVIP一行が京都、奈良観光をしたいということで、
タノンが通訳、私が神社仏閣の説明に同伴した縁でした。
(タノンは、漢字の多い建造物の歴史や説明が読めない)

ベンツ二台、貸し切りで二日連続。
夜は北新地で豪遊……未体験、別次元の世界でした。
その時のメンバーってのが……。
妻同伴の大臣、都知事、警視総監、タイパビリオン館長と、
その妻(元ミスユニバース)という顔ぶれで、
風子がタイに来てるなら会いたい、みたいな話になったわけです。

ココで注訳
いきなりですが、タイ美人の基準に触れます。
とにかく、丸顔が好まれます。
目がぱっちり、口元が小さく、手足が小さい。
おこがましいですが、そのまんま、わたし。
壮年のVIP一行に、大層可愛がられた理由です。

そんないきさつで上流社会のお歴々と同席して、
身の置き所のない苦痛を味わったり、
リゾートビーチのコテージで、彼と2人だけの静かな夜を過ごしたり、
身分不相応でロマンチックな体験もさせてもらいました。


帰国が近づいたある日……。
タノンの弟と、その友人を同乗させてアユタヤ遺跡を巡り、
単身でビルマとの国境に駐屯する、タノンの叔父を訪ねました。
彼等は7年ぶりの再会ということで、話が弾みました。

ですが、言葉の壁というものも辛く歯がゆいものです。
タイ語の特訓を受けたわりには(3カ月ほどタノンから猛特訓された)
現地ではまったく役に立ちません。
バンコク市内なら英語も通じますが、田舎では身振り手振りばかり。
フラストレーションがたまります。
2時間ほどで耐えられなくなった私は、
外に出て手のひらサイズの猿と遊んで時間を潰しました。
人見知りしない小さな猿が、低木の間に沢山いたのです。


叔父と別れ、ビルマとの国境沿いに差しかかると、
ヤシの木の間から集落が見えました。
秘境探訪ドキュメントにでも出てくるような、
高床式、藁屋根、板張りの簡素な住居が見え隠れしていて、
俄然、好奇心が躍動。
彼等の暮らしぶりが見たいと、タノンにせがみました。

集落の手前で車を降りて歩き始めると、
広場にいた人々の目が、一斉に私たちに向けられました。
そりゃあ、そうです。
腰巻だけで半裸の男たちと、全裸の子供たち。
女性は胸下をボロ布で覆っただけの格好の中、
私は冒頭の写真のような格好でしたし、
タノンや高校生の弟、友人共に、ホワイトカラーでしたから。

石積みの釜戸や、洗濯場のある広場で、
縄を編んだり、矢じりを研いだりしていた男たちに近づき、
タノンが丁寧に挨拶をして回りました。
『ちょっと見学させてください』
『あんたたち、どこから来たの?』
そんな意味合いだったと思います。

私は、芋の皮をむく女性の傍らで独特な道具に見入ったり、
遊びまわる裸の子供たちを眺めたり、
高床式の住居の下で飼われている豚や、鶏に気をとられていました。
住居の床板は隙間だらけで、階下に残飯を落とすにはもってこい。
山岳民族の暮らしぶりに感心したりしていたわけです。

30分ほど経ったでしょうか。
タノンが血相を変えて近づいてきて、耳元で囁きました。

『車に乗って!急いで!』
驚いて振り向くと、男たちはもとより、
そこにいたはずの、女子供の姿もありません。


弟たちはすでに待っていたようで、
私が乗り込むと車が急発進しました。

『どうしたの?』
『ゲリラ!……車に積んでた父の勲章付きの帽子見た。
追いかけられるかも……』

猛スピードで集落から逃れる車の後方で、
けたたましい銃声がしました。(◎ー◎;)……((((;゚;Д;゚;))))カタカタ
『頭、下げて!』
伏せ気味に運転しながら、タノンが叫びました。
反射的に身をかがめ、耳を疑いました。
(゚◇゚;) 嘘!……この時代に銃で狙撃って……夢?

横を見ると、ハンドルを持つタノンの手が震え、
弟たちも身をかがめて固まっています。

えぇ~っ、ここで死ぬの?
死骸は野犬かなんかの餌になって?
母さん、ゴメン……(×_×;)
日本人女性、タイで行方不明とか、新聞に載る?
そんなはずは……これは夢なんじゃ?


30分ほど激走して、湖のほとりの広い道路に出たとき、
タノンが車を止めて言いました。

『危なかったねぇ……途中、男が僕の車、見に行った。
戻ったら他の男を誘って家の中に入って、一人ずついなくなった。
それで僕、思い出した。
後部座席の見えやすい所に、陸軍の帽子、置いてた。
たぶん、殺されるか、身代金要求されたかも……』

『(。・?_?・。)ムゥ…(o´_`o)ハァ・・・』

この危機一髪話……。
身内はもとより、親友にも話したことはありません。
『南方の土人と結婚するなら親子の縁を切る』
そう言い切った母にすれば、
『だから言わんこっちゃない!』ですから‥‥。


この事件の発端となった勲章付きの軍帽について、
補足です。

タイにきてからというもの、
軍人に対する優遇措置には驚かされたものです。

市内のレストランで駐車場が満車だったとき、
タノンは平然と駐禁ステッカーの横に車を停めました。
案の定、いかにも苦々しい顔をした警察官が近づきはしましたが、
後部座席に置いた父親の軍帽を見るなり、
敬礼して立ち去ってしまったのです。
それが高僧の袈裟だとしたら、
警察官は合掌して平伏すというから驚きです。

タイの軍人は特権階級に属しています。
父が陸軍大尉のタノンなどは申請だけで普通車免許がもらえるし、
医療費が全額免除されるということでした。

タイという国には、未だ歴然とした身分制度があります。
王様でさえも仏教徒の一人ということで、最高位は僧侶(たてまえ)。
その次が軍人で、人口の40%ほどしかいない
純粋なシャム人たちで構成されています。
残り60%は華僑(中国系の商売人たち)で、
経済は実質、華僑に支えられているのですが、
僧侶や軍人からは、卑しい身分という偏見がありました。

★21日間のタイ旅行全容について興味があれば、
 過去記事の『離脱』『賢者のささやき』『悩むな!考えろ!』などを参照ください。
  悩むな!考えろ! 
  離脱
  賢者のささやき


帰国の前夜、タノンから聞かれました。

『どお?‥‥タイで暮らせそう?』
ドキドキしました。

『う~ん……努力はするつもり。
そうそう、お母さんは、私のことどう思ってる?』
思わず話の焦点をずらしてしまいました。

『お母さんね、風子がこのままタイに残るなら結婚できるけど、
帰ったら、たぶん、無理だろう、って言ってる。』
内心、ドキッとしました。

『えぇ~っ!……いくらなんでも、このままってわけにはいかないよ。
上司を裏切るわけにいかないし、家族にも、それではあんまりだわぁ』
そういうと、タノンは寂しそうに微笑みました。

別れの朝、タノンはバンコクの親戚や友人宅に寄り道して世間話。
途中の渋滞などを予想すると、間に合わなくなりそうで、
なんども急かして険悪なムードに……。

案の定、空港に着くと、搭乗手続きは終了し、
トランシーバーを持った係り員たちが走り回っていました。
!(・。・) 私を捜していたのです。
冷汗を拭いながら、タノンが係員に言い訳し、
それが終わらないうちに、
係員が私の手をとって走り出しました。

『行って!…早く行って!』
振り返る私に、タノンの声だけが聞こえました。
係員に急き立てられて、
関係者以外立ち入り禁止という通路の階段を降りていたのです。

外に出ると、ジープと軍人が待機していて、
すでに滑走体制に入っていた飛行機に運ばれました。


『たまにいるのよね、こんな人……』
そんな目をしたスチュワーデスが、笑顔で迎えてくれました。
もちろん、乗客の何人かに睨まれました。
私のために、飛行機は離陸を5分も待っていたのですから。


『もう、あんなに急かしたのに。言わんこっちゃない……』
そう思いながら窓の外に目をやると、
送迎デッキで手を振るタノンの姿が見えました。
愛しさが押し寄せ、嗚咽しました。
このドタバタ劇は、私を日本に返したくないタノンが、
意図的に仕組んだと、やっと理解したのです。

帰国の日が近づくにつれ、どんなに葛藤したことか。
最後の夜は二人だけで過ごしたかったのに、
親戚の家に泊まって、妙にテンション高く雑談に耽ったタノン。
その真意を量りかねていた自分の愚かさに腹を立て、
同時に、真意には沿えない悲しさに苦悶しました。


帰国して数か月というもの、
冒頭、布施明の歌詞そのものの心境でした。
愛しさに胸かきむしられる反面、
冷静な自分に諭されるわけです。

無理、ムリ、ムリ……。
何か月も、その理由を自らに言い聞かせました。
・激辛で臭いタイ料理
・歴然とした身分制度への抵抗(物乞いする子供たちの多さ)
・2度も体験した“幽体離脱”よる世界観の好奇と混乱。


こうして、わたしの恋は終結。

今も思うのは、タイに移住していたら、
精神世界の探求や、神秘体験はなかったはず。
ましてブログを書くなんて、まず、なかっただろうと……。

ですが、一方では、
タイ人に嫁いだ自分の人生を想像します。
【人生はすでに完成しているDVDのようなもの】
意識の海にはパラレルワードがあって、
幾つもの人生脚本が、同時進行で展開していると
知っているからです。



(*′☉.̫☉)えっ? タノンとも離婚しただろう! って?

(´・_・`)…… ワ~オ!……あるいはそうかも、です。
この世には、男女の情愛より楽しいことが多すぎて……。(^_^ ;)

いずれにしても、人生は無常です。
変わらないものは、なにひとつ、ないんですよね。
歳を重ね、ブラックジョークのひとつにでも共感できれば、
あなたも『人生の哲人&鉄人』って、ことじゃないでしょうか、ネ!(*^▽^*)


結婚するとき、
私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。
今考えると、あのとき食べておけばよかった。
  アーサー・ゴッドフリー(米国のブロードキャスター)




ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

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